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ノーマルSS  「DINKS」  

かなり以前に書いた非エロSSのひとつです。
未完です。
千早との同居の顛末を詳細においかける長編用のおはなし。


 


如月と名乗る女性から電話があったのは、千早がCランクに昇格する少し前の話である。
いうまでもなく千早の実の母親である。
仕事が順調になってきたことで俺への信頼もアップしたのだろう、最近では世間話をしたり
俺の冗談に笑顔を見せてくれもするが、あくまでそれは仕事場だけでの話であって
プライベートは相変わらず未知の領域だった。
言いにくいのか、いいたくないのか、あるいはまだそこまでの信頼を得ていないか。
深く考えないようにしていても、すっきりはしない。それが正直な心境だった。
そういう状況で、親からの電話である。緊張しないわけがない。
俺は深呼吸をしてから受話器を上げ、名前を名乗った。
穏やかで落ち着いた声音だった。
会社勤めの経験を伺わせるそつのない挨拶のあと、彼女はいった。
千早のことで、重要な話がある、ついては直接会って相談できないかと。
互いの予定を照らし合わせ、1週間後、事務所にきてもらうことになった。
相談の内容を尋ねたが、まだ心の整理ができていないという理由で聞き出せなかった。

「というわけなんですよ、音無さん」
「なんか意味深ですね。重要な話があって、直接相談したい……というと」
「まさか引退させろ、とかそういうのじゃないでしょうね」
「可能性としてはゼロではないですよね」
「お、脅かさないでくださいよ。やっとCランクが目の前なんですよ?」
「気になるのなら、千早ちゃんに聞いてみたらどうなんですか?」
「いや、なんかプライベートは話してくれないんですよね……」
「相変わらず難しそうですね」
「少しは信頼されるようになったかなって思ってたんですけど……」

音無さんが事情通とはいっても、さすがに千早の家庭事情までは守備範囲外らしく
めぼしい情報は得られなかった。
といって直接本人に聞くというのもここまで築き上げてきた大切な何かを壊してしまいそうで
怖くてなかなか踏み切れない。



今日のプロデューサーは様子が少しおかしい。
少し前まではCランク目前ということに私よりも舞い上がってテンションも高かったのだけど
今日事務所に行くと、何か考え込んでいる様子で挨拶にも元気がない。
それどころか、挨拶をしただけで、すぐに視線を机にもどした。
何か問題でもあったのだろうか。
今日こそプロデューサーに大切な話を打ち明けようと決心してきたのだけど……
更衣室で着替えながら、自分の決心は少し先延ばしすることにした。
もしプロデューサーが何か問題を抱えているのなら、そこに自分のプライベートなことで
心配をかけるようなことはしたくない。
準備を終えて仕事に向かうときにはもういつものプロデューサーだった。
テレビ番組の収録と、雑誌取材。
まだ余裕を持つほどでもないけど、少なくとも緊張はせずにこなせるようにはなってきた。
そう、いつも隣にプロデューサーがいてくれるから。

数日前、母親から離婚が決まったと告げられたときにも、特に感慨はなかった。
やっと終わるのか、というのが私のただひとつの感想だった。
毎夜のように諍いの絶えない、壊れかけの家庭は唐突に終わりを告げ、
私は母と二人、いまや静か過ぎる家に取り残されている。
父親は家財と私の親権を母に残し、どこか遠くの地方に転勤していくのだと聞いた。
家を出たいという気持ちは今も変わらずにあって、ネックであった経済力も仕事が軌道
に乗りつつあることでメドもついている。残るのは私が未成年という事実。
わたし一人ではどうにもならず、保護者の承認が必要なのだ。
それを言い出すきっかけが見当たらなかった。

父親が家を出たあとの数日、気が抜けたかのようにぼんやりとしていた母親だったが
やがて気を取り直したのか、私のことを気にかけるようになった。
学校のこと、生活のこと。ありふれた世間話。
母親は仕事を続けており、一緒に過ごす時間は限られてはいたが、
台所に並んで立ち、ときには買い物につき合わされたりと、ぎこちなさはあったけど
手探りながら親子という関係を再構築しようとしていたのだと思う。
ただひとつの問題はいまだ明らかにしていない芸能界での活動のことだった。
離婚が決まってから、何度も打ち明けようとしながら躊躇ってきた。
それを聞いた母はどう思うのだろう。今の私を見て、喜んでくれるだろうか
それとも……
反対されたら、本当に全てが終わってしまうような気がして怖かった。
でも、いつまでも隠し通せるものではない。
テレビや雑誌での露出も増えたし、今夜見ているテレビで発覚するかもしれない。
それなら中途半端に関係を修復する前に発覚したほうが失うものが少なくてすむ。
あとで考えれば自分でも笑ってしまうほど悲観的な考えだったけど、
そのときの私には本当にそれが精一杯だった。


「あなた、料理の筋なかなかいいかもしれないわね」
夕食の煮魚に箸をつけた、母親がいう。
「そう? あまり自信はなかったのだけど」
「お味噌汁も、まあ合格点かしら。これなら大丈夫かしらね」
「大丈夫って、何が?」
「あなたもいずれお嫁に行くでしょ?母親として最低限の事は教えておかなきゃと思っただけ」
「お母さん、わたしまだ高校一年生なんだけど」
「来年には結婚できる年齢よ?」
「結婚なんて考えてないから。たぶんこの先もずっと」
「そうね」

母はそういって、視線を食卓にもどす。
あまりにもさり気なかったので、すぐに気づかなかった。
一体何が“そうね”なの?
料理は合格点だから大丈夫。
母娘の話題としてはありきたり、だけど唐突過ぎる。
結婚なんて考えられないし、恋愛だってご法度なのだ。
もっとも私自身、そういうものに興味がないのだけれど。
そこまで考えて気がついた。母は私が家を出たがっていることに気づいていると。
いや、あるいは芸能界での活動のことも。
お嫁に行く、つまり家を出るというのを暗示として、何を私に気づかせようと?
箸を進めながら、懸命に考えた。
たぶん……いや、きっとそうだ。
娘の口から、そのことを、芸能界のことを聞きたいのだと。
今まで放置してきた負い目から、自分から問えば私の反発にあうと考えているのだ。
離婚を乗り越え、今一度家庭を、親子の関係を修復しようとしているとき、
そうなるのは母だって怖いからなんとか私に気づいてほしいと。
芸能界に居場所が出来たら、こんな家を捨てて出て行こうと思っていたのに。
娘のことも省みず、諍いを繰り返す両親を、見放そうとしていたのに。
やっぱり出来ない。
こぼれそうになる涙を懸命にこらえながら、食事を終えた。

「お茶、入れてくるからお母さんは座ってて」
「そう、お願いするわ」
食器を洗い場に運び、急須の茶葉を入れ替える。
そっと深呼吸をひとつして、私は口を開いた。

「お母さん、聞いてほしい話があるの」


◇千母

私も夫も分かっていながら、その泥沼から逃れることができなかった。
長男を失ってから8年もの間、娘を省みず、不毛な諍いに人生を費やしてしまった。
決してまだ解決とはいえないものの、それでも月日は解決の役にたったと思いたい。
娘まで失う羽目にならなかった、いやぎりぎりで間に合ったと思いたいかった。
私と夫はほぼ同じ時期、芸能界でアイドルとして活動する娘の姿を発見したのだ。
家では決して見せない笑顔をステージで振りまく娘の姿。
その笑顔のなんとぎこちないことか。なんと痛々しいことか。
私たちの記憶に埋もれようとしている娘の笑顔はもっと明るくて輝いていたはずなのだ。

「離れて暮らそう」
それが夫からの提案だった。
千早に対しては離婚したということにして、一度別れることにする。
それがどれだけの期間なのか、あるいは永久に渡るものなのかはお互いわからない。
けれど何のためにそうするのかは、言葉にしなくても思いは一致していた。
私たちの争いが千早の問題であるならば、まずそれを解消しよう。
如月家というパンドラの箱に、最後に残った千早という名の希望。
夫はそのため、自ら異動を申し出て受理された。
そして千早にそっけない別れをつげると遠い地へと旅立っていった。
娘は私に託された。
家庭には何の関心も示さない、他人のような冷めた目を向ける娘を。
嫌われていても、憎まれていてもかまわない。
何を今更母親面をといわれても仕方がない。
自分のお腹を痛めたわが子を、幸せにするために。
心からの笑顔を取り戻すまで
私はどんなこともやらなければならない。
それが、テレビで懸命に歌うあの子の姿を見た日の、私たち夫婦の決心だから。



「如月君、おめでとう。ついにCランク到達だ」

事務所に顔を出した私を、社長は満面の笑顔で出迎えてくれた。
プロデューサーはというと、笑い出しそうなのを我慢しているため妙に強張った表情だ。
つられて噴出しかけ、とっさに厳しい顔をつくってみようとして、失敗した。
プロデューサーが片手をあげて「ハイ、ターッチッ!」なんていうから。

「仕方ないですね、もう」

両親の問題も、離婚という形ではあるが一応終わりをつげた。
決して晴れやかというわけではないけれど、つっかえていたものがとれることで
自分でもだいぶ落ち着くことができたと思う。
その日、次のオフの予定を聞いて、プロデューサーにお願いをした。


◇P

電話の数日前、千早から亡くなった弟のことや両親の離婚の話を打ち明けられていたため
真っ先に頭に浮かんだのは、離婚による千早の身柄のことだった。
電話を受けたのが、事情を把握している音無さんだったのは幸いである。

「プロデューサーさん、保険会社の方が契約更新の件で来られてますよ」

千早とミーティング中の俺を、スタッフだけに通用する符丁を使って呼び出した。
ちなみにこの符丁はアイドルたちに聞かせるのが憚られる用件のときに使われるもので
重要度と緊急度に応じて税務署・保険・銀行の3種類がある。
千早にはレッスンスタジオに降りて着替えとウォーミングアップしておくように指示してから
電話を取った。
それが千早の母親とのファーストコンタクトだった。

芸能活動のことも親に話していない千早のことだ。
最悪、強制的に引退させるというのも有りうる話だ。
内心の不安を押し隠し、明るい営業用の発声を確認してから受話器を取る。

「はじめまして、如月と申します。娘がお世話になっております」
落ち着いて、穏やかな女性の声が流れてくる。
会社勤めの経験が伺われる型どおりの挨拶を済ませると、
彼女は千早のことで大事な相談がしたい、と切り出した。

「大事な相談、ですか?」
「ええ。それにお願いしたいこともありますので、電話で済ますわけにも参りません」
「わかりました。お急ぎ、でしょうか?」
「できれば早目のほうが助かります」

俺は手帳を取り出し、スケジュールに目を通す。
「その、お話というのは千早さんも交えてということになりますか?」
「いえ、今のところは内密にしていたければ」
「では今週の午前中なら何時でもOKです。事務所にお越しいただくようにはなりますが」
「明後日の早い時間でもよろしいでしょうか?」
「ええ。9時以降なら確実にここにいます」
「では明後日の9時にお伺いさせていただきます」
「あ、あの…お話の内容というか方向を今お聞きしてもかまいませんか?」

不安さから焦りが出たようで、受話器の向こうでそれを悟ったらしい彼女は
少なくとも悪い話ではない、とだけ付け加えた。
電話を切ったあとも、一向に話が見えてこず、不安だけが募ってくる。
悪い話ではない? ということはいい話というわけでもないということなのか……

「プロデューサーさん、そんな顔していちゃだめですよ。少し落ち着いて」

音無さんが珈琲カップを差し出しながら俺をたしなめる。
カフェイン入ったら余計に興奮するわい、とは言わず黙って口をつける。

「千早ちゃんのお母さん、ですよね?」
「ええ。大事な話があるってことで、明後日の朝、ここに来られます」
「親ばれってやつですかね」
「余計に不安になるようなこと、冗談でもやめてください」
「でも千早ちゃん、アイドル活動のこと親御さんに話してないんでしょ?」
「そ、それはそうですが」
「私の勘だけど、悪い方向の話じゃないと思いますよ」
「それは彼女もいってましたよ。少なくとも悪い話ではないって」
「じゃあ問題ありませんね。ほら、千早ちゃん待ちくたびれていますよ?」

珈琲を飲み干し、洗面所で顔を洗ってからレッスンルームで待つ千早のもと向かう。
音無さんの言うとおり、どういう事態になろうが千早を守るのが俺の役目じゃないか。
大丈夫、なんてことない。無理やり自分にいいきかせた。


「お待たせ、千早」
「もう、遅いですよ。せっかく温まった体が冷えそうです」

ふくれっ面を見せるが、それは千早が怒っていない証拠。
ほら、目が笑っている。

「悪かった。社会人って面倒でな。生命保険に火災保険、雇用保険に地震保険。
何種類あるかも把握できないよ。その点保健体育だけの千早がうらやましい。
それだけは俺が変わってやってもいいな」
「保健がちがいますよ。それにどうせプールのときだけとかになりそうですし」

よし、ほら笑った。ついでにもう一押しだ

「さすがに千早さん、分ってらっしゃる。保険といえばオーディション保険があるといいな」
「あったら入るお積もりなんですか?」
「いや、春香のプロデューサーにすすめる。そもそも落選しない千早には無用だろ」
「私だって落ちるときは落ちます。それよりプロデューサー保険を探しておいてください」
「な、なんのために?」
「決まってるじゃないですか。私のパートナーとして、満足できなくなったら……」
「わーわーわー、聞きたくない、そんな保険ない!あっても入れさせない」
「ふふ、冗談です。それにどうせならプロデューサーが逃げない方の保険はいります」
「今日はぴよちゃんといい、千早といい、冗談がきつすぎるよ」
「いいだしたのはプロデューサーのほうです。それより、レッスンはじめましょう?」

とにかく、午後の千早との時間はかろうじて切り抜けることができたが、
千早が帰宅したあとは、また得体の知れない不安感が頭をもちあげてくる。
俺は遅くまで残業して、もし千早の引退を迫られたときの説得材料を考え集めておいた。
無駄になることを祈るばかりだ。

◇千早

何かが心に引っかかった。
一人階下にあるスタジオに向かいながら、記憶をプレイバックさせてみる。
音無さんが来てプロデューサーに電話を取り次いだ。
電話は保険のことで、プロデューサーは先にスタジオにいくよう私にいった。
特に変わったところはない。
デスクで打ち合わせしているとき、プロデューサーにはよく電話が入ってくる。
ほとんどが私の仕事関係で、以前席を外そうとしたら千早の仕事のことだから
そばにいて雰囲気だけでもいいから聞いておくよう指示されたことがある。
でも保険はプライベートのことで仕事とは関係ない。

もう一度、今度は映像をプレイバック。
音無さんが来たとき……そういえば、目をあわさなかった気がする。
いつもなら、目を合わせてニコニコ、あるいはニヤニヤ。いつも笑っている。
電話のことを聞いたとき……そう、プロデューサーもだ。
私に指示したときも音無さんのほうを向いていた。
引っかかっていたのはこれだった。当たり前のように見ている光景のわずかな違い。
でもなんで保険のことで?

疑問はスタジオでの会話を思い出し、確信に変わった。
明らかに何かを隠している。保険に関する話が、あからさま過ぎる。
本当に加入している保険の話なら、あの場で出すまでもないただの処理のはずだ。
だから電話の相手は保険会社ではない、別の誰か。
では、その誰かとは?
レッスンを終え、タイミングを見計らって給湯室で音無さんを捕まえた。

「あの電話、本当は誰からなんですか?」
不意をつかれた音無さんは、一瞬うろたえたもののすぐにたて直った。
「あなたのお母さんからよ」


◇P

朝早めに起き、髭剃り、寝癖直しなど入念に身だしなみを整えた。
音無さんに「就活ですか?」と冷やかされて以来着る機会の減った紺のスーツを選び
真っ白なワイシャツに袖を通す。
ネクタイに迷ったが、縁起をかついで千早が選んでくれたのをチョイス。
いつもより早めに出社したら、結局音無さんから「張り切りすぎ」と冷やかされた。
こっちの緊張も知らずにコンチクショウ……


千早の母は約束した時間のきっかり5分前に現れた。
音無さんが彼女を出迎え、応接室に通してから俺を呼びに来た。

「さすがに千早ちゃんのお母さんですね。落ち着いた綺麗な人ですよ」
「いま、そういう情報は要りませんから」
「千早ちゃんが大人になるとあんな感じになるのかもね」
「もう少し役にたつ情報はないんですか?」
「あら、今のがそうなんだけどな…」
「とにかく、待たせてもいけないので行ってきます」
「がんばってくださいね〜」

ノックして応接に入ると、彼女は壁に飾ってある所属アイドルの集合写真を見つめていた。
流石に親子だけあって後姿の感じは良く似ている。少し背が高く千早ほど華奢でもないが。

「はじめまして、如月さん」
「こちらこそ娘がお世話になっております。今日はお忙しいところをお邪魔して
申し訳ありません。多忙な仕事とは存じていますが」
「いえいえ、大切という点ではこちらも同じです」
彼女はソファーに腰を下ろすと同時に口火を切った。

「大切、というのは、娘―千早が売れそうだから、ですか?」
穏やかで丁寧ではあるが、受け損なえばただではすまない唐突な切り込みだったが
それは娘の方で慣れっこだった。全く親子というのはこういうところも似るものなんだな。

「勿論です。芸能界とはいえ、われわれも企業として活動している以上、
利益を追求するという点では他の一般企業となんら変わりありません」

正面から来た太刀をそのまま正面で受けただけで、この返答に挑発の意図はない。
千早を育てた母であるなら千早と同じ対応が通じるはずだ、という俺の勘である。
嘘やごまかしは恐らく通じないどころか逆効果にしかならないはずだ。
なんせ相手はあの千早の母親だから。ただし根拠には自信がない。

「売れそうだからとか売れているから、だけでもありません。
お預かりしている子達全て大切です。我々も売るために努力しますが、
それ以上に本人の努力があるから売れるのです。
大切にするのは彼女たちのそういう部分をです。商品ではなく、人ですから」

彼女は俺の長広舌にも表情ひとつ変えない。軽く頷いてから、次の太刀がきた。
「それでも、そういった努力が報われず売れない、ということもあるのでは?」
「それは否定できません。事実ですから」
「そのときはお払い箱に?」
「我々にはそういう言い方はできません。奇麗事に聞こえるとは思いますが、
アイドルを続けることがその子の幸せでないと判断した時には話し合って引退勧告を
する場合もあります。ですが大抵は本人がどうすべきか答えを出します」
「今までにそういうご経験は?」
「幸いなことに私にはありません。千早さんが担当する3人目ですが、
前の二人は今でもトップアイドルとして活躍中です」
そういって俺は先ほど彼女が見入っていた大きいポスターを見た。

「もし千早がこの先、不本意な結果になりそうな場合は?」
「質問そのものが不本意ですね」
彼女は首を傾げることで疑問を表明させる。
依然として彼女の意図は掴めないままだが、こと千早に関してこのような質問は
相手が親であっても許せそうにないそれに防戦一方というのも俺にしては不本意だ。

「客観的に考えて100%の成功も100%の失敗もあり得ませんが、千早さんの場合は
もっとも成功に近いところにいます。本人の素質もありますが、それ以上にあの子の異常とも
いえるくらいの歌への執着、そしてそのための努力の質と量の結果として」

それでも彼女の表情は全く変わらない。

「その上で答えるとしたら、やはり同じです。彼女自身が一番幸せになる道を考えます」
「女には永久就職という道がありますから。私が言うのもなんですがあの子美人でしょ?」
「……え、あ、はい。きれいです、ね」
「ごめんなさいね。変な質問ばかりしてしまって」
「あ、あの……これは一体?」
「あの電話を差し上げた日、家で千早に問い詰められたんです。事務所に電話したでしょって」
「ど、どうして?」
「昔から勘の鋭い子でしたから。何か心当たりありませんか?」
「あの日はずっと一緒でしたが、電話のあとも普段と変わりなかったように思いますが」
「私も貴方もあの子に話していないんだから、やはりそのときに何か気づいたのでしょう」
彼女は軽く笑顔を作ってそういうと、居住まいを正し俺に向かって頭を下げる。

「そのことも含めて今からの話が本題なんです。今までは貴方を試していました。
大変失礼な真似、この通りお詫びします」
「あ、いえ。そんな、頭を上げてください。で千早はなんて?」
「離婚の話はもう千早から聞いていますよね?」
「ええ」
「協議の結果、家と千早の親権を私が持つことになりましたが、あの家に住み続ける理由も
なくなりました。千早のことは少し前に気づいていましたが反対するつもりはありません」
淡々とした話す彼女が、そのときかすかに悲しげな表情を見せた。

「ただ私の両親もそろそろ年寄りで。今の勤務先の支店が実家近くにあって、
それなら両親の面倒をみることもできるし、好都合かと」
そういって彼女は北関東にある都市の名前を挙げた。
「ただそうなると、千早の学校のこともあるし、それ以上に……」

千早を尊重して一人暮らしを考えたけど、学校と芸能活動の両立は荷が重いだろうし
それ以上に15才の女の子を一人でというのが心配で。
といって頼れるような親戚も知り合いもいない。
結局、事務所を調べ、千早を託すに足る相手かどうかを見極めようと。
彼女の話を総合すればこういうことだった。

「だから千早に同じことを説明しました。一人暮らしは認め難いけど信頼できそうな保護者が
いるようなら、その人にお願いしたいのだと。あら、あなたも千早と同じ反応を示すのね」
そういって彼女はおかしそうに笑った。

「あ、あの、つまり、その、千早さんを預けるというのは……」
「ええ、あなたなら大丈夫みたいね」
「…………」
「千早の剣幕怖かったのよ。『事務所に何の用事で電話したの?私のプロデューサーに
変なこといったんでしょ!お母さんには関係ないからほっといてよ!』って。
確かに親として失格なのはわかっはいても、すごくショックで」
「ちゃんと話し合いはできたのですか?」
「ええ。ずいぶんと時間はかかりましたけど、最後にはちゃんとわかってもらえて。
あなたをプロデューサーさんに預けてもいいかって聞いたら、真っ赤になってましたけど」
「お、お母さんのご意見はわかりました。けどこういう大切な話は当人の了解がないと」
「あら、千早はOKよ。嫌な事は絶対嫌っていう子なのは貴方もご存知のはずでしょ?」
「で、でも、まだ僕の意見もですね」
「さっき大切にするって言ったのは聞き間違いだったかしら?
大切にしてあの子の望む、歌手への道を支えてくれるのではなかったのでは?
違うのだったら、千早を説得して一緒に連れていきましょうか」
「は、嵌められた……」
「ちなみに社長さんも了解済みです。それに音無さんだったかしら、随分とやり手な方ね。
貴方との話のあとで、高木社長から電話を頂いたとき時には少し驚きましたけど」
「ぴ、ぴよもグルか……」
「ですからあとは貴方のお返事次第です。ただ私の都合で申し訳ないのですが、
3月末までに決着をつけたいので。千早も春休みだから引越しなんかには丁度いい
タイミングでしょ。そのための準備を考えたら、もう来週には3月ですから、
早めに決断をいただきたいのです。」
「…………」
「もちろん、今この場でもかまいません。はいかイエスの単純な2択で結構ですから」
「二択にすらなってないです……」
「千早のこと、お嫌い?確かに今は難しい年頃ですけど、素直で明るいいい子なのは
あの子を生んだ私が保証します」
「す、すこしだけここでお待ちください。すぐもどります」


「ぴよー!どこだ、ピヨ介、出て来い!!」
「大声出さなくても私はここにいますよ」
「せ、説明しろ。いったい何を企んだ?」
「人聞きの悪いこと言わないでください。ちゃんと説明しますから」

音無さんの説明はこうだった。
あの電話に疑問を持った千早に相手を聞かれてばらすしかなかったこと。
社長に相談したら、早速母親に事情を聞いた上で彼女のいう同居の話をまとめあげた。
そのとき母親の要望を容れ、俺の人柄を直接確かめてから結論を出すという話になった。
千早の引き取り手のことが本来の相談だったが、既に社長との間で話がまとまったため、
急遽こういう話を仕組んだのだと。

「そういうことです。本当は大人同士の話がまとまったあと千早ちゃんに話をする予定
だったんだけど、早々に疑惑をもたれちゃったから変に誤解されるよりはとお母さんから
千早ちゃんにもこの話をしてもらっておいたというわけなの」
「どうして俺に相談もなしに……」
「それはさっきも言ったとおり、千早ちゃんのお母さんの要望でもあったし、
高木社長もこの機会にプロデューサーさんの本音を見極めてみたいと」
「しゃ、社長まで……そんなに俺って信用なかったですか?」

いきなり音無さんにぶたれた。
「信用されているから、相談以前に同居の件をまとめたんですよ。そんなことも分らないなら」
もう一度振り上げられた拳を慌てて押さえた。
「すいません、確かにそのとおりです」
「わかればよろしい。で、いつまでお母さんをお待たせするのでしょう?」

「大変お待たせして申し訳ありません。正直急な話で混乱してしまいまして」
「いいえ。で、落ち着かれました?」
「ええ。そのことですが、本当に私でいいのですか?」
「もちろんです」
「今日が初対面で、まだ1時間もたっていません。それでも、ですか」
「人と人がわかりあうのに、時間はさほど必要とは思っていません。
高木社長、音無さん、揃ってあなたのことを保証するとおっしゃいました」
「……」
「それに千早も。あの子が信頼しているならそれ以上の保証はありませんし、必要としません。
情けない話ですが、私も夫も千早に対して親の責任を果たせませんでした。
結果、心を閉ざしていびつな育ち方をしたあの子を導いてくれたのがあなたです。
あなたは千早が一番幸せな道といってくれましたが、私は二人が一緒にいるのがそうだと。
どうか、どうかあの子のこと、お願いできませんか」
「わかりました。千早は私が責任をもって面倒を見ます。
ですが一つだけ条件というか約束してもらえませんか」
「……約束、ですか?」
「ええ。離婚しようと別居しようと、千早と貴方、それにお父さんが親子であることに
変わりありません。その絆だけは変わらずにいてください」
「そうですね。約束します」

全く嵐のような午前中だった。
やるべき仕事はいくつもあったが、集中できない。
午後に事務所にやって来る千早にどんな顔をして会えばいいのだろうか。


◇千早

芸能界に飛び込んだことは話していないし、そんな気もなかった。
それでも離婚が決まり、日課のような諍いの元がなくなった母親は落ち着いたようで
ぎこちなさはあるけど日々の会話も増えていった。
何度か仕事のことを打ち明けようと思いながら躊躇っているのは反対されるのが
怖かったからだ。反対されると確実にそれが新たな言い争いの元になる。
人気も出てきて、メディアへの露出が増えている今、いずれ目に留まるのは時間の問題だけど
それでも踏み切れずにいた。
以前は両親の争いをみたくないからという独立の理由が、
今は母親と争いになりたくないという理由に変わっていた。

この時点で母がすでに「知っていた」ことが分って入ればこんなに悩むことはなかったのだが
母もそのことで悩んでいたと察するほど私も大人ではなかった。
だから例の電話の一件を母親の反対による妨害だと勘違いしたのである。
先に帰宅した私は二人分の夕食を用意して母の帰りを待った。
事実を問い詰め、母の反対が明らかになればその時点で家を出る決心をつける。
アイドル活動が仕事として成立している以上、もう家にも学校にも未練はなかった。
プロデューサーと一緒なら、やっていけるはず、その思いだけがあった。

静かな夕食を終えたところで、深呼吸をした千早が切り出した。
「お母さん、今日事務所に電話したでしょ?」
「事務所? 事務所ってなあに?」
「とぼけないで。知っているんでしょ、私がしていること。私のプロデューサーに変なこと
いったんでしょ!お母さんには関係ないからほっといてよ!」
彼女は動じなかった。激昂した娘の勘違いをすぐに悟ったからである。

「そうね、知っているわ」
「何をいったの? いまさら母親づらしてどういうつもり?」
「その通りね、何を今更のことだけど、それでもあなたの母親であることに代わりはないわ」
少し間合いを置こう、そう思い彼女は席を立つ。
「お茶、いれるわよ。落ち着いて話、したいから」


「あなたの言うとおり、私もあの人も今までのこと、親として失格なのは認めます。
あなたがしていることを、あなたの口から聞きたいというのは、エゴだということも」
「そうね、エゴ以外のなにものでもないわ」
「長い話になるだろうし今後のあなたの人生のことだから、怒る気持ちはわかるけど
まずは落ち着いて聞いてほしいの」
「私の人生?」
「そう。それに私は反対するなんて一言もいってないわよ。だからお願い、千早。
お母さんの話、ちゃんと聞いてくれる?」
「……わかったわ」
「まず電話は確かにしたわ、あなたのことで相談したいことがあったから。
でも“あなた”のプロデューサーに変なことはいっていないわよ」
「…………」
「私ね、実家に帰ろうと思ってるの。もうその前提で仕事やこの家のことも進めているの。
もちろん、あなたのことも。学校をどうするかとか……」
「群馬のおばあちゃんのとこ?」
顔色を変えた千早を抑えて、母親はいった。
「でも、それじゃ千早のためにならないよね?」
「……」
無言で頷く千早に先ほどの勢いはない。
「いまさら活動やめるなんて……」
「そうね。だからそのための相談だったの。千早のためにどうすれば一番いいのか」
「……お母さん、私……」
「そんな顔しないで千早。無理に連れていこうなんて思ってないから。
あなたが今のこと続けられるには何が必要かって。一人暮らしも考えたけど、
学校に仕事、生活のことも大変だし、まだ15才のだからそっちも心配だし」
「……家事くらいは自分でできるつもりだけど」
「つもり、でしょ。だからね、ちゃんとあなたの面倒を見てくれる人がいれば
お母さんも安心できるから。結局あなたの事務所しか伝手がなかったんだけどね」
「それが、プロデューサー?」
「そうね。千早、結局お母さんにはこういうことしかできないの。ほんとにごめんなさい」
「ほんとに、いいの?仕事続けていても」
「もちろん。テレビで見たあなた、すごく綺麗で歌も上手で。だから千早の目指す道を
がんばって進んでほしいの」
「…………母さん……、お母さん……」
いつ以来のことだろう、こうして母に抱きしめられるのは。
やっぱり、お母さんは私のお母さんだ。温かくてとても安心できる……


☆P

溜まった書類を片付け、パンとコーヒーで空腹をごまかし、午後からの仕事に備えて
スケジュールの確認を行う。
今日は取材が2件と、バックバンドと来週のライブの打ち合わせとリハーサルなど。
ぼんやりしている場合ではない。どれも次につながる大切な仕事だ。
取材の資料を揃え、ライブの進行の原案を完成させてようやく一息ついたそのとき。

「おはようございます」
ん、今来た子は誰だ? 声は千早っぽいけど……。
やはりそうだった。学校から直行してきたらしく、制服姿の千早が現れた。

「プロデューサー、おはようございます。時間が惜しいので直接きてしまいました」
千早か、ほんとに。
君はそんなにキラキラと輝くような笑顔ができたのか。
ああ、そうか。そういうことなんだな。良かったな、千早。

「おはよう千早。今日はいつにもまして輝いているな。一目惚れしかけたよ」
「あら、それは候補生のときにもおっしゃってませんでした?」
小首を傾げ、笑顔のまま、軽く俺をにらむ。

「そうだったかな。では言い直そう。千早、惚れ直してしまったよ」
千早はふふっ、と満足そうに笑ってから、慌てて顔を引き締める。

「仕事の始まりからそういう臆面もない台詞聞かされる身にもなってください」
「千早さんが魅力的過ぎるのが悪いと思うな」
「美希の真似しても可愛くもなんともないですけど」
「じゃあ誰の真似ならいいんだよ」
「いつもの素敵なプロデューサーでいてください。私、着替えてきますから」
身を翻した千早の肩に手を置いた。

「千早……」
「な、何でしょう」
「良かったな」
「……はい」
「…………」
「プロデューサー?」
「ん?」
「あの、そろそろ取材の方、こられるのでは」
「ああ、そうだった。着替え、だったよな」
「はい」
「千早」
「なんでしょう」
「制服姿も可愛いな」
「……な、なにいってるんですか。き、着替えてきます」



多忙な仕事を縫うように、引越しの準備はすすんでいく。
何よりありがたかったのは、社長自ら新居の候補をいくつか探してくれたことである。
千早の学校にも事務所にも近く、セキュリティがしっかりしており、生活環境もいいところ。
一人暮らしには厳しい家賃でも、千早と同居なので折半ならなんとかなる。
事務所から程近く、千早の学校へもバス1本という築浅のマンションが最有力候補となり、
仕事の合間に下見に行って二人とも気に入ったため、その場で決定する。
2LDKだが、間取りがゆったりしているため窮屈さは感じない。
洋室は2間あり、ベランダに面した8畳を千早の部屋とし、廊下側の6畳を俺の部屋にした。
(広いほうがプロデューサーです、と千早は主張したが)
対面式キッチンも充実しており、何より俺が気に入ったのは風呂が広かったことである。
別に深い意味はないはずだ。多分……

社長に報告してから契約を進め、お互いの空き時間を使って準備を進めていく。
最初に部屋に入ったのは、大型のテレビとDVDプレーヤーのセット。
これは千早の母からだった。家がいい値段で売却できたからと聞いたが、
千早のいないところで、父からの出資も大きいと聞いた。
母との和解は果たしたが、父とはいまだにしこりが残っている点を配慮してのことである。
千早は自分の家具を今使っているものを持ってこようとしたが、いい加減年季が入っている
のと机などは小学生以来のものである。俺が買い替えの説得にてこずっているところに
社長が来て、昇格と独立を兼ねてこの2品を贈呈するということで折り合った。

貴重なオフを費やして二人で家具を見に行ったときは楽しかった。
一目見て気に入ったベッドがセミダブルなのを迷う千早だったが、トップアイドルたるもの、
寝るときはゆったりと寝なきゃだめだとわけのわからない説得をすんなりと受け入れた。
机は棚と組合せて配置が換えられる機能的なものにした。
親からもらったテレビとDVDが、置き場所のないままリビングに床においてあったため、
二つが置けて、沢山あるCDをずらりと並べられる大きいラックも買った。

「プロデューサーは家具、買わないのですか?」
「俺は布団派だし、机もパソコンラックだけだから特にいらないんだ。クローゼットもついてるし」
「そうですか。本棚とかは?」
「持ってるよ。あ、千早あのドレッサーよさそうじゃないか」
「シンプルだけど……使いやすそうですね」
「よし、じゃあ俺からの引っ越し祝い」
「え、そ、それは……」
「持ってないんだろ?トップアイド……」
使いまわしの台詞は途中で千早の指で止められた。

「女の子にドレッサーをプレゼントするのでしたら、もう少し洒落た理由が必要かと」
「一理あるな。ふむふむ……」
「期待してますのでくれぐれも駄洒落などを出さないように」
「ハードルがぐんぐん上がっていくな」

俺は考えるフリをした。もともと、こいつを見つけた瞬間に実は台詞が浮かんでいた。
「このドレッサーを見つけたとき、この前で千早がメークしている姿が目に浮かんだんだ。
その姿が大人っぽくて、少々ドキッとはしたが。それを現実にしたい」
「…………お、おとなっぽいといえば、私が納得すると考えるのは浅薄では?」
「ホッペが赤いのは、納得した証拠だと私は考えるのだが」
「……お情けで合格とします。プロデューサー、ありがたく受け取りますが」
「が?」
「メーク中の姿を見たがるのはマナー違反です」
「いつも見てるじゃん」
「あれは仕事だからです。メイクの仕上がりの確認も重要ですから」
「プライベートは駄目なの?」
「だ、駄目ではないですけど、恥ずかしいです」
「ちょっとだけならいい?」
「私もプロデューサーに何かプレゼントさせてくれるなら」
「いいよ、そんな気を使わなくて。特にいるものないから」
「いいえ、駄目です。受け取ってもらいます」
俺は離れた売り場を見て、直感を得た。
「じゃあさ、リクエストしてもいい?」
「もちろんです」
「よし」

俺は選んだドレッサーの注文表を取ると、千早の手を引いて目当ての売り場に移動した。
「照明、ですか」
「ああ」
一人暮らしがそれなりに長いと、家というのは帰ってねるだけの場所となっており
やすらぎとか潤いという要素はほとんどない。
必要最小限のものしかない生活の味気なさにはうんざりしているので、
せっかく千早と一緒に暮らすのだ、こういう遊び心も大切だろう。
「蛍光灯は味気ないだろ? たまにはランプだけをともすと、ムードも出るし」
「……ムードですか。そんなものを出して何をするつもりなんでしょう」
「あ、千早。俺のこと疑っているだろ」
「疑われるようなことをいうからです」
「ああ、残念。俺は疲れた心を明かりとアロマの香りで癒せば、さぞやリラックスできると
考えたのだが、ここにひとり不埒な想像をするひとがいる……」
「え。あ、そそそそうですね。さすがプロデューサーのお考えは……プロデューサー?
 あ、謝りますから。あの、これ、買いましょうね。とてもデザインが素敵です」
「千早。ちゃんといっておくが、俺は母さんから君のことを託された責任があるんだ。
保護者としてはかなり厳しくやるつもりだからな?」

こうして家具や家電がそろい、お互いが暇をみて少しづつ持ち物を移動させ、
千早が春休みに入った一日、最後に残った身の回りの物を取りに、社用車のミニバンを借り
助手席に千早を乗せる。

「いよいよ、だな」
「そうですね。ずっと家を出たいと思っていたのに、いざとなると名残惜しい気がします」
「でも、良かったと思う。お母さんと仲直りできたこと」
「プロデューサーのおかげです」
「俺は何もしてないよ」
「何もしていないのに母を納得させるのが人徳なんです」
「大袈裟だな。千早のお母さんが理性的で話しの分かる人だったからだろ。
そういうところが似ればよかったのにねー」
「はいはい、私は感情的ですから。でも、話し合いのときにプロデューサー得意のギャグを
ださなくて本当によかったですよ」
「どうしてさ」
「最初、母って芸能界には偏見もってたんですよ。怪しげな芸能プロダクションの、
軽薄なプロデューサーが大事な娘をたぶらかしているんじゃないかって。
もしプロデューサーがヘマしてたなら、今頃私は引退して田舎の女子高生でしたね」
「その田舎に出向いてもう一度スカウトにいくさ。それにギャグが通じなかったという説もある」
「最後まで緊張で、ガチガチだったと聞いておりますけど?」
「俺って綺麗な年上の女性には弱いのさ。音無さんは例外だけど」
「では、あとで母と音無さんにそのように伝えておきましょう」
「この前直接いったから、それには及びません」
「本当にいったのですか?」
「いったよ。そしたらお母さん、『父親が娘をプロデュースするのはありなんでしょうか?』だって」
「ち、父親……?」
「そ。父親プロデュースは前例がないけど、旦那プロデュースなら普通だっていっといた」
「だ、だ、だ、旦那って」
「千早の母さん、意外とお茶目だな」
「どこから冗談なんでしょう?」
「最初からさ。それより晴れの日にそんなふくれっつらしないの。美人が台無しだぞ?」
「あんまりからかわないでください。本気にしたらどうするつもりなんですか?」
「そうか、その手があったか」
「怒りますよ、プロデューサー」
「千早をトップにつれてくまでは仕事一筋っていってあるだろ?結婚なんてしてる場合じゃないよ」
「そ、そうでした。けど……」
「けど、なんだい?」
「わ、私だって年頃の女の子なんですよ。際どい冗談は、その……自重してください」
「了解しましたよ、千早さん。と、そろそろ到着だな」


荷物といっても残っているのはいくつかのダンボールだけでそれらを車に積み込んでいく。
「お昼食べていく時間くらいあるんでしょ?」
「うん。今日は一日オフにしてもらってるから」
「じゃ、何かプロデューサーさんの好きなものでもつくろうか。何がいいのかな」
「結構好き嫌い多いから……。プロデューサー、何かリクエストありますか?」
「こ、困るよ千早さん。お母さんの前でそういうイメージダウンになるようなことは」
「あらあら、じゃあ千早がお料理がんばって偏食を改善しなきゃだめね」
「お母さんまで……」
「ゆっくり教える時間なかったけど、食べてどうにかなるようなことはないから許してね」
「お、お母さん!」
「お母さんの前じゃ俺たちすっかり形無しだねえ」
「一緒にしないでください!」

「帰る前にさ、ほらそこにお母さんと並んで立って」
俺は用意しておいたデジカメを取り出した。
「はい、にっこり笑って。そこのお嬢さん、表情硬いですよ」
記念、というわけでもないが、こういう記録が後々きっといい思い出になるはずだ。
「じゃ、今度は千早が撮ってね」
「え、ちょっと、お母さん……、いや腕ってそれ……」
「プロデューサー、あとでお話があります」
「ほら、千早さん怒ってますよ」
「いやねえ、お子様のくせに嫉妬なんて一丁前ね」
ぷりぷりしながら、それでも何枚か撮影した千早は、母親にカメラを突き出す。
それから、俺の横に立つと俺の腕にしっかりと腕をからめ、先ほど自分の母親が
そうしたよりももっとしっかりしがみつくようなポーズを取る。
ちょっと、千早さん、当たってますよー……やわらかいものが。

「プロデューサー、今日は本当にありがとうございました」
「何だよ、急に改まって」
「母の嬉しそうな顔、随分久しぶりに見ることができました」
「そうか、じゃあ俺も言っておかないと」
「なんでしょう?」
「千早、今日はありがとう。美人二人と腕を組んで俺は幸せだ」
「……はぁっ。なんか感動がぶち壊しですね」
「単なる照れ隠しだから気にしないでくれ」
「プロデューサーの辞書に照れるなんて言葉があるとは、意外です」
「そういわれるとますます照れるな」
「カメラ、私が持っているのですよ。余計な画像は削除しておきましょうか?」
「駄目だよ、千早。どれも大切だから。特に最後に撮ったやつ」
「あ、あれは……」
「意外と嫉妬深い、歌姫の素顔、とかいったりしてな、ははははは」
「プロデューサーなんか嫌いです」
「俺は嬉しかったよ。千早から、あんなふうに接してくれたのが」
「……」
「覚えているか、デビュー当時は触れるどころか、近づくだけで噛み付きそうに睨んだの」
「し、知りません、そんなこと」
「初めてオーディション合格した後、頭なでたら俺の手抓ったろ?子供扱いするなって」
「そんなこと、忘れました」
「じゃあ、ファーストアルバムが発売即チャートインしたとき、抱き合ったのは?」
「あ、あれは、その……気の、そう、気の迷いです。ただの勢いです」
「千早」
「何か」
「ありがとうな。この仕事してて、こんなに楽しくて、充実しているのは初めてで、
全部千早のおかげだ」
「な、なにを改まって」
「うん、まあ、なんだ。こういうのって、言えるときにいっとかないとな」
「……そうですね」
「今からは一緒に暮らしていくわけだけど、楽しいばかりじゃない、ときもあると思う」
「喧嘩もしたり、ですか」
「うん。保護者として、叱ったりもするだろうし」
「できるだけいい子になるよう努力します」
「千早も言いたいこととか腹が立つとか不満とか、そういうのは我慢せずにいうんだぞ」
「好き嫌いしちゃだめですとかですね」
「う、ああ、それもあるし」
「はい、そうします」
「俺が千早のこと叱ったりしても、千早に叱られて拗ねても、どんなことになっても
俺は千早が一番大事なんだからな」
「ふふ、ありがとうございます。プロデューサーの顔が真っ赤なときの発言はとても
信憑性があって、大好きです」

最後の荷物を新居に運び込んで、ようやく引越しが完了した。
今日から、千早と一緒の新しい生活が始まる。


「さてと。これで一応引越しは完了ということだな。疲れたか、千早?」
「いえ、それほどでも。コーヒーでも入れますね」
「ああ、頼む」
さっそく自室からエプロンを持ってきて、台所に立つ千早の後姿を見ていると
なんとなくほんわかした気持ちになる。新婚夫婦ってこんな感じなんだろうか。
いやいや、俺と千早はあくまで仕事の関係で、同居するのもその必然からであって。
それにしてもあの姿は初々しくていいな、などと見とれているとふいっと千早が振り向いた。

「プロデューサー、どうかしましたか?」
「え?あっ、いやいや。ちょっと」
「顔、にやけてますけど……」
そういう千早の顔も嬉しそうに綻んでいる。
「一人暮らしが長かったからな。こうやって誰かに何かしてもらえるのが無性にうれしくてね」
「こんなことで喜んでもらえると……私も嬉しいですよ。はい、どうぞ」
「ありがとな千早。俺もいろいろと頑張って千早に喜んでもらわないとな」
「わ、私は……十分してもらってますから、その……」
「おいおい、まだこれからだぞ、俺が本気を出すのは。ははははは」
「期待してますよ、保護者さん」
「そうそう、保護者で思い出した」
「なんでしょう?」
「ほらあれだ、お母さんから千早のことを任されたわけだからな。
仕事ではプロデューサーだけど家では保護者だからな」
「はい、それはわかっていますけど?」
「保護者というのは、その、一種の親代わりであってだな」
「……はい」
「いってみれば、親ではないけど家族、そう、家族みたいなものだよな?」
「そ、そうですね」
「親というほど年は離れてないけど、親代わりというか、年齢的には
兄がわりのほうが俺としてはしっくりくるんだけど」

一体この人は何をいいたいの? なかなか見えない結論に千早は首を傾げる。

「で、その……プロデューサーはいったい何をおっしゃりたいの、でしょう?」
「つまり、その、生活していく上で、ルールというか決まりごとを考えているんだけどな」
「ああ、はい」
「といってもお互い気心が知れてるわけだから、あくまで気構えというか、心得というか」
「あの、プロデューサー? なにか言いにくいことでもあるのでしょうか……」
「あ、いやいや。なにぶん独身の若い女の子を預かるわけで……正直緊張してるんだ」
「気心が知れているのではなかったのですか……ふふっ、プロデューサーでも緊張するんですね」
「そ、それはするよ。それに男兄弟で育ったから……」
「そうなんですか。でも大丈夫です。私も細かいことにはこだわらないようしますから」
「そうか。なら、一応俺の案聞いてくれ」
「はい」

自然姿勢を正してプロデューサーを見つめる千早。

「まず仕事と家のことはきちんと区別する、といっても仕事の話を家ではしないとかじゃなく
あくまで俺の姿勢についてだけど。家に居るときは保護者として千早に気を配る。
だから宿題しろとか歯を磨けとか、早く寝ろとかそういうことなんだけど」
「子供扱いというわけですね」
おかしそうに千早が笑う。
「子供とは思わないけど、保護者だからしょうがないよな。千早はきちんとしてそうだから
そういうお小言はあまり言わずにすみそうだとは思うけど」
「ふふ、できるだけ気をつけます」
「次に家族といってもお互いのプライバシーはきちんとしたいと思う。
だから俺は許可無くして千早の部屋にはいってはいけない」
「別にそれくらいなら……かまいませんけど」
「いやいや、着替え中だったりとか、寝顔を覗きにいきたくなったりしたら困るだろ」
「あ、後のほうがなんだか不純な感じがしますけど」
「も、ものの例えだよ。千早だって困るだろ?だから用事があるときはちゃんとノックしてから」
「それでは私もプロデューサーのお部屋に入るときはそうします」
「いやいや、千早はいいんだよ。別に俺は見られて困るものもないし」
「着替え中でも?」
「あっ……」
「いいのですか?」
「…………恥ずかしいです」
「では、部屋のドアが閉まっているときにはノックしないといけないということでは?
ちょっとした用事でいちいちノックも面倒ですから、お互いに」
「それも一理あるな。じゃあ部屋にいてノックが必要なときにはドアを閉めておくということで」
「はい、そうしましょう。あとほかには?」
「家事の分業とかは実際に生活してペースをつかみながら決めればいいと思うんだけど」
「それもOK、ですね」
「千早からは何かある?」
「そうですね、今のところは特に。プロデューサーが今おっしゃったとおり、
実際に生活してみて分かってくることもあると思いますので」
「うん、それより今気づいたんだけどさ、家にいるときにプロデューサーって呼び方は
なんかしっくりこないんだけど」
「呼び方……代えるべきでしょうか」
「ちーちゃん」
「な、な、何を突然」
「だめ?」
「駄目じゃないですけど……ちょっとその呼び方は気恥ずかしいというか。
私の場合は普段どおり名前で、千早とよんでいただくほうが」
「そうか……わかった。でも時々はちーちゃんでもいい?」
「……しょうがないですね。でプロデューサーのほうはどうします?
あまり変わった呼び方にすると、外でうっかりとかはまずくありませんか」
「それもあるよな。うーん」
「あの、名前でおよびするとか、お兄さんとか……でも私はいいのですけど」
「お兄さん!」
「は、はい」
「それ気にいっちゃったよ!それでいこう! 事務所とかでそうならないよう気をつけてもらって
でもうっかりでもお兄さんなら誤魔化しやすい。名前はなんか変な疑いをもたれそうだからな。
あ、お兄さん以外でもお兄様、とかお兄ちゃんとかでもいいんだけどね?」
「……気をつけます」

その後は一緒に台所に立って夕飯をつくり、ゆっくり風呂にはいり、
寝る前はリビングのソファーで一緒にテレビを見て、早めに就寝した。
千早は春休みだけど、仕事はそのため朝から入っている。

翌朝。
「プロ……、コホン。お、お兄ちゃん、朝ですよ。起きないと仕事に遅れますよ?」
「んんんん? あ、千早か。おはよう。早いな」
「もう6時回ってますよ。起きてください。朝ごはん、用意できてますから」
「ああ、おきるよ千早……」
「ほら、そういいながら布団に戻らないでください。お味噌汁が冷めてしまいます」
「味噌汁!」
「ひゃ!、起きたのはいいですけど、ちゃんと顔洗って歯磨きしてからですよ」
「はーい、お姉ちゃん」
「もう。お兄ちゃんのくせに。これじゃどっちが保護者かわかりませんね」

食卓につくと、早起きした千早がつくった朝ごはんが並べられている。

「食材がまだ十分じゃないので、少し手抜きで申し訳ありませんが」
「何をいってるだ。炊きたてのご飯にあつあつの味噌汁。玉子焼きに鮭にお漬物。
これぞ日本の正当な朝ごはんだ。これでも十分ありがたいのに、これ以上おかずが
増えると豪華すぎると思うな」
「そ、そうですか。でも朝ごはんをしっかり食べることでしっかり仕事ができますので」
「流石だな、千早。ではさっそくいただくとしよう」
「あの、味付けはまだ自信ありませんが」
「うむうむ、む!この出汁……おぬし只者じゃないな」
「何か変でしたか?」
「や、いやいやいや。これぞ理想の味噌汁といっても過言ではない」
「あの、お世辞はありがたいのですが、味の過不足があればそういっていただけるほう
が料理の腕前の上達に繋がりますので」
「お世辞ではない。出汁と味付けは十分だよ。これはお母さんに教わった?」
「はい。お汁は作る機会も多かったので」
「うーん、俺も負けてられないな。今日の夕食の味噌汁で勝負をかけるか……」
「お料理に勝負は不要だと思いますけど」
「いや、一応俺もそこそこできる男だと、ちーちゃんには思わせておきたいからな」
「ふふ、それでは夕食の味噌汁はお任せしますね」


ここでおしまいになっている……




この先は、DINKSのベースとなった書きかけの転載。ブログ用に手をいれた。

■ 状況説明的

この家を出たい、そんな私の願いは、両親の離婚によって一気に現実となった。
毎日のようにいがみあっていた両親なのに、離婚の協議は信じられないくらいあっさり進み
父は家財と私の養育権を母親に残し、遠くの地方に転勤していった。
母は問題が消滅したことで私への関心を取り戻したのか、家族がまた一人減って
空虚さが増した家で、私と向き合う時間が増えた。

そんなある日。
私も母も仕事が早く終わり、珍しく夕食を一緒にとっていたときだった。
「千早、ちょっとお話があるんだけど」
「……なに?」
「お母さん実家の近くに引っ越そうかと思ってるの。向こうで仕事を紹介してくれる方がいて」
「それは……もう決定なの?」

母の実家は北関東にある。通えない距離ではないが遠距離という点では春香の家よりも
さらに遠く、とてもじゃないが仕事と学校は……そう考え顔を曇らせた私に母は話を続けた。
「話、というか相談したいの。一緒に来るのは無理、だよね?」
不意をつかれ、わたしはまじまじと母の顔を見つめてしまう。
「知っているのよ、あなたの活躍は。随分と有名になったものね」
テレビに出るようになれば、いつまでも隠し通せるわけもない。
それでも私は両親に芸能活動のことを一切話したことはなかった。
どう答えていいかわからない私は黙り込むしかない。
「責めてるのじゃないのよ、本当はあなたから聞きたかったのだけど、それは親のエゴね。
テレビに出ているあなたを見て最初は驚いたけど、その直後くらいだったかしら、
プロデューサーと名乗る方から連絡があったのは」
「え、プロデューサーが?」
「そう。若そうなのにしっかりした人ね。千早の代りにといって、いまの仕事の話とか
契約の話とかで話をしにきてくれて」
「……そ、それで、母さんはなんて?」
「こちらこそよろしくお願いしますって。それに事務所の社長さんからも丁寧なご挨拶を
いただいていたしね。芸能界っていろいろリスクも多そうに思ってたけど、ああいう人たちが
いる事務所なら千早を預けても大丈夫かなって思ったの」
「プロデューサーも社長も、事務所のスタッフもみんな、いいひとばかりよ」
「そのようね。で、さっきの話だけどお婆ちゃんの家からだと学校も仕事も大変になるから
もしあなたが望むのなら東京に一人で残れるかなと思って」

ようやくアイドルとして軌道にのったところで、その先私の目指す歌手の道も
おぼろげながら見えてきた今、活動停止や引退などとてもじゃないが考えられない。
家を出て独立したいという希望は、家庭の問題が一段落した今も変わらない。
ただ一人暮でやっていけるかという漠然とした不安は今も拭い去れていない。
その私の顔色を読んだのだろう、母が口を開く。

「私も千早一人を東京に置いていくのは心配なの。あなたしっかりしてるし働いて収入も
得ているけど、まだ15才の高校生だからね」
母の言うとおり、今の収入では生活費と学費をだしてもまだ余裕があるし、
家事についても一通りのことは大丈夫だ。
「だからね、千早に内緒で悪かったんだけど事務所の人に相談してみたの」
「え?」
「そしたら、もし了解いただけるのなら、責任を持って千早のことを預かってくれるって。
どう、千早。それなら私も安心できるし、千早だってきちんとした保護者がいるほうが
なにかと安心でしょ? 一人暮らしだと病気の時とか大変だし」

予想外の方向に展開していく話に思考がついていかない。
「ほ、保護者がいるって……誰?」
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
「あら、いいタイミングね。その保護者の方にきていただいたのよ」
母に伴われてリビングに通されたのは……

「プ、プロデューサー?」
「やあ千早、こんばんは。お邪魔するよ」
「保護者って、まさかプロデューサー?」
「うん、まあ一応候補者ってことだけどね。なにより千早自身の気持ちが一番だから」

わ、わたしがプロデューサーと同居して……ってこと?
ただ呆然として、プロデューサーと母の顔を交互に見比べる。
母がお茶をいれにたったとき、ようやく言葉が浮かんできた。
その私を制してプロデューサーが口を開く。

「ごめんな、内緒で話を進めてしまって。事務所としては一人暮らしをサポートする方向で
考えていたんだけど、お母さんからどうしてもってお願いされて。このことを千早に相談する
前にこうなってしまったわけで、別に内緒にするつもりではなかったんだ」
「本当に、プロデューサーが保護者……にですか?」
「仕事も家も一緒で息が詰まるとかなら無理強いはしないよ。そこは千早の気持ちを
最優先にするから。たとえば近所に家を探すとか手段はいろいろあるし」

プロデューサーと一緒に暮らす……

「やっぱり無理があるかな。それなら俺も千早と一緒にお母さんを説得するけど」
「あら、やはりあなたは千早の味方ね。保護者と同居が私の出した条件だったのに」
「ですがお母さん。こういう問題は当事者である千早さんの気持ちを一番大切にしないと」
「べ……別にわたしは、一緒でも、か、かまいません」

本当は飛び上がりたいくらい嬉しかった。
仕事が終わると、離れ離れになるのがいつもさびしかった。
仕事以外でも一緒にすごせる時間があれば、どんなにいいことかと願っていた。
それが、いきなり同居できるだなんて。
はやる心を懸命に抑え、できるだけ冷静にいったから気持ちはばれていないと思う。
そのためにももう一押し。

「た、確かに家賃とか光熱費も節約できますし、保護者がいるのは心強いので、
そういった点を考慮すれば母さんとプロデューサーの案は賛成できます。
ただ共同生活ということになりますので家事の分担もしてもらいたいですし、
べ、勉強もみてもらうとか保護者らしいこともしてもらわないと……それが私の条件です」
「プロデューサーさん、千早も大賛成だって。よかったわ、これで一安心ね」
「そうですね。お嬢さんのことは私と事務所が責任をもちますので」
「だ、大賛成なんていってません」
「あら、反対なの?困ったわね」
「反対なんかしていません。ちゃんと同居の条件をだしています」
「もちろん家事の分担には同意だし、保護者だから学校のことも面倒を見るつもりだよ」
「で、でしたらそういうことです。わたし宿題があるので。あとは大人同士で考えてください」

「あの子、わかりやすいでしょ?」
「そうですね。根はとても素直でいい子です。育てがいあります」
「家とか日程とかはお任せしてもいいんですね?」
「はい。既に新居の候補もいくつかあがっていますし。よかったら下見されませんか?」
「いえ、あなたにお任せします。そのうち、機会があったらお伺いさせてもらいます」
「そうですか。ではできるだけ早めに。お母さんの引越しも今月中でしたよね」
「ええ。いろいろとご迷惑おかけしますが、あの子のことよろしくお願いします。私たちのせいで
辛い思いをさせてきたのが、あなたのおかげでもとの明るいあの子にもどったので……」


「千早、プロデューサーさんお帰りだからお見送りしなさい」
「……」
「千早、ひょっとして怒ってる?」
「べ、別に怒っていません」
「じゃ、喜んでる?」
「いーえ、特別な感情はありません」
「ふうん、とにかくよかった。じゃ、次事務所でな」


■ 母親承認後

話が決まると、あとの段取りはさっさとプロデューサーが決めてしまい、
私の引越しは2週間後の週末に決まった。
丁度春休みに入るときで、プロデューサーもスケジュールに余裕をもたせてくれたので
一緒に新居の下見をしたり、新しい家具を買いに行く時間がとれた。
長い間使ってきた机やベッドだけど、古くなってきたし思い出もいいものばかりではない。
結局家から持っていったのは中学校にあがったときに母が買ってくれたドレッサーだけで
新しい勉強机とベッドはプロデューサーが引っ越し祝いだといってプレゼントしてくれた。

新居のマンションは事務所からそう遠くない場所にあり、高級なだけあってセキュリティも
しっかりしていて安心とのことだった。
間取りは3LDK。二つある洋室が私とプロデューサーの部屋で、和室は予備の部屋となった。

「たぶん春香が一番の利用者になるんだろうけどな」
「そうですね……朝早い仕事のときには大変みたいですから」
二人そろってオフにした週末に注文してある家具やら家電製品が次々と届き、
からっぽだった家が少し賑やかになる。
お互いの引越しまではスケジュールがあわず、先にプロデューサーの荷物が入り、
そのあとに私の引越しという順番で、私の引越しの時には音無さんが立ち会ってくれて
その夕方にはなんとか荷物の運び込みが完了した。
引越しがおわり、近所の蕎麦屋で簡単な食事を済ませた後、仕事を残している音無さんは
事務所に戻り、家にもどった私はダンボールをあける作業に取り掛かる。
荷物といっても、服と学校関係のもの、身の回りの品々くらいで、暗くなるころには
ほぼ全ての荷物が、しかるべき場所に収まった。
沢山あるCD類はプロデューサーが帰宅してからリビングに収納するように相談しようと
残しておき、台所に向かう。
広々とした収納に、プロデューサーが持ってきた調理器具が少々。
真新しい冷蔵庫の中に、プロデューサーがいれておいたらしいビールと少々の食材。
米はあるけど、おかずになるものはほとんどない。

同居初日というのは、一応は記念すべき日といってもいいだろうから、
最初の夕食は手料理をなんとしてでも。
そう考えた私は、片付けたばかりのクローゼットを明け、外出の支度をはじめた。
地味な高校生らしい普段着に、度の入っていない眼鏡、長い髪は軽く結わえて
大きめの帽子の中に。オフの外出で慣れっこになっている簡単な変装をすませる
と私は家を出る。
歩いてすぐの場所にあるスーパーで食材を見繕い、それから下見に来たときに
めぼしをつけていたケーキ屋さんで、可愛らしいショートケーキを2つ。
初めてのキッチンは何かと使い勝手がわからないけど、それでもプロデューサーの帰宅
までには一応の形は整った。
炊き立てのご飯とお味噌汁、煮魚と、それからかぼちゃを炊いたもの。
簡単だけど味のほうもまずまず。あとはプロデューサーの帰宅をまつばかり。



Cランク昇格の直後、如月家の問題は協議離婚成立というひとつの決着をみた。
親権は母親が持つことになり、父親は以前から話を進めていたらしく、離婚と同時に
某地方に転勤していった。
母親は北関東にある実家に戻るつもりでいたが、ネックはやはり千早のことであった。
離婚という形でも問題が一応決着すれば、はやり生みの親として関心が娘に向くようで
既に千早の芸能活動を知っている彼女にしてみれば、一緒に実家に連れ戻るというのは
娘から大切なものを奪ってしまう、といって15才の一人暮らしも心配だと悩んでいた。
一人暮らしを主張する千早との間で問題がこじれたとき、高木社長が間に入った。
事務所が千早の活動と生活全般に責任を持つので、信頼に足る保護者のもとで
千早を預けてはもらえないかと説得し、それは成功した。

信頼に足るかどうかは別として、その保護者というのは俺のことである。
一人暮らしを主張はしていたものの、内心は不安で一杯だった千早はこの社長案に賛成し
母親も俺との面談で納得したようで、話は進んだ。
かくして事務所に程近いやや高級なマンションで千早との生活がはじまったのが
3ヶ月ほど前の話である。
最初の1週間は、お互いが意識しすぎてぎくしゃくしがちな共同生活だった。

千早があまりにも遠慮しすぎるのは、実は同居してみたら俺との生活はいやになったのかと
勘ぐった俺が、オフ前日の夜に千早をリビングに呼んでずばりそれを問いかけた。

「正直に答えてほしいんだけど。やはり一人暮らしのほうがよかったと思ってないか?」
「あ……あの、プロデューサーはどうしてそんなことを」
「仕事でうまくいってた俺たちが、どうして普通の生活でこんなぎくしゃくするのだろうって。
いや、正直悩んでいるんだ。仕事はよくてもプライベートは別だったのかとも思ったり」
「そ、そんなこと……」
「家に帰っても部屋にこもってるとき多いだろ? 同居じゃなくても家が近ければ
保護者としての責任はちゃんと果たすから、なんなら」
「どうしてそんなことをいうんですか……あんまりです」
「え、いや。千早が嫌ならと、ああちょっと待って千早」
千早はソファから立ち上がり俺の前に立つ。拳を握り締め、体全体が小刻みに震えている。

「一緒に住むのが嫌なら、そもそも最初から嫌だっていってます……」
「い、嫌じゃない?」
「当たり前です。嫌どころか……うれ」
言いかけて不意に唇を閉ざした。俯いた顔に涙がこぼれている。
俺は立ち上がり、そっと千早の肩に手を置く。

「変な言い方して悪かった。千早の態度がなんていうか、素っ気無くて……
それで余計な勘違いしてたみたいだ。ほんとにごめん」
千早はしばらく無言で肩を震わせていたが、俯いたまま小さい声で答える。
「じゃ、プロデューサーは私が心変わりしたと思って拗ねてたとか」

泣き声まじりで俺を冷やかす、その様子があまりに可愛くてつい俺は千早を抱き寄せていた。
「ああ、そうだよ。拗ねてたよ」
「態度が冷たく見えたのは、ただ慣れていなかっただけです。
長い付き合いなのにそんなこともわからなかったのですか?」
俺の腕の中で顔をあげた千早が、上目遣いで俺を軽くにらむ。
「もう変なことはいわないから勘弁してください、千早さん」
「じゃあ、私との生活をどう考えるのか決意表明してください。それで許すかどうか考えます」
「……よし。じゃ、いうよ」
「どうぞ?」
「実はこれは初日にいおうと考えていたんだ」
「ならどうして言ってくれなかったのですか」
「だって千早が冷た……いてっ。わかった、いうから抓らないで」
「辣腕と呼ばれているプロデューサーらしくありません」
「じゃあ。千早、これから一緒に暮らすことになるが、それは仕事の関係の延長で
そうするわけじゃない。俺は千早を家族同然、いや家族と思って一緒に生活する。
仕事以外では未熟な俺だけど、楽しくて明るい家庭にしたいと誓いたい。
保護者としてうるさくいうこともあるだろうが、仕事以外でも千早を守っていきたい」
最初、試すような目で俺の決意表明を聞いていた千早は、途中でもう一度涙をあふれさせ
俺が台詞を無事言い終わると、強く俺に抱きついてきた。

同居を始めてから千早と話し合って決めたルールがいくつかあるが、
一番大事で基本的なルールとして当初俺から千早に提案したのは

「1.あくまで保護者なので、いうことは素直に聞くこと」
「2.家事はお互いが協力して行う。ただし千早は学業と仕事を優先させる」
「3.何事も話しあって決める」
「4.お互いの部屋に無許可で入らない」

千早は素直に頷いて肯定した。その後で質問ですが、と前置きして問いかける。
「1から3については理解しましたし、もちろん賛成です。プロデューサーの指示に間違いは
あり得ませんから、それに従うのは当然です。家事の分担も、細かい部分はあとで決めて
いくとして、お仕事、勉強、それに家事全てきちんとこなし、言い訳にするつもりもありません。
3については今までそうしてきていますのでいうまでもありません。ですが……」
「いやいや、千早さん? その解釈は微妙に、そのなんていうか」
「私の話はまだ途中です。問題は4番です。これには異議があります」
「異議って……」
「プロデューサーは私が家族とおっしゃってくれました。家族がお互いの部屋にはいるのに
いちいち許可を取るとかおかしくありませんか?」

真剣な顔で迫ってくる千早をみると、俺をからかっている訳ではないらしい。

「わ、わかった。わかったから落ち着いて。1番から説明するから」
「はい、お願いします。でも1から3は既に合意済みでは?」
「そうだな、いや一応念のためにね。保護者のいうことを聞けっていうのは、ほらあれだ。
夜更かしするな、とか寝る前に歯をみがけとか、うるさい親みたいなこというけどそれは
保護者の責任のあらわれだから、反抗しないでちゃんと聞いてねっていうことだから」

千早は露骨に肩をすくめ、ついでに大袈裟な溜息をついた。
表現力の向上のためと思って知り合いの劇団に修行させた成果には満足するべきか。

「今度は子供扱いですか……確かにプロデューサーからみれば子供かもしれませんが
お仕事をしてお金もいただいている以上、大人の責任は果たしているつもりでけど」
「それは仕事の話だろ? 千早のいうことは認めるけどさ」
「すみません、少し調子に乗りました。たしかに仕事以外ではまだ15才の小娘です」
「素直なのはいいけど、納得いかないときは3のルールにあるようちゃんと聞いてほしい。
一方的な親になるつもりないからな」
「わかりました。親としては若すぎる気もしますが……」
「じゃ、1はOKね。つぎ2だけどさ、これもほら、俺も家事とかは得意じゃないけど、
できることはどんどんするし、料理とか洗濯もちゃんと覚えていこうと思っているんだ。
千早は学校があるけど、俺は仕事だけだからね」

そこでまた千早が異議あり!の表情を浮かべたので、俺は手をあげてそれを制した。

「覚えるまでは千早の世話になることが多いし、当分は千早の負担が増えることになる。
それを千早が喜んでやってくれるのはわかっているし嬉しくもあるが、それじゃ俺が納得
できないんだ。だから無理せずにお互いが助け合える、それが当たり前にできる家庭に
したいのがこのルールの意図なんだ。それで分ってくれるか?」

それを聞いて千早は表情を和らげ、笑顔で頷く。

「では、いまのプロデューサーが出来る家事は?」
「掃除や片付けはそこそこ得意だし洗濯も機械任せだからなんとかなるだろう。
料理はレパートリーは2種類くらいで、ひとつは味噌汁だ。ご飯を炊くのも一応大丈夫。
食後の食器洗いは学生時代のバイトで鍛えたから、問題ないと思う。あと何かある?」
「いえ。私も料理はまだまだなので一緒にしていただければ。それと洗濯ですが素材などで
洗い分けも必要なので……そいういのは私から指導させていただきますが」
そこで少し顔を赤らめて俯く。
ああ、そうか。女の子だから下着とか……
俺は咳払いしてごまかし、話をすすめた。

「3は、お互い同じ認識みたいだからいいな。で問題の4番だ」
「はい。ちゃんと納得いく説明を期待しています」
「家族というのは当然だが、家族であってもプライバシーというのは大事なことでな。
ましてや千早は年頃の女の子だから、そういうのをきちんとする意味でいったんだよ。
別に許可をとってというんじゃなくて、ドアが閉まってるときはちゃんとノックしてからとか。
部屋に入っちゃだめってわけじゃないことはわかってくれる?
でないと千早が着替え中に突入とか、その反対もあると困るだろ?」
「そ、そ、そうですけど。でも着替えくらいでしたら、その別にいまさら」
「ちょっとちょっと、ストップ!さりげなく爆弾発言しないで!」
「あ、いまのは例えですから。一緒に生活していれば、うっかりそういう状況になるときは
あっても私は特に気にしませんという意味で……」
「俺が気にするよ……」

千早はどうして?というように首を傾げる。
「グラビア撮影でさんざん水着姿も見られていますし、着替えだって……」
「千早ぁ。自分がすごい大胆なこといってるって自覚してないだろ?」
「そうでしょうか。事実をいっているだけですが」
「水着も着替えも仕事だから。そもそも家で水着は着ないし、そこは下着だろ。
年頃の女の子なんだから、ちゃんと恥じらいなさい」
「恥ずかしくないわけありません。プロデューサーだから平気なだけです」
「いちおうボクも年頃の男の子なんですけどね……」
「年頃の男の子なら、そういうのを見て喜ぶのでは?あ、いえ。すいません、冗談です」
「ともかく。着替えるときはちゃんと部屋のドアを閉めてから。それとお風呂もな」
「ええ。家族ですから時には一緒に入るのもよろしいかと。光熱費の節約にもなります」
「ちーはーやー、真顔で冗談いうのやめろって。しまいには本気にするぞ」
「家族ですから問題ありません。なんなら、今から。お背中流しましょうか?」
「ぐああああっ、いい加減にしろーーー!」

どうも表情から本気の気配がするが、強引に冗談だろということでその場を流す。
そんなこんなでなんとか意思疎通は果たした。千早からは特に提案も要望もなく、
今後の生活の中で何かあれば、いつでも相談するということで話は終わった。

「じゃ、明日は日曜だけど朝から仕事だし。風呂はいって寝るとするか」
「ええ。もう沸かしてありますから、プロデューサーからお先に。わたしは学校の課題を
少し片付けないといけませんから」
「わかった。じゃ、お先にな」

仕事の場では冗談とは無縁の千早だったが、こうして生活をともにすると案外明るく
冗談なんかもいうんだというのがなんとなく嬉しく思えた。
歌一筋に生きたい、という彼女の考え自体は決して否定はしないが、ただ歌だけと
思いつめて生きるには彼女はまだ若すぎる。
そんなことを考えながら、広い浴槽に体を沈める。
ゆったりとした気分が広がり、先ほどきちんと問題も解決できたこともあって、
なんとなく千早の持ち歌を鼻歌まじりで歌ってみたりする。
その寛ぎの空間を破ったのは、他ならぬ歌の持ち主、千早だった。

「プロデューサー、お邪魔しますね。お背中流す約束でしたから」
扉を開けて、バスタオルを巻いた千早が現れる。気配がしなかったところを見れば、
恐らくは脱衣所ではなく自室で着替えて忍んできたのだろう。

「うわ、わ、ち、ち、千早―、そんな約束してないだろー」
俺の叫びを全く気にせず、千早は浴室に闖入する。長い髪をアップにまとめ、
胸元から下は白いバスタオルをきっちりと巻いてはいるが……
千早は俺の目をじっとみつめると、そのバスタオルに手をかけた。

「こ、だ、ちょっと、待って、はずすなぁー!」
俺の絶叫に一瞬手をとめた千早だが、口元をくいっとあげて妖しいとさえいえる微笑を
浮かべると、次の一瞬でバスタオルを解き放った。


「水着なら最初からいえって……いや違う。俺は裸だから、千早さん、落ち着こうな」
「落ち着かないといけないのはプロデューサーでは? タオルで隠せば大丈夫ですから」
そういって、先ほどまで巻いていたタオルを浴槽に落とす。

「後ろ向いてますからその間にそれ、巻いてください。そしたら背中流してあげます」
彼女にしては大胆すぎる振る舞いだし、悪ふざけともいえるが、それでも千早が
楽しいのならここは折れておくとするか。ちゃんとスクール水着を着用しているのは
彼女なりにきちんと一線は守るという意思表示だろうし。
このときはそう思っていた俺だが、実は千早が最初はタオルだけで入ってくる考えが
あったことを知るのはもう少しあとの話である。
ともかく俺は背中を彼女に任せ、時々触れる足や胸のやわらかい感触のたびに、
懸命に違うことを考えやりすごそうとした。
流石に水着でもあるし、彼女が求めなかったので俺が千早を洗うことはなかったが
そのあとは当然のように一緒に浴槽につかり、俺はバスタオルと水着越しに裸の千早を
後ろから抱きかかえて、平穏ならぬ入浴時間を過ごしたのである。


その後の生活では、特に大きな波乱はなかった。
味を占めた千早が、隙を見ては風呂に乱入してくるときも必ず水着を着けているし、
彼女も背中を流して欲しいと、スクール水着がセパレートのビキニになったのも、
まだ許容範囲とするしかなかった。
着替え現場にかち合うことはなかったが、朝寝ぼけた(恐らくフリであろうが)千早が、
起こしにきた俺の前でパジャマを脱ぎ捨てて下着姿になったことくらいである。
ああ、一度やってみたかったからと、俺のワイシャツをパジャマ代わりにして、
ボタンをすべて開け放したまま、下着をちらつかせてリビングに現れたこともあるが、
全てお茶目な千早の悪戯心からだと、俺は無理やり自分を納得させた。

そういった千早の実力行使を目の当たりにしていながら、まさか千早が意思をもって
そうしているとは思わなかった。いや、正確には思わないようにしていたほうが正しい。
それはアイドルを預かるプロデューサーとしての鉄則である、担当している女の子に
仕事以上の感情をもたないということに良くない影響をもたらすからである。
それでも15才とはいえ、端正な顔立ちをした美しい娘と仕事と生活を共にしていれば、
健康な男子としては、ある種の感情を抱くことは仕方がないことだと思っている。
それを鉄の意志でもって制することができるのが、プロデューサーに必要なことだから。
あずささんならともかく、千早が幼稚な、それでいて大胆な行動をとったところで、
清潔な色気は感じても、それ以上のことにはならない。
はずだった。

気がつけば、風呂にはいると千早の来るのを心待ちにするようになり、
寝起きの、少し寝乱れた千早の姿みたさに、早起きの習慣が身についた。
例のワイシャツもさりげなく注意したのは最初だけで、いまではもうすっかり彼女の
夜の普段着として定着している。(流石にボタンだけは止めさせることにはしているが)
ソファーでテレビや借りてきた映画を見るときには、となりに座るワイシャツ姿の千早の
肩に手をまわしたりして寄り添ったりもする。

千早はまだ女としては未熟である。体もそうであり、もちろん心の方も。
彼女が風呂に入ってきたり、しどけない姿になるのも彼女の幼さの証拠であり、
ある意味大人に対して無意識に甘えているということでもある。
彼女が本当にそっちに目覚めてきているなら、もっと肉体的な接触を求めてきてもいいが
いまのところ、ハグしたり肩を抱いたりすることで本人も満足している。
そのことで彼女の精神状態が非常に安定しているのは大歓迎だし、安心もできたが、
俺の中の男の部分が、少々さびしいと思うのも否定はできない。
日に日に、彼女を求めようとしている俺の無意識が、顕在化しようとしていた。

「千早、宿題まだ終わらない? 先に風呂はいっちゃうぞ」
半分ほど開いたドアから部屋を覗いてみる。
「あ、もうあと少しなんです。5分ほど待ってください」
「わかった、慌てないでいいから。きちんと終わらせるまでテレビ見て待ってるよ」
「すみません」
たまたまつけた番組で、最近人気が急上昇中の美希がステージで歌っていた。

「そういやさ、千早」
「なんでしょう?」
「俺たちよく一緒に風呂入るけど、一部で間違いというか、そういうとこがあるよな」
「間違い、ですか?」
「ああ」
「よくわかりませんけど」
「ひとつはマナー的な問題として水着を着てってところ。温泉でも水着混浴とかあるけどさ、
あれってなんか違うって思うんだよな、俺的には」

千早は黙って聞いている。

「それに洗いにくいし。着替えも面倒なら、干しとくのも面倒。
なにより窮屈さがリラックスの邪魔にもなるし」
「あ、あのそれって……一緒に入るのは……」
「いや、そうではないよ。リラックスを考えた場合、水着なしで恥ずかしくない方法を
俺なりに模索してみたんだ」
「恥ずかしくない……方法?」
「うん。目隠し作戦だ」


★この当時のテキストはここで終わっています。恐らくあまりにもベタというか
 妄想丸出しの展開に書いてる本人がおかしくなったのかもしれません。
ただしこういった妄想ベースがのちのエロパロへとつながっていくと思えば。
(だからエロイのは別のSSで楽しんでくださいませ)

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