最終更新: kyo_miyato 2017年05月03日(水) 01:42:38履歴
京都の初夏を彩る葵祭は、上賀茂神社と下鴨神社の例祭で古くは賀茂祭という。祭儀に双葉葵を用いたことにより、江戸時代より葵祭と呼ばれるようになった。 応仁の乱後、中絶と再興を繰り返したが、明治になり右大臣( 31 )らの京都復興策のひとつに位置付けられ、同17年(1884)に復興された。戦争による中断を経て、昭和28年(1953)に再興、31年からは斎王代を中心とした女人列が加えられた。 現在、5月15日の勅使や斎王代らの行列は、御所の( 32 )前を出発し、河原町通を北上して下鴨神社へ向かう。神社に到着すると、勅使の後祭文の奉納、東遊舞(あずまあそびのまい)の奉納など( 33 )の儀が神前にて行われる。 祇園祭は八坂神社の祭礼で、平安時代に疫病が流行した際、当寺の国数に倣った66本の鉾を立て、神輿を( 34 )に送ったのが始まりとされている。 中世には「神事コレ無クトモ、( 35 )渡シタキ事ヂヤケニ候」(『祗園執行日記』)とあるように、当初の官祭から現在のような町衆の祭礼へと変化していった。 山鉾巡行の順番はくじで決めるが、先頭の長刀鉾など8基は古例で順番が決まっており、これを( 36 )という。平成18年(2006)に「山一番」を引き当てた( 37 )は、「貧窮で母と子を養えないため、子供を土に埋めようとした際、黄金の釜を掘り当てた」という逸話に由来する。 10月22日に行われる時代祭は、京都市全域からなる市民組織の( 38 )が執行母体となっている。戦中の昭和19年(1944)から一時中止となったが、戦後の25年に復活し、各時代の婦人列が加えられた。江戸時代婦人列には孝明天皇の妹で将軍家茂に嫁した( 39 )らが登場する。 平成19年(2007)には新たに( 40 )時代の行列が加えられる予定である。 |
(31) 京都の初夏を彩る葵祭は、応仁の乱後、中絶と再興を繰り返したが、明治になり右大臣( )らの京都復興策のひとつに位置付けられ、同17年(1884)に復興された。
(32) 現在、5月15日の勅使や斎王代らの行列は、御所の( )前を出発し、河原町通を北上して下鴨神社へ向かう。
(33) 下鴨神社に到着すると、勅使の後祭文の奉納、東遊舞(あずまあそびのまい)の奉納など( )の儀が神前にて行われる。
(34) 祇園祭は八坂神社の祭礼で、平安時代に疫病が流行した際、当寺の国数に倣った66本の鉾を立て、神輿を( )に送ったのが始まりとされている。
(35) 中世には「神事コレ無クトモ、( )渡シタキ事ヂヤケニ候」(『祗園執行日記』)とあるように、当初の官祭から現在のような町衆の祭礼へと変化していった。
(36) 山鉾巡行の順番はくじで決めるが、先頭の長刀鉾など8基は古例で順番が決まっており、これを( )という。※2006年出題時点
(37) 平成18年(2006)に「山一番」を引き当てた( )は、「貧窮で母と子を養えないため、子供を土に埋めようとした際、黄金の釜を掘り当てた」という逸話に由来する。
(38) 10月22日に行われる時代祭は、京都市全域からなる市民組織の( )が執行母体となっている。
(39) 戦中の昭和19年(1944)から一時中止となったが、戦後の25年に復活し、各時代の婦人列が加えられた。江戸時代婦人列には孝明天皇の妹で将軍家茂に嫁した( )らが登場する。
(40) 平成19年(2007)には新たに( )時代の行列が加えられる予定である。※2006年出題時点
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