エッフェル塔はそれ自身何も意味しないが故に、何ものにも意味される対象となり得るという。
エッフェル塔は宗教的な塔でもなければ、特定の企業の塔でもない。
一本の線であり、透かし彫りの構造であり、その存在は空虚である。
しかしながら、パリにいると常に見える存在で、それは確かに記念碑ではあるけれども、空虚な記念碑である。
一見矛盾のように思える存在がエッフェル塔の特徴としてあり、それが魅力の一因になっているのかもしれない。

田中くんがレポで、エッフェル塔に上った人すべてが「新しい知覚」によって構造主義の実践者となるという考え方について述べている。
僕もその部分について興味深いと思った。
エッフェル塔に上ることによって人々は地理的空間を得たこと、それによって俯瞰的視点を得て、都市の成り立ち方や、人々の行動などを構造主義的に理解することが可能になることについてバルトは述べているのだろう。
地理的空間については、現代において高層建築が普及したこと、google earth の貢献などによって現代人は既に獲得しているといえるのではないだろうか。
田中くんが言うように、「エッフェル塔は果たして構造主義の実践者を生み出すために立ち上がったの」ではないだろう。
結果的な現象を方法論として抽出することには無理がある可能性が高い。

このページへのコメント

z2jPlB Great blog.Thanks Again. Really Cool.

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Posted by seo thing 2013年12月21日(土) 00:34:27 返信

googleとの関係への指摘はすごく面白いと思いました。それについてコメントを書きたかったのですが、長くて文字数オーバーになってしまうので、自分の記事に追記として書かせてもらいました。良かったら見てください。

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Posted by 田中 2009年04月05日(日) 11:45:51
http://wiki.livedoor.jp/archilive2008/d/Vol%2e12%2...
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