マイソフの創作と資料とチラシの置き場です。

ミリタリ関係




彼女が何かを尋ねたら


 Q&Aというのはパソコン通信時代から色々なドラマを生んで参りました。「先輩に理不尽にきついことを言われて困っています」という相談に「その先輩が周囲からどう見られているかを冷静にまず見回してください。アレな人だと思われてる先輩なら、あなたには特に今後不利益にならないですよ」と答えると、「まるで現場を見ていたようなお答えです」と言われました。

 どこかのなにかを解決しようと思ってこれを書いているわけではありません。読者の皆さんが自分自身の行動を考えるさい、ヒントになれば幸いです。

すんごく初歩的な質問


 じつは質問の場を保つにあたって、初歩的な質問は大事です。初歩的な質問に対して誰かが概論で応えることによって、「大多数の読者にとって限りなくどうでもいいニッチな質問の列」が途切れてくれるからです。それに「まず隗から始めよ」というやつで、初歩的な質問がタコ殴りにされると、誰も質問しなくなります。みんな自分の時間を自分で管理している自営時間管理業者ですからね。損になることはやりません。

すんごく答えるのに手間がかかる質問


 まあレスがつかない典型がこういうタイプの質問ですよね。場合分けがいろいろあって短く答えられないものと、いろんな資料や入手しづらい資料を突き合わせないといけないものに大別できます。前者だと、個別のケースなら知ってるよという回答者が複数出てくることもありますが。

 質問の幅を絞り、短く答えられるようにすることは、一般的にはレスがつきやすいようにする有効な方策です。ただ逆に、短く決めつけると絶対例外が出るような事柄は、これによって誰にも答えられなくなることもあるので、まあ尋ねて答え(がないこと)を見てフィードバックするしかないんでしょうね。

 回答者を試しているのではないか……と思えることもあります。つまり、この話題に応じられる「同族」を探すのが、意識的にせよ無意識にせよ質問の眼目であると。

方法論と主語


 日本陸軍などの場合、「日本陸軍とは誰ですか」と答えると、「俺だ」「俺だ」と複数の返答があるようなイメージもありますし、案外本人たちにはそういう自覚はなかったんじゃないかなとも思えます。

「それはどういう文書に書いてあったら真実と認めてよいのか」をイメージして、それを求めている質問もありますし、イメージしていない質問もあります。例えば昭和15年版歩兵操典には、突撃は火力で優勢を確保してからやるものだと書いてあるわけですが、じゃあ1942年ガダルカナルで日本軍を称していたのは礼儀正しい民間人かというとそうではありません。指示が出ても現実の物的裏付けがないという話はどこにでもあります。理念の話をしているのか、現実の話をしているのか区別することも重要ですし、区別してもそもそも文書に残る類のものではない……ということもあります。意見の対立があったことがはっきりしている事柄もあります。

 もちろん組織である以上、内部の主導権争いはありますから、こっそり議事録に書いて通したことにしようとしたり、さも決まったように書いていたり、負けた側が鬱憤を回想に込めたり、まあ書いてあることを読める通りに受け取っちゃいけない場合もあります。史学の訓練を受けるとこれができるようになって、それがないとできないと考えている人もいるようですが、実際に議事録の改ざんを見つけて事務局にねじ込む経験とか、「ナド書きで読ませる(ので明記しない)」ことを口頭で合意する場面とかを実際に見て初めて身につく批判能力というのは、あると思います。民間企業とお役所とどっちが官僚的かすら、一概には言えません。作家さんの文章を見て「ああ組織にいた経験がないな」と思うことはありますが、研究者についても同様のことは言えるでしょう。

「(問題の)絞り込み」という言葉は、学問の世界ではそれ以外の世界よりもよく使われると思います。じゃあ普通のビジネスマンにそういう発想とご縁がないかというとそうでもなくて、「(障害の)切り分け」という言葉がそれに近い意味を持っています。

「A、B、CのうちAは正常だと考える理由がある。Bの異常の有無の方が調べやすいからまず調べる。異常がなければきっとCに異常があるが、BとCの両方が異常かもしれない。まあたまたまいっぺんに異常という確率はそう高くない」などというのが障害の切り分けでよく出てくるロジックです。「絞り込み」は、「この現象はA国全体に見られるものではない」という反証が出てきたときに、「a地方では複数の証拠があるがb地方にはない。反証はc地方のものだ。A国全体ではなくa地方に限られるものだと考えても事実と矛盾しない」などと、結論を「A国では〜」から「A国のa地方では〜」に限定していくような思考法です。証拠に照らして正しいことを言うためには当然だし、「絞り込み」と呼ぶことに慣れている人は少ないとしても、まあ誰でもやっていますよね。

 しかし床屋談義として「だから日本は」「ドイツ軍はさぁ」とか言いたいですよね。言ってしまいますよね。聞く方もそうなのです。「ドイツ軍は〜なのですか」とか聞いてしまうのです。正しく答えようとすると「いやそれは例外A、例外B、例外C-1〜C-4があって、1941年8月頃から1942年12月までに限られるがチュニジアでは」みたいな答えになってしまいます。で、面倒だから答えてもらえないとか。「例外も含めて全体的にわかりやすく説明して下さい」という質問ならいいのかというと、やっぱり答えるのは面倒です。

劇場としての板


 質問掲示板の利用者に、私はよく問いかけました。あなたの質問にLibrary Valueはあるのかと。検索に何度も引っかかり、世界の利用者に末永く使われそうな質問であれば、俺も時間を使って答えるよと。

 掲示板でブイブイ言わせて粋がるのが主目的の回答者は、かえって長い時間を質疑に使ってくれるのかもしれません。しかし設置者はそれをどう見るでしょうか。「運営に食ってかかる」のはネットワーク最古の態度のひとつですが、自分の資源を投じて場を維持する運営者が腹を立てれば、その場は存在しなくなるかもしれません。

 一般にネットバトルで大切なことは、編集権者を敵に回さないことです。正しいことが言いたければ、自分のサイトを立てればよいのです。他人のサイトやアプリでは戦いになることを避け、編集権者や設置者の目的と部分的にでも適合したことを言うのが長生きの秘訣です。

縁故者の質問


 私のひいおじいちゃんはドイツ海軍の軍人さんでフォン・シェーアっていうんですけどどんな人なんですか? という人は見ました。子孫がアメリカに渡ってるという話でした。グデーリアンの次男も北アフリカで捕虜になってアメリカに住みついて、その息子さんが湾岸戦争でアメリカ戦車に乗ってたと言いますからね。

 おじいちゃんがドイツ第何師団にいて米軍の捕虜になったんだがどこにいた? という質問があって、調べるとその師団はソヴィエト軍に降伏してました。ははあと思って「家族のある人は家族を守るためにいろんなことをするんだよ」と言い添えて答えると後でメッセージが来て、「ありがとう。そーっと尋ねたらやっぱり脱走してた」ということでした。

いやそれは無理だろうと思う質問


 ビルの入り口の写真を見せて「この海軍の学校はどこだ」と尋ねた人がいました。日本人から海軍の学校生活で取ったアルバムを買ったのだそうです。無理だから放置しようと思いましたが、「いや海軍の学校ってそんなにないから、片っ端から名前で画像をググると出るんじゃないか」と思いつきました。

 海軍経理学校だと答えると、大層がっかりしていました。将官たちのプライベートフォトをごっそり買ったと思ったに違いありません。

 長い石段を登っているヒトラー・ユーゲントたちの写真から「ここはどこだ」と言われたこともありました。「あれ? 来日したヒトラー・ユーゲントにしては人数が少ないぞ」と思って調べると、上海ヒトラー・ユーゲントの代表が同時期に来日して、一部の行程を共にしているのがわかりました。こっちのほうが人数が少なくて、旅程にある施設を片端からググると、広島幼年学校だとわかりました。

 バイコルヌ(仁丹帽、あるいはナポレオン帽)をかぶり正装した日本海軍士官(おじいちゃん)の写真を示して「おばあちゃんはとても偉い人だと言っていたがどういう人だったか教えてほしい」と質問した人がいました。名前も書いてありましたが、調べてもそんな海軍将官はいません。重ねて情報提供があって、「裏にトクムダイイと書いてある」

 ああ。兵隊元帥であります。まだ少佐に上がれなかった頃の特務大尉であります。それは偉い。Sailor Marshallについて、つとめて名誉を傷つけない説明をしましたが、二度とレスはありませんでした。

補論:情報源としてのWikipedia


 例えば「牟田口廉也」のように、個人の行為をどうしても止めることができず、正常に機能しづらくなっているWikipedia項目はいくつかあります。「タミル・イーラム解放のトラ」は日本語版については「ノート」欄を見ないと編集合戦の痕跡を感じ取ることすらできませんが、2006年の履歴をたどると「根拠はない話の削除」が何度か行われていて、さてこれは日本人による編集であったのか判断に迷うところです。「根拠はない話」ですからねえ。

「Wikipediaだから」正しい話が載っていないと決めつけるのは、それでも食わず嫌いに類する話でしょう。利用する場合と程度を間違えなければですが。ただしWikipediaの正しさを保つ力は、絶えず訂正を受けることによってのみ働くと言ってよいと思います。

 なにかをWikipediaで調べる場合、その項目が最も的確なツッコミを受ける言語のものを確かめるべきです。外国の事物に関する項目はしばしば日本語版では英語版などの直訳になっており、出典が全く書かれていないけれど、元になった版にはちゃんと参照文献リストがついています。日本語版が日本語の本を参考にしていて、その本自体が孫引きをしくじって間違っている場合は、あっ宅急便が来たようです。

 例えばソヴィエト軍部隊に関するWikipedia項目は、最近でこそ英語版にも立つようになってきましたが、ロシア語版にしか書かれていないことがいろいろあります。これを英語に機械翻訳すると相当読めますが、食い違っているところや意味の取れないところもあります。最近1942年ドイツ夏季攻勢について調べていたら、敵手であるソヴィエト第12軍の項目に「7月29日からドン川の一部になり、8月5日には北コーカサス方面軍の海の部隊となった」とありました。これはこの文章を読んだだけではわからない話で、別の本に説明があったのでやっとわかりました。7月29日、ずっとドン川下流域で戦ってきた南部方面軍は戦力をすり減らし、その南に位置してケルチ地峡を守っていた北コーカサス(北カフカス)方面軍に編合されました。しかし南部方面軍司令官だったマリノフスキーがそのまま北コーカサス方面軍司令官代理という名目で「ドン作戦集団」を率いて北を支え、ケルチ地峡と海岸の防衛をチェレヴィチェンコ上級中将の「海洋作戦集団」が担当することになったのです。後者が「海洋(Приморской )」なのは、海岸防衛というニュアンスでしょう。第12軍は7月29日の編合時には前者だったが、ドイツ軍の急進撃を受けて、8月5日には後者の指揮を受けることになったとロシア語Wikipediaは述べていたわけです。

補論:知るということ


 知るということは、知っていることと知らないことを区別できるようになるということです。「はっきりしない」部分に気づけないと物を知ることは困難ですし、「自分の言葉に置き換える」ことで初めて「そこまではわかった」と自覚できます。

 だから「知るということ」を突き詰めていくと、「用語定義」「分類表」みたいなものが基礎の基礎に並ぶということがよくあります。そして、「ひとつの言葉が時系列的に変遷していたり、ふたつの意味で使われていたりする」ことがわかると、言葉を言葉で短く置き換えることができなくなります。

 およそ「翻訳」というもののひとつの限界は、ここから生まれてきます。言葉を言葉で置き換えることができなければ、逐語訳では済まないからです。訳注という形で、訳者の理解を世に問うことはひとつの解決ですが、それは原著者が持っていた時代・地域・教育などに根差した思い込みを完全に解きほぐせるわけではありません。

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