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【定義】

江戸末期から明治時代に活躍した居士で、日本曹洞宗の布教教化に努めた。字は巻之。号は、青巒・藹々・露堂。本名は退(まかる)。『修証義』編纂史などにその名を残す。

出 身:宮城県仙台市
生没年:弘化2年(1845)〜大正7年(1918)

【内容】

弘化2年4月17日に仙台藩士の子供として生まれた大内青巒は、宮城県七ヶ浜町の鳳寿寺住職であった、兄の俊董の下で過ごしていた。母から『詩経』の口誦を受け、舟山江陽・大槻盤渓などに入門して、経史を学び、養父が死んだ後は、また兄の下に帰った。

後には仏門を志して出家し、名を泥牛と改めて、一寺の住職にもなったともされるが未確認である。その後、間もなくして水戸へ出て照庵に祖録を学び、勤王の士とも交流した。他にも、京都・大阪などで学び、上京した際には長徳院にいた原坦山の弟子となり、福田行誡からも仏教を学んだ。

青巒が世に名前を出したのは、明治5年(1872)に広瀬林外が、ロシア人との対話である『尼去来問答』を著した際に、『駁尼去来問答』を出して、日本の国威を示したことによる。それから、28歳の時、本願寺の大洲鉄然の招きによって、本願寺法主の大谷光尊の侍講となり、また、仏教の大衆化と社会福祉に勤めた。明治7年には仏教界最初の新聞『明教新誌』(元は大教院の『官准教会新聞』で、改称・改組した後に青巒が編集人となる)と、最初の雑誌『報四叢談』を創刊した。

この間、政治的な働きかけなども行って、明治8年には火葬禁止令を解かせている。そして、様々な仏教系の雑誌や新聞を創刊編集し、鴻盟社を創始して仏書の刊行を行った。

東京盲唖学校を始めて初代校長になり、教育の振興に尽力するなどしている。各地への講演も行い、さらに尊王奉仏大同団を結制し自ら幹事長となって『教育勅語』の普及解明につとめ、死刑廃止運動に尽力し、また、曹洞宗扶宗会を起こして、『洞上在家修証義』を編集した。『洞上在家修証義』を編集したのは、曹洞宗在家教化の標準を確立せんとしたとされている。これは後に、瀧谷琢宗禅師などの手によって、『修証義』として再編集されることになった。

晩年は、放生会を行い、さらに文筆・講演を行うなどして、東洋大学学長にもなった。その指導を受けた者は多く、加藤咄堂などは、居士門下の四天王と称された。大正3年には、永平寺にて脳溢血を起こし、大正7年12月16日に死亡した。遺偈は「雲心水迹、七十四年、山蹊路尽、手脚呆然」であった。

【主な著作】

多くの仏典や祖録の講義録を残し、仏教通俗講義などの教化資料も刊行している。

○経典・祖録等の講義・講話

『円覚経講議(仏教通俗講義)』大内青巒講述、光融館・1907年1月
『寒山詩講話』大内青巒著、明治出版社・1917年4月
『原人論講議(仏教通俗講義)』宗密著・大内青巒講述、光融館・1897年9月
『坐禅用心記講話』瑩山著・大内青巒講述、鴻盟社・1926年8月
『訂正再版 四十二章経講義(全)』大内青巒著、光融館・1909年4月
『修証義講話(布教文庫・第3篇)』大内青巒著・大内俊編、鴻盟社・1922年5月
『心地観経報恩品講義』大内青巒講述、鴻盟社・1900年5月
『曹洞教会修証義聞解』大内青巒述・三嶋春洞記、鴻盟社・1891年2月
『通俗修証義講話』大内青巒著、鴻盟社・1926年4月
『般若心経講義』大内青巒講述、森江書店・1916年8月(第16版)
『般若心経講義(全)・仏説法滅尽経講義(全)』大内青巒著、光融館・1924年7月(第19版)
『般若心経講要』大内青巒著、白雲精舎・1893年7月、後に訂正再版が鴻盟社から刊行(1910年7月)
『普勧坐禅儀詮要』大内退(青巒)講述、鴻盟社・1902年9月、後に『普勧坐禅儀講話』として1941年4月に改版
『仏説四十二章経講義』大内青巒述、光融館
『碧巌集講話』(全2巻)大内青巒著、鴻盟社・1906年
『遺教経講義』大内青巒講述、森江書店・1910年6月(改訂第7版)
『六祖法宝壇経講義』大内青巒講述・藤井円順編、哲学館大学・1905年12月
『六方礼経講話』大内青巒著、鴻盟社・1902年3月

○経典・祖録等の校訂・演訳本

『冠註倶舎論頌釈疏校本』大内青巒註(全29巻)、鴻盟社・1890年
『冠註衆寮箴規校本』道元撰・大内退(青巒)註、鴻盟社・1886年
『校訂因明入正理論科註校本』大内青巒著、鴻盟社・1886年5月
『校補唯識大意(一名法相二巻鈔)』(全2巻)良遍撰・大内青巒校補、鴻盟社・1885年1月
『孝論』契嵩著・大内青巒冠註、鴻盟社・1886年5月
『修証義引導法語』竺山黙禅撰・大内青巒校、森江本店・1903年4月
『正法眼蔵』(全1巻)道元撰・大内青巒校、鴻盟社・1885年8月
『浄土妙典三部経訳解(完)』丹靈源編・大内青巒演訳・安藤正純和解、森江書店・1898年9月
『承陽大師報恩講式』面山瑞方撰・大内青巒校補、私製・1970年8月
『千手千眼無礙大悲心陀羅尼因由経』大内青巒和訳、狗仏会(再版)・1953年9月
『続日本高僧伝』(第3冊まで)釈道契著・大内青巒校、鴻盟社・1884年10月、後に吉川弘文館から再刊(1906年)
『天桂老人報恩編』(全3巻)天桂伝尊撰・大内青巒演訳、鴻盟社・1885年6月
『伝光録(全)』瑩山撰・大内青巒校、諸嶽山蔵版・1885年8月
『日本洞上聯灯録』(全12巻)秀恕輯・大内青巒校訂、鴻盟社・1885年6月
『百法問答抄』(全9巻)大内青巒校、鴻盟社・1886年5月
『唯識二十論述記冠註』(全2巻)唐窺基撰・大内青巒冠註、鴻盟社・1886年3月
『唯識二十論述記科図』大内青巒編、鴻盟社・1886年6月

○概論書・著作・研究書

『結制の由来と禅学大意』大内退(青巒)述、高龍禅寺・1906年6月
『皇室と仏教の關係』大内青巒述・今村金治郎編、鴻盟社・1900年11月
『心の修練(縮刷名著叢書・第27編)』大内青巒著、東亜堂書房1915年11月
『参禅道話―心身の修養・膽力の養成』大内青巒著、中央出版社・1927年
『釈門事物紀原(初編)』(上下巻)大内青巒纂輯、鴻盟社・1883年4月
『処世之道』大内青巒著、至誠堂書店・1915年5月
『人生の快楽』大内青巒著、村田松栄館・1925年9月
『禅の極致(大正文庫・第4編)』大内青巒著・結城素明画、丙午出版社・1913年
『禅学講話』大内青巒著、京文社書店・1935年1月
『禅学三要』大内青巒著、鴻盟社・1909年8月
『曹洞宗両祖伝畧』大内青巒編、鴻盟社・1884年12月
『尊皇奉仏論』大内退(青巒)著・三島春洞筆記、真宗青年伝道会・1889年11月
『力の活用』大内(青巒)退著、松本商会・1917年5月
『天籟百却典』大内青巒著、山本清治郎・1892年3月
『洞上諸祖王臣帰崇伝』大内退(青巒)著、永平寺出張所・1907年4月
『道徳の根底』大内退(青巒)著,出版者不明・1909年序
『道元禅師伝』峰玄光著・大内青巒校閲、興文館・1910年12月
『破木杓(大正名著文庫・第12編)』大内青巒著、至誠堂書店・1915年2月
『福徳』大内退(青巒)講述、国母社・1896年12月
『仏教大意』大内青巒著、鴻盟社・1884年1月
『仏教之根本思想』大内青巒著、井冽堂・1908年2月
『自ら救ふ力』大内青巒著、中央出版社・1917年7月
『道は近きにあり』大内青巒著、忠誠堂・1925年5月
『明治天皇と仏教』大内青巒著、鴻盟社・1912年9月
『謠曲禅話』大内青巒講述、鴻盟社・1901年3月
『教海新潮―修証義御教諭』大内退(青巒)著、鴻盟社・1904年7月

○語録・演説集・歌集

『三家演説』大内青巒演説・今村金治郎編、鴻盟社・1886年6月
『藹々華甲記』楪太仙編、大内青巒居士還暦祝賀会事務所・1905年12月
『信行綱領』大内青巒演説、出版者等不明
『青巒歌集』大内俊編、鴻盟社・1924年
『青巒居士演説集(学術宗教)』大内退(青巒)著・広井円瑞編、鴻盟社・1884年3月
『青巒禅話(禅学文庫・第2編)』大内青巒著、丙午出版社・1914年8月、後に国書刊行会からも刊行(1978年)
『仏教演説外護篇』(全3巻)大内退(青巒)著・丹霊源編、国母社・1902年10月

このページへのコメント

> 通りすがり さん

ご指摘いただきまして、ありがとうございます。
実世界の資料で確認し次第校正いたします。

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Posted by tenjin95@管理人 2008年10月19日(日) 22:34:17
http://blog.goo.ne.jp/tenjin95/
返信

この項目、禅学大辞典を典拠とされていると思いますが、「藹居士」という号は、どうもネット検索などしてみると、「藹々居士」が正しいようです。

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Posted by 通りすがり 2008年10月19日(日) 09:21:30 返信

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