宇気比

※エロ無し


28 宇気比  sage 2009/05/09(土) 22:54:50 ID:Loy7egbJ
木漏れ日の中を、神官装束に身を包んだ五歳くらいの一人の童子がとことこと歩いている。結禿の髪に、きらきらと光る簪をさしている。
女児のように愛くるしい顔。彼は千羽病院の敷地に入ると駆け出し、迷う事なく小さな祠を目指した。そして目的の人と対面する。
「お久しぶりでしゅ、お父しゃん!元気?」
子供特有の高い声でお父しゃんと呼ばれたのは病院の庭の祠に住む神、千羽だった。
「おお、宇気比ではないか。久しいな。今日はまた何の用だ?」
「用はないでしゅ。ただお父しゃんに会いたくなって。わあ、嬉しいな!お父しゃんだ、お父しゃんだ!」
ぴょんぴょんと跳ねて無邪気にはしゃぐ童子を千羽は目を細めて見、頭を撫でてやった。宇気比はもう百四歳になるというのにいつまでも可愛い。
「そうか。ゆっくりして行くといい。旅の話など聞かせてくれ。」
「その前にお父しゃんの顔見しぇて。わあ、相変わらじゅいい男。結婚しないの?」
「小生は結婚はせんと決めている。」
「ふうん、勿体無い。わし、お父しゃんの子供見たいのに。きっと可愛いよ?」
宇気比の言う通り千羽は男前だった。だが彼はその顔を晒す事はない。神となったその時より私を滅し人に尽くす事を証する為、顔を布で覆っている。
この祠で千羽に祈り、誓いを立てる人間達の真摯な思いが形となって生まれた妖怪宇気比は千羽を父と慕い、千羽もまた宇気比を我が子と認め愛しみ慈しんでいた。
だから彼は顔を見せる事を宇気比にだけ許している。宇気比が旅に出ると言ったのは七歳の時。可愛い子には旅をさせろという言葉に習い、千羽は宇気比を見送った。
以来親子は十年か二十年に一度再会している。

彼らが和気藹々と話していると、そこへ二人の人間がやって来た。
「これが件の祠か。こんな物壊して祟りがないか?」
「祈る奴なんかいない祠です。きっと神様なんか住んじゃいませんよ。新病棟建設に邪魔なだけです。」
「しかしな。壊さずに場所を変える事も出来るだろう。」
「顔に似合わず信心深いっすね、先輩は。そんなに心配なら神主呼んで御祓いしてもらいましょうや。その方が工事の人間も安心するだろうし。」
「お前は俺の顔を何だと…。と言うかよかせばいいだろう。」
「設計士が下見に来た時、こんな汚い祠は美観を損なうだけだから絶対壊せと言ったんすよ。」
壊す?小生の祠を?
驚きに言葉を失う千羽の代わりに、宇気比が人間達の前に飛び出て言った。
「壊しゃないで!」
「わあ!びっくりした!何だお前?凄い格好してるな。」
「ここには神しゃまがいましゅ。わしのお父しゃんが。だから邪魔なんて言わないで。」
「神様がお父さんだって?おかしいんじゃないか?精神病棟の入院患者か?」
「わしは妖怪でしゅ。」
「妖怪?何言ってんだ。ごっこ遊びなら友達とやれ。」
「ほらほら、お兄さん達は仕事をしてるんだよ。子供は向こうへ行きなさい。」
「先輩はお兄さんじゃなくておじさんでしょうが。」
「わしは百四しゃいでしゅ。子供じゃありましぇん。」
「はいはい。わかりました。百四歳ね、長生きだね。」
「わかったから行った行った。」
「うぅ…。壊しゃ…ないで…。お父しゃんが…お父しゃんがいるの…!ええぇぇん!」
「おい!泣くな!」
「うわあああぁぁぁん!ああああぁぁぁん!」
「先輩、これどうしよう。」
「お前アメ持ってないか?」


二人が困っている所へ紙袋を持った車椅子の老婆がやって来た。寝間着姿であるところを見れば入院患者なのだろう。
「もし、どうなさいました?小さい子が泣いているけれど。」
救いの神が来たと言わんばかりに二人は口々に事情を説明した。女の人なら子供を泣き止ませる事ができるかもしれない。すると。
「まあ!この祠を壊すですって!?いけません、そんな事!」
「それはまた何で?」
「この祠には千羽様とおっしゃる神様がいらっしゃるんです!私の孫を二回もお助け下さったんですよ!」
「でももう決まった事なんですよ、お婆ちゃん。」
「いけません!絶対いけません!お願い、壊さないで!」
老婆…鳥居ひばりは必死にせがむ。だが、業者はわかりましたとは言わない。上の決定を変える権限は彼らにはない。しかし同情心が湧き、一つの提案をした。
「そんなに言うなら住民運動を起こして署名を集めたらどうですかい?まあ、無駄だとは思いますがね。」
業者は手帳に自分達の会社の住所と総務課の電話番号を書き、破いてひばりに渡した。そして仕事にならねぇと去って行く。
ひばりが業者を止めようとしてくれた事で泣き止んだ宇気比は、ひっくひっくとしゃくりあげながらまだ涙の滲んでいる目でひばりを見ている。
「お婆しゃん…。わし…ひっく…しぇんばしゃまの子供なんでしゅ…ひっく…でも力が何もなくて…。」
「まあ、千羽様のお子様?可愛いわね、お名前は?」
「うっく…宇気比と言いましゅ…えっく…。」
「宇気比ちゃんね。泣くのはお止しなさい。男の子でしょ?千羽様もご心配なさるわ。」
「でも…でも…!」
「大丈夫よ。この祠は壊させないわ。お婆ちゃんがきっと何とかするから。さあ、お饅頭をお食べ。」
紙袋から饅頭を一つ取り出し、宇気比に手渡す。孫娘の夏実が見舞いに持って来た近所でも評判の老舗の饅頭だ。
「お願い…しましゅ…。お饅頭ありがと…。お父しゃん…わし、お婆しゃんからお饅頭もらったよ。お父しゃんも食べる…?」
「千羽様の分は別にあるの。それはあなたがお食べ。」
ひばりは祠の前に来ると紙袋から饅頭を二つ取り出し、いただき物ですがと一言言い置いてから供える。そして拍手を打ち千羽に話しかけた。
「千羽様。私、住民運動を起こします。この祠は決して壊させません。ですからご安心下さい。」
「有難う、ひばり殿…。頼みます…!」

祠は人々の祈りの依巫の役を担っている。生粋の神とは違い、妖怪として生まれた千羽は祠がなくば只の小妖怪だ。
病を治す力は残るものの、何も印がないのでは人は彼を神だと知る事はできない。祈る者がなくなれば彼の身は縮み遠からず消滅してしまう。
そうなるのが嫌なのではない。本来助けられる筈の病んだ人々を死なせてしまうのが何より辛いのだ。
ひばりが病室へ帰って行くのを見送った後、千羽は宇気比に饅頭を食べるよう勧めた。
「ほら、せっかくひばり殿がくれたんだ。食べるといい。」
「うん。お父しゃんも一緒に食べよ。」
「そうだな、小生もいただくとしよう。甘い菓子など久しぶりだ。」
宇気比が嬉し気に大口でかぶりつく。千羽が惜しむように小口でかじる。
「美味しいね、お父しゃん!お婆しゃんのお饅頭とっても美味しいね!」
「ああ、美味いな。ん?お前口の周りに食べかすがついているぞ。仕方のない奴だ。」
指で食べかすを摘んでやり、自分の口に入れる。宇気比が幼かった頃は唇でついばんでやったものだが、今はもうしない。
「もう食べちゃった…。」
「ここにもう一つあるぞ。そら。」
「でもしょれはお父しゃんの分…。」
「いいから食べろ。」
「んー、じゃあ半分こしよっ!」
仲睦まじい親子は残った饅頭を半分ずつ平らげ、会わなかった間に身の回りに起きた事などを教えあった。


それから一週間が経過した。気落ちした暗い表情のひばりが千羽の祠を訪れ、報告した。
「申し訳ありません千羽様…。署名が集まりません…。みんな千羽様を知らなくて…。知っていても千羽様なんている訳ないと言うんです…。でももう少し頑張ってみます…。」
老いて病んだ体。しかも入院中の身で人々に呼びかけるのはどれだけ大変だった事だろう。ひばりは悲しさと悔しさで涙を流している。
「泣かないでくれ、ひばり殿…。人々の信心を集められぬ小生が悪いのだ…。」
「お父しゃん、諦めないで!」
「小生とて諦めたくはない。しかし…。」
「奴良組のお爺しゃんに頼んでみましょ!わし、行って来る!」
「あ…おい…。」
千羽の返事も聞かず、宇気比はたたたと一目散に駆けて行った。小生は小物とはいえ奴良組の者だ。だが、土地神が納めるべき金も物も上納していない。
そんな者を果たしてぬらりひょん殿はお助け下さるのか。

奴良組本家入り口に着いた宇気比は小さな握り拳を作り、閉ざされている門をどんどんと叩いた。
「頼もう!頼もう!」
しばらくするとぎいと音を立てて門が開いた。出て来たのは首の無い若い男だった。
「何だい?君は誰?」
「わしは宇気比と言いましゅ!お父しゃんの…しぇんばしゃまの子供でしゅ!お父しゃんをたしゅけて下しゃい!」
「しぇん…?」
「奴良組の神しゃまでしゅ!お爺しゃんに会わしぇて下しゃい!」
「神…。土地神かい?詳しい話を聞いてあげるからお入り。」
宇気比と名乗った童子を中へ通し、客間へ連れて行く。歩いている間にも宇気比は矢継ぎ早に用件を口にする。
「あのね、あのね、お父しゃんの祠が壊しゃれしょうなの!人間に!だからたしゅけて!」
「祠ってどこにあるんだ?」
「病院!しぇんば病院!」
「しぇんばと言うのはもしかして千羽の事か?前に黒田坊が言っていたあの…。」
黒田坊を呼んだ方がいいか。そう思って彼は物珍しげに宇気比を見ていた納豆小僧に頼んだ。
「おい、納豆小僧。黒田坊を客間に呼んでくれ。千羽の事で話があると。」
「わしのかんじゃしあげましゅから!お父しゃんをたしゅけて下しゃい!お願いしましゅ!」
「簪はいいから。」
「じゃあ着物を!」
「それもいい。おいで、こっちだよ。」

客間に着き、宇気比を座らせる。宇気比はきょろきょろと室内を見回して訊ねた。
「お爺しゃんは何処でしゅか?」
「総大将はおいそれと客人には会わないんだ。僕達が話を聞くから。」
ややも経たずに黒田坊が入ってきた。
「首無、拙僧は千羽の事など何も知らんぞ。知っているのは奴良組の土地神だという事くらいだ。…この子供は何だ?」
「千羽の子供だ。」
「あいつ子供がいたのか!拙僧を差し置いて生意気な!」
「お父しゃんを悪く言うな!馬鹿!うんこ!」
「う、うんこだとぉぉぉ!?貴様!取り消せ!」
「黒田坊…。こんな事くらいでムキになるな。お前が悪い。謝れ。」
「取り消されるまで謝らん!お前はうんこと罵られた事があるのか!?拙僧の繊細なガラスのハートに傷がついたではないか!」
「宇気比と言ったね?千羽の祠が人間に壊されるのはどうして?いつ壊されるんだい?」
「壊しゃれるのは…しん…しんびょーとーが来るから邪魔だからだしょうです。いつなのかはわかりましぇん。」
「こら!無視するな!無視する奴がうんこなんだぞ!」
「お饅頭のお婆しゃんが住民運動したけど、しょめーが集まらなくて泣いていました!このままだとお父しゃんは死…死んでしま…。うあぁ…!うえぇぇぇん!」
「ほらほら、泣かない。しかし困ったな。どうしたものか…。」
「ええい、うるさい奴だ!しかもうんこだし!親の顔が見たいわ!全く千羽の奴、自分の子供にどういう躾をしているのやら!」
「こうなったら工事が始まる前に祟り騒動を起こすしかないか。若に許可を頂いてうちの妖怪を何人か祠へ連れて行き、人間を驚かせよう。」
「ひっく…しょれはいけましぇん…。えっえっ…人間が…かわいしょうでしゅ…ひっく…。」
「だけどそうでもしないと祠が壊されちゃうよ?お父さんが死んでもいいの?」
「やだああぁぁぁ!うわあああぁぁぁぁ!あああぁぁぁぁん!」
火がついたように泣き出した宇気比を首無は抱っこしてあやしてやる。黒田坊は顔をしかめて両手で耳を塞いでいる。


宇気比の泣き声を聞きつけて妖怪達がわらわらと集まってきた。
「首無、黒田坊。その子供は一体?何でこんなに泣いてるんだ?」
「これはうんこだ!」
「うんこ!?酷い事言うなよ。お前の子供だろう、認知してやれ。」
「な、何故拙僧の子供と言う事になるんだ!首無の子供かもしれないだろう!」
「首無は童貞に決まっている。婚前交渉する度胸などない。」
「何?お前その顔で童貞だったのか!ほうほう。拙僧はてっきり毛倡妓あたりと済ませているものだと思っていたぞ。」
「な…!ぼ、僕は…!」
「違うのか?」
「……。さあね…。」

はぐらかされた黒田坊は拙僧の初体験は年上の未亡人で…などと語りだす。それにつられて他の妖怪達も自分の時はああだったこうだったと首無を促そうとする。
首無は宇気比を抱っこしたまま立ち上がり客間を出た。どこへ行くと問われたが答えなかった。
彼が向かったのはリクオの部屋だった。宇気比は人間が可哀想だと言ったが、千羽を救うには祟り騒動を起こすしかない。それにはリクオの許可がいるのだ。
「そういう事なら仕方ないね。いいよ。なるべくおどろおどろしくて怖い見た目のを二人ほど適当に見繕って連れて行くといい。」
「いけましぇん。人間がびっくりして死んだら…。」
「お父さんが死ぬのとどっちがいい?」
首無が選択を迫る。驚いて死ぬと言ってもたかが人間じゃないか。とは言わない。目の前にいるリクオは総大将の孫とは言え、人間の血を色濃く引いている。
「ううぅ…お父しゃんが死ぬのは嫌でしゅ!じぇったい嫌でしゅ!」
「じゃあ人間を驚かせるしかないよ?」
「しょれはいけましぇん!」
「他に方法があるのかい?」
「あ…ありましぇん…。うぁ…。ええぇぇぇん…!どうしゅれば…どうしゅれば…。わあぁ…!お父しゃん…!」
「気持ちはわかるけど奴良組にいる以上は僕の決定に従ってもらう。」
「ぐすっ…わしは奴良組じゃありましぇん…。しょれはお父しゃんでしゅ…。くすん…。」
「君は千羽の代理で来ているのだろう。ならば同じ事だ。」
「うっ…うっ…。はい…。」
リクオと首無は渋々納得した宇気比の涙を拭い、鼻もかませてやる。ついでに頭や背中も撫でた。工事がいつ始まるのかわからないので、今日から交代で見張る事にした。
「二人ともすまない…。小生などの為に…。」
「いいって事よ!同じ奴良組じゃねぇか!」
「若の思し召しだしな!」
姿は怖いが気はいい妖怪達と、それを遣わしたリクオに千羽は心から感謝した。彼らを呼んだ宇気比にも礼を言う。
「有難う宇気比。これで祠は壊されまい。」
「うん…。人間を脅かすのは嫌なんだけど…。でもお父しゃん嬉しい?」
「ああ、凄く嬉しいぞ。お前のお陰だ。」
「えへへ、しょっか。じゃあいいや。」
一週間前に宇気比がここへ来たのは天の配剤かもしれない。
その日は誰も訪れなかった。次の日も。また次の日も。時折ひばりが来るだけだった。そして四日目の朝、業者が数名の神職を伴って現れた。
「来たぜ。」
「まずは様子を見るとするか。」
神職達は千羽の祠を取り囲むように八脚台を組み、その中央に榊の枝を立て、神垂と木綿を取り付けて神籬を作った。そして一人が幣を振るい、祝詞を奏上し始めた。
「此の神籬に招奉り坐奉る掛けまくも畏き…。」
自分達の神社の神を呼んで千羽を鎮めようという算段らしい。
「何だこのお経?」
「ふぁ〜あ。あくびが出らぁ。そろそろやるか。」


妖怪達が人間達を脅かそうとした時、神籬の中に首に赤い布を捲いた白い狐が現れた。それは神職達の神社の神の遣いだった。
「妖怪…。何事であるか。」
「あのっ、小生はこの祠の主で千羽と言います。妖怪ではありますがここで病を治す神をして久しく。此度人間達が新病棟建設の為、祠を取り壊そうとしているのを防ごうと
こうして見た目の怖い妖怪達に人間を脅かしてもらおうと頼った次第で…。」
「そうそう、そういう訳だからすっこんでな!」
「まあ、見物くらいしてってもいいけどよ!ガハハ!」
「ならん。自力で解決せよ。」
「そ、そんな…!小生には病を治す他は何の力も…!」
「おいおい、心の狭ぇ事言ってんじゃ…うおぉっ!?」
狐が火を吐き、妖怪達が一瞬で黒焦げになった。焼け焦げる肉の臭いに居合わせた人間達がどよめく。
「なあ、何か臭くないか?」
「臭いな。何の臭いだ?」
「祠の神が怒ってるんじゃ…。」
「ま、まさか!」
「でも他に思い当たらないぞ!か、神主さん!何とかして下さい!」
うち一人は怖がりなのだろう。ひいと悲鳴を上げたかと思うと駆け出して逃げて行った。狐が宇気比にも火を吐こうと口を開く。
「やめて下さい!これは小生の息子です!」
千羽があわてて宇気比を抱き締めて庇うと狐は口を閉じ、その場から消えた。
「宇気比!取り急ぎ奴良家へ行ってくれ!小生に怪我は治せん!」
「はい!お父しゃん!」

千羽の祠に詰めていた妖怪達が神の遣いにやられたという話は瞬く間に本家に広がった。
「出入りだ!神様だろうが何様だろうが仲間をやった奴は生かしちゃおけねぇ!」
「総大将にお知らせしろ!若にも!黒!青!出番だ!」
「おっしゃあぁぁ!」
「やれやれ、あんなうんこの親…言わば尻の為に。まあ、仕方なかろう。」
約一名を除き気色ばむ妖怪達をぬらりひょんが制止した。
「静かにしねぇか、馬鹿野郎共が。妖怪二人を一瞬で倒すほどの遣いを従えてる神と全面抗争して只で済むと思ってんのか?あぁ?」
「しかし総大将!」
「行くのは十人だけじゃ。同じ事二度も言わせるんじゃねぇぜ。」
「は…はい…。」
普段はおちゃらけているが、畏の代紋を数百年背負って来たぬらりひょんの迫力は他に類を見ない。妖怪達は広間に集合し、祠へ向かう十人を選抜した。
まずは最初に宇気比と会って用件を取り次いだ首無。火に対抗する為に水を操る河童と氷を操る雪女。奴良組最強を誇る黒田坊と青田坊が選ばれた。
そこまでは誰も文句を言わなかった。だが後の五人を選ぶ時妖怪達は押し合いへし合い我が我がと名乗り出て3の口まで志願した。
事態は急を要するという事で結局リクオの鶴の一声で残りの五人が決まった。リクオは自分も行くと言ったが、危ないからと皆に止められ留守番する事となった。
「ぶっ殺して来ーい!」
「俺達の分まで頼んだぞ!」
仲間達の声援を受けて十人は千羽の祠へと駆けた。着くと既に祝詞は終わっており、神籬は片付けられていた。業者が祠に手を掛けようとしている。
先陣を切ったのは勿論あの二人だった。
「うるああぁぁー!奴良組特攻隊長青田坊様、流星の如く只今見参!」
「同じく黒田坊!それを壊すな人間!」
「な、何だ君達!?」
「妖怪…いや、神の遣いじゃー!」
「馬鹿な事を…ああ、こらこら!邪魔するんじゃない!」
「うるせぇ!食らえ!」
青田坊が業者神職お構い無しにぶっ飛ばす。闘う力などない単なる人間である彼らはいとも簡単に地面と仲良くなった。
「へっ、口ほどにもねぇ!」
「青、別に誰も何も言ってないだろう。」
黒田坊が突っ込みを入れた時、狐が再び現れた。神籬がなくても来られるらしい。


「千羽…。その耳は飾りか?」
答えを待たずに狐が妖怪達に向けて火を吐く。すかさず河童が迎え撃つ。熱い水蒸気が辺りに立ち込めた。
「熱い!熱いー!」
たまらず雪女が凍気で冷やす。加えて狐の口を氷で塞ぐ。火を封じられた狐は宙に舞い、四本の脚とその爪で妖怪達を攻撃し始めた。
青田坊が弾き飛ばされた。一同が目を見開いて驚愕する。
「ぬ…!何て馬鹿力だ…!」
彼は迷う事無く首に掛けていた数珠飾りを取り去った。これで本来の力が発揮できる。
「推して参る!」
黒田坊の袖から無数の暗器が狐目掛けて襲い掛かる。狐がひらりとかわす。河童と雪女の攻撃を受けた狐は最早油断をしない。
「素早い…!」
「降りて来なさい!怖気づいたの!?」
毛倡妓の挑発に乗ったのか狐は宙より降下し、一番先に目に入った妖怪達を前脚で薙いだ。吹っ飛ばされたその体を別の妖怪が受け止めてやる。
前脚で、後ろ脚で、尾で、狐が妖怪達を攻める。妖怪達は防戦一方となる。狐の攻撃をよけた場所には大きな穴が開いた。既に幾人かは地に倒れ付していた。
長い攻防の末、狐は自滅した。果敢に向かって来た河童を前脚で潰そうとした時に地面が抉れ、弾かれた小石が目に入ったのだ。
「がっ!」
その隙を青田坊は見逃さず、狐の尾を両腕で抱えると狐の体ごと振り回し、渾身の力で建物にぶち当てた。
間髪入れず首無と毛倡妓がその自在に操る糸と毛で狐を絡めて動きを拘束する。狐は逃れようとあがいたが、動けば動くほど首無の糸が肉に食い込んだ。血が流れる。
妖怪達が総攻撃を仕掛ける。青田坊の猛打。黒田坊の暗器。河童の忍法。雪女の凍気。そしてついに妖怪達は強力な狐を打ち負かした。
「仕留めた!」
一同が勝利に喜んだのも束の間、新たに五体の狐が現れた。
「新手!それもこんなに!」
「この人数で闘うのは不可能だ!援軍を…!」
「そんな暇ありませんー!」
狐達が一斉に火を放った。雪女があわてて氷の盾を作り凌ぐ。だがそれもすぐに溶かされ、火の手が彼女達を襲った。
「散れ!固まるな!」
黒田坊の声に皆が三々五々に散らばる。だがこのままでは全滅だ。何とか隙を突いて一旦退却するより他にない。
火から走って逃げ惑う一同。休む間などない。
「皆、もういい!小生が消えれば済む事です!狐達よ、そういう訳ですからもうお帰り下さい!」
千羽が大声で言ったが狐達は許さない。毛倡妓が躓いて転んだ。狐達が口を開く。
「危ない姐さん!」
首無が毛倡妓に飛びついて庇った。火が吐かれ、二人は大火傷を負った。
「首無!毛倡妓!」
「もう止めてー!」
祠で千羽にしがみつきがたがた震えていた宇気比が狐達に向けて叫び、妖力を漲らせて宇気比した。
「千早振るやおよろじゅの神々に宇気比してわし言上げる!お父しゃんが正しければ狐達帰れ!誤っていればこの身雷に撃たれろ!」
快晴の空が割れた。

宇気比は雷に撃たれた。呆然となる千羽。何が起きたのかわからず言葉もなく立ち尽くす。やがておぼつかぬ足取りで宇気比に歩み寄り、へなへなと地に座り込む。
宇気比の髪を撫でる。身を屈めて頬ずりする。気持ち良く眠っている幼い愛息子を起こさぬよういたわるように優しく。
この子の名前は知っている。他ならぬ小生が名づけた。なのに呼べない。声を失ってしまった。
千羽がそうしている間にも狐達は妖怪達に猛攻を仕掛ける。そこへ強い光を纏った痩せた老人が現れた。
「これこれ、お前達。何をしておる。止めなさい。」
老人が狐達にしわがれた、しかし凛とした声で言うと狐達は攻撃を止めて老人に向き直り、ひれ伏した。
「宇迦之御魂神。」
「ああ、随分と酷い事を。妖怪達よ、うちの者達が済まなかったね。怪我と火傷を治してあげなくては。」
狐達から宇迦之御魂神と呼ばれた老人か細い腕をかざすとたちまち全員の怪我と火傷が癒えた。
「ほら、帰るよ。」
老人と狐達がその場から消えた。宇気比は雷に打たれ狐達は帰って行った。千羽は正しくもあり誤ってもいたのだ。
「千羽!毛倡妓達を頼む!」
動ける首無達が奴良家へ迎えを呼びに行った。千羽は宇気比の傍から離れない。宇気比は千羽の膝で昏々と眠り続け、二日後に目を覚ました。そして恐る恐る父に訊ねる。
「お父しゃん…怒ってる…?」
「怒る…?何故だ…?」
「だってわし…宇気比の時にお父しゃんが間違ってるかも知れないって言ったから…。うぅ…。ごめんなしゃい…。うええぇぇ…。」
「怒っていない…。怒ってなどいるものか…!宇気比…!」
やっと声が出て宇気比の名を呼び泣く事ができた。宇気比。宇気比。宇気比。小生のたった一人の大切な息子。


その後新病棟建設は白紙となり祠が壊される事はなくなった。青田坊が病棟の一部を破壊した時に集まって来た人々が暴れる狐達を目撃していたからだ。
それを聞いた者達は嘘だと、夢でも見たのだと最初笑ったが、病院の庭に残された大穴を見てごくりと唾を飲み本当だったと知った。
この事はテレビでも報道され全国の視聴者に知れ渡った。やがて浮世絵町の千羽病院の庭の祠には本物の神がいると各地から病気平癒の祈願者が訪れるようになった。
誰より喜んだのはひばりだった。あの暗かった表情が嘘だったかのように笑顔で千羽に詣でる。
「良かった…。本当に良かった…。千羽様、これからも私達をお助け下さい…。」
「お任せ下さい、ひばり殿。」
「お婆しゃん、頑張ってくれてありがと!」
奴良家は神の遣いの戦闘力の凄まじさの話題でもちきりだった。
「そりゃ凄ぇの何のって!馬鹿みてぇに早くてよ!」
「最初青が力負けしたんだ!あの青がだぞ!信じられるか?」
宇気比と同じく二日間眠っていた毛倡妓も目を覚まし、狐火から自分を守ろうとしてくれた首無に礼を言った。
「あの時はありがとう。結局二人とも焼かれちゃったけど…嬉しかった。私、あんたに惚れちゃった。」
「えっ…。ほ、惚れ…!?」
「首無…。」
毛倡妓が首無の背と腰に腕を回し彼に口付けた。首無は戸惑ったが、一応初めてという訳ではなかったので何とか応える事ができた。
唇を離して見つめ合う。微笑む毛倡妓に首無は何て美しいのだろうと見惚れた。
「今夜私の部屋に来て…。」
「ね、姐さん…!そういう事はもっと時間をかけてからじゃないと…!」
「もう、真面目なんだから。口でしてあげるのに。」
「口で…?何を…?」
「……。ウブね…。」
「???」

さらに一週間が経過した。宇気比はまた旅立つと千羽に言った。千羽は宇気比を引きとめずっと傍に置いておきたかったが、宇気比はもう幼くない。
「しょれじゃお父しゃん、行って来ましゅ。お元気で。」
「お前こそ。くれぐれも気をつけるのだぞ。いつでも帰って来い。」
「うん!お父しゃんしゅき!じゅっとしゅき!」
「小生もだ。」
宇気比が歩き出す。何度も振り返っては手を振る。太陽の光を受けて彼の簪がきらりと輝いた。

<宇気比・完>



2009年06月18日(木) 18:59:10 Modified by ID:99JzfgdaZg




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