あげはちょう
初出スレ:2代目479〜
属性:叔父と幼女
私は、自分の叔父にあたるひとに恋をしていた。
そのひとはシングルマザーだった母の、弟だった。
私がまだお腹にいる時に、母は離婚をした。
詳しい事情は母も祖母も叔父も語らないし、私自信も知りたいと思わないから判らないまま今に至る。
ほんとうの父親に興味はない。
私にとっては叔父が父そのものだったからだ。
実際、叔父は一般の父親よりもよほど父親らしかった。
私が生まれた時、叔父はまだ十八歳の高校生だった。
祖父はとうに亡く、家計を助けるために母は産後早々に仕事に復帰し、祖母も日中は働きに出ていたため、私の世話は叔父がしていたらしい。
そのおかげで一年余分に浪人できて、希望の大学に通わせてもらえた、と私の罪悪感を無視して叔父は穏やかに笑う。
その後保育所に空きが出て、大学に普通に通えるようになっても、叔父が公務員試験を突破して市役所に勤め始めても、私の送迎は変わらず叔父の役目だったから、私は仕事にのめりがちだった母よりもむしろ叔父と長い時間を過ごしていた。
私の目から見ても、母と叔父は仲のいい姉弟だった。
たぶん叔父は、私ではなく母の為に公務員になったのだと思う。
今となっては、真実を知る術はないけれど。
「おにいちゃん」
私は叔父をそう呼んでいた。
まだ十代の叔父を呼ばせるのにおじさんでは彼が気の毒だと祖母や母が考えたのだろう。
おにいちゃんだよ、と母に教えられ、物心つく前からそう呼んでいた。
叔父が、兄じゃなく父でもなく、おじさんなのだと知った時に沸き上がったのはまず喜びだった。
幼いながらに、兄や父とは結婚出来ないと知ってはいたからだ。
おじさんとなら結婚できる。
なぜそう思い込んだのか、今でも判らない。とにかく、六歳の私は嬉しくて仕方なかった。
「新婚さんだね」
スーパーの野菜売り場のトマトの前で、私の手を引いた叔父がぽつりと呟いた。
「シンコンさんって、なぁに?」
耳慣れない言葉が理解出来なくて、叔父を見上げた。
ん。
叔父が私を見ないまま頷く。
その視線の先を追うと、若い二人の男女が手を繋ぎながらピーマンを指差して笑いあっていた。
「結婚したばっかり、ってことだよ」
だからなんなのかイマイチ判らなかったけれど、叔父の表情からそれはとてもいいことなのだと思った。
だから、私がその嬉しいのをおにいちゃんにしてあげたいと、単純に考えたのだと思う。
「私が大きくなったら、おにいちゃん結婚してね。だから、大人になるまで、待っててね」
そのとき、叔父の手から溢れ落ちたトマトの赤さを、今でも覚えている。あれ以上に赤いトマトに、私は未だ出会えずにいる。
「あげは」
穏やかな声音の中に、いつもと違う空気を感じ取って、身が冷えた。
「俺はね、あげはのおじさんだから、結婚は出来ないんだよ」
「どうして?」
「法律でそう決まっているから。お父さんやお兄さんや、お母さんと結婚できないのと同じ」
「……どうして?」
叔父はいつも優しかった。
私がどんな悪戯をしても我が侭を言っても、頭ごなしに怒ったりはせずにいつも「なぜ」と聞いて向き合ってくれていた。
法律、なんて曖昧なもの、納得がいかない。
私が記憶する限り、叔父から与えられた理不尽なものは後にも先にもこれだけだ。
「……あげは」
叔父の声があんまりにも悲しそうなので、私は急に鼻の奥がつんと痛んで、ああ泣くのだなとぼんやり思った。
直後に案の定、瞳から大きな涙が溢れ落ちて、身体中が熱くなった。
身を屈めて買い物かごを床に置いた叔父が、膝を付いてちいさな私と目線を合わせる。
だけど私の視界はぼやぼやに歪んでいてしまって、大好きな叔父の瞳を受け止められなかった。
「泣かないの」
大きなてのひらが、私の額を撫でる。
その手の暖かさが、余計に私を悲しくさせた。
ぽろぽろと止められない涙が、頬を撫でた叔父の指を濡らした。
何も言えずただしゃくりあげるばかりの私を、ひょいと叔父は抱き上げて、今日はあげはの好きなかぼちゃのスープを作ろうか、と言った。
かぼちゃ安くならないなぁと一昨日叔父がぼやいていたばかりだったので、私は泣きながら首を左右に振った。
「じゃあポッキー買おう」
まだ困った声で叔父が言う。
間食に関しては母よりもむしろ叔父のほうが厳しいのに、今日に限ってポッキーを買おうなんて。
急にご機嫌を取られて私は何故かますます悲しくなった。
子供の言うことだから、と適当に相槌を打ったりせずに、きちんと否定をして私を泣かせた叔父は、とても優しく、誠実だった。
真面目で、嘘がつけなくて、優しくて優しくて、穏やかな叔父を、私は世界で一番愛していた。
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2008年04月13日(日) 23:48:08 Modified by toshinosa_moe