最終更新: kyo_miyato 2017年05月02日(火) 15:40:45履歴
京都は学問の都である。明治30年(1897)、東京大学に続く日本で2番目の帝国大学として、京都帝国大学(現在の( 71 ))が創設された。自主独立を伝統に、自由の校風を特徴とした。明治以降は私立の大学が次々と設立され、明治8年(1875)には( 72 )が同志社英学校を設立した。明治33年(1900)には、民間における大学の教育の普及を志した中川小十郎が、( 73 )の前身である京都法政学校を開校した。この大学が始めた土曜講座は、生涯学習の先駆けとして今も続いている。平成25年(2013)、創立90周年を迎えた伏見にある( 74 )の本館は、明治期に陸軍第16師団司令部の庁舎として建てられた建物であり、同学院創始者に払い下げられて今も学院で愛されている。 一方、仏教各宗派の本山を多く抱える京都には、僧侶を育成する学校が古くからあり、次第に大学へと発展していった。西本願寺学寮をルーツとするのは( 75 )で、その大宮学舎本館は明治12年(1879)完成の洋風建築で、国の重要文化財に指定されている。東本願寺学寮から始まったのは( 76 )で、現在地の京都市北区に移転した際に建設された赤レンガ造りの旧本館が平成25年(2013)11月に100周年を迎えた。 また、明治元年(1868)に浄土宗の教育機関が、三門や「法然上人絵伝」(ともに国宝)で有名な( 77 )の山内に置かれ、改称や移転などを経たあと、昭和24年(1949)に佛教大学となった。同大学は通信教育課程を設けて60年余となる。 臨済宗では、明治5年(1872)に( 78 )に徒弟の教育機関として設置された「般若林(はんにゃりん)」が移転や改称などを経て、昭和24年(1949)に花園大学となっている。 真言宗系の大学としては、種智院大学や華道の( 79 )の総司所である大覚寺を母体として開学された京都嵯峨芸術大学がある。 大学のまち・京都では、近年の動きとして大学における多様な美術館・博物館・劇場の新設があり、例えば左京区の( 80 )内にある大劇場「春秋座」などが挙げられる。これら施設や研究成果は「大学発ブランド」として注目が集まり、京都における学びの魅力や京都で過ごす学生時代の良さは尽きない。 |
(71) 明治30年(1897)、東京大学に続く日本で2番目の帝国大学として、京都帝国大学(現在の( ))が創設された。
(72) 明治以降は私立の大学が次々と設立され、明治8年(1875)には( )が同志社英学校を設立した。
(73) 明治33年(1900)には、民間における大学の教育の普及を志した中川小十郎が、( )の前身である京都法政学校を開校した。
(74) 平成25年(2013)、創立90周年を迎えた伏見にある( )の本館は、明治期に陸軍第16師団司令部の庁舎として建てられた建物である。
(75) 西本願寺学寮をルーツとするのは( )で、その大宮学舎本館は明治12年(1879)完成の洋風建築で、国の重要文化財に指定されている。
(76) 東本願寺学寮から始まったのは( )で、現在地の京都市北区に移転した際に建設された赤レンガ造りの旧本館が平成25年(2013)11月に100周年を迎えた。
(77) 明治元年(1868)に浄土宗の教育機関が、三門や「法然上人絵伝」(ともに国宝)で有名な( )の山内に置かれ、改称や移転などを経たあと、昭和24年(1949)に
佛教大学となった。
(78) 臨済宗では、明治5年(1872)に( )に徒弟の教育機関として設置された「般若林(はんにゃりん)」が移転や改称などを経て、昭和24年(1949)に花園大学となっている。
(79) 真言宗系の大学としては、種智院大学や華道の( )の総司所である大覚寺を母体として開学された京都嵯峨芸術大学がある。
(80) 大学のまち・京都では、近年の動きとして大学における多様な美術館・博物館・劇場の新設があり、例えば左京区の( )内にある大劇場「春秋座」などが挙げられる。
タグ
このページへのコメント
(71)公式テキスト[新]371ページ
(73)公式テキスト[新]371ページ
(74)公式テキスト[新]58ページ