(くろこま さき/Kurokoma Saki)

驪駒早鬼

名前

  • 驪駒(くろこま)
    • 古代日本における伝承「甲斐の黒駒」から。(詳細は種族の項を参照)
      • 『聖徳太子伝暦』では、「驪駒」の字が使われている。
    • 山梨県にある地名。現在の笛吹市の一部にかつて黒駒村が存在した。
    • 黒駒勝蔵
      • 幕末に甲斐を拠点とした任侠(やくざ)の大親分。
        名前の由来は上黒駒村(のちに周辺の村と合併して黒駒村となる)出身であることから。
        有名な「清水の次郎長」と同時代の人物で、次郎長と抗争を繰り広げた。
        次郎長物のフィクション作品にも次郎長のライバル、敵役としてしばしば登場する。
      • 驪駒早鬼は畜生組織「勁牙組」の組長。勝蔵がモチーフの一つとなっている可能性が考えられる。
    • 「黒い馬」を意味する漢字。
      読みは「くろ」「くろうま」、驪べるで「(馬を)ならべる」。
  • 駒(こま)
    • 馬のこと。
      • 元々の意味は子馬(こうま)を意味していた。それがいつしか馬の総称としても用いられるようになった。
    • 用例:ことわざ「瓢箪(ひょうたん)から駒」
      • 中国で張果老という名の仙人が仙術で瓢箪から馬を出し入れして使っていた、とする逸話が語源。
        この言葉の駒は「将棋の駒」を意味していると誤って説明されることがあるが、正しくは「馬」のこと。
  • 早鬼(さき)
      • 「甲斐の黒駒」は駿馬、早馬として有名。

備考
  • 「黒駒の勝蔵」という名の地酒がある。(山梨県笛吹市の特産品)

二つ名

  • 勁牙組(けいがぐみ)組長(鬼形獣)
    • 畜生界における「巨大畜生組織」の一つ。
脚力と牙、強靱な肉体が特徴の動物霊による組織
(東方鬼形獣 omakeテキストより)
  • 闇宴会に参加してた(バレットフィリア達の闇市場)

能力

  • 比類無き脚力を持つ程度の能力
    • 「甲斐の黒駒(かいのくろこま)」伝説から。
      黒駒(馬)は聖徳太子を乗せて空を駆け、都を出発して富士山の山頂に至り信濃国・三越(越後・越中・越前)に至り3日で都に戻ったとする。
      • 『聖徳太子伝暦』において聖徳太子は「飛ぶこと雷電の如し」と述べ絶賛している。
    • 具体的なルートは不明だが、仮として現在の地名で奈良県明日香村→富士山山頂→長野市→新潟市→富山市→金沢市→明日香村のルートで移動したとして考察する。
      驪駒は空を飛ぶので以下はすべて直線距離。
      明日香村から富士山頂までは約280km、富士山頂から長野市までは約150km、長野市から新潟市までは約160km、新潟市から富山市までは約210km、富山市から金沢市までは約50km、金沢市から明日香村までは約240km。
      合計約1090km。一日当たりの移動距離は約360km(東京から京都の距離とほぼ同じ)。
      ちなみに、通常馬で旅をする場合の一日の移動距離の目安は約40〜50卍度とされる。
      • 史実的には大化の改新以降に領域は確定するが、当時のだいたいの領域は以下の通り。
        信濃:現在の長野県(木曽地域を除く)
        越後:現在の新潟県北部〜山形県・秋田県方面
        越中:現在の富山県〜新潟県中部
        越前:現在の福井県北部〜石川県
    • 鬼形獣において「最速で次の手に出た。」「思い立ったらすぐに行動する。」(共にomakeテキスト)とあるのは、高速で空を駆けるという特性がモチーフか。

種族

  • 驪駒(くろこま)
    • 古代甲斐国の伝承に登場する馬「甲斐の黒駒(かいのくろこま)」。
      複数の伝承があるが、以下は『聖徳太子伝暦』に書かれている聖徳太子と関連する伝承の内容。
      • 飛鳥時代のこと、聖徳太子は諸国に推古天皇に馬を献上するよう触れを出した。
        太子は全国から献上された数百頭の馬の中から一頭の「4足が白い馬」を神馬であると見抜く。
        この馬は甲斐から献上された「甲斐の烏駒(くろこま)」と呼ばれる馬であった。
        太子がこの馬に試乗すると天高く飛び上がった。太子はこの馬に乗って東国に赴き、富士山にの山頂に至り信濃国・三越(さんえつ、越後・越中・越前の三国)を経て3日で都に戻ってきたという。
        関連:聖徳太子のペガサス 〜Dark Pegasus
      • 聖徳太子が亡くなると、驪駒はそれを理解し嘆き悲しんだ。
        太子の埋葬が終わると、驪駒は太子が生前使った鞍をつけて墓の前に立ち、一声いななくとその場で亡くなった。
        驪駒の遺体は中宮寺の南の墓に埋葬されたとされる。(西暦621年2月のこととしている)
        なお『聖徳太子伝暦』には「驪駒は聖徳太子より先に亡くなり、嘆き悲しんだ聖徳太子が驪駒を中宮寺の南の墓に埋葬した、という説もある」(こちらの説では驪駒が亡くなったのは西暦621年12月22日としている)としている。

備考
  • 甲斐は古代から良馬の産地として知られていた。
    • 戦国時代に甲斐を拠点とした武田信玄の騎馬隊が活躍したのも良馬の産地であったから。
  • 農耕と畜産、文明と馬の優位性
    • 人類史の曙において、ユーラシア大陸の人々は、大陸の肥沃な大地を利用して農耕を行い、
      動物を家畜化して使役することで、食糧供給を安定させた。
      その余裕ある食糧が、人間集団の一部の人々に余暇を作り、文化的な仕事に向かわせ、
      都市と文明を築き上げる。
    • 特に家畜化された馬は、その機動力で人々の間に軍事的な優劣を生み、
      13~14世紀には騎馬民族による世界覇権、パクス・モンゴリカを成立させる。
      一方で、動物の家畜化は、ユーラシア人に疫病と、その免疫をもたらした。
    • 16世紀。スペインのコンキスタドール、ピサロのわずか200人程度の隊が、
      新大陸、インカ帝国の大軍勢に対して優位であった理由は、
      新大陸にとって未知の疫病、鉄製の武器、馬の所持であり、
      それらはユーラシア大陸の動植物の豊かさ、
      東西に長い大陸の交易のしやすさにより発展したものとされる。
    • インカ帝国との戦いでも用いられた銃は人類史が進むにつれて発達し、
      ヨーロッパを騎馬民族から地域的に独立させ、ヨーロッパ人の植民地獲得の原動力となる。
      かたや、馬が持つ軍事的優位性は、銃の発達と普及、科学の進歩に伴う戦場の変化により、
      現代に近づくにつれ失われていく。

見た目

  • 東方鬼形獣において立絵およびドット絵に右腕が描写されていない。
    右そでが縫い詰めてあるようにも見える。
    • テキスト等では一切言及がない。角度的に右腕が隠れている可能性もある。⇒獣王園の立ち絵では右腕が確認できる。
      • 黒駒土偶(ポーズ土偶)が右腕を欠損していることから?
        埴輪に対抗する立場 → 土偶という暗示か
        黒駒土偶は山梨県御坂町上黒駒(現:笛吹市)で出土したもの。
        (参考:東京国立博物館:土偶(どぐう)
  • カウボーイハット、ウエスタンブーツ、白いネッカチーフ
    • カウボーイの定番の服装。(参考:wikipedia:カウボーイ#衣服
    • カウボーイは仕事において馬に乗ることが多く、高い乗馬技術が求められた。

このページへのコメント

幕末の甲斐国に黒駒勝蔵(くろこまのかつぞう)という博徒の親玉がいたそうで、今作のボスがヤの付く職業の方々っぽいのはそのせい?

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Posted by 名無し(ID:jCJqbjzGhQ) 2019年09月08日(日) 11:55:04 返信数(1) 返信

反映させました

0
Posted by 名無し(ID:yuLLf/meMA) 2020年02月26日(水) 20:44:29

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