チャプター 
本編
「ん………………」
私が目を開くと、そこは死後の世界ではなかった。
犬もいなかった。妖精もいなかった。ただ、無機質な白い天井が広がって……
どうやら、病院に寝かされていたらしい。
「……ああ、よかった！ 目を覚ました………………」
そして、私の枕元に立った存在は、看護師さんでも、パパでもママでもなかった。
……見知らぬ顔だった。
30代くらいの男性、だろうか。目の下には大きなクマが浮かび、少し天然パーマ気味の黒髪は、乱れに乱れている。
どうして、こんな疲れきった男が、私なんかを……？
「……あの」
「ああっ、じっとしててくれ……今、看護師さんを呼んで来るから」
「必要ないです」
男の制止を無視して、ベッドから降りる。
慌てたような素振りを見せる男を真っすぐ見て、口を開いた。
「……どうして、ここに私を？」
「どうして、って……君、熱中症で倒れてたんだ……俺は、君の親戚だって思われて、病院まで一緒に来たんだ」
熱中症。
その言葉を聞いた途端に、頭が真っ白になった。
とうとう死ねるなんて思った、自分がバカだった。
そしたら、私が気を失う間際、確かに聞いた、あの犬の声は………………
「とにかく、君の本当の親御さんに連絡しないと……」
「やめて」
「えっ？」
「親に、会いたくないです………………連れてってください……どこか、遠いところまで」
口をついて出たのは、突拍子もない言葉。
ポケットをまさぐる。最後のキャンディは、まだそこにあった。
パパとママに、弱った自分を見て欲しくなかったし、何より、このキャンディが、自分のどこか知らないとこに行ってしまうのが怖かった。
どうしてだか、今となってはわからない。
ただ、一刻も早く、この町を出なきゃ、と……………私の直感が告げていた。
「お願いします」
「……………………わかった」
私の目を見て、本気だと悟ったのだろう。男は数秒間の逡巡ののち、うなずいた。
「ありがとうございます」
「そしたら、もうすぐにここを出よう…………実は俺も、君に話さないといけないことがあるんだ」
意味深な発言とともに、男は病室をあとにする。私も急いで服を整えると、男を追った。
そして今。猛スピードで走る車に、ただ揺られている。
受付の看護師は私たちの表情を見て何かを察したのか、特に問い詰めずに退院の手続きを済ませてくれた。
男は、サキヤマと名乗った。私も、隠さずに本名を名乗った。
その後、私たちの間に、会話は殆どなかった。
時折、サキヤマさんの口から、うわ言のように……
「すまない、すまない……」
という言葉が飛び出していたのを除けば………………
カーオーディオから、ギターの不穏な音色と、急かすように乾いたドラムが鳴り響く。
まるで、暗雲立ち込める私たちの心象が表出したように………………
♪I see a red door and I want it painted black♪（赤いドアを見ると、黒塗りにしてやりたくなるんだ）
♪No colors anymore I want them to turn black♪（色なんて要るもんか、全部黒くしてやりたいんだ）
♪I see the girls walk by dressed in their summer clothes♪（夏服の女の子たちが、そばを通り過ぎていったのを見た）
♪I have to turn my head until my darkness goes♪（見ないように反対を向くんだ、自分の中の闇が通り過ぎるまで……）
………………………………
サキヤマさんは、全てを話してくれた。
鬱状態になって、このままでは死んでしまうと感じた日が、何日も続いたこと。
弱ったフリをした妖精2匹が家を訪ねて来て、そのまま住み着いたこと。
一向に出ていかない妖精たちは、自分たちを「飼いずん」だと勝手に決めつけ、首輪をつけるよう強要したこと。
そればかりか、サキヤマさんを「おんしらず」と罵り、我が物顔で好き放題し続けたこと。
飼い犬の「ハリー」が帰ってくると、家から追い出すように命令し続けたため、しつけとしてケージに閉じ込めただけで「ぎゃくたい」だと認識されたこと。
ハリーのエサを横取りしようとしてトラブルになり、1匹は窓ガラスを割って逃げ出し、もう1匹は自分自身の手で絞め殺したこと………
途中からの内容は、窓ガラスを割って逃げ出した妖精………ままずんの口から私も聞いていたが、やっぱり、妖精の認識はどこまでも自分本位で、作り話が多く含まれていた。
《ぼ、ぼくは……ぱぱずんと、かいぬししゃんとなかよく、しあわせにくらしていたのだ…………でもあるときかいぬししゃんが、かってに、“くちょいぬ”を、ぼくたちのおうちさんにつれてきたのだ！！》
《ぼくたちはおいだしてっていったけど、かいぬししゃんはきいてくれなかったのだ……だったらせめておりにとじこめてっていったけど、かいぬししゃんは、なぜかぼくたちをおりのなかにとじこめたのだ！！》
《あのくちょいぬ、わがものがおで、ぼくたちのおうちさんをあるきまわっていたのだ……ぼくたちは、おおごえをだすくちょいぬがこわくて、ずっとふるえていたのだ！ ぼくたちは、まったく、おりのそとにだしてもらえなかったのだ！ ごはんさんももらえなかったのだ！ くちょいぬは、おりにもはいらず、すきなときにえさしゃんをもらえているのに！！》
《ぼくたちは“ぎゃくたい”をうけてごはんさんをもらえなくて、おなかさんがすいていたから、しょうがなかったのだ！！》
《“かいずん”であるぼくたちをとじこめるなんて、りっぱな“ぎゃくたい”ちゃ！》
………………
妖精の話を1から100まで全部信じるような私じゃないけど、あまりにも現実離れしたままずんの作り話は、怒りを通り越して、ただただ呆れるしかなかった。
どうせ、妖精のことだから……という私の予想が殆ど当たっていたのも…………だろうなあ、と言った感じだった。
それに、あの首輪。
《こ、これは、かいぬししゃんがつけてくれたって、いったあああああああああああああああ！！ はずしかた、しらないちゃあああああああ！！》
無理矢理つけさせた、が正しかったんじゃん。
ウソつき。
…………どうしてかって、今聞かれても多分答えられないと思う。
でも、その時はその時なりの特別な感情があったんだろうな。
でなきゃ、あんな害獣、家に入れたりしないさ。
高速道路を下りて、しばらく走った後。
車を停め、海が見える丘に立ったサキヤマさんが、静かに語り終えた。
「あの首輪で…………自分の家にいた妖精だってわかったんですね」
「……そうだ」
サキヤマさんは、ジャケットのポケットから、ボロボロの首輪を取り出す。
私がさっき、耳なし親ずんに自ら外させた、あの首輪………………
「てっきり、孤独に野垂れ死んだものかと……まさか、バス停の待合室に住み着いて、子ずんを出産して生き続けているなんて」
「サキヤマさん……ごめんなさい、あの妖精は、私が殺しました………踏み潰して、殺したんです」
私は、頭を下げる。害獣であるとはいえ、かつては目の前の男が「飼っていた」生き物に、手をかけたのだから。
「何でアヤさんが謝るんだ？ さっきも言っただろう、俺は、“害獣”のあいつらを、ペットだなんて思ったことはない………家に招き入れたことを、酷く後悔してる」
「………」
「逆に、俺の方が謝らなくちゃいけない……俺が、妖精を責任もって始末しなかったことで、アヤさんの精神に大きな傷をつけてしまった………………謝って済むことじゃないが、本当に、すまない………」
サキヤマさんは、深々と頭を下げる。私も、何か話さなければと思った。
「……いいんですよ、サキヤマさん……………どっちみち、私は死にたかったんです」
「………！？」
「妖精は、私の大事な場所に住み着いていただけの、邪魔者だったんです……」
今度は、私が語り始める。
愛犬のロンが死んで、今までにないほどの悲しみと絶望を味わったこと。
ロンがいなくなったのを良いことに、家の庭が、野良妖精たちのトイレとして使われ始めたこと。
パパもママも、先生も、みんな……私の辛さを受け止めてくれず、妖精に味方するような人たちとの関わりを経て、「人間」を信じられなくなっていったこと。
そして、自分にとって大切な場所……あの待合室で、死ぬと決めたこと。
待合室に住み着いていた妖精たちに待合室を掃除させて………………妖精は「しあわせ」になりたがっていたけど、邪魔だったから最後にはすべて殺したこと。
毒のことは、伏せておいた。
「私が“しあわせ”だと感じるのは、ロンと一緒に過ごしていた時です…………ロンは、私の手の中で……冷たくなっていったんです」
私の話もそろそろ終わり。気づいたら、涙声になっていた。
「ロンの体温がなくなってから………“しあわせ”を感じることなんて、なくなったんです」
「………」
「……………ホント、バカですよね」
「………」
「ただの害獣を、長く、徹底的に苦しめてから殺すなんて、壮大な前フリまでしちゃって………こんな私がまだ生きてるのが、どうしてかわからないんです」
自嘲的に笑うと、私の話は終わりを迎えた。
「…………どうするんだ」
それまで黙って聞いていたサキヤマさんが、ぽつりとつぶやいた。
「え？」
「死んで、どうするんだ？ 死んでしまったら、何にもならないのにっ……！」
自殺を制止しようとする人の、決まり文句。私はポケットに手を突っ込んでキャンディの感触を確かめながら、言葉を返した。
「ふふっ……何にもならないから、私にとってはいいんですよ」
「は……？」
「夢も希望もないこんな世界で、私なんかが生きていていいはずがないんです」
「ちょっ……待ってくれ、どうして……どうしてそんなに、自分を卑下して……俺には、アヤさんが死ぬべきだなんて思えない」
再び、慌てた様子を見せるサキヤマさん。逆に、どうしてこの男が、私の自殺を制止しようと必死なのか、わからなかった。
私は、冷ややかな視線を目の前の男に送る。
「……私とは今日初めて会ったばかりなのに、どうしてそんなことが言えるんですか………………私のこと、何も知らないクセに」
「ああ、知らないさ……それでも、さっきの話を聞いたら、君は感受性の豊かな心優しい人だと、俺は感じるよ」
「なっ……」
「アヤさん……俺は…………犬であれ何であれ、ペットを家族の一員として、信頼出来るパートナーとして大切にしている人間に、悪い人間はいないと信じてるんだ！ アヤさんは、死んでいいような人間じゃないんだ…………自分で命を絶っていいような、人間じゃないんだっ！」
あっという間に、余裕な態度が崩れた。
「あ………はぁっ……はっ、はぁっ……」
呼吸が苦しくなる。
精神の余裕がなくなっているのを感じる。
「君が死にたいと願うほど悲しんでいるのも、ロンのことを、ずっとずっといちばんに、何よりも大切にしていた“愛”の裏付けなんだと、俺は思う…………そして、そのロンがいなくなってしまってから、アヤさんがひとりでどれだけ辛かったか、苦しんできたか……俺には想像もつかない」
「はあぁっ……うっ、ううっ……」
嗚咽が、私の喉から飛び出す。
サキヤマさんは優しいことを言っているはずなのに、なぜか強烈な殺意が、私を襲っていた。
無意識に、カッターを取り出そうとする。
妖精を傷つけたカッターは、いつの間にかどこかに消えていた。熱中症で倒れた時、待合室に落としたままだ、きっと。
「……だけど、何もかも投げ出して衝動的に死んでしまったら、ロンだってきっと、悲しむはず……」
「やめてください……もうこれ以上、ロンの名前を、出さないで……」
「っ……！ す、すまない……」
武器もなくした私は、ただ小さい声で懇願することしか出来なかった。
感情がぐちゃぐちゃに掻きまわされて、視界が歪んで見えた。
「サキヤマさん……ハリーがいる今のあなたは、それだけで“しあわせ”なんじゃないですか」
「し、“しあわせ”……」
「私には、それすら……もう、ないんです……“しあわせ”が！！ だから、死ぬことが、今の私にとっての“しあわせ”なんですっ！！」
「………………」
どすっ！ どすっ！ ぽすっ！ ぽすっ！
「どうして……どうしてっ！ 私だけっ！ 辛いっ！ 苦しいっ！ 悲しいっ…………うあああああああああああああああっ！！」
………気が付いたら私は、サキヤマさんに急接近して、彼の胸を拳で殴り続けていた。
やがて、その拳を握る力すらなくなって………………
「うわぁあああああああああああああああん………………わあああああああああああああああん………………」
サキヤマさんの胸に顔をうずめて、大声で泣いていた。
彼は突然のことに困惑している様子だったけど、やがておずおずと手を伸ばして、私の背中をポンポンと優しく叩いた。
まるで、泣き喚く幼児をあやすように………………
ホントだったら、パパとか、先生とか………身近なオトナにこういうことをしてもらっていたかもしれない、という事実に、私はさらに惨めになるばかりだった。
私は、死にたかった。その認識に、偽りはない。
それでも、死ぬ前に、ホントは………………
誰かに、止めて欲しかったのかもしれない。湧き出る感情を、受け止めて欲しかったのかもしれない………………
海の家の方から、風に乗って音楽が微かに聴こえてくる。
♪Victim of love, I see a broken heart♪（愛の犠牲者、俺には傷ついた心が見える）
♪I could be wrong but I’m not, No I’m not♪（間違ってるかもしれないけど、そんなことはしない、決して）
♪Victim of love, we’re not so far apart♪（愛の犠牲者、俺たちはそんなに違っちゃいない）
♪Show me, What kind of love have you got？♪（なあ、君の愛ってどんな愛なんだ？）
「ひっ……ひっぐ……くっ、うくっ……ひぐっ」
「……俺は、無責任なことを言ったな………………すまない」
どれくらい時間が経っただろうか。
同じポーズのまま、泣き疲れてしゃくりあげる私に、サキヤマさんが静かに語り掛ける。
「確かに、ハリーと一緒に過ごすことが出来ている俺は、アヤさんより“しあわせ”なのかもしれない……それでも、その“しあわせ”が、いつ途絶えてもおかしくないんだ……それはアヤさんや俺に限ったことじゃなくて、この理不尽な世界で息をしている存在、みんながそうなんだ」
「うっ、ううっ………」
「例えば………明日でもいい、急に車に撥ねられたら？ 急に大災害が起こったら？ 急に戦争に巻き込まれたら？………………俺たちは、もう二度と、“しあわせ”になれないかもしれない」
「……ひっく」
「俺は、怖い……“しあわせ”が大きいぶん、それを失うのが、怖い！ “しあわせ”が、あっという間に崩れ去るのが、怖い！！ ハリーが急にいなくなったらどうしようとか、死んだらどうしようとか……………毎日考えては自己嫌悪だ………」
「……………」
「それでも……俺たちは、繰り返される悲しみの中から、小さな“しあわせ”を見つけながら、生きていくしかないんだ……この世に生まれたからには、“しあわせ”を探し求めて、足掻き続けるしかないんだ」
「……………」
「だって、そうじゃないか……産声をあげてから、必ず、いつかは死ぬことが定められているなら、それに抗えないなら…………それを待たずにすぐ死んでしまうのは、あまりにも寂しいことじゃないか」
「……………」
「でも、あくまでこれは、アヤさんの言う通り………………現在進行形で“しあわせ”な、俺の意見だ…………俺は、アヤさんの気持ちを尊重したい……もし、死にたいという気持ちが変わらないのなら………………俺に、それを止める権利はないと思う」
サキヤマさんの声が、震える。
呼吸が落ち着いた私は、ふと上を見た。
「…………あはっ」
思わず、笑い声が漏れる。
「もう………………そんな顔されたら、死にづらいじゃないですか」
「………すまない」
サキヤマさんの顔は、流れ落ちる涙と鼻水とでぐちゃぐちゃになっていた。
それは、コトバだけの同情じゃなくて、真正面から私の苦しさを受け止め、「自分事」として受け入れてくれている人の表情だった。
その優しさに触れて、私の閉ざしてしまった心が、解凍されていくような感覚がした。
「……………死なないから。泣かないで、サキヤマさん」
そんな私は、また泣く。
「ううっ……ご、ごめんなさい、えぐっ、ごめんっ、なさいっ……」
枯れ果てたはずの涙が、サキヤマさんのシャツを濡らす。
その確かな温度が、今の私が生きる理由、そのものだった。
「アヤさん。泣いていいんだ……辛い時は、悲しい時は、大声で泣いていいんだ………………」
サキヤマさんの涙声が、私を包み込む。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああっ………………」
言葉に出来ないような、悲しみ以外の感情があふれ出した。私は、声をあげて泣き続けた………………
「……サキヤマさんの、言う通りです」
サキヤマさんの胸に顔をうずめたまま、私はつぶやく。
「私も、信じます………………犬を大切にしている人間に、悪い人間はいない、って」
「ああ………………ありがとう」
「さっきは酷いこと言っちゃって、ごめんなさい」
「気にしないでくれ……………辛い時、誰だってああなるさ」
穏やかな風が吹き、私はようやく彼から離れた。
時間は、正午を回っていた。
海の家でサキヤマさんが焼きそばを買ってくれている間、私は大きなゴミ箱を見つけ、ポケットの中のキャンディを放り込んだ。
小さなキャンディは、ゴミ箱の奥の闇に吸い込まれて、あっという間に見えなくなった。
しばらくゴミ箱を見つめていたら、どうかしたのかとサキヤマさんが聞いてきたけど、何でもないと首を振った。
私なりの、ささやかな決別だった……………………
それから、数十分後。
そろそろ戻ろう、とサキヤマさんが言い、私たちは再び車に乗って高速道路を走る。
「……妖精の“しあわせ”って、結局のところ、何なんだろうな」
「え？」
「いや……妖精と関わっていると、あいつらは……この世の誰よりも自分たちこそが“しあわせ”になるべきだ、“しあわせ”になって当然だと考えているように思えるんだ」
「そうですね……“しあわせ、しあわせ”ってうるさかったです」
「俺は……妖精が望む“しあわせ”って…………つまりは、俺たち人間の“ふしあわせ”なんじゃないかって考えたんだ」
妖精の「しあわせ」は、人間の「ふしあわせ」。
言語化されて、納得した。何でかはわからないけど、それが正解な気がした。
誰かの「しあわせ」を奪うだけ奪って…………感謝もせず、自分たちの欲望のためだけに食らい続けることが、妖精にとっての「しあわせ」なら、きっとそうなんだ。
ひとつ確実なのは、妖精が「しあわせ」を味わうことで、私は「ふしあわせ」になっていたということ。
だから、私は死のうとしていたのかもしれない。
妖精のいない向こうの世界で「しあわせ」になれると信じて。
「………………帰る前に、寄ってほしい場所があります」
「うん？」
私は、行き先を告げる。
そこは、ロンが眠る、ペット霊園。
私は、自分ひとりで行くと言った。気持ちを整理する時間が、欲しかった。
サキヤマさんも最初は心配そうな顔をしていたけれど、納得してくれた。
「くそっ……くそっ！！ こいつめっ、こいつめっ！！」 どすっ、ばきっ！
「いちゃい、いちゃい！！ やめちぇ、やめちぇ！！」
「おぎゃーおぎゃー！ おぎゃーおぎゃー！」
車を降りて少し歩くと、何やら怒声と悲鳴が聞こえた。人間と、妖精のようだった。
こぢんまりとしたモニュメントの前で、中学生くらいの男の子が、妖精を蹴り続けている。その目には、大粒の涙。
私は、しばし硬直した。
「に、にんげんしゃん！ どうちて、どうちてこんなこと、すりゅのおおおおお！！」
「黙れっ！！ よくも、ジョンのリンゴを盗み食いしようとしやがって！！」
「な、なにいってるちゃ？ ここには、りんごさんをたべるくちょいぬなんか、いないちゃ……」
「うわあああああああああああああああああああああああ！！ 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れええええええっ！！」
「あああああああああ！！ いぢゃいいぢゃいいぢゃいいいいいいいい！！」
錯乱したように叫び、再び妖精を激しく蹴り始める男の子。どうやら、彼が持っていたお供え物のリンゴを、妖精が狙っていたようだった。
「おぎゃーおぎゃー！ く、くちょにんげんんん！ おかーちゃを、いじめりゅなああああああ！！」
「ああっ？ お前から先に死にたいか！ クズ妖精の子は、やっぱりクズ妖精なんだなっ！？」
「や、やめちぇ……おちびちゃんに、てはださせ……」
「にょでゃっ」 ぐじゅっ！
ずっと泣き喚いていた子ずんが起き上がって男の子へと突進したが、彼はそれを力いっぱい踏み潰した。
「ああああああああああああああああああああああ！！ しょんな！ おちびちゃん……やっとうまれてきた、ぼくのたいせつな、おちびちゃんだったのに……これから、しあわせなひびが、まっているはずだったのにいいいいいいいいいいいいいいいっ！！」
「……“しあわせ”だぁ？ お前ら害獣が、“しあわせ”になんかなれると思ってんのかよ？ ジョンのリンゴを盗むことが、お前らにとっての“しあわせ”なんだろっ！？ 死ねよ！！」
地団駄を踏むように、男の子は何度も子ずんの死骸に足を振り下ろす。
「に、にんげんしゃん！ にんげんしゃんが、どうちておこってるのか、ぼくにはわからないちゃ！ ぼくは、ほんとうのことを、いっただけちゃ！ そのりんごさんは、ここにいないくちょいぬなんかよりも、ぼくたちが、たべてとうぜんちゃ！！」
「おれには……お前の言っている言葉の意味が、わからないっ！！ ここが、どういう場所か、知ってるのか？ ここには、おれの大事なジョンが、眠ってるんだよ！！ 生きていた頃のジョンは、リンゴが大好きだったんだよ！ だからおれは、天国のジョンに、リンゴを食べてもらいたいんだっ！ おれは、お前らクズ妖精に渡すために、リンゴを持ってきたんじゃないっ！！」
「うぎゃあああああああああああああああああああああ！ あぢゅああああああああああ！！」
激昂した男の子は、妖精を掴み上げると、火のついた線香を妖精の目に押し当てた。
「あぢゅいあぢゅい！ ぼくの、ひだりめしゃんがああああ！！ どうちて、こんなこと、しゅりゅのおおおお！！ ぼ、ぼくたちだって、ぼくたちだって……ぼくたちだって、いきるために、ひっしなんちゃ……」
「こ、殺してやる、殺してやる！！ そんなどうしようもない命なら、死んじまえっ、害獣がああああああああああああっ！！………………あっ！？」
ふいに、男の子が私の存在に気づいた。その目が、恐怖で見開かれる。
「ごっ……ごめんなさい………こんな場所で、死ぬとか殺すとか言っちゃって……………ゆ、許して……」
「あっ、に、にんげんしゃん！！ おねがい、かわいそうなぼくを、たしゅけて！！ ぼく、なにもわるいことしてないのに、このにんげんしゃんに、ころされちゃうのだああああああああああ！！」
途端に弱気になる男の子と、まだ焼かれていない右目をキラキラとさせて調子に乗り出す妖精。
「…………………いいよ」
「え」
「殺して」
私は、淡々と言った。
彼のことを、邪魔したくなかった。
希望を打ち砕かれた妖精の顔が、ぐにゃりと歪む。
「どう………ちて？ ぼくを、たすけてくれるんじゃ、なかったのだ？」
「さあ、自分の罪と向き合えよ、クズ妖精！！ 死ねええええええええええええええええええ！！」
「あがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……」
「ジョンは……ジョンは、お前らクズを生かすために、死んだんじゃない！！ なあ、そうだよな……ジョン！ ジョンっ！」
歩き去る私の後ろで、耳をつんざくような妖精の悲鳴と、男の子の慟哭が聞こえてきた。
「まだおれ、お前と、いろいろなことしたかったのに………………どうして……どうして死んじまったんだよおぉ……なあ、答えてくれよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお！！ ジョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン………………」
悲しみは、繰り返される。
それでも、生き残った人は、悲しみの中から小さな“しあわせ”を見つけながら、生きていくしかない。
サキヤマさんの言葉が、静かにフラッシュバックした。
そして、もう何の声も聞こえない墓地の真ん中。
背の低い墓石が、強い日差しに照らされている。私はひとりで、そこに立った。
買った花を墓石の前において、目を閉じる。楽しかった日々が、まるで昨日のことのように蘇ってくる。
このまま、何も考えずに死んでしまえたら………………
また、希死念慮に襲われる私がいる。それでも、私はもう、暗闇に手を伸ばさない。
人間の温もりに触れて、もうちょっと、生きてみようと思えたから。
「ロン………………私、頑張るよ」
突如、ふわっ……と風が舞い上がった。ロンが、私の言葉に返事をしたのかもしれないと。
そう、思うことにした………………
もう誰もいなくなった墓地。モニュメントの下では、原型のなくなった妖精の死骸がふたつ、確かにそこにあの男の子がいたことを物語っていた。
「………………お帰り」
車の中で待っていたサキヤマさんが、ドアを開ける。
カーオーディオから流れる歌詞が、外に飛び出した。
♪And I got a peaceful easy feeling♪（愛のやすらぎに包まれる）
♪And I know you won’t let me down♪（もうがっかりさせることもない）
♪’Cause I’m already standing on the ground♪（だから、この場所にしっかりと立っているんだ……）
「おっと」
ボリュームが大きすぎた、とサキヤマさんが言い、私が車に戻ろうと足を動かした瞬間……
また、ふわっ……と風が舞い上がる。
遥か後ろに気配を感じて、振り向いた。
風の向かう先には………………なにやら、四足歩行で大地を駆ける、半透明の犬。
「………ロン？」
半透明の犬は、さらに遠くに立つ女の子の方へ、真っすぐ駆けていく。
ダークな雰囲気をまとった女の子だった。
………………誰だろう。あの子。さっきまでは、いなかった気がする。
「ロン」
私は、再び名前を呼ぶ。
確信した。あの犬は………………
「ロン」
小さな如雨露を持って、花壇に水やりをしていた女の子が、こちらを向いた。
遠くからでも、はっきりと見えた。女の子のパープルの瞳が、私を射抜く。
「……………」
気が付いたら、私の足は、女の子と犬の方へ歩みを進めていた。
どうしてかはわからない。ただ、そこに行かなければならないと思った。
「アヤさん……そっちは………………」
サキヤマさんの声が聞こえたけれど、私の足は止まらない。
女の子が、ふんわりと微笑むのが見えた。
「ロンっ」
わんっ
私に気づいたのか、半透明の犬が、応えるように吠えた。
そして、尻尾を振りながら、こちらに走ってくる。
「ロン！」
ここにいたんだね、ずっと。
寂しかった、ずっと。
死にたかった、ずっと。
あなたがいなくて。
だからもう
私を、ひとりにしないで…………………………………………
〜終〜
おわりに
ここまで読んでいただきありがとうございます。本作は、先日完結いたしました「“しあわせ”シリーズ」のアナザーストーリーの、さらに続きとなっております。
アヤが選択し得る数ある未来のうち、ままずんの首輪を怒りのままに蹴り壊すのではなく、ままずん自身に外させた未来、そして『おんしらず』の主人公と出会った未来です。
リクエストありがとうございました！！
また先日、掲示板『ずん虐アカデミー賞』において、ずんぽきる様から『虐民栄誉賞』をいただきまして、大変うれしい限りです。
これからも、読者の皆様に楽しい（？）作品を届け続けるために、小説ならではの表現を模索してまいります。応援よろしくお願いいたします。
けも
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このページへのコメント
大切な存在を失った辛さは時間が経てば古傷となりますが、無神経に古傷に触る輩に我慢する必要なんかないんです。是非に及ばず。
人同士でも最悪命のやり取りに発展するので相手が「お前がなんで生きてるの？」なアホなら体半分踏み躙ってさらに半分踏み躙って目玉潰して口を焼いて最後に踏んで擦るくらいやりたいですな
Paint It Blackは昔イギリスの車番組で
（インフレのせいで予算内で車が買えなかったから）バイクでベトナム縦断企画
をやった際にあまりに故障しまくるから次故障したら世界で一番不謹慎なバイク（ボーン・イン・ザ・U.S.A.を爆音で鳴らす星条旗カラーのモンキー）を代車にすると言われた際に流れたのが印象に残ってます。
コメントありがとうございます。妖精のタチの悪いところは、無意識的に（たとえ傷をえぐるつもりはなくても）人間をイラつかせてしまっているところにあります……他者理解の欠如、かもしれません……
ものすごい話ですね……「Black」の表現が人種差別ではないか！？と荒れたのも、ああ人間だなあ、と思えるストーリーですね！！
完結からアナザーストーリーまでありがとうございます！
どこまでも糞でクズで生きる価値皆無のクズんだ虫達は地獄で永遠に苦しみ続けてほしいですね！
私も先日、愛猫を寿命で亡くした者としてアヤちゃんの苦しみが分かる気がします…苦しくて泣く事ができるぐらいアヤちゃんはロンを愛していたのですね…
最後に見たロンは幻かはたまた…
素晴らしい感動と濃密なずん虐をありがとうございます！
コメントありがとうございます。創作というカタチではありますが、悲しみを抱えたすべての「優しい人」に届いて欲しい、という思いで執筆しておりました！
『犬であれ何であれ、ペットを家族の一員として、信頼出来るパートナーとして大切にしている人間に、悪い人間はいないと信じてる』というサキヤマの言葉は、私の思想そのものです！
最後、ロンが「どっちであってほしいか」によって、全体の感じ方が変わるかもしれません……
お供物を盗もうとしたずんだ虫に罰が下るシーンが良かったです。
ずんだ虫からしたら、食べてもいいものだと勘違いしちゃうよなぁ…。
「どうちておこっているのか、ぼくにはわからないちゃ」は当然なんだけど、人間からしたら殺意が湧く。
本当に、人間とずんだ虫との分かり合えない関係を描くのが巧いですねぇ！
p.s.
ずん虐アカデミー賞は、お題に乗っかって自分の好きなずん虐語りをしました（笑）
元ネタ的に映像作品を選びがちになりましたが、kemoさんの作風は外せませんでした。
「文学賞」とかでも良かったのですが、「虐民栄誉賞」を思いついた時にはkemoさんにピッタリだと思いました！
コメントありがとうございます。数少ない制裁パートでしたが、書き加えて良かったと思っております！妖精からしたら、どうして少年が「今」ここにいるわけでもない「くちょいぬ」にリンゴをあげようとしているのか理解出来ず、手つかずのリンゴを奪おうとしたのです！（『ヒン×ルはもういないじゃない。』）
お褒めの言葉、恐縮です。小説界隈の発展のためにも、ずんぽきる様には小説部門での賞も作っていただけると嬉しい限りでございます！
書き忘れました！
『ぼ、ぼくたちだって、ぼくたちだって……ぼくたちだって、いきるために、ひっしなんちゃ……』
↑この言葉に、妖精のすべてが詰まっている気がします……
幸せって相対的なものだから扱いが難しいですよね…
それはそれとして妖精が死んで私は幸せです！
コメントありがとうございます。「しあわせ」を感じて下さりありがとうございます！
妖精側からしても、人間が「しあわせ」を感じることで「ふしあわせ」になっているかもしれません……誰かが「しあわせ」を味わうことで、他の誰かが「ふしあわせ」になっていないか、人間と妖精とは、その構造に気づくか、気づけないかの違いなのかもしれないとぼんやり考えております。
「黒くぬれ！」がアヤちゃんの自暴自棄なところを上手く表現していると思いました。女の子の葬式の歌ですからね。
コメントありがとうございます。洋楽ネタ、わかっていただけて嬉しいです！
アヤは無意識のうちに、自分自身の葬式を視ていたのかもしれませんね……その葬列はラスト、違ったカタチでもたらされることになりました！