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【定義】

江戸時代日本曹洞宗が輩出した学僧。号は三洲、名は白龍。師である卍山道白師の偉業を助け、その著作の発刊などに尽力する。

生没年:寛文9年(1669)〜宝暦10年(1760)
出身地:武蔵国熊谷(現在の埼玉県熊谷市)

【略歴】

寛文9年4月1日、村山城主清次の子として生まれた三洲は、幼年から出家を望み、8歳の時に卍山道白師に就いて出家した。15歳の時には、月舟宗胡にも見えている。始めは律を学び、さらに経論も学んだが、最終的には禅に参じることになり、曹洞宗のみならず黄檗集の高泉や独湛にも参じた。元禄3年(1690)には再び月舟に謁し、その翌年には、高岡・瑞龍寺の央山にも参じている。元禄6年には、相模の塔沢に庵を構えて只管打坐し、悟りを得て卍山に呈した。その機縁が契って、卍山の法嗣になる。

これ以降、卍山の随身として、特に宗統復古運動の大業を助けている。正徳元年(1711)に卍山が示寂すると、その葬儀を営むなどした。また、師である卍山の顕彰に努め、『卍山広録』(全49巻)を編集し、さらに『宗統復古志』などを示した。享保15年(1730)には、師の住職地であった大乗寺にも入り、また元文2年9月には、妙玄院を開いた。さらに、延享2年(1745)には、これまた師の住職地であった京都鷹峯の源光庵にて、結制を行った。

そして、宝暦10年4月8日、源光庵にて遷化した。世寿92、法臘83。供養塔は、芙蓉と名づけられた。

【著作】

・『禅戒游刃

さらに、弟子がその語録などをまとめている。

・慈麟玄趾『妙玄開祖白龍大和尚塔銘』
卍海宗珊・本圭『妙玄白龍和尚語録』(全10巻)

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