概要



著   クロード・パラン
初出  2008 (原著1970)
価格   1890円
出版社 青土社

Text by 浜田晶則





人間は傾いた平面上で生活できるのだろうか。
著者のパランは、ポール・ビリリオとともにチーム「建築原理」で斜めの原理を提唱した。
1966年、パリ五月革命が起こる2年前のことだった。
斜めの原理の仮説は、都市への人口集中という問題に対する解をめざしたものである。

近代は空間を分配する時代であった。
居住と交通の分離である。
その結果として現在の都市の動脈硬化があるという。
居住と交通の関係として、居住の優位をパランは説く。
「水平都市は、適正な限界を超えた自らの構造の膨張に喘ぎ、垂直都市は都市組織の崩壊によって憤死するのだ」
パランはこのように述べ、さらに戸建て住宅が立ち並んでいるものと同程度の高層タワーとを比較し、高層タワーの優位を説いたル・コルビュジエの有名なクロッキーを誤りであると述べる。
住居が垂直にのびていくと、その分干渉領域が増え、その結果、収用面積は変わらないということになる。
実際、公開空地としてつくられている領域のことである。さらにパランは垂直的建築のもつ象徴主義をも批判する。

斜めの構造は、「登坂可能性」「交通と居住の統合」という2つの原理があり、これは遵守されなければならないという。
斜めの機能は、人間を触発し覚醒させる抵抗の建築であると述べている。快適さとは対極にあるものである。

ここで、荒川修作とマドリン・ギンズを連想した。





彼らの作った「養老天命反転地」には、水平な場所がない。
常に自分の身体をコントロールしていなければならない。
ここに訪れた人は、楽しいと思う人と、ただ疲れると感じる人とに分かれるだろう。
常に快適性や安定を求める人にとっては苦痛でしかない。
斜めに傾いた壁に囲まれた部屋に入ると、身体は自然にその壁と平行を保とうとする。
したがって、身体は斜めに傾いてしまう。
それに抵抗し鉛直に立とうとすることが、身体の感覚を鋭敏にし、老いという天命を反転させることができると、彼らは考えている。
「養老天命反転地」内で、移動はただAという建築からBという建築への通過という手段ではなく、移動自体が目的になっている。
つまり、建築と移動空間が等価になっている。
移動の延長として建築があり、建築の延長として移動がある。

これは、建築が自然に近くなることと同義ではないだろうか。
FOAの大さん橋や伊東豊雄の「ぐりんぐりん」などにも見られるが、散歩することが目的となる。





それは林の中(自然の中)を散歩するかのような体験であろう。
言うまでもなく、自然は安定や機能的な快適性を常に提供してくれるわけではない。
しかし、建築単体ではなく、都市的スケールで斜めの原理を適用しようとしたとき(例えば大規模集合住宅など)、どのくらい市場にでる可能性があるのか。
社会がある程度成熟した低成長時代において、高度経済成長時に乱立した超高層タワーの都市ではなく、もう一つの位相として斜めの都市がありえないだろうか。
単なるユートピアであるような気もするが、デベロッパー主導で実現できないものか。

しかし、もともとある斜面に建設するのであれば、マクロストラクチャーとしての斜めの構造を新たにつくる必要はない。
平野に住まずに、斜面に住む。
以前、伊香保に行ったが、石段の街は言い知れぬ魅力があった。救急の際など、何かと不便なこともあろうが、もしあの全ての家の屋根が登坂可能であったなら新しい空間体験が生まれるだろう。

斜めの原理は今後も通用する普遍性を少なからずもっているのではないかと思わせられた。
そのくらいパランの論文は熱意の伝わってくるものであった。
短い論文であるので、一読をお勧めしたい。

引用文献

キーワード

このページへのコメント

r97ihW Major thanks for the blog.Thanks Again. Keep writing.

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Posted by check this out 2013年12月21日(土) 07:47:34 返信

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