三つ葉のクローバー 5

初出スレ:4代目505〜

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 1人で過ごした週末が明け、今年最後の出勤を終えた。すぐ年末年始休暇でゆっくりと休めるというのに、
すごく疲れている気がする。だるい。
 異様に長く感じた1日を終える頃、久々に誘いのメールがあった。


「新婚生活は楽しいか?どうよ初めての正月を迎える気分は」
 今年結婚したばかりの男。俺の親友。相手は大学で知り合った同い年の24歳。そしてそれはチビ――知美の姉。
 式の後互いに忙しくてなかなか会えず、やっと今日こうして飲む事ができた。
「まあやっと落ち着いて来たって感じだな。お前もそろそろどうよ」
「どうって……俺はまだまだ」
「何言ってんの。つってもまだ学生だから焦るこたぁないわな」
「学……おま、それは、ちょ」
「最近いい感じらしいじゃん」
「いや、それは……って何でお前が」
「ん?いや、式ん時知美ちゃん家まで送ったろ。その報告は受けてるよ。俺も知子も、お義父さん達もな」
 げ。
 まあこいつの事だ。あの後チビから聞き出したんだろう。
 気を回し過ぎだろ。第一仮にも(義)妹だぞ?手近で済ませていいんかい。つかそんなに心配掛けてますか俺。
「お前なら安心して任せられるしな。義理とは言え大事な妹だ。勿論、知子もそうだと思う」
「俺なんざそんな大した男じゃねえぞ。それにチビの気持ちだって……。あいつは俺にとっても妹
 みたいなもんだし」
 だからそんな風に見た覚えは一度だって無かったのに。
 初めて、鍵を掛けずにおいておいた開かないドアを、ただひたすら待った。
 それを望んでいた事に今になって気が付いたのに。

「それにあくまで友達ってやつだし」
「友達、か。いいよな、友達って」
 ふと何かを思い出すように目を細めると残りのビールを飲み干し、新しいジョッキを頼むと肘を付く。

 満タンのジョッキで喉を少し潤すと、一息ついた。それを見ながら飲んだ俺のビールは少しぬるい気がして、
残りを飲み干すと新しいのを頼んだ。

「……俺は知ってたよ、千」
 こいつはチビと違って『ちゃん』抜きで呼ぶ。野郎だとキモイだけだから別にいいんだが。

「知ってたよ。あの子の気持ちも、お前の……気持ちも」
「……何を」
「ずっと知ってた。解ってた。だからお前は知子と会わなくなったし、そのせいで知美ちゃんとも切れちまった。
 ていうか、あの娘がお前に会えなくなった」
「いや、それは」
「ああ、それだけじゃないさ。けど、全く無関係じゃ無いと思う。……悔やんだよ。好きになんかならなきゃ
 良かったって。ずっとバイト仲間でいれば、あんな形で終わる事になんかならなかったかもなってな。
 だけど、やっぱりどうしようも無かったんだよ。あの時俺には知子が必要だったんだから」

 懐かしくも苦い味が蘇って来るのは、舌の上を流れ込む液体のせいだろうか。
 今夜の酒は、ちょっとばかり喉に痛い。

 同じ大学で仲が良かったこいつが連れて来たバイト先の女の子。それが、知子ちゃんだった。
 妹だったチビと知り合ったのもそれが縁。親友の彼女とその受験生の妹の家庭教師。
 それがあっての友達という関係だった。それで良かった。
 だけど、チビの受験が終わる頃、こいつと彼女はちょっとした擦れ違いが重なったせいで別れてしまった。
 だから、親友を介しての間柄であった彼女との交友関係はあっさりと切れ、受験後役目を終えたチビと俺との
付き合いも終わるのは当然だった。
 中学生の女の子と大学生男の友情なんか、そうそう続きはしないのが自然だろう。

 それから数年。卒業後再会してよりを戻した親友達カップルは無事結ばれた。
 元々、嫌いで別れたわけではなかった二人だから、それを知った時は本心から喜んだ。

 ほんの少しだけ、親友の美しい恋人の存在に胸が痛まなかったかと言われれば答えに迷わなくも無かったが、
何より幸せになって欲しかった。
 それを叶えてやろうというのがこいつなら尚更、ただそれを願うばかりだ。

「あの娘がお前に会いにくくなったのは、親が隠れてお前を咎めたからだけじゃない。……ああ、お前はあの娘に
 内緒にしてたみたいだけど、勘の良い娘だからな。それに、俺達のせいだ」
「違うだろ、それは」
「俺だって気付いてたんだ。お前の気持ちを知りながらそれを気付かないふりして。あの娘がそれに気付かない
 わけないだろう?お前を一番見てたんだからさ。知子と俺が別れて、お前も知子と切れて、あの娘も受験が
 終われば会う口実を失った」

 全てはあの時一度終わってしまっていたのだ。
 チビが俺に会いに来なく――来れなくなったのは、きっかけが失くなっただけでなく立場の壁の存在を知って
いたからだったのだ。

「今なら、あの頃どうしていたら知子を失わなくて済んだかとかわからなくも無いけど、そのお陰であいつが
 俺にとってどれだけ大切だったかわかるんだ。だから、絶対幸せにする。してみせる。だから千」
 今なら。
「俺が言えた義理じゃ無いけどさ。壊してもまた造りゃいいんだよ。思い切れ。幸せになれ、お前」

 壊す事を恐れなければ、今ならまだ、間に合うんだろうか。


 居酒屋の前で別れて駅に向かう。
「逃げるな、幸せになれ、か」
 ヘタレな俺には耳に痛い言葉だ。

 好きだと言ってダメだったら、そこでもう終わり。何も無かったような顔をして、それまでのように振る舞う
のは無理だ。それが怖くていつも逃げてた。見てるだけで終わった恋は数え切れない程になり、なのに独りは
辛くて、最初から恋愛するのを決めるための出会いを求めては、ダメじゃんなんて言い訳する。

 それでも今、恋がしたい。
 彼女が欲しいんじゃなくて、ただ1人見つけた相手と。

 でも、俺があいつをこれまであの頃のままの関係でいようとして扱っていたように、あいつにとって俺も
単なる懐かしい年上の兄ちゃんであったとしたら?

 ――いつまでも同じじゃ無いのは俺もなのにな。

 上げていた自分の変わらないバカさをその棚から下ろせば楽になるんだ。
 苦笑いしつつ、脇のホテル街へよろよろとおぼつかない足を向けるカップルとすれ違う。
 その瞬間目を見張ると振り返り、女のほうの腕を掴んだ。

「お前何してんだよ!?」
 とっさに掴んだ腕は、俺の剣幕に一瞬強張り引っ張り返されそうになる。が、力がうまく入らないのか
すぐにだらんと弛む。

 間違いであって欲しかった。でも、それは空しく俺の願いを打ち砕いて現実となって突き刺さる。

「あれぇ?せんちゃんじゃ〜ん。何してんのぉ?」

 へらへらと染まったほっぺを弛ませて、掴んだ腕をぶんぶん振った。反対側は、連れの、勿論俺の知らない
――男が握ってる。

「何じゃねぇよ!お前一体……」
「デートよ、デート!見てわかんない?まあせんちゃんには関係ないんだしいいじゃん」
「良かねーよ!お前……酔ってるだろ?」
 ころころとよく笑う。ふにゃけた目尻の下がり具合も見た目はいつものチビだ。けど、違う。ふわふわと
した足取りは、酔っ払いのそれだ。だからこんなの本当の笑顔なんかじゃない。
「えぇ?わかるぅ?大丈夫だよぉ〜これっ位」
「大丈夫なもんか!!帰るぞ」
「ちょ……やだ、帰んない。離してよ!!」
「ダメだ。ほら送ってやるから、な?」

「離せよあんた。嫌っつってんじゃん。大体何の権利があってジャマすんの?あんたこのコの何だよ」
 俺達のやり取りに割って入って来たのは、チビのもう片っぽの手を握ってる男だ。若いな、学生か。髪茶色っ!

「カレシ?じゃないよな、いないって聞いてたし。だったら放っといてよ。心配しなくてもちゃんと面倒見るからさ」
 面倒って。明らかにお前が向かってたのはそこのちょっと眩しいお城じゃないか?何を見る気だ!
「俺は……俺はこの娘の」
 この娘の、何だろ?ぼんやりした目つきで、でもはっきりと俺を見上げるチビの顔を見る。何て言えば。

「……兄、貴」
「もっとうまい嘘つけば?お姉ちゃんしかいないって言ってたよね、知美ちゃん?」
 そこまで知ってんのか。つうかなれなれしいな、こいつ。
「……嘘じゃないよ」
「え?何笑えないんだけどその冗談」
「お姉ちゃん結婚したから出来たの。ごめんなさいお兄ちゃん」
 調子いいな、おい。まあいいか。

「じゃ、そういう事で。行くぞ」
 呆気に取られた顔の男を放置してチビを連れて歩き出した。




 さてとりあえずこれからどうすっか。
 さっきの男(チビとバイト先が近く、前から声を掛けられてたらしい)を追っ払って彼女の手を引き
駅へ向かう。再会した日もこんなだったな。酔ってんのはこいつだが。ていうか、おい。
「何でこんな事になってんだ。何考えてんだお前は!」
「何よぉ〜。いいじゃん。あたしが誰とナニしたってさぁ、せんちゃんには関係な」
「あほか!大体お前未成年だろうが。こんな酔わせてしかもホ、ホテ……とにかくロクな男じゃないぞ!」
「それはぁ、あたしがハタチってゆったから〜。いいじゃん、あたしだって飲みたい時があるのよぉ……」
「……お前、あいつの事好きなのか?」
 酔ったテンションからか、ぶんぶんと振りほどかんばかりの勢いで振っていた繋いだ手を、ふっと止め
その場に立ち尽くして俺を見上げる。

「……なれたかもしんないじゃん」
「え?」
「今は好きじゃなくたって、これからそうなるかもしれないじゃない。だからこれからはそういう誘いとか、
 合コンとかも行ってみよっかなって」
「何だよそれ……」
 何だよそれはよ。お前が言ったんだろ?彼氏が欲しいとか、恋をするために誰かとじゃなくて、好きな奴とって。
「嘘だろ?」
「なんで。せんちゃんと同じじゃん」
 それは、確かに俺はずっとそんなふうだったかもしれないけど。
「だったら何で大人しく俺について来た。本当はそこまでのつもり無かったんだろ?」
「それは……」
 どっかで逃げ出したかったんじゃないのか。意地張りやがって。
 関係ないとかいいじゃんとか、何滅茶苦茶な事してんだよ。
「せっかく面白い嘘付くからノってあげただけじゃん。何あれ願望?」
「あのなー。下手に知り合いだとか彼氏のフリするよりも、身内の方が相手はヤバいと思うだろ?」
 何考えとるんだ。
「酔い醒ましてとにかく一緒に帰……あ、こら!?」
「じゃ、ここで醒まそ。ね?」

 いきなり回れ右すると、1つ通り過ぎかけた路地を曲がって走り出す。繋いだ手を振りほどく事も出来ずに
引きずられるように連れて来られたのは、さっきとはまた別のキラキラした看板のある例の建物の前だった。

「ばばばバカ!なな何言ってんの?もうこれだから酔っ払いは……はい、駅はこっち」
「えぇ〜行こうよぉ。寒いしぃ。このままじゃ帰っても親にバレるぅ〜」
「なら送ってやるから知子ちゃんとこ泊めて貰え。話してやるから」
 ちっとは怒られるかもしれないが、悪いようにはしないだろう。今なら逆の路線のこいつの義兄に追いつける
かとも思ったが、電話が繋がらない。地下に入ったか。念のため知子ちゃんにも掛けてみたが、出ない。風呂とか?

 しゃあない、うちにひとまず連れて行って休ませて送ろう。また親御さんに睨まれるかもしれないが、仕方無い。
「何よぉ?女の子に恥かかせる気〜」
「やかましいわぃ。ほれ早く、あまり遅くなるとタクシー捕まんなくなるから」

 ぐいぐいと有無を言わせず繋いだ手を引いて歩いた。周りのしなだれ寄り添うカップル達が嫌でも目について、
背中と手のひらに変な汗が流れる。何意識してんだ俺はよ。
「どうせ入った事なんかないからでしょ?童貞クンだからって気にしなくていいのに」
「どどど童貞じゃねえし!」
 (夢でなら)ヤッた事あるし。
「かっ勝手に決めんなよ。おと、大人を見くびるんじゃない」
「……嘘」
 驚きの目で俺を見る。
「彼女、いたりした事あったんだ……」
「あ?ああ、あったり前だろ。何年経ってると思ってんだ。俺にだって色事の1つくらい」
「……だよね。そう……だよね」
 弱々しく呟きながら、繋いだ手はそのままに俯きポテポテとした感じに子供みたいな歩調で歩く。
 もしやそんなにショックか?俺に経験あったら悪いんか。
 実際は素人童貞という名のアレでも無い。立派な天然モノだが、いちいち彼女いない年齢歴更新中の
申告なんざして来なかったしな。
「お前は大事にしろよ。女の子なんだから」
「……そうとも限らないけどね」
「えっ!?」

 嘘だろ、それこそ。そりゃ俺と違ってそれなりに……でも……。
 頭をぶち抜かれたようなショックだった。

 急に足が重い。酔いが一気に醒めたようで、背中に冷たい何かが走った。




 駅近くでタクシーを拾い俺のアパートまで帰った。その間、ほとんど口を開かずに窓ばかり眺めて過ごした。
顔もまともに見られずに、シートの上で触れた指の感触にさえ心が砕けそうになる。

 着くとすぐチビに水を飲ませてコタツに横にならせた。
「大丈夫か?」
 しゃがんでぽやんとした顔を覗き込むと、半開きの唇でふっと吐いた息に思わずドキッとした。
「せんちゃん……」
「な、何だよ」
 畳についていた腕のスーツの袖口をそっと摘んでくる。
「経験、あるんだよね?」
「お?……おお」
 夢でな。

「じゃ、しよ?」

 あの日よりも少し控え目に光る瞼を瞑って震える声で囁いたその言葉に耳を疑った。

「な……あほか!酔っぱらいが何言うか。っとにガキンチョが酒なんか呷るから」
「ガキじゃないよ」
「ガキだよ」
 無茶しやがって、危なっかしいったらありゃしねえ。今俺がどんな気持ちでいると思っとるんだこいつは。
無防備極まりない。それがわからないってんなら充分ガキだ。

「だったら、試してみる?」

 思わずごくりと唾を飲み込んだ。
 見上げてくる潤んだ瞳と濡れた口紅の色の残る唇に、一瞬色んなものがぶっ飛びかけた。危ねえ。
「……お前じゃ役不足だ」
「役不足かぁ」
 袖から指を離すと、ごろんと背を向けて寝返りを打った。

「頑張ったんだけどなぁ……」
 心なしか鼻声になる。
「やっぱりお姉ちゃんには適わない、か」
「そんなんじゃねえよ」
 何言い出すんだ。
「だって、せんちゃんにとってあたしはいつまでも15のままじゃん。でも後1年であの頃のお姉ちゃんと
 同じ歳になるんだよ?それでもまだ追い付けないの?やっぱりそれだけじゃちゃんと見て貰えないの!?」

 絶句した。俺がずっと何気に口にしてきた事がそこまでチビの心を痛めさせてきたのか。だけど、それは
決してチビを誰かと比べてきたからじゃない。
「何を頑張ってもお姉ちゃんの妹だからで、出来なきゃ妹なのに――いつもそう言われて来た。だから
 お姉ちゃんが嫌いだった。でも、せんちゃんは『お前の力だ』って、あたしを認めてくれた。見てくれた」

 ――だから嬉しかった。

 そう呟いて静かになった。恐々覗き込むと、微かな寝息が聞こえてくる。寝ちまったんか、おい。
「人の気も知らんと……」
 コタツからはみ出た部分にとりあえずコートを掛ける。Vネックの胸元が目の毒だ。
 こんな状況じゃなかったら、何の迷いもなくお城のベッドに一直線だったっつうの!なんせ童貞っすから。
据え膳食わずして何で居られるんか、お前相手にどんだけ我慢してると思ってるか、わかってくれよ
この酔っ払いが!

 あの日くれた四つ葉の欠けた一枚の葉は、綺麗さっぱり思い出に流れた過去の淡い片想いや憧れなのかも
しれない。もう時間は戻っては来ないし、今更あの頃のチビに会う事はない。だけど、俺はそれでも今の
彼女をちゃんと見てやろうとしなかった。多分、逃げたんだ。臆病者の俺はきっと友達という言葉に甘えて、
年の差を言い訳にして。

 まっすぐ見つめる事が出来なくて、変わってく気持ちを認めるのが怖かった。それが今はっきりわかる。
 なのに何でここまでこじらせちまったんだろ。ごめん。


 少しして知子ちゃんから電話があった。どうやら駅まで旦那を迎えに出て、その移動中に掛けた俺の着信に
気付かなかったらしい。事情を説明するとすぐうちまで旦那ごと車を回してくれた。

 チビを連れて家まで俺も一緒に行きはしたが、『ちょっとふざけて飲んだらしいから叱らないでやって欲しい』
などと言うくらいのフォローしか出来なかった。知子ちゃんが俺が介抱したと説明してくれたお陰か、
疑わしい目で見られる事は避けられたが、おやじさんの複雑な視線に胸が痛む。
 そもそも、チビがこんな事したのは俺のせいだ。

 ――俺が彼女を傷付けたから。

 おふくろさんに連れられて家に入るのを見届けて、また知子ちゃんらにアパートまで送って貰う。
ありがとうと言われて、何だか俺も複雑だった。

 さっきまで横たわっていた姿に、あの頃同じようにセーラー服で無防備に寝転がっていたチビを重ねてみる。
 もう、あんなふうにそれを単に微笑ましいと思う事はできない。

 迷った末に一言だけメールを送る。

『役不足の意味わかってないだろ?』


 返事は来るだろうか。


(続)




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2010年02月27日(土) 08:35:10 Modified by ID:Bo5P9jtb2Q




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