パランにおいて最も評価すべきは、現代の病巣を見事に射抜いたその先見性であると思います。ここまでアクロバティックな提案でしか目先の幸福に飛びつく大衆の覚醒を促すことも、かつて彼らがこぞって賛美し、そして夢見た近代建築からの脱却も有り得ない。そう、「実現可能かどうかはあまり重要でなかった」のです。時としてわざとらしささえ感じられる、全編に渡って書き綴られた「斜め」のありとあらゆる利点も、モノトーンで描かれた力強いスケッチの数々も、不自然なほど一貫してドミノシステムの利点から目を逸らし続けるその姿勢も、全ては彼の暗なる主張〜新たな様式と評価軸の獲得〜のために演じた道化に他ならないのでは、とさえ感じられました。

「斜め理論」をフィードバックする手法は多々考えられますが、先輩方の指摘にもあるように、「斜め計画」がランドスケープレベル、都市レベルでの実践を前提としている以上、この計画を実現するのは不可能かと思います。
つまるところこの本をめぐる議論の中心となるのは、いかにして現代に巣食う近代建築を駆逐し、大衆の支持を得つつ都市に侵攻していくか(かつてドミノシステムがそうであったように)、その方法の模索に尽きるのではないでしょうか。
パランが「斜めの機能」を提唱した1966年から数えること実に43年、未だもって我々は近代建築の亡霊と戦い続け、彼の言う二元論から抜け出せずにいる。「斜め理論」が現代建築においてもなお有用性をもって聞こえるのは、その証拠に他なりません。近代建築の爪痕は想像以上に深かった、としか弁明のしようは無いのでしょうか。なにも斜めだけが建築の未来ではなかろうと思います。ディスカッション中、「メディアテーク以降の伊東豊雄」というワードが出てきましたが、次回以降それに関連させたテーマについて先輩方の意見をお聞かせ願えればと思います。

(追記)
終わりの建築/始まりの建築〜ポスト・ラディカリズムの建築と言説(五十嵐太郎・INAX出版)において、パラン&(訳者あとがきでも述べられている)ポール・ヴィリリオ→ジャン・ヌーヴェルという系譜について言及されていました。「建築原理」発刊当時の1966年付近に起きた「建築の転回期」(弘陽さんが以前ログで書かれていた「ポストモダン関連の本を読んでいると必ず登場する1968年」)ですね)と絡めて、近代建築以降の系譜を俯瞰するには良いテキストだと思いましたので、レコメンドしておきたいと思います。

このページへのコメント

とても良い意見だと思いました。
では、道化を演じたパランから僕たちが何を学べるのか?あるいは、今の建築家たちにどのように影響を与えているのか?などを具体的に調べてみるのはどうでしょうか。
そもそも何故パランは道化を演じなければならなかったのでしょうか?今パランが本を書いたとして、同様に道化を演じるでしょうか?

近代批判は論としては面白いけれども、実際にどのように批判できるかを考えはじめると、そんなに有効な意見は無いというのが今のところの僕の考えです。「だからこそ近代を超克せねばならないのだ!」という意見も分からないではないですが...。

「メディアテーク以降の伊東豊雄」
僕もぜひ調べたいです。他に「建築と哲学」における特異なオブジェと象徴性の関係について考えることが前回からの宿題でした。

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Posted by 田中 2009年04月15日(水) 22:29:03 返信

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