最終更新: kyo_miyato 2017年05月04日(木) 15:09:59履歴
能は、奈良時代に中国から渡って来た「散楽」を源流のひとつとする。南北朝時代には、大和猿楽四座の中から( 41 )座の観阿弥・世阿弥親子が出現し、物まね主体の「猿楽能」に「( 42 )能」の歌舞や曲舞(くせまい)のリズムを導入し、「夢幻能」の様式を創りあげた。これには、京都の本座で活躍した「一忠」の影響が大きく、世阿弥は自ら著した能の理論書『( 43 )』で「この道の聖」と絶賛している。この親子が京都の新熊野神社で公演した際、それを観た室町幕府第3代将軍( 44 )が高く評価し、それ以後、京都の武家や公家の支援を受けて発展していった。現在、京都には( 45 )流の宗家が存在し、全国的に活躍している。 狂言は、室町時代に成立した滑稽なセリフ劇である。猿楽能の隆盛とともに、演能の合い間に演じる芸能として発達した。明治以降は、( 46 )流狂言の茂山千五郎家が京都を本拠地として、狂言の普及と大衆化に努めた。千五郎家では、親しみやすく庶民的な芸風を食物に例えて「( 47 )狂言」と表現している。 また、狂言には、民間芸能として伝承されてきたものもある。特に念仏の布教のために催される壬生寺の「壬生大念仏狂言」、引接寺の「( 48 )大念仏狂言」、( 49 )の「嵯峨大念仏狂言」は、京都の三大念仏狂言として知られている。 例年6月初め、京都在住の能楽師が集って「京都薪能」が( 50 )の境内で行われ、篝火が焚かれる中で幽玄の世界が繰り広げられる。 |
(41) 大和猿楽四座の中から( )座の観阿弥・世阿弥親子が出現し、物まね主体の「猿楽能」に「( 42 )能」の歌舞や曲舞(くせまい)のリズムを導入し、「夢幻能」の
様式を創りあげた。
(42) 大和猿楽四座の中から( 41 )座の観阿弥・世阿弥親子が出現し、物まね主体の「猿楽能」に「( )能」の歌舞や曲舞(くせまい)のリズムを導入し、「夢幻能」の
様式を創りあげた。
(43) これには、京都の本座で活躍した「一忠」の影響が大きく、世阿弥は自ら著した能の理論書『( )』で「この道の聖」と絶賛している。
(44) この親子が京都の新熊野神社で公演した際、それを観た室町幕府第3代将軍( )が高く評価し、それ以後、京都の武家や公家の支援を受けて発展していった。
(45) 現在、京都には( )流の宗家が存在し、全国的に活躍している。
(46) 狂言は、猿楽能の隆盛とともに、演能の合い間に演じる芸能として発達。( )流狂言の茂山千五郎家が京都を本拠地として、狂言の普及と大衆化に努めた。
(47)( 46 )の千五郎家では、親しみやすく庶民的な芸風を食物に例えて「( )狂言」と表現している。
(48) 狂言には、特に念仏の布教のために催される壬生寺の「壬生大念仏狂言」、引接寺の「( )大念仏狂言」、( 49 )の「嵯峨大念仏狂言」は、京都の三大念仏狂言として
知られている。
(49) 狂言には、特に念仏の布教のために催される壬生寺の「壬生大念仏狂言」、引接寺の「( 48 )大念仏狂言」、( )の「嵯峨大念仏狂言」は、京都の三大念仏狂言として
知られている。
(50) 例年6月初め、京都在住の能楽師が集って「京都薪能」が( )の境内で行われ、篝火が焚かれる中で幽玄の世界が繰り広げられる。
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