ヘッドを切った理由は平沢曰く「ギターケースに入らなかったから」
ギターを黄色に塗り、キーボードは対象的にピンクやブルーに塗られるなどした。
当時P-MODELの追っかけをしていた「ザ・グルーヴァーズ」に譲り、「これをやるからうろちょろしないでくれ」と釘を刺した。
ギターを黄色に塗り、キーボードは対象的にピンクやブルーに塗られるなどした。
当時P-MODELの追っかけをしていた「ザ・グルーヴァーズ」に譲り、「これをやるからうろちょろしないでくれ」と釘を刺した。
FERNANDES社のムスタングコピーモデル
映像では1980年2月頃から確認できる。
1980年(同所で複数回公演のため正確な日時不明)京都「サーカス・サーカス」でのライブ後、ロック界の大御所デイヴィッド・ボウイにサインを入れられている。
所持初期からボディの特徴的なストライプは消され(画像一枚目を参照)元は黄色だが、後に平沢により青色に塗られている
映像では1980年2月頃から確認できる。
1980年(同所で複数回公演のため正確な日時不明)京都「サーカス・サーカス」でのライブ後、ロック界の大御所デイヴィッド・ボウイにサインを入れられている。
所持初期からボディの特徴的なストライプは消され(画像一枚目を参照)元は黄色だが、後に平沢により青色に塗られている
ブリッジ部で手を切りやすく、よく出血していた(本人談)
平沢曰く「行方不明になった」と話しているが、中期〜凍結期にバンドの機材(他ギターも含め)と共に売り出されていた時期があり、そこで売れた可能性がある。
尚、この件については平沢が吹聴されたくないため「行方不明」としている可能性があるので、出来るだけ他言はお控えいただきたい。
平沢曰く「行方不明になった」と話しているが、中期〜凍結期にバンドの機材(他ギターも含め)と共に売り出されていた時期があり、そこで売れた可能性がある。
尚、この件については平沢が吹聴されたくないため「行方不明」としている可能性があるので、出来るだけ他言はお控えいただきたい。
AriaPro2(荒井貿易)社のランダムスターコピーモデル。
「フルヘッヘッヘ」「HEVEN」のPVなどで使用が確認できる。
平沢の兄である裕一氏に勧められて新宿で購入
当時HR/HMの界隈で人気だったシェイプだが、反骨精神の表れとして裕一氏が勧めたという。
「フルヘッヘッヘ」「HEVEN」のPVなどで使用が確認できる。
平沢の兄である裕一氏に勧められて新宿で購入
当時HR/HMの界隈で人気だったシェイプだが、反骨精神の表れとして裕一氏が勧めたという。
トレモロアームが細く、動きも堅かったので掌にあざができるほどだったという。
こちらのギターでも手を切ることが多々あり、ボディー色がホワイトだったため、血の色がよく目立ったという。
超余談にはなるが「フルヘッヘッヘ」PVの撮影場所は千葉県の印旛沼。
こちらのギターでも手を切ることが多々あり、ボディー色がホワイトだったため、血の色がよく目立ったという。
超余談にはなるが「フルヘッヘッヘ」PVの撮影場所は千葉県の印旛沼。
バンド「フリクション」のベース担当レックからの借り物
1981年中旬頃から1983年の東海楽器「TALBO」の発売まで使用、同時期、アルバム「perspective」のレコーディングに使用された
「BITMAP 1979-1992」の「ジャングルベッドII」や「HEAVEN」などで使用が確認できる
1981年中旬頃から1983年の東海楽器「TALBO」の発売まで使用、同時期、アルバム「perspective」のレコーディングに使用された
「BITMAP 1979-1992」の「ジャングルベッドII」や「HEAVEN」などで使用が確認できる
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