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【定義】

道元禅師に因む逸話で、中国留学から帰国するに及んで、招宝七郎大権修理菩薩(または白山妙理大権現)の助筆があって、わずか一夜で圜悟克勤禅師『碧巌録』を書写したといい、これを「一夜碧巌」と呼称する。なお、現行本とは内容等が異なり、名称も『仏果碧巌破関撃節』である。
来日、帰朝に定め給、其夜、『碧岩集』一部百則之公案を書写し給。至今『一夜之碧岩』と是を云なり。大権修理菩薩助筆給い、灯明を挑げ給。故に今土地神と安置し給也。此助筆の事、伝説多之。本記録に不分明。至後来、能々可尋之。 『建撕記

【内容】

現在、この「一夜碧巌」は加賀大乘寺の所蔵となっているが、元々は永平寺の所蔵であった。それが大乘寺へ移された経緯は以下の通りである。
永平寺第六代曇希和尚、御住之中、暦応三年三月十一日に永平寺炎上。越前一国の乱入に依て也。他所より預け物多し。是を取らんとて盗賊ども乱入し、仏殿之天井に登て火を挑てさがし見る時、其残火にて焼失すと云々。此炎上わ、開山御入滅之後八十八年、中興遷化八年して也。 『建撕記

まず、永平寺が6世・曇希禅師だった暦応3年(1340)3月11日に、盗賊が入り炎上したという。そこで、大きな問題が発生した。
開山御影、其時焼失し給。御在世の時、御長形相の寸尺、御爪まで奉写造たる生身之御影は、今加賀州大乘寺に御在。是尊像を永平寺より所望さえければ、最と応じ、即ち大乘寺住持一山之衆、何も威儀を具し鐃鈸鼓を推鳴し、種々の荘厳香花灯明を備て奉送之。大乘寺檀越富樫同一族、相共に皆々永平寺迄奉御伴。三月廿六日に吉祥山ゑ入御あり、軈て奉安座也。 『建撕記』

以上の通りだが、永平寺で祀っていた道元禅師の御影が失われたという。しかし、加賀大乘寺により道元禅師の生身を写した尊像があるため、永平寺ではそれを所望した。大乘寺ではその望みに応じ、大乘寺の住持・一山の大衆などが威儀を調えて、大開静を鳴らして送り出し、大乘寺の檀越だった富樫氏なども、皆永平寺までその尊像を送ってきて、これが同年3月26日であった。
大乘住持衆僧、同く富樫之一族達、開山和尚に御暇乞申し、帰路の時、御影に名残を惜み奉り、皆々落涙して、誠に死たる人に別るるが如く両袖をしをりて帰ゑられけると記置之也。此尊像の寵辱に一夜の碧岩を大乘寺へ下し給。六世和尚下状、至今迄大乘精舍に有之。 『建撕記』

そして、大乘寺の住持・大衆、檀越が別れを非常に惜しんでいる様子があったが、曇希禅師はその尊像への寵愛の様子を見て、「一夜碧巌」を大乘寺に譲られたのであった。

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