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(2009/11/21)国は人口を一定数保ち続けるようにコントロールするべきだ


もくじ
■はじめに
■国が人口を管理・抑制するべきだ
■社会問題は人が存在するゆえに存在する
■国の保護なしに、個人は一瞬も存在できない。
■統計として全体を捉えるべきである
■国を「個人」として捉えて、自己管理するべきだ
■人口の増減を自然に委ねるのは不幸ということに気がつくべきだ。
■もし、戦後の日本でベビーブームを抑制していたら、今の急激な少子化・格差社会は起きていただろうか?
■生まれてこない幸せがある
■国は人口を一定数保ち続けるようにコントロールするべきだ




■はじめに

「社会に存在する問題はなんですか?」と問われた場合、あなたはなんて答えるだろうか?「格差社会」「貸し渋り」「天下り」「ワーキングプア」「医療」「介護」「薬害」「北朝鮮・拉致」「いじめ」・・・etc。さまざまな社会問題を思いつくかもしれない。あなたが思い浮かべる問題は、自分に関わることだったり、ニュースやメディアで見聞きしたものかもしれない。では次に、「社会に存在するあらゆる問題はどこから発生すると思うか?」と、問われた際あなたはなんて答えるだろうか・・・?

その答えを、一緒に考える前に一応断っておく。ここから、以下に記述する内容は、超管理社会。共産主義。独裁主義と思われるかもしれないが、いたって真面目に論じているつもりである。一党支配政権であれば、より「独裁色」が強くなるだろう。しかしながら、民主主義の多数決において決められたルールは、独裁政治でもなんでもない。今から述べることは、突拍子もない、論理の飛躍に思われるかもしれないが、こういう考えもある程度に読まれて頂ければ幸いである。


■国が人口を管理・抑制するべきだ

結論を先に述べる。国は人口を一定数保ち続けるようにコントロールするべきだと主張したい。「人口コントロール」というと、真っ先に思いつくのが支那の「一人っ子」政策であろう。支那を真似しろといっているのではない。むしろ、支那での一人っ子政策は失敗であったと思う。支那は共産党の一党独裁であり、人権もない。支那という巨大な暗黒大陸では、さまざまにうずまく不平不満を「武力」で鎮圧・黙殺し、露骨に言論統制している野蛮な国だ。とてもじゃないが、支那のような国になってはならない。「では、人口抑制は、どうしろというのか?」という話を論じる前に、まずは、その必要性はあるのか?を以下に展開していきたいと思う。


■社会問題は人が存在するゆえに存在する

冒頭で、「社会に存在するあらゆる問題はどこから発生するか?」の問いに対して、あなたは、どのような回答をするであろうか?「貧困で学費を払えない。」「会社が倒産しそうだ。」「バイトの最低賃金を1000円にするべきだ、いやそうしたら倒産してしまう。」「天下りを出来ないようにしろ。」「物が売れない。」など等・・・、この世のあらゆる問題の根源はなんだろうか?

私は「人である。」と思う。人が存在するゆえに、”思い”、”悩み”、”考え”、”他者と比較することで”さまざまな問題が生じる。そもそも”社会問題”というのも、人が問題と感じるから社会問題であって、人によっては問題と感じない場合もある。このように、人それぞれ問題の受け方も違うだろう。そんな、細かいことを論じていたらキリがないが・・・、社会問題は人が存在するゆえに存在するといえると思う。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」の言葉がしっくりくる。


■国の保護なしに、個人は一瞬も存在できない。

私は空想が好きで、フリーエネルギーやロボットが存在する未来のことを考えたりする。その内容はこういったものだ。遠い未来を想像して欲しい。空間から無限にエネルギーを取り出せる装置があり、UFOみたいな乗り物で、宇宙でも海でも、自由にどこでも行き来できて、野球場くらいの広さのUFOには、庭園と畑があり、人工太陽が昼夜を演出し、菜園ロボットが野菜や果物・家畜を育て、ロボットが料理やら、身のまわりのことを全てしてくれる。UFOのメンテナンスや修理は、全てロボットが修理してくれる。全ての動力源は空間から無限に取り出せるので、光熱費は払う必要はない。人はただ、寝て起きるの生活の繰り返しを想像して欲しい。人々が働く必要がなくなった場合、はたして、「通貨」は存在するのだろうか?「国」は存在するのだろうか?

恐らく、その答えはYESだろうと思う。働く必要がなくなり、国に税金を納める必要もなくなれば国は必要なさそうだが・・・。恐らく、他者に干渉を与えたい人々。たんてきにいえば、他者に危害を与える人々が存在した場合。自警団の集りが、国を形成するに違いない。そのように考えた場合、国としての防衛費等を維持する対価として便利なのは「物納」や「人足」よりも「通貨」として支払った方が便利だろう。このように、どんなに(テクノロジー)技術が進み、人が働く必要がなくなったとしても、同等の技術を持った第三者からの攻撃を防ぐ為に、思想や文化を同じとする人々が、集まって国を形成するに違いない。と思う。

よって、人間という生き物は、国というカテゴリーなしに、個人が単独で行動するのは、どんなにテクノロジーが進んでも無理そうだ。たびたび、新聞などで見かけるが、学校で国旗・国家斉唱で起立して歌わない自由があってもいいと論じるのは馬鹿げている。恐らく、国の保護なしに、個人は一瞬も存在できない。というのが理解出来ていないのであろう。「あんたは嫌いだけど、身の安全は守ってね。」といっているようなもんだ。こういうと、在日朝鮮人がちらつくが・・・(笑)話が大きくそれそうだ。


■統計として全体を捉えるべきである

社会問題と個人問題の違いは、当事者を含む、どれだけ多くの人がそれを問題として同意し共感してくれるかにあると思う。当事者はもちろん、当事者じゃない人々からも共感を得れる場合、それは社会問題として認識されていくのではないだろうか。その場合、多くはマスメディアが媒体となる。戦時中などは、プロパガンダの意味合いも強く、「社会問題」も時代によって変ってくる。しかしながら、客観的な資料やデータを見ることで、第三者がどんなに書きたてたとしても、データはデータとして、事実をあなたに訴えてくる。例えば、戦時中。玉砕という名の下、全滅したが、もし客観的データを示されていたら、文章に色眼鏡がかかっていたとしても、記事の内容とは別の捕らえ方が可能になるだろう。民主主義とは、多数の幸せをよしとするのが前提であると理解している。少数意見を反映させる場合は、同意を得れるように多数決を目指せばいいので、多数決の正義は基本的に揺るがないと信じる。


■国を「個人」として捉えて、自己管理するべきだ

ここでいうデータとは、数字で示された統計データをいう。それを元に、さまざまな状態が分かる。データは、100年たっても、客観的にその時代の感覚で検証することが出来る。個人の幸せを追求する場合、統計データの平均が向上していくようにしていくべきだろう。さて、ながながと、論じてきたが、「1.社会問題の発生源は人にありそうだ」ということと、「2.人と国家は切り離せない」ことを私なりに論じてきた。この2つはセットで考えるべきだと思う。これを踏まえて、社会問題をなくしていこうとした場合、国を「個人」として捉えると分かりやすい。

自己管理ができていない人の例では「暴飲暴食して太り、ダイエットして骨そしょう症になる。」状態は、まるで今の日本のようだ。戦後の暴飲暴食(ベビーブーム)後に、ダイエット(少子社会)で、骨そしょう症(年金崩壊)といったところか。「国も自己管理するべきである。」何を自己管理するかというと当初に述べた「人口」に他ならない。


■人口の増減を自然に委ねるのは不幸ということに気がつくべきだ。

人は安全に子供を産めるようになり、産後の子供の死亡率はさがったものの、男女の自由意志で生殖を行い増殖しているのは、野山の猿や犬、猫、ウサギ、ネズミとなんらかわらない。「人口の増減」は自然に委ねられている。人間の場合、経済活動やらのパラメーターが関わってくるが、個々の固体の子供を産む産まない意思は、全体からの制約を受けない点では動物となんら変らない。人間は、個人として存在できない。集団でしか生きていけない動物である。その人間が、集団の母数をコントロールを出来ないのはあまりにも不幸ではないか?と私は考える。


■もし、戦後の日本でベビーブームを抑制していたら、今の急激な少子化・格差社会は起きていただろうか?

戦前戦後の人口ピラミッド


戦後のベビーブーム以降。働き盛りの世代は戦地で戦死したりして人口ピラミッドは富士山型(上記図)を形成していた。戦後の経済発展の成功は、この人口構成にあったのではないかと思う。ところが、1990年代の「リストラ」は戦後の団塊世代が高給取りになって人員が余ったことにある。昨今は、彼らの高給を維持するために、若者の正社員から派遣社員化が進んだ。派遣化が進んだ理由としては、日本から周辺諸国に工場が出て行かないようにするためとかいわれているが、結局は、高給を維持する為の口実であると理解している。1985年から〜2009年にかけて起きたことは、若者が犠牲になっている事実であることは、データが客観的に物語っている。


   2004/03/01 派遣屋と金貸し等の兼業禁止規制が撤廃
    http://www.mhlw.go.jp/general/seido/anteikyoku/kaisei/dl/antei.pdf
    __________12年度__15年度__16年度__17年度__18年度
    特定労働者派遣事業__3870社__4478社__5335社__7088社_10107社
    一般労働者派遣事業_12847社_19136社_23280社_33263社_44082社

正規社員と非正規社員の割合




■生まれてこない幸せがある

「生まれてこない幸せがある」というと、「命は地球より重い」と考えている人から怒られそうだが・・(w)。現代の日本において、子供を作るというのはリスクでしかない。とはいえ、生活力のない親が、一時の快楽と自己満足の為に、子供を設けるのは生まれてくる子供が不幸だと思う。子供の為を思えば、子供をこの世に生まれさせてこない選択肢もありなのでないかと思う。子供を幸せにする自信がないのに、単純に欲しいという理由で子供を授かるのは親のわがままではないか?(まるで、貧乏人は子供を産むな。と言っているようだが・・・)個人的な感想。


■国は人口を一定数保ち続けるようにコントロールするべきだ

国は、目標人口を掲げて、それを維持するように計画を練るべきだと思う。全ての諸問題の発生元は「人」であるからこそ、日本という国土に最適な「人数」があるはずと考える。それを一定数保ち続ける努力が必要ではないだろうか?その方法は、罰則を含む法規制か、罰則なしの規制か、注意喚起するなどさまざまなやり方があると思う。現在(2009年)は少子化であるが、50年後にまたベビーブームがあった際に手放しで人口増加を放置するつもりだろうか?恐らく、今の20〜30代の派遣社員等の非正規社員が5,60代になるころに、安楽死が容認されることになるだろう。なぜそう思うかというと、以下の2050年頃の人口ピラミッド図を見て頂ければ分かるように、働き盛りの若者が少なく、老人が多い。しかも、今の老人世代とは違い、元非正規社員率も高くその多くは蓄えがない。働けず、蓄えもなく、支える世代が少ないとなれば、自ずと安楽死を望むであろう。それが、今の若者の未来だ。安楽死が出来る頃に、「人口コントロール」の議論が沸きあがるきっかけになるといいが・・。恐らくこの「人口コントロール」の議論は、2,30年。もしくは、半世紀は待たないと議論されることはないかもしれない。人権などのさまざまな障壁があるだろうが・・、人口をコントロールし、一定数維持しそれに伴い「計画経済」、「計画福祉」、「計画年金」を立てていくのが賢いやり方に思える。果たして、いつまで、人口の増減を自然に委ねるのだろうか?。(移民受け入れという議論もあるが・・・あまり感心できない。)


2050年の人口ピラミッド




以上。

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