オスマン・トリポリタニア | ||
---|---|---|
位置 | ||
茶色部分がトリポリタニア | ||
詳細情報 | ||
国 | オスマン国 | |
地方 | 北アフリカ地方? | |
公用語 | アラビア語 | |
首都 | トリポリ? | |
人口 | 8,652,000人 | |
太守(パシャ) | ムアンマル・アル=カッザーフィー |
リビアの英雄 オマール・ムフタール古代リビア人は、ローマ帝国の支配を受ける。
その後、東ローマ時代を経て、ウマイヤ朝の支配下に入る。
ウマイヤ朝の滅亡後、16世紀にオスマン帝国によって州都トリポリが併合され、トリポリタニア(リビア周辺の伝統的地域)はオスマン帝国支配下に入った。
1711年に土着化したトリポリ総督のトルコ系軍人が自立し、リビアの地方政権カラマンリー朝が成立した。
19世紀初頭にカラマンリー朝はアメリカ合衆国と第一次バーバリ戦争を繰り広げた。その後、イギリスとフランスによるこの地への干渉が始まったため、オスマン帝国はリビアを再征服し、1835年にカラマンリー朝は滅亡した。
20世紀初頭の伊土戦争により、オスマン帝国はトリポリより東の地域を放棄し、1911年にはイタリア王国が西リビアを植民地化した。植民地化後はイタリア人が入植したが、イスラム教系のサヌーシー教団のオマール・ムフタール?や現地のベルベル人による激しい抵抗が繰り広げられた。1926年からイタリアのロドルフォ・グラツィアーニによる厳しい弾圧が行われたが、特にフェザーンでの抵抗は激しく、西リビアの完全平定は1932年にまでもつれこんだ。
タグ
コメントをかく