「……黒子?」
御坂美琴は、気がつけば友人である初春飾利の肩にしな垂れ引きずられていた。
非力な彼女は息を切らし懸命にその体を支えながらも、その言葉に気が付き目を向けた。
「御坂さん!よかった気がついたんですね!」
目が合った途端、その両目に大量の涙を溜めながら御坂の体へと抱き、その胸の中ではばかることなく嗚咽を漏らす。
「初春さん……?どうして、ここに?」
目が覚めた途端にこの場に居るはずのない友人に泣きつかれるという、いきなりの状況に思考回路の回転が追い付かず、
ばつの悪そうな表情で頬を掻く。
そんな言葉に彼女は胸から顔を離し、涙と鼻水でクシャクシャになった顔のまま口を開いた。
「御坂さんは、絶対一人で無茶をするだろうと思って……GPSと盗聴器をこっそり着けさせてもらったんです……」
「あははは……信用されてなかったのね……」
そんな初春の言葉に引きつった笑顔を浮かべる御坂だったが、状況がまさに一人で無茶をした結果なので、何も言い返すことが出来なかった。
「それで、佐天さんと出会ったって聞こえた瞬間には、もう風紀委員支部から飛び出してました」
彼女の居た支部からこの場所までは、結構な距離がある。こんな時間ではバスも走っていないので恐らくは走って此処に向かってきたのだろう。
よく見れば彼女の制服は汗でびっしょりと濡れていた。
「現場に着いたら、御坂さんが倒れてて、佐天さんが笑ってて……」
その言葉は先ほどまでとの言葉に比べても、よわよわしいものだった。
「御坂さんを病院へ連れて行こうとしたら、佐天さんがバットを振りかざしてきたんですけど……」
初春は、最後まで言い切らず、視線を御坂から外したので、それを追う。
そこには、入院しているはずの白井黒子と自分を敗北させた佐天涙子が交戦していた。
「……白井さんが助けてくれました」
「……そうだったの」
空間転移を繰り返し、宙を舞う後輩の姿を眺めながらつぶやく。
やはり先程の声は嘘なんかではなかったのだ。
「ゴメン、初春さん」
「え?なんで謝るんですか?」
突然の謝罪に戸惑う初春。
「私、佐天さんを助けてあげることを諦めてた」
「彼女の言葉に耳を塞いで、目を閉じて、会話を止めて……逃げてたんだ」
「でも、それじゃ駄目なんだよね」
そう言って戦う二人の後方に佇む、自分と瓜二つの少女へと目を向ける。
「悪いこと言い合って、お互いに傷ついて、たまには殴り合いの喧嘩もして……そうやって向き合って、歩み寄るのが友達なんだから」
その顔は、緊張や恐怖に怯えたものではなく……中学校2年生らしい、とても爽やかな笑顔だった。
「……はい!そうですね」
「ぜーんぶ終わったらまたあのファミレスでお話しましょうか。もちろん……」
肯定してくれた友人にうなずいた後、そんな提案をしてみる。その言葉の続きは言わずとも同じだった。
「さて、と。散々カッコいいこと言ってみたけど、今の佐天さんが本当に必要としてるのは初春さんのようだから……」
「佐天さんを助けてあげて。私と彼女の喧嘩はその後でやるから」
その言葉に、初春は黙って頷く。
そこで笑顔を崩し自身の妹でありクローンでもあるミサカ9983号を睨みつけて御坂は言った。
「私はあのバカ妹とちょっと姉妹喧嘩でもしてくるからさ」
「ほらほらぁ、白井さん!さっさとその鉄矢を直接私に転移すれば良いじゃないですかぁ!」
「それならもう少し距離を開けさせてくださいまし!」
佐天涙子と白井黒子の戦いはお互いにダメージを与えることなく平行線を辿っていた。
空間転移を繰り返し距離をとり続ける白井に、それを追う佐天。
佐天の挑発に白井はああは言ったものの、当然の如く、彼女に直接転移させることなど考えてはいない。
今彼女が考えているのは接近戦で相手を無力化させることである。
先の球磨川戦では失敗に終わったが、風紀委員である彼女の技術と空間転移を持ってすれば勝負はまさしく一瞬で終わるはずだった。
しかし、それをさせないのが、佐天の負能力【公平構成】にあった。
【公平構成】の範囲外からの転移は可能であるため(バットに鉄矢を転移させたのが証拠である)距離を詰めることはできるのだったが、
問題は転移した後。つまり完全に彼女とのアドバンテージが無くなってからの肉弾戦だった。
佐天の負能力は相手の身体能力が高ければ高いほど有利に働く。
(何度か試していますが、かなり厄介な能力ですの)
既に数回の近距離戦を挑んでいる白井だったが、転移した直後に感じる違和感に負けて、金属バットさえ無効化できていない。
なにせ、近づけば問答無用で身体能力が落ちるのである。
普段何気なく動かしている自分の体が、文字通り自分の体ではなくなるのでは、普段通りの動きなどできるわけも無い。
引退し、長い間運動をしてこなかったサッカー選手が現役当時と同じステップを踏めば転倒してしまうように、
脳に刷り込まれている自分の動きに体が付いて来なくなるのは当たり前だ。
「やれやれ、見栄を張って鉄矢など転移させるべきではありませんでしたの。まるで釘バットですわ」
「あははは!白井さんありがとうございます。それじゃこの武器には【愚神礼賛】とでも命名しますね!」
「何処かの殺人鬼が使用していそうな名前ですわね」
「褒め言葉として預かっておきますよ!」
そんな言葉を交わしながらも、攻略の糸口を探す。
【公平構成】のさらに厄介な効果が、自分の“思考速度”さえも落ちてしまう事。
佐天の知らない技術で制圧を試みても、うまく思考のロジックが組みあがらずに結果後手に回ってしまうというのがこれまでの接触で得た教訓だった。
(そのくせ佐天さんはわたくしの……というよりご自身の身体能力を完全に把握してますし……)
(全く。とんだ平等もあったものですわ)
100が0になるのと、0が0になるのは、本当の意味での平等では無い。
(瞬間移動は遠距離のみ、接近戦ではあしらわれ、説得にも応じる様子は無い……)
何度も武器を捨てて話し合いをしようと提案した白井だったが、これに関して佐天は聞く耳を持たない。
「もっと近寄ってきてくださいよ、白井さん!悲しくなるなぁ……って御坂さん?」
「お姉様!?」
愚神礼賛(ふざけた名前だ)を振り回しながら挑発を続けていた佐天が驚きの声と共に、目線を白井からずらす。
その先には、気を失っていた麗しのお姉様が自分の足で立ち上がっていた。
「あらら。もう立ち直れないと思ってたんですけど……流石レベル5ですね。良いんですか?白井さん。セクハラしにいかなくても」
「……わたくしも流石にシリアスパートとギャグパートの違いくらいは理解できますわ」
「……へぇ、意外ですね。御坂さんより私の相手をするなんて」
「お姉様も貴女もわたくしの友人ですの。そこに序列なんてありませんわ」
それは、能力に関してもですわ、と付け加えるが、その言葉は彼女に聞こえることは無かった。
本当は今すぐにでも空間転移で御坂に飛び掛りたい白井だったが、そんなことはしない、できない。
目の前の友人を救ってやらなければいけないのだ。闇の中から掬ってやらなければならないのだ。
自分だけが幸福(プラス)になっては、彼女を不幸(マイナス)から助け出せるわけが無い。
そんな事をしていては、彼女の友達だと言う権利など、ないのである。
(わたくしにも武器があれば……)
先ほど佐天の負能力で互いに0になると言ったが、正確に言えばそれは誤りだった。
佐天は【公平構成】で相手を“平等”に落としただけでは不利と理解していた。その為の金属バット装備である。
0対0では平行線だが、0対1ではそうはならない。
白井の装備している鉄矢は能力を使って初めて威力を発揮するものであって、この現状では使い物にならない。
「結局は、特攻しか無いという訳ですわね」
心に覚悟を込め、今一度佐天の懐へと転移をした。
佐天の背後へと自身を転移する。不意を狙って彼女の首へ手をかけ、そのまま羽交い絞めで閉め落とそうという考えだった。
しかし、その考えは彼女の背後へ転移した直後にすぐさま振り向かれたことにより、実行できなかった。
「白井さーん。もうちょっと考えて転移しましょうよ。転移して目の前にいなかったら後ろに気を使うのは当然でしょう?」
「っく!」
笑顔で指摘しながら彼女が振り上げ、すぐ降ろされたバットを紙一重でかわし、そのまま体勢を崩した背中へ踵落しを仕掛けるが、地面に振り下ろされたバットをそのまま
旋回させて軸足を狙われる。片足のまま跳躍をし、またも寸前のところで回避することができた。
「佐天さんってやはり運動神経がよろしいのですわね。もしこの能力を初春がもっていたと思うとぞっとしますわ」
「それでも、白井さんにとっては落ちてる位でしょう?それもグッと」
初春、とその言葉には何も反応を見せない彼女。だがこの場合は無反応こそが、最大の反応になっているのだった。
やはり、今の彼女へ本当の言葉を届けられるのは初春飾利しかいないのだ。
(初春と向き合って会話をさせれば、きっと……)
だが、この状態の佐天の目の前に初春を立たせたところで、先ほどのように、バットを振り上げられる可能性が高い。
だからこそ、一刻も早く、彼女の動きを止める事が必要なのだがその糸口が掴めない。
「考え事ですか?状況を考えてくださいよ!」
意識をわずかにはずした瞬間、佐天の蹴りが白井の脇腹へと突き刺さる。
防御力に関しても下がってしまっている白井にとっては、女子の蹴りは言えどもダメージは大きい。
「っが……」
少し吹き飛ばされ、そのまま地面に倒れこむ白井。受身を取ったが地面は砂地なのでところどころ擦り傷を負う。
「………!!」
そこで、白井は気が付いた。
武器は“ここ”にあったのだ。
よろめきながらも立ち上がり、自己転移が可能になるまでの距離を開ける。
「万策尽きるって感じですか。まぁ策なんて初めから無かったんでしょうけど」
今の攻防で完全に優位に立ったと確信したのか、ダメージを追った白井に追撃をせずゆっくりと歩いて近づく佐天。
「ええ、恥ずかしながらそのとおりですわ。でも策というものは追い詰められて閃くものでもありますのよ」
そういって不敵な笑みを浮かべた後、瞬間移動で初春の隣へと移動する。そこに御坂の姿はもう無い。
「白井さん!?大丈夫ですか!?」
突然横に現れた同僚に驚きながらも、傷の心配をする白井。その言葉に短く大丈夫ですわと答えると先ほど閃いたという“策”を
初春へと耳打ちして伝える。
「できますわよね?初春」
その問いに力強く頷く初春の瞳には、風紀委員としての強さと
―――友人を救いたいという強い意志が込められていた
「1,2の3で始めますわよ」
「はい!」
そう言って白井は右手を握りめる。
初春もその両手へ込める力が増す。
「作戦タイムは終了ですか?それじゃもう空間転移で逃げないでください……ね!」
そんな言葉と共に佐天は二人へと突進を開始する。
その距離は70m。
「1…」
60m。
「2の…」
50m。
「3!」
40m。
そこで……
佐天涙子の突進は止まった。
「な、何を!!……何をしたんですか!?」
決して離すことの無かった金属バットをその手から落とし、両手で、両目を覆った佐天は痛みを堪えながら声を荒げる。
そしてその質問の回答は、再び真後ろへと転移したである白井から返ってきた。
「ええ、簡単なことですよ……ちょっとあるモノを転移させただけですわ。貴女の眼前に」
「……まさか、これって」
淡々とそう言いながら、佐天の両腕を抱えるようにして拘束する白井。
その言葉に佐天は転移されたものが何なのか理解ができた。
「あれだけ目を見開いて走れば、結構“砂”が入ってしまったんじゃないですの?」
「……ふっざけるなぁぁああああ!!」
目を閉じたまま、何とか振り払おうと暴れる佐天。
しかし。
【公平構成】によって等しいパワーバランスになっている以上、振りほどくことができないのである。
それでも、暴れ続ける佐天を、今度は別の手が目の前から両脇に手を回され固定される。
いや、これは拘束されるというよりも……
抱きしめられている様だった。
目は見えなくても、匂いなら嗅ぐ事ができた。
その匂いは、あの少女の頭に乗っている色とりどりの花々から発せられている甘い甘い香り。
そこで、自分を抱きしめている手の持ち主を理解した。
「うい……はる……?」
それは先程、自分を拒絶した少女。関わりを拒否されてしまった少女。
「ごめんなさい……」
「え?」
恐らく顔を埋めているのだろう。その声は少し雲っていた。
「さっき、私……佐天さんに酷い事を言っちゃいました」
「あ……」
―――そんな人間だったのならもう関らないでください
「だから、ごめんなさいなんです。悪いことをしたら、ごめんなさいだってうちの生徒会長も言っていたでしょ?」
その言葉に思い出されるのは、佐天と初春が通う中学校の生徒会長の姿だった。
「う……ぁ……」
なんで。
この少女はなんで。
“友達”を傷つけた私に対して、なんで。
「なんで……泣いてるのさぁ……ういはるぅ……」
気が付けば、彼女もその両目から涙を流していた。
―――佐天さんも、泣いているじゃないですか……
―――ち、違う!これは目に入った砂が……
―――でも、しっかり両目は開いてますよ
―――うぅ……
―――ふふ、佐天さんみっともない顔しちゃって
―――う、初春だって鼻水たれちゃってるじゃない!
―――こ、これはですね……
―――……なんだか、あの時を思い出すね
―――幻想御手の時ですか?
―――そう。結局今回も皆に迷惑かけちゃったな……
―――友達ってのは迷惑を掛け合うものですよ?
―――でも、さ……御坂さんにも、白井さんにも酷い事言っちゃたし
―――だから、それは謝ればいいんですよ。白井さんもそう言ったじゃないですか
―――私達は、決して佐天さんを見捨てませんよ
―――うん……そうだね……ねぇ初春?
―――なんですか?佐天さん
―――ごめん、それで、ありがとう
―――……いいですよ。私達親友じゃないですか?
―――ふふ……そうだね。親友だもんね
―――お帰りなさい。佐天さん
―――ただいま。初春
「ごめんね。さっきはとり乱しちゃって」
「お姉様の精神状態を考慮すれば仕方がないことですよ、とミサカは先程のお姉様の無様な姿を思い出し、笑いを堪えながら……っぷ」
「相変わらずいい性格してるわね……」
「これが個性というものです、とミサカはお姉様の遺伝子のせいで物足りない胸を張ります」
「アンタたちはどれだけ胸に対して恨みを持ってるのよ……」
御坂とそのクローンであるミサカ9982号はそんな会話を交わしていた。
「どう?元気してた?」
「こちらに戻ってきたのが二日前なので元気もなにもないですよ、とミサカは質問に答えます」
「本当に貴女はあの時の……?」
「ええ、このダサいバッジがその証拠です。なんならあの時の会話も再生できますが?とミサカはお姉様に提案をします」
「ダサイって……いや、いいわ。どうせ球磨川とかいう、あのふざけた奴の仕業なんでしょう?」
「そうですよ。彼の負能力で戻されました、とミサカは同時に球磨川禊がふざけた奴という意見にも同意します」
御坂は笑顔を、9982号は無表情を貫いている。
「アイツの居場所を教えてくれない?知ってるんでしょ?ちょっと私の後輩たちがお世話になったみたいだし」
「いやいや、それはねーよ、とミサカは左手を振りながら敵に情報を漏らさない意思を表します」
「敵……ね」
「ええ、敵です。仇と言ってもいいでしょう、とミサカは殺された妹達を忘れ平然と生きているお姉様に改めて伝えます」
9982号の言葉に、御坂の笑顔は、もうなかった。
「忘れるわけないじゃないの!」
自然と言葉に力が入ってしまう。
「妹達の事は決して忘れるわけがないわ!」
実際、御坂は殺された妹達の事を忘れることなどは一日もない。それどころか未だに自分を責めている。
だからこそ、学園都市内に残っている妹達には気をかけているし、偶然出会えばアイスだって奢ったりもする。
「その行為そのものが、既に死んだ00001号から10031号に対する侮辱だという事を理解していないのですか?」
だが、そんな叫びすら9982号に届くことはない。
「同情は要りません、慈愛は受け取りません、懺悔は聞きません、後悔は届きません、そんなものは、何一つ欲しくは無いんです」
「ミサカは……ただ、命が欲しかった、とミサカは言い放ちます」
全く感情の込められず吐き捨てられたその言葉の裏側に、本当は様々な感情が混じっているように感じた。
怒りが、悲しみが、憂いが、嘆きが。
感情を持たない人形として造られたはずの彼女から、ひしひしと伝わってきた。
「まぁこれはミサカ9982号単体の意見で、きっと他の戻ったミサカ達は何も思っていないでしょう、とミサカは告白をします」
「それは……どうして?」
ひねり出すように声を出す御坂に対し、今度は本当に無感情に、いっそどうでもいいでしょう?とでも言いたげな表情を浮かべながら、
9982号は答える。
「ミサカ以外のミサカ達の感情と呼ばれうるもの全てを、球磨川禊はなかった事にしたからですよ、とミサカはお姉様の問いに答えます」
なにせ一方通行との実験に妨げになりますからね、と9982号は淡々と御坂に告げた。
「一方通行との実験って……まさか!?」
9982号の言葉に御坂の背中に汗が滲む。
一方通行と妹達を繋ぐ実験など、一つしかない。
一方通行が二万人の妹達を殺害することによって、レベル6へとなる為の実験、通称【絶対能力進化実験】だ。
「そのまさか、です、とミサカは心中を察します」
「でも、一方通行には実験に参加するなんてことは……」
この場所に来る前に出会った妹達の一人が話したことが事実ならば、
彼は実験事態に疑問を抱いていた筈で、さらに妹達の危機を救ったのである。
そんな一方通行が再び実験に参加することなど思えない。
背中に滲んだ汗は小さな玉となり、すっと落ちて御坂の背中を撫でるだけでなく、掌にもじんわりと汗が浮かぶ。
「確かに一方通行には実験に参加する意思はありません、とミサカはお姉様の言葉を肯定をします」
「だったら……」
参加する意思はない、9982号から台詞で、体に圧し掛かる緊張の塊が少し軽くなった気がする。
「“打ち止め(ラストオーダー)”」
「え?」
「ミサカ達の上司にあたる固体です。お姉様はご存じないのですか?」
その名前も聞いたばかりのものだった。その打ち止めの名前がここで登場するのだろうか?
御坂には9982号の意図が全くつかめない。
文字通り一方通行は命を懸けて、絶対的で、圧倒的な能力に制限をかける事になってしまっても守った存在。
現在は彼と行動を共にしているとも聞いている。
「その通りです、とミサカは賛辞を送ります」
パチパチと無表情のまま拍手をする9982号。
「打ち止め……この場合は“最終信号”と呼称したほうが適切ですね。その最終信号に対して一方通行は何かしら特別な感情を抱いています」
「罪の意識から来るものなのか、それとも違う感情なのかはミサカには理解できませんが……」
「とにかく、一方通行は彼女を守るべき存在だと思っており、また上位固体も一方通行を慕っています」
寝食を共に過すほどに、そう付け加えて一度息を吐き出す。
「全く、とても感動できるお話ですね。お姉様もそう思いませんか?とミサカは同意を求めます」
「……そうね」
「そうですか。ミサカはそうは思いませんが」
「アンタが言ったことじゃないの」
要点を得ない9982号の言動に、御坂は漏電してしまうほど苛立ちを覚えていた。
「まるで小説か映画の物語ですね。悲惨な運命や、己の罪を乗り越えていく主人公とヒロイン……」
「さしずめミサカ達は物語を盛り上げる為に死んでいった脇役といったところでしょうか」
「……」
自分自身を脇役と平然と言ってしまう彼女は佐天との会話の中でも同じようなことを主張していた。
――ミサカは物語の主人公になどなれませんよ
それは暗に、人生を諦めていることを指していた。
「さて、ここでお姉様に質問をします、とミサカはようやく話の確信へと触ります」
「なによ……?」
「ヒロインが悪役に攫われて主人公に関する記憶を消されてしまい、何かしらの要求を受けたときに、その主人公はどうすると思いますか?」
そこでようやく理解した。
一方通行の意思など、もはや関係がないのだということに。
再び絶望の波が襲い掛かり、そのまま深い闇に飲まれまいと歯を食いしばる御坂に対して、9982号は初めて笑みを浮かべていた。
口元だけを大きく歪めているその表情は――
とても人には見えなかった。
「……で、でも!もしそうだったとしても他の妹達は――」
そうなのだ。例え生き返った妹達が実験に参加したとしても、
例え一方通行が実験に参加せざるおえなくなっても、
生き残った妹達が参加する訳がない。
これ以上、一人だって死んでやるものかと誓った彼女達が、再び死へ向かう姿など想像もできない。
「はぁ……お姉様は本当にレベル5の頭脳をお持ちなんでしょうか?とミサカは先程から佐天涙子がしていたように罵声を浴びせます」
「どういう事なのよ……」
肩をすくめ、まるでアメリカンホームドラマの登場人物のように首を振る9982号は深く溜息をつき、御坂の疑問へ答えるべく口を開く。
「上位固体から強制的に命令を下せば、そこにミサカ達の意思などは存在しないのですよ、とミサカは親切に教えてあげます」
「じ、じゃあ実験はもう始まってるの?」
「実験自体は開始していますが、ミサカ00001号の調整の関係で第一次実験が終了していません」
ということは、まだ誰も死んでいない。
その事実が闇に飲まれそうになった御坂に希望の光を与える。
まだ間に合うのだ。
この妹を退け、球磨川から打ち止めを奪還できれば誰も傷つかないで済む。
一方通行も、打ち止めも、妹達も、自分がそこまで辿り着けばきっと上手くことが運ぶはず。
その為にはこんな所で止まってはいられない。
例えその道が一方通行だろうと。
例えその弾が打ち止めになろうと。
例えその声が最終信号だろうと。
例えその人がツクリモノだろうと。
そんなことが諦めていい理由になどはならない。
それは、御坂がアイツと呼ぶ男に教えてもらったこと。
彼も文字通り命を賭けて、最強に立ち向かった。
そして、多くの命を守ったのだ。
だから、御坂は叫ぶ。
これから自身が立ち向かう“最悪”に向かって。
渾身の力を込めて、叫ぶ。
最悪が命を弄ぶというなら。
全てを台無しにしてしまうのなら。
これまでの物語をなかったことにしてしまうのなら。
「そんな幻想、全部ぶっ壊して進んでやるわ!」
その言葉と共に、御坂は最愛の妹に向かって跳躍した。
御坂は出力を絞った無数の電撃を9982号に降り注がせつつも、距離をとって9982号の出方を伺っていた。
その脳裏には先ほど戦闘をした佐天涙子の【公平構成】、つまり負能力が浮かんでいる。
超電磁砲のクローンである9982号の能力は、オリジナルに比べるには小さ過ぎるほどの電気を操るもの。
通常の能力による戦いでは、結果など判りきっているが、9982号に対する御坂には、余裕などは微塵もない。
侮っていたら佐天戦のように、全てにおいて敗北をしてしまう。
今回の相手にも負能力を持っているという可能性がある以上、
迂闊に接近戦を持ちかけるには、いささかリスクが高すぎると判断した結果、こういった戦法を用いているのだ。
放たれた電撃は途中、出力が落ちることはなくそのまま9982号の立っている場所へと落ちていった。
加減した攻撃といえど、避けなければ気を失うことが必須の威力である。
実際、9982号は真横に転がることによってその電撃を全てかわした。
「へぇ、佐天さんみたいな負能力じゃないのね」
言いながら、攻撃の手を休めることはない。
9982号は立ち上がり御坂に対し円を描くように駆けながら肩に掛けたサブマシンガンの照準を合わせトリガーを引く。
放たれた無数の銃弾は御坂へと到達する前にその威力を失い、重力に引かれ地面へと落ちていく。
最強の電撃使いの彼女に対し磁力に反応する攻撃など意味を成す筈もない。
「弾の無駄遣いよ、お返しするわ!」
御坂の言葉と共に、地面へと落下したはずの銃弾が中へ浮かび、まるで意思を持って元ある場所へ帰っていく。
「―――ッ!」
その銃弾の一つが、通常ではあり得ない軌道を描き、避けようとした9982号の頭部に装着していた軍用ゴーグルへ着弾した。
まるで意思を持っていると表現はあながち間違いではない。
実際には弾丸その物の意思ではなく、御坂の意思で自由に操作しているのだった。
「次は体に当てるわよ……って、そんなつもりは無いんだけどさ」
「別に被弾したところで問題はありませんが、どうも反射的に避けてしまいますね、とミサカは割れたゴーグルを脱ぎ捨てます」
銃弾を当てられてなお、慌てる様子もなく軍用ゴーグルを外し地面へと落とす。
「随分と余裕なのね。じゃあこんなのはどうかしら!?」
御坂の手の中に砂鉄が収束、一本の剣を作り出す。
「佐天さんには通用しなかったけど、アンタはどうやって対処する!?」
真っ直ぐ切っ先を9982号へと向けた瞬間、砂鉄の剣がまるで鞭の様に伸びて襲い掛かる。
その標的は、彼女の右手に持たれたサブマシンガンだった。
「まずは、その女の子が持つには物騒な護身道具を没収させて頂くわ!」
先ほどの銃弾ほどのスピードではないが、
確実にサブマシンガンを打ち抜くために追尾させるよう操作している砂鉄の剣は避ける動作を見せない9982号へ伸びていく。
そして。
その剣は、9982号の腹部を貫いた。
「な……!」
刺さった瞬間に能力を解除する御坂。そしてそのまま9982号は仰向けに倒れた。
操作ミスなどする筈が無い。
彼女は、9982号は。
自らその腹部を差し出した。
「なんで自分から当たりに行くのよ!!」
その奇行に動揺を隠し切れず、彼女の身を案じ、叫びながら9982号へと駆け寄ろうとする御坂はある違和感を感じた。
それは、自身の腹部。
9982号が負傷した箇所と同じ部分に痛みを覚えたのだ。
「くっ……」
焼けるような激しい痛みに、思わずその場に蹲る。
目の前の景色が歪むなか、傷口を押さえるように幹部へ手を当てる。
が、御坂の腹部には傷一つついていなかった。
「おや、お姉様。腹痛ですか?それならばお手洗いの場所を案内いたしますが、と言いながらミサカは立ち上がります」
仰向けに倒れた9982号は、そう言いながら腹筋だけを使って立ち上がった。
球磨川『学園都市?』6
御坂美琴は、気がつけば友人である初春飾利の肩にしな垂れ引きずられていた。
非力な彼女は息を切らし懸命にその体を支えながらも、その言葉に気が付き目を向けた。
「御坂さん!よかった気がついたんですね!」
目が合った途端、その両目に大量の涙を溜めながら御坂の体へと抱き、その胸の中ではばかることなく嗚咽を漏らす。
「初春さん……?どうして、ここに?」
目が覚めた途端にこの場に居るはずのない友人に泣きつかれるという、いきなりの状況に思考回路の回転が追い付かず、
ばつの悪そうな表情で頬を掻く。
そんな言葉に彼女は胸から顔を離し、涙と鼻水でクシャクシャになった顔のまま口を開いた。
「御坂さんは、絶対一人で無茶をするだろうと思って……GPSと盗聴器をこっそり着けさせてもらったんです……」
「あははは……信用されてなかったのね……」
そんな初春の言葉に引きつった笑顔を浮かべる御坂だったが、状況がまさに一人で無茶をした結果なので、何も言い返すことが出来なかった。
「それで、佐天さんと出会ったって聞こえた瞬間には、もう風紀委員支部から飛び出してました」
彼女の居た支部からこの場所までは、結構な距離がある。こんな時間ではバスも走っていないので恐らくは走って此処に向かってきたのだろう。
よく見れば彼女の制服は汗でびっしょりと濡れていた。
「現場に着いたら、御坂さんが倒れてて、佐天さんが笑ってて……」
その言葉は先ほどまでとの言葉に比べても、よわよわしいものだった。
「御坂さんを病院へ連れて行こうとしたら、佐天さんがバットを振りかざしてきたんですけど……」
初春は、最後まで言い切らず、視線を御坂から外したので、それを追う。
そこには、入院しているはずの白井黒子と自分を敗北させた佐天涙子が交戦していた。
「……白井さんが助けてくれました」
「……そうだったの」
空間転移を繰り返し、宙を舞う後輩の姿を眺めながらつぶやく。
やはり先程の声は嘘なんかではなかったのだ。
「ゴメン、初春さん」
「え?なんで謝るんですか?」
突然の謝罪に戸惑う初春。
「私、佐天さんを助けてあげることを諦めてた」
「彼女の言葉に耳を塞いで、目を閉じて、会話を止めて……逃げてたんだ」
「でも、それじゃ駄目なんだよね」
そう言って戦う二人の後方に佇む、自分と瓜二つの少女へと目を向ける。
「悪いこと言い合って、お互いに傷ついて、たまには殴り合いの喧嘩もして……そうやって向き合って、歩み寄るのが友達なんだから」
その顔は、緊張や恐怖に怯えたものではなく……中学校2年生らしい、とても爽やかな笑顔だった。
「……はい!そうですね」
「ぜーんぶ終わったらまたあのファミレスでお話しましょうか。もちろん……」
肯定してくれた友人にうなずいた後、そんな提案をしてみる。その言葉の続きは言わずとも同じだった。
「さて、と。散々カッコいいこと言ってみたけど、今の佐天さんが本当に必要としてるのは初春さんのようだから……」
「佐天さんを助けてあげて。私と彼女の喧嘩はその後でやるから」
その言葉に、初春は黙って頷く。
そこで笑顔を崩し自身の妹でありクローンでもあるミサカ9983号を睨みつけて御坂は言った。
「私はあのバカ妹とちょっと姉妹喧嘩でもしてくるからさ」
「ほらほらぁ、白井さん!さっさとその鉄矢を直接私に転移すれば良いじゃないですかぁ!」
「それならもう少し距離を開けさせてくださいまし!」
佐天涙子と白井黒子の戦いはお互いにダメージを与えることなく平行線を辿っていた。
空間転移を繰り返し距離をとり続ける白井に、それを追う佐天。
佐天の挑発に白井はああは言ったものの、当然の如く、彼女に直接転移させることなど考えてはいない。
今彼女が考えているのは接近戦で相手を無力化させることである。
先の球磨川戦では失敗に終わったが、風紀委員である彼女の技術と空間転移を持ってすれば勝負はまさしく一瞬で終わるはずだった。
しかし、それをさせないのが、佐天の負能力【公平構成】にあった。
【公平構成】の範囲外からの転移は可能であるため(バットに鉄矢を転移させたのが証拠である)距離を詰めることはできるのだったが、
問題は転移した後。つまり完全に彼女とのアドバンテージが無くなってからの肉弾戦だった。
佐天の負能力は相手の身体能力が高ければ高いほど有利に働く。
(何度か試していますが、かなり厄介な能力ですの)
既に数回の近距離戦を挑んでいる白井だったが、転移した直後に感じる違和感に負けて、金属バットさえ無効化できていない。
なにせ、近づけば問答無用で身体能力が落ちるのである。
普段何気なく動かしている自分の体が、文字通り自分の体ではなくなるのでは、普段通りの動きなどできるわけも無い。
引退し、長い間運動をしてこなかったサッカー選手が現役当時と同じステップを踏めば転倒してしまうように、
脳に刷り込まれている自分の動きに体が付いて来なくなるのは当たり前だ。
「やれやれ、見栄を張って鉄矢など転移させるべきではありませんでしたの。まるで釘バットですわ」
「あははは!白井さんありがとうございます。それじゃこの武器には【愚神礼賛】とでも命名しますね!」
「何処かの殺人鬼が使用していそうな名前ですわね」
「褒め言葉として預かっておきますよ!」
そんな言葉を交わしながらも、攻略の糸口を探す。
【公平構成】のさらに厄介な効果が、自分の“思考速度”さえも落ちてしまう事。
佐天の知らない技術で制圧を試みても、うまく思考のロジックが組みあがらずに結果後手に回ってしまうというのがこれまでの接触で得た教訓だった。
(そのくせ佐天さんはわたくしの……というよりご自身の身体能力を完全に把握してますし……)
(全く。とんだ平等もあったものですわ)
100が0になるのと、0が0になるのは、本当の意味での平等では無い。
(瞬間移動は遠距離のみ、接近戦ではあしらわれ、説得にも応じる様子は無い……)
何度も武器を捨てて話し合いをしようと提案した白井だったが、これに関して佐天は聞く耳を持たない。
「もっと近寄ってきてくださいよ、白井さん!悲しくなるなぁ……って御坂さん?」
「お姉様!?」
愚神礼賛(ふざけた名前だ)を振り回しながら挑発を続けていた佐天が驚きの声と共に、目線を白井からずらす。
その先には、気を失っていた麗しのお姉様が自分の足で立ち上がっていた。
「あらら。もう立ち直れないと思ってたんですけど……流石レベル5ですね。良いんですか?白井さん。セクハラしにいかなくても」
「……わたくしも流石にシリアスパートとギャグパートの違いくらいは理解できますわ」
「……へぇ、意外ですね。御坂さんより私の相手をするなんて」
「お姉様も貴女もわたくしの友人ですの。そこに序列なんてありませんわ」
それは、能力に関してもですわ、と付け加えるが、その言葉は彼女に聞こえることは無かった。
本当は今すぐにでも空間転移で御坂に飛び掛りたい白井だったが、そんなことはしない、できない。
目の前の友人を救ってやらなければいけないのだ。闇の中から掬ってやらなければならないのだ。
自分だけが幸福(プラス)になっては、彼女を不幸(マイナス)から助け出せるわけが無い。
そんな事をしていては、彼女の友達だと言う権利など、ないのである。
(わたくしにも武器があれば……)
先ほど佐天の負能力で互いに0になると言ったが、正確に言えばそれは誤りだった。
佐天は【公平構成】で相手を“平等”に落としただけでは不利と理解していた。その為の金属バット装備である。
0対0では平行線だが、0対1ではそうはならない。
白井の装備している鉄矢は能力を使って初めて威力を発揮するものであって、この現状では使い物にならない。
「結局は、特攻しか無いという訳ですわね」
心に覚悟を込め、今一度佐天の懐へと転移をした。
佐天の背後へと自身を転移する。不意を狙って彼女の首へ手をかけ、そのまま羽交い絞めで閉め落とそうという考えだった。
しかし、その考えは彼女の背後へ転移した直後にすぐさま振り向かれたことにより、実行できなかった。
「白井さーん。もうちょっと考えて転移しましょうよ。転移して目の前にいなかったら後ろに気を使うのは当然でしょう?」
「っく!」
笑顔で指摘しながら彼女が振り上げ、すぐ降ろされたバットを紙一重でかわし、そのまま体勢を崩した背中へ踵落しを仕掛けるが、地面に振り下ろされたバットをそのまま
旋回させて軸足を狙われる。片足のまま跳躍をし、またも寸前のところで回避することができた。
「佐天さんってやはり運動神経がよろしいのですわね。もしこの能力を初春がもっていたと思うとぞっとしますわ」
「それでも、白井さんにとっては落ちてる位でしょう?それもグッと」
初春、とその言葉には何も反応を見せない彼女。だがこの場合は無反応こそが、最大の反応になっているのだった。
やはり、今の彼女へ本当の言葉を届けられるのは初春飾利しかいないのだ。
(初春と向き合って会話をさせれば、きっと……)
だが、この状態の佐天の目の前に初春を立たせたところで、先ほどのように、バットを振り上げられる可能性が高い。
だからこそ、一刻も早く、彼女の動きを止める事が必要なのだがその糸口が掴めない。
「考え事ですか?状況を考えてくださいよ!」
意識をわずかにはずした瞬間、佐天の蹴りが白井の脇腹へと突き刺さる。
防御力に関しても下がってしまっている白井にとっては、女子の蹴りは言えどもダメージは大きい。
「っが……」
少し吹き飛ばされ、そのまま地面に倒れこむ白井。受身を取ったが地面は砂地なのでところどころ擦り傷を負う。
「………!!」
そこで、白井は気が付いた。
武器は“ここ”にあったのだ。
よろめきながらも立ち上がり、自己転移が可能になるまでの距離を開ける。
「万策尽きるって感じですか。まぁ策なんて初めから無かったんでしょうけど」
今の攻防で完全に優位に立ったと確信したのか、ダメージを追った白井に追撃をせずゆっくりと歩いて近づく佐天。
「ええ、恥ずかしながらそのとおりですわ。でも策というものは追い詰められて閃くものでもありますのよ」
そういって不敵な笑みを浮かべた後、瞬間移動で初春の隣へと移動する。そこに御坂の姿はもう無い。
「白井さん!?大丈夫ですか!?」
突然横に現れた同僚に驚きながらも、傷の心配をする白井。その言葉に短く大丈夫ですわと答えると先ほど閃いたという“策”を
初春へと耳打ちして伝える。
「できますわよね?初春」
その問いに力強く頷く初春の瞳には、風紀委員としての強さと
―――友人を救いたいという強い意志が込められていた
「1,2の3で始めますわよ」
「はい!」
そう言って白井は右手を握りめる。
初春もその両手へ込める力が増す。
「作戦タイムは終了ですか?それじゃもう空間転移で逃げないでください……ね!」
そんな言葉と共に佐天は二人へと突進を開始する。
その距離は70m。
「1…」
60m。
「2の…」
50m。
「3!」
40m。
そこで……
佐天涙子の突進は止まった。
「な、何を!!……何をしたんですか!?」
決して離すことの無かった金属バットをその手から落とし、両手で、両目を覆った佐天は痛みを堪えながら声を荒げる。
そしてその質問の回答は、再び真後ろへと転移したである白井から返ってきた。
「ええ、簡単なことですよ……ちょっとあるモノを転移させただけですわ。貴女の眼前に」
「……まさか、これって」
淡々とそう言いながら、佐天の両腕を抱えるようにして拘束する白井。
その言葉に佐天は転移されたものが何なのか理解ができた。
「あれだけ目を見開いて走れば、結構“砂”が入ってしまったんじゃないですの?」
「……ふっざけるなぁぁああああ!!」
目を閉じたまま、何とか振り払おうと暴れる佐天。
しかし。
【公平構成】によって等しいパワーバランスになっている以上、振りほどくことができないのである。
それでも、暴れ続ける佐天を、今度は別の手が目の前から両脇に手を回され固定される。
いや、これは拘束されるというよりも……
抱きしめられている様だった。
目は見えなくても、匂いなら嗅ぐ事ができた。
その匂いは、あの少女の頭に乗っている色とりどりの花々から発せられている甘い甘い香り。
そこで、自分を抱きしめている手の持ち主を理解した。
「うい……はる……?」
それは先程、自分を拒絶した少女。関わりを拒否されてしまった少女。
「ごめんなさい……」
「え?」
恐らく顔を埋めているのだろう。その声は少し雲っていた。
「さっき、私……佐天さんに酷い事を言っちゃいました」
「あ……」
―――そんな人間だったのならもう関らないでください
「だから、ごめんなさいなんです。悪いことをしたら、ごめんなさいだってうちの生徒会長も言っていたでしょ?」
その言葉に思い出されるのは、佐天と初春が通う中学校の生徒会長の姿だった。
「う……ぁ……」
なんで。
この少女はなんで。
“友達”を傷つけた私に対して、なんで。
「なんで……泣いてるのさぁ……ういはるぅ……」
気が付けば、彼女もその両目から涙を流していた。
―――佐天さんも、泣いているじゃないですか……
―――ち、違う!これは目に入った砂が……
―――でも、しっかり両目は開いてますよ
―――うぅ……
―――ふふ、佐天さんみっともない顔しちゃって
―――う、初春だって鼻水たれちゃってるじゃない!
―――こ、これはですね……
―――……なんだか、あの時を思い出すね
―――幻想御手の時ですか?
―――そう。結局今回も皆に迷惑かけちゃったな……
―――友達ってのは迷惑を掛け合うものですよ?
―――でも、さ……御坂さんにも、白井さんにも酷い事言っちゃたし
―――だから、それは謝ればいいんですよ。白井さんもそう言ったじゃないですか
―――私達は、決して佐天さんを見捨てませんよ
―――うん……そうだね……ねぇ初春?
―――なんですか?佐天さん
―――ごめん、それで、ありがとう
―――……いいですよ。私達親友じゃないですか?
―――ふふ……そうだね。親友だもんね
―――お帰りなさい。佐天さん
―――ただいま。初春
「ごめんね。さっきはとり乱しちゃって」
「お姉様の精神状態を考慮すれば仕方がないことですよ、とミサカは先程のお姉様の無様な姿を思い出し、笑いを堪えながら……っぷ」
「相変わらずいい性格してるわね……」
「これが個性というものです、とミサカはお姉様の遺伝子のせいで物足りない胸を張ります」
「アンタたちはどれだけ胸に対して恨みを持ってるのよ……」
御坂とそのクローンであるミサカ9982号はそんな会話を交わしていた。
「どう?元気してた?」
「こちらに戻ってきたのが二日前なので元気もなにもないですよ、とミサカは質問に答えます」
「本当に貴女はあの時の……?」
「ええ、このダサいバッジがその証拠です。なんならあの時の会話も再生できますが?とミサカはお姉様に提案をします」
「ダサイって……いや、いいわ。どうせ球磨川とかいう、あのふざけた奴の仕業なんでしょう?」
「そうですよ。彼の負能力で戻されました、とミサカは同時に球磨川禊がふざけた奴という意見にも同意します」
御坂は笑顔を、9982号は無表情を貫いている。
「アイツの居場所を教えてくれない?知ってるんでしょ?ちょっと私の後輩たちがお世話になったみたいだし」
「いやいや、それはねーよ、とミサカは左手を振りながら敵に情報を漏らさない意思を表します」
「敵……ね」
「ええ、敵です。仇と言ってもいいでしょう、とミサカは殺された妹達を忘れ平然と生きているお姉様に改めて伝えます」
9982号の言葉に、御坂の笑顔は、もうなかった。
「忘れるわけないじゃないの!」
自然と言葉に力が入ってしまう。
「妹達の事は決して忘れるわけがないわ!」
実際、御坂は殺された妹達の事を忘れることなどは一日もない。それどころか未だに自分を責めている。
だからこそ、学園都市内に残っている妹達には気をかけているし、偶然出会えばアイスだって奢ったりもする。
「その行為そのものが、既に死んだ00001号から10031号に対する侮辱だという事を理解していないのですか?」
だが、そんな叫びすら9982号に届くことはない。
「同情は要りません、慈愛は受け取りません、懺悔は聞きません、後悔は届きません、そんなものは、何一つ欲しくは無いんです」
「ミサカは……ただ、命が欲しかった、とミサカは言い放ちます」
全く感情の込められず吐き捨てられたその言葉の裏側に、本当は様々な感情が混じっているように感じた。
怒りが、悲しみが、憂いが、嘆きが。
感情を持たない人形として造られたはずの彼女から、ひしひしと伝わってきた。
「まぁこれはミサカ9982号単体の意見で、きっと他の戻ったミサカ達は何も思っていないでしょう、とミサカは告白をします」
「それは……どうして?」
ひねり出すように声を出す御坂に対し、今度は本当に無感情に、いっそどうでもいいでしょう?とでも言いたげな表情を浮かべながら、
9982号は答える。
「ミサカ以外のミサカ達の感情と呼ばれうるもの全てを、球磨川禊はなかった事にしたからですよ、とミサカはお姉様の問いに答えます」
なにせ一方通行との実験に妨げになりますからね、と9982号は淡々と御坂に告げた。
「一方通行との実験って……まさか!?」
9982号の言葉に御坂の背中に汗が滲む。
一方通行と妹達を繋ぐ実験など、一つしかない。
一方通行が二万人の妹達を殺害することによって、レベル6へとなる為の実験、通称【絶対能力進化実験】だ。
「そのまさか、です、とミサカは心中を察します」
「でも、一方通行には実験に参加するなんてことは……」
この場所に来る前に出会った妹達の一人が話したことが事実ならば、
彼は実験事態に疑問を抱いていた筈で、さらに妹達の危機を救ったのである。
そんな一方通行が再び実験に参加することなど思えない。
背中に滲んだ汗は小さな玉となり、すっと落ちて御坂の背中を撫でるだけでなく、掌にもじんわりと汗が浮かぶ。
「確かに一方通行には実験に参加する意思はありません、とミサカはお姉様の言葉を肯定をします」
「だったら……」
参加する意思はない、9982号から台詞で、体に圧し掛かる緊張の塊が少し軽くなった気がする。
「“打ち止め(ラストオーダー)”」
「え?」
「ミサカ達の上司にあたる固体です。お姉様はご存じないのですか?」
その名前も聞いたばかりのものだった。その打ち止めの名前がここで登場するのだろうか?
御坂には9982号の意図が全くつかめない。
文字通り一方通行は命を懸けて、絶対的で、圧倒的な能力に制限をかける事になってしまっても守った存在。
現在は彼と行動を共にしているとも聞いている。
「その通りです、とミサカは賛辞を送ります」
パチパチと無表情のまま拍手をする9982号。
「打ち止め……この場合は“最終信号”と呼称したほうが適切ですね。その最終信号に対して一方通行は何かしら特別な感情を抱いています」
「罪の意識から来るものなのか、それとも違う感情なのかはミサカには理解できませんが……」
「とにかく、一方通行は彼女を守るべき存在だと思っており、また上位固体も一方通行を慕っています」
寝食を共に過すほどに、そう付け加えて一度息を吐き出す。
「全く、とても感動できるお話ですね。お姉様もそう思いませんか?とミサカは同意を求めます」
「……そうね」
「そうですか。ミサカはそうは思いませんが」
「アンタが言ったことじゃないの」
要点を得ない9982号の言動に、御坂は漏電してしまうほど苛立ちを覚えていた。
「まるで小説か映画の物語ですね。悲惨な運命や、己の罪を乗り越えていく主人公とヒロイン……」
「さしずめミサカ達は物語を盛り上げる為に死んでいった脇役といったところでしょうか」
「……」
自分自身を脇役と平然と言ってしまう彼女は佐天との会話の中でも同じようなことを主張していた。
――ミサカは物語の主人公になどなれませんよ
それは暗に、人生を諦めていることを指していた。
「さて、ここでお姉様に質問をします、とミサカはようやく話の確信へと触ります」
「なによ……?」
「ヒロインが悪役に攫われて主人公に関する記憶を消されてしまい、何かしらの要求を受けたときに、その主人公はどうすると思いますか?」
そこでようやく理解した。
一方通行の意思など、もはや関係がないのだということに。
再び絶望の波が襲い掛かり、そのまま深い闇に飲まれまいと歯を食いしばる御坂に対して、9982号は初めて笑みを浮かべていた。
口元だけを大きく歪めているその表情は――
とても人には見えなかった。
「……で、でも!もしそうだったとしても他の妹達は――」
そうなのだ。例え生き返った妹達が実験に参加したとしても、
例え一方通行が実験に参加せざるおえなくなっても、
生き残った妹達が参加する訳がない。
これ以上、一人だって死んでやるものかと誓った彼女達が、再び死へ向かう姿など想像もできない。
「はぁ……お姉様は本当にレベル5の頭脳をお持ちなんでしょうか?とミサカは先程から佐天涙子がしていたように罵声を浴びせます」
「どういう事なのよ……」
肩をすくめ、まるでアメリカンホームドラマの登場人物のように首を振る9982号は深く溜息をつき、御坂の疑問へ答えるべく口を開く。
「上位固体から強制的に命令を下せば、そこにミサカ達の意思などは存在しないのですよ、とミサカは親切に教えてあげます」
「じ、じゃあ実験はもう始まってるの?」
「実験自体は開始していますが、ミサカ00001号の調整の関係で第一次実験が終了していません」
ということは、まだ誰も死んでいない。
その事実が闇に飲まれそうになった御坂に希望の光を与える。
まだ間に合うのだ。
この妹を退け、球磨川から打ち止めを奪還できれば誰も傷つかないで済む。
一方通行も、打ち止めも、妹達も、自分がそこまで辿り着けばきっと上手くことが運ぶはず。
その為にはこんな所で止まってはいられない。
例えその道が一方通行だろうと。
例えその弾が打ち止めになろうと。
例えその声が最終信号だろうと。
例えその人がツクリモノだろうと。
そんなことが諦めていい理由になどはならない。
それは、御坂がアイツと呼ぶ男に教えてもらったこと。
彼も文字通り命を賭けて、最強に立ち向かった。
そして、多くの命を守ったのだ。
だから、御坂は叫ぶ。
これから自身が立ち向かう“最悪”に向かって。
渾身の力を込めて、叫ぶ。
最悪が命を弄ぶというなら。
全てを台無しにしてしまうのなら。
これまでの物語をなかったことにしてしまうのなら。
「そんな幻想、全部ぶっ壊して進んでやるわ!」
その言葉と共に、御坂は最愛の妹に向かって跳躍した。
御坂は出力を絞った無数の電撃を9982号に降り注がせつつも、距離をとって9982号の出方を伺っていた。
その脳裏には先ほど戦闘をした佐天涙子の【公平構成】、つまり負能力が浮かんでいる。
超電磁砲のクローンである9982号の能力は、オリジナルに比べるには小さ過ぎるほどの電気を操るもの。
通常の能力による戦いでは、結果など判りきっているが、9982号に対する御坂には、余裕などは微塵もない。
侮っていたら佐天戦のように、全てにおいて敗北をしてしまう。
今回の相手にも負能力を持っているという可能性がある以上、
迂闊に接近戦を持ちかけるには、いささかリスクが高すぎると判断した結果、こういった戦法を用いているのだ。
放たれた電撃は途中、出力が落ちることはなくそのまま9982号の立っている場所へと落ちていった。
加減した攻撃といえど、避けなければ気を失うことが必須の威力である。
実際、9982号は真横に転がることによってその電撃を全てかわした。
「へぇ、佐天さんみたいな負能力じゃないのね」
言いながら、攻撃の手を休めることはない。
9982号は立ち上がり御坂に対し円を描くように駆けながら肩に掛けたサブマシンガンの照準を合わせトリガーを引く。
放たれた無数の銃弾は御坂へと到達する前にその威力を失い、重力に引かれ地面へと落ちていく。
最強の電撃使いの彼女に対し磁力に反応する攻撃など意味を成す筈もない。
「弾の無駄遣いよ、お返しするわ!」
御坂の言葉と共に、地面へと落下したはずの銃弾が中へ浮かび、まるで意思を持って元ある場所へ帰っていく。
「―――ッ!」
その銃弾の一つが、通常ではあり得ない軌道を描き、避けようとした9982号の頭部に装着していた軍用ゴーグルへ着弾した。
まるで意思を持っていると表現はあながち間違いではない。
実際には弾丸その物の意思ではなく、御坂の意思で自由に操作しているのだった。
「次は体に当てるわよ……って、そんなつもりは無いんだけどさ」
「別に被弾したところで問題はありませんが、どうも反射的に避けてしまいますね、とミサカは割れたゴーグルを脱ぎ捨てます」
銃弾を当てられてなお、慌てる様子もなく軍用ゴーグルを外し地面へと落とす。
「随分と余裕なのね。じゃあこんなのはどうかしら!?」
御坂の手の中に砂鉄が収束、一本の剣を作り出す。
「佐天さんには通用しなかったけど、アンタはどうやって対処する!?」
真っ直ぐ切っ先を9982号へと向けた瞬間、砂鉄の剣がまるで鞭の様に伸びて襲い掛かる。
その標的は、彼女の右手に持たれたサブマシンガンだった。
「まずは、その女の子が持つには物騒な護身道具を没収させて頂くわ!」
先ほどの銃弾ほどのスピードではないが、
確実にサブマシンガンを打ち抜くために追尾させるよう操作している砂鉄の剣は避ける動作を見せない9982号へ伸びていく。
そして。
その剣は、9982号の腹部を貫いた。
「な……!」
刺さった瞬間に能力を解除する御坂。そしてそのまま9982号は仰向けに倒れた。
操作ミスなどする筈が無い。
彼女は、9982号は。
自らその腹部を差し出した。
「なんで自分から当たりに行くのよ!!」
その奇行に動揺を隠し切れず、彼女の身を案じ、叫びながら9982号へと駆け寄ろうとする御坂はある違和感を感じた。
それは、自身の腹部。
9982号が負傷した箇所と同じ部分に痛みを覚えたのだ。
「くっ……」
焼けるような激しい痛みに、思わずその場に蹲る。
目の前の景色が歪むなか、傷口を押さえるように幹部へ手を当てる。
が、御坂の腹部には傷一つついていなかった。
「おや、お姉様。腹痛ですか?それならばお手洗いの場所を案内いたしますが、と言いながらミサカは立ち上がります」
仰向けに倒れた9982号は、そう言いながら腹筋だけを使って立ち上がった。
球磨川『学園都市?』6
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