【定義】
号は無涯、名は智洪。瑩山紹瑾禅師の法嗣であり、後に浄住寺や永光寺に入った。
俗 姓:不明
生没年:生年不明〜観応2年(1351)
出身地:加賀の人
【内容】
加賀生まれであった無涯禅師は、幼くして鉄鏡眼可禅師の下で出家受具したが、その導きにより、後には瑩山禅師に師事するようになった。研鑽すること長年にして、瑩山禅師から法を嗣いだ。「四門人六兄弟」の一人。元亨3年(1323)には、師命を奉じて浄住寺に住し、後には永光寺にも入った。
暦応元年(1338)には、光明天皇が永光寺に仏舎利一顆を送り、その山中に三重宝塔を建てて、禳災の道場となした。足利直義は、これを一国一基の利生塔に指定している。そして、無涯禅師自身は、それらが終わると浄住寺に帰り、観応2年5月9日に遷化した。
法嗣には寂室了光がいる。
号は無涯、名は智洪。瑩山紹瑾禅師の法嗣であり、後に浄住寺や永光寺に入った。
俗 姓:不明
生没年:生年不明〜観応2年(1351)
出身地:加賀の人
【内容】
加賀生まれであった無涯禅師は、幼くして鉄鏡眼可禅師の下で出家受具したが、その導きにより、後には瑩山禅師に師事するようになった。研鑽すること長年にして、瑩山禅師から法を嗣いだ。「四門人六兄弟」の一人。元亨3年(1323)には、師命を奉じて浄住寺に住し、後には永光寺にも入った。
元亨三年〈癸亥〉二月一日、〈室中に問答す〉無涯老を以て、加州浄住寺の住持職に補する。 『洞谷記』
暦応元年(1338)には、光明天皇が永光寺に仏舎利一顆を送り、その山中に三重宝塔を建てて、禳災の道場となした。足利直義は、これを一国一基の利生塔に指定している。そして、無涯禅師自身は、それらが終わると浄住寺に帰り、観応2年5月9日に遷化した。
法嗣には寂室了光がいる。
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