乞魂

※エロ無し


19 乞魂  sage 2009/05/07(木) 02:04:03 ID:4cYxH8oI
学校から帰って来たリクオは早々に宿題を済ませ、テレビを見たり漫画を読んだりして過ごしていた。空が暗くなった頃に夕飯をとり、風呂に入ろうと思った時
母である若菜から体操着を出せと言われた。
「忘れていたわ。洗濯しなきゃ。昨日大雨が降ったから運動場は水浸しで泥が跳ねたでしょ?」
「あー、体操着ね。教室に忘れて来ちゃった。ごめん母さん。明日は必ず持って来るから。」
「駄目よ。一日置くと汚れが落ちなくなっちゃうわ。取りに行きなさい、リクオ。」
「もう校門は閉まってるよ。」
「そんなのあなたなら跳び越えられるでしょ。校門が閉まってても宿直の先生がいらっしゃるから入り口は開いてるだろうし。行くのよ。」
「仕方ないなぁ。わかった、わかりましたよ。行きます。」
リクオはこの母に弱かった。逆らえた事など過去一度もない。玄関を出ようとすると巨漢の男が声をかけて来た。奴良組特攻隊長の片翼、青田坊だ。
「若、どこへお出かけで?コンビニですか?おやつの食い過ぎには注意するんですぜ。」
「違うよ。忘れ物を取りに学校へ行くんだ。」
「じゃあ俺バイク出します。ちょっと待ってて下さい。」
青田坊は妖怪であるにも関わらず、何故か人間の暴走族である血畏夢百鬼夜行のヘッドをしている。
「バイク?いいよ、ヘルメットないだろ。第一あんな時代の反逆児みたいな仕様のバイクに乗ってる所を人にみられたら困るから一人で行く。」
「そ…そうですかい?じゃあお気をつけて。」
「リクオ様ー。私がお供します!」
はいはいと手を挙げて雪女が走って来た。そして廊下の何もない所ですてんと転ぶ。
「痛ぁ!」
「大丈夫?つらら。まったくドジなんだから。」
呆れた顔で言う。雪女は起き上がるともう一度同行を申し出た。リクオは断ったが、彼女がどうしても一緒に行くと言ってきかないので連れて行く事にした。
家を出て、二人で夜道を行く。リクオは普段の通学路とは違う道へ歩を進めた。
「若?学校はこっちじゃありませんよ。寄り道するんですか?」
「近道するんだよ。おいで。」
「はぁい。」
歩いて行くとやがて小さくも大きくもない神社が見えた。その総数は一万社とも二万社とも言われる八幡様を祀る神社だ。だがここは普通の神社ではない。

「若…ここって…あの噂の…。」
「大丈夫。通り過ぎるだけだから。」
その神社は、祭の日程を一日でもずらすと神社に近い家の氏子から死んでいくという曰くつきの神社で、周辺の住民に恐れられていた。ブランコがあるが
子供達はそこで遊ぶ事を大人から止められている。リクオも祖父から「あの神社にいるのは神とは名ばかりで、妖怪なんじゃ。」と教えられていた。
しかしリクオは妖怪には慣れている。自分も妖怪の血を引いている。だから恐れる事なくそこへ立ち行った。妖気がするがその主に用はない。だが。
「おおぉぉ…。」
拝殿から呻き声がした。
「何だ?今の声…まさか!」
人間が神社に住む妖怪に襲われ苦しんでいるのか。リクオは勢い良く拝殿に飛び込んだ。しかし中には誰も居なかった。
「空耳…?」
「いいえ。私も変な声を聞きました。」
「でも誰もいないね。行こう。」
いぶかしみながらも立ち去ろうとする。するとまた声がした。
「見るな。」
振り返るがやはり誰もいない。嫌な予感がしたが、二人は何かに誘われるように奥へ行った。高くなっている板の間に履物を脱いで上がり祭壇に近づく。もう一度声がした。
「我を見るな。」
「誰だ!」
リクオは祭壇に掛けられた布を振り払った。


自分の産んだ火加具土にほとを焼かれて死んだ伊邪那美は、黄泉津国で自分の姿を見てはならぬと伊邪那岐に言った。
人類最初の女パンドラは、ゼウスから贈られた壺の中を見てはならぬとエピメテウスに言った。
それをミルナの禁と云う。リクオと雪女はその禁を犯した。

頭に角を生やした禍々しい蛇がそこにいた。
「罪人め。我を見たな。見るなと言うたに。」
言葉とは裏腹に嬉しがっている。
「いましらは強物か。であるならば屠れ。屠り尽くせ。その時こそ我はいましらの魂を取って食らおう。」
祭壇が揺れた。いや、祭壇のみならず拝殿そのものが揺れている。地震かと思った瞬間、彼らは暗闇に呑まれた。
目を覚ますとそこは深い渓谷の底だった。暗く、月も星もないのにそれがわかった。歴史の資料集で見た大和王朝の頃の服装をした男達が、太刀を振るって襲ってきた。
「つらら!雪山殺しだ!」
咄嗟に言う。雪女が男達に冷たい息を吹きかけた。だが彼らは眠らない。
「効かない!?そんな!」
リクオは妖力で祢々切丸を呼び出して応戦する。人間を傷つける訳にはいかない。逃げようとする。しかし猫の子一匹通さないと言うかのように取り囲まれている。
仕方なく男達の脚を打ち付ける。肉を切る感触がし、男の脚から血が出た。祢々切丸は妖怪だけを切る刀だ。という事はこいつらも妖怪なのか。
脚を切っても男達は倒れない。死んだ魚のような目で襲い続けてくる。やむを得ず強く切り付ける。敵は一度は倒れるも、すぐ起き上がってきた。
そしてまたリクオ達を狙う。苦渋の決断。殺すしかない。
「やるぞ、つらら!」
「はい、リクオ様!」
雪女も本気を出して凍気を放出する。血飛沫が舞う。男達が凍てつく。

一体どれ位経っただろう。どれだけ殺しただろう。リクオの姿は既に夜の妖怪の姿となっていた。死屍累々の足元は血溜まりにぬかるんでいる。
それに脚をとられ、幾たびも転んでは起き上がる。殺しても殺しても敵は襲ってくる。百人、二百人、三百人…いや、それ以上か。休む間がない。
これは悪夢なのか。気が狂いそうだ。リクオと敵達は切り結ぶ。
「罪人よ、屠れ。さらなる罪を。」
あの声がする。
「糞野郎が!何が目的だ!」
問うも答えは返らない。
殺す。殺す。殺す。幾たびも切られ、突かれる。肩を、背中を、胸を、腰を、腹を。流れ出る自らの血と、浴びた返り血に髪を、着物を濡らされている。
袖が、裾が、体に張り付いている。汗や血が眼に入り、痛みをもたらしながら視界を塞ぐ。血の臭いに肺がむせる。手がぬるついて落としそうになる祢々切丸を必死で握る。
共に闘っていた筈の雪女の姿が見えない。辺りを見渡せば倒れているのが不自由な目に入った。
「つららーーーーーーーーっ!!」
死んだのか。殺されてしまったのか。駆け寄りたいが敵は未だ襲ってくる。闘うしかない。

あと四人…三人…二人…。最後の敵を殺した。蛇が現れた。
「よう生き残った。まこと強物よ。さあ、魂を寄越せ。食ろうてやろうぞ。」
「出やがったな…お前は何者だ…。何故こんな事を…。」
勢い良く怒鳴りつけてやりたいが、あまりの疲弊に弱い声しか出て来ない。だがその双眸は列伝の如く燃えている。
「我は袁本杼命を恨む者。」
「おおどの…みこと…?何だそりゃ…。恨んでるならそいつの所へ行きやがれ…!何故俺達を襲った…!?」
「いましらが罪人であるからだ。我は罪人の魂を食らう者。さしずめ乞魂と言ったところか。その昔には人間共から夜刀神とも呼ばれておったな。」
夜刀神。常陸国風土記の行方郡の項に伝えられている。その姿を見た者は一族もろとも滅んでしまうとも言われる。名前のヤトは谷を意味し、
文字通り谷や葦原などに大勢棲んでいるという。


「我を打ち倒した軍勢を差し向けた袁本杼命…。その祖である天照は憎々しくも今尚子孫を護っておる。我はいましらの魂を食らう。だがそれだけでは足らぬ。
ゆえもってさらに食らう。そして力をつけ、彼の者共の血筋を根絶やしにするのだ…!」
天照。確か皇祖神の名だ。その子孫…皇族か。国家の一大事って奴か。
リクオにとって天皇はテレビの中、国民の前で手を振る優しそうな爺さんという認識でしかなかった。皇室を護るというご大層な使命感は湧かない。
湧くのは夜刀神…乞魂への憎しみと復讐心、殺意だ。こいつをぶち殺せばこの谷から出られるだろう。殺す。殺して生きて帰る!
「御託はもういい!死にやがれ!」
渾身の力で祢々切丸を振り下ろす。だがその刀身は乞魂をすり抜け、切っ先が大地に突き刺さった。
「何…だと…!?」
再び切り付ける。すり抜ける。三たび四たび切り付ける。乞魂は傷つかない。
「無駄である。」
乞魂がにいと笑う。
「ど…どうなっていやがる…!何だお前…何なんだ!?」
「わからんか。この姿は幻影に過ぎん。だがいましを食らう事は叶う。」
本体が別にあるという事か。
「さあ…魂を…。」
乞魂の顎が開き、長く先端が針のように尖った舌が現れた。逃げる間もその力もない。
つっと舌ががリクオの血塗れの左胸に突き刺さった。声は出なかった。わずかに残された力すら全身から抜けていくのがわかる。魂を吸われるのが。

つらら…。つらら…。お前は俺が生まれた時からいつも傍にいてくれたな。いつも笑ってて。嫌な事があった時は励ましてくれた。なのに俺はその手を振り払った事もある。
チビだった頃、よく悪戯してすまねぇ。お前の作る弁当は凍っててとてもまともに食えたもんじゃなかったが、うまかった。お前は死んだんだな。でも寂しい思いはさせねぇ。
俺も今行くから…。

深い暗闇の中に来た。ああ、死んだ。お袋はどれだけ泣くだろう。祖父さんも。家に住む妖怪達も。魑魅魍魎の主になるなんて無理だった。蛇一匹殺せやしなかった。
つららは何処だ。
「つらら!つらら!返事しろ!つらら!」
声は出るらしい。今や肉体は失われ、痛い所はもう何処にもない。本当に死んだのだ。
声を張り上げ、探せど探せど雪女の姿は見当たらない。声すらない。徐々にわからなくなっていく。つららとは誰だったか。お袋はどんな顔をしていたか。
爺さんはどのように笑ったか。自分は何者だったか。魂が溶かされていっている。消える。後には何も残らないのだ。もう生まれ変わる事もない。

さよなら、と誰かに告げた。

仄かな光に照らされた。今にも消え入りそうな蝋燭の最後の灯火を思わせる光。だが神意を感じる。
「しっかり…。まだです。まだ諦めてはなりません。」
襤褸を着た若く美しい女がいた。光は彼女からぼうと浮かび上がっていた。手に鈴を持っている。リクオは知らないが、それは巫女が御礼の儀の折に使う神楽鈴だった。
「誰…だ…?」
「私は乞魂に食われた神。あなた達が訪れたあの社の元々の主です。ここから出る方法を教えましょう。」
「神…。ここから…出られる…?あいつは…あいつは無事なのか…!?」
あいつとは何の事だろう。わからぬまま問いかける。
「死んでいます。あなたと同じように。ですが乞魂さえ滅ぼせば黄泉返る事ができるのです。」
「倒すって…どうやってだ…?今の俺に…何ができるって言うんだよ…?」
「乞魂の本体を叩くのです。それは社の神木の根元…地の深くに埋められています。あれを壊す事は私にはできません。」
「社へ…どうやって行くんだ…?ここはあの世なんだろ…?無理言うなよ…。」
「この鈴を振るうのです。その音を聞けばあなたの魂は社へ飛ぶでしょう。用意はいいですか?」
「ああ…。やってくれ…。頼む…!」
生き返りたい。あいつと。いや、自分はこのまま消えてもいい。あいつさえ生き返らせる事ができるなら。


女神が鈴を振るった。シャリン、シャリンと透き通る音色が響いた。ふわりと体が浮く。闇を抜ける。リクオは魂のみで神社へ来た。
「神木…。何処だ…?あれか…!」
根元へ行く。どうやって掘ればいい。地下へ。深い地下へ行かなくては。そう願うと彼は大地をすり抜け地下へと到達していた。
何重にも紐が捲かれた木の箱があった。札が貼られている。その札を剥がし、紐を解く。そして木箱の蓋を開けた。
出て来たのは銅鏡だった。随分と古い。
「こんな…!こんな汚ぇ鏡があいつを…!許さねぇ…!絶対許さねぇ!!」
涙を流しながら鏡を持って地上へ戻る。乞魂がいた。
「ゲェーッ!それはっ!止めろ!それを壊すな!頼む!何でも言う事をきくから!そうだ、封じられてやる!もうこの時代に手出しはせん!だからっ…!」
リクオは答えを返さず、鏡を思い切り地面に叩き付けた。ごとりと鈍い音がして、鏡が三つに割れた。
「があああぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ!!」
断末魔の雄叫びを聞くと共に、激痛が甦った。体が戻ったのだ。
「つ…らら…!」
思い出した。彼女の名を。顔を。声を。取り戻すことが出来た。雪女を探す。境内にはいない。拝殿か。リクオは重い体を引き摺り、這うようにして拝殿へと向かった。

拝殿の祭壇の前に雪女が倒れていた。痛みも気にせず駆け寄る。
「つらら…!つらら…!目を覚ませ…!俺だ…!リクオだ…!つらら…!」
雪女は目を覚まさない。ぴくりとも動かない。ずたずたに切り裂かれ、赤く染め上げられた着物。彼女の体からもう血は流れていなかった。
「手遅れ…だったのか…?そんな…。そんな事ってあるもんか…。つらら…!うあぁ…!あああぁぁぁ!」
嗚咽を上げ、慟哭する。その声に魂を引き戻されたのか、雪女がうっすらと瞼を開けた。
「つらら…!」
雪女の唇がわずかに開かれた。何か言おうとしたのだろう。だが彼女は何も言わぬまま再び瞼を閉ざした。
女神が現れ、言った。
「大丈夫。生きています。今あなたの家に遣いを走らせました。じきに迎えが来るでしょう。」
「神さん…。つららは…。つららは…!」
「死なせません。決して死なせはしません。」
力強い宣告に、ああ、大丈夫なのだという事がわかり、力が抜けていった。

やがて朧車とバイクに乗った青田坊が馳せ参じた。バイクの後部座席には黒田坊が乗っている。
「若!どうした事です!?これは一体!?」
「ご無事ですか!?うっ、雪女!?し、死んでいるのか!?」
「馬鹿ぬかすんじゃねぇ!生きてらぁ!話は後だ、つららを朧車に乗せろ!そっとだ!」
その時、騒ぎを聞きつけた神主が拝殿にやって来た。
「な、何だ!?君達大丈夫か!?今救急車を呼ぶ!」
「放っとけ!人間の血なんざ輸血されてたまるか!」
神主を無視し、青田坊が雪女の肩を、黒田坊が脚を持ち上げ朧車に乗せた。リクオも乗り込み、家へと向かう。
取り残された神主は女神に訊ねた。
「き、君は?怪我はないのか?酷い格好じゃないか!」
「怪我はありません。私はこの社の元々の神。その昔悪しき妖怪に食われ社を乗っ取られていましたが、先程の少年のお陰でこうして戻る事ができました。
しかしもう行かなくてはなりません。」
「神様!?ど、どちらへ参られるのですか?」
「根の国へ。一度は死んだあの少年達を摂理を曲げて黄泉返らせた事で、私は罰を受けるのです。ああ、黄泉津大神の御遣いがいらせられました。
この社にはいずれ新たな神が参ります。その神をよろしくお願いします。」
そう言って女神は消えた。


それから八日が経過した。雪女は未だ起き上がれないが、意識を取り戻しリクオと共に順調に回復している。
リクオは周囲が止めるのも聞かずに毎日雪女を見舞っていた。
「つらら、気分はどう?」
「すっかり元気です。私は大丈夫ですから若はお部屋でお休み下さい。」
「何言ってんの。そんな酷い怪我なのに。痛むだろ?」
「若こそ。」
「お互い様だね。」
二人が笑いあう。
「若、お願いがあります。」
「何?何でも言って。」
「手を繋いで下さい。」
「え…。」
今までなら手ぐらいいくらでも繋げた。夏の暑い日にはよく彼女に抱きついて涼をとっていた位だ。だが今はそれがとんでもない事だったように思える。
リクオは躊躇ったが何でも言えと言った手前、断れない。布団の中から伸ばされた手を握った。相変わらずひんやりと冷たい。とくんと心臓が高鳴り、気付いた。
(そうか…僕はつららを…。)
「雪女、食事を持って…。し、失礼!」
首無が料理の乗った盆を持ったまま後ろを向いた。耳が赤くなっている。首無で良かった。これが毛倡妓だったなら、あっと言う間に噂を広められただろう。
「ま、待って首無。行かないで。つららにご飯をあげて。」
「は、はい!」
首無は真っ赤になったまま雪女の傍に行き、あーんをさせて彼女に食事を与え始める。
「しっかり食べて早く良くなるんだよ。若、若のお食事もお部屋に用意してあります。食べてお休み下さい。」
「うん、そうする。ありがとう。じゃあつららをよろしくね。」
雪女の部屋を出て行くリクオの手には、雪女の優しい冷たさが残っていた。

<乞魂・完>



2011年05月26日(木) 23:32:36 Modified by ID:YQO7mb6raw




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