エスペラントの修正版として開発された人口言語、国際補助語です。

ゴンサロ・ネヴェスさんのイド語ブログ「La blua plumo」(青いペン)へ、投稿された記事です。ポルトガルのエスピーニョで、休暇を楽しんだ時に、海辺でであったカモメが印象的で、忘れられず、イド語の詩を作ったそうです。2016年7月28日の記事。
http://labluaplumo.blogspot.jp/2016/07/muevo-staca...

MUEVO STACANTA SUR ROKAJO (岩の上に立つカモメ)


Pos itera regretinde tro longa pauzo, yen ke mea blogo rivenas e cafoye ofras a vi poemo originale kompozita en Ido.
再び遺憾ながらの長い中断の後に、ブログを再開しました。今回、私は、イド語で作られた詩を紹介します。
Me skribis ol ja longe ante nun, en la fora yaro 2002, kande me vakancis en Espinho, belega mikra urbo litoral en la nordo di Portugal, ube mea spozino pasis granda parto de sua infantevo.
それを書いたのは、だいぶ以前のことで、2002年当時、ポルトガル北部の美しい海岸の小さな街、エスピーニョ(Espinho)で休暇を過ごした時のこと。そこは家内が幼年時代の多くを過ごしたところでした。
Lore me mediteme sidis sur benko en litorala voyo apud turboza plajo ed observis bela muevo perchinta sur rokajo.
当時、私は物思いにふけって、人混み多い浜辺近くの道のベンチに座って、岩の上にとどまっていた美しいカモメを観察していました。
Me longe admiris lua majestoza silueto e lua superba posturo.
私は、カモメの堂々としたシルエットと、横柄な態度にしばらく驚嘆していました。
Apude kindi senskope lansis stoni, e treno rotolis sur reli pozita alonge la plajo.
傍らで、子供らは無邪気に石を投げ飛ばしたりしていて、列車は、浜辺に沿って敷かれたレールの上をガタゴトと走っていました。
Omna ca impresi, intermixita ed interstimulanta, e forsan anke recenta lekto di juinda verko da Pessoa, genitis la lora poemo, quan nun, itere vakancante en Espinho, me riprenas e lansas al mondo, por ke lua eko ne perdesez, e por ke la memoreso pri ta partikulara muevo, unika inter tanta simil uceli omnube peskanta sua nutrajo en tanta plaji tra la tota mondo, restez grabita por sempre sur la maxim duriva materio: la poezial etero.
このすべての印象は、交じり合って、刺激しあって、最近読んだペソア*1の楽しい作品が、おそらく、この詩を生み出したのかもしれません。今ふたたび、エスピーニョに休暇でやって来て、私はそれを再び拾い上げ、世間に向かって投げ飛ばしているのです。なぜなら、その余韻は、消え去るべきではなく、あの特別なカモメについての思い出は、全世界の向こうの浜辺のあらゆるところで、自分の餌をとっている似たような小鳥の中でも、他に類のない唯一のもので、いつまでも、決して古びることのない物の上に、彫刻として残すべきものなのだからです。
Yen do la poemo:
その詩は、次のとおりです。

Kande tu stacas sur rokajo,
キミが岩の上に立っている時、
Me ne savas interpretar tua beko.
キミのクチバシが何を言っているのか分かりません。
Me ne savas kad ol es konkava adinfre
それが下の方に凹んでいるのか、あるいは、
O konvexa adsupre.
上に向かって出っ張っているか、わかりません。
La silueto di tua beko
キミのクチバシの輪郭は、
Es la silueto di penso serchanta
その思いの輪郭であり、
La direciono adube regardar
どこを見つめるのか、その方向を探すのです。
E la sinso dil respondi
その答えの方向は、
Qui pasajos de omna questioni.
すべての問いから旅立つだろう。
Me regardas per okuli qui vidas
私は、目でじっと見ています。
Nur to quon li expektas trovar.
彼らが見つけたいと思っているものだけを見ているのです。
Me remarkas ke tua beko es nur beko:
わたしは、キミのクチバシがただのクチバシであることに気づいています。
Beko di ucelo qua kreesis por havar beko;
クチバシを持つために作られた小鳥のクチバシ
Beko asuminta la rolo esar beko
クチバシであることの役割を請け負ったクチバシなのです。
Ed esar regardata da pensanto pri beko;
そして、クチバシについて考えることによって、見られることは、
Beko konvexe konkava segun la sinso dil regardo,
見る方向によって、出っ張ったり、窪んだりするクチバシであり、
E konkave konvexa segun la sinso dil penso.
思考の方向に従って、窪んだり出っ張ったりするクチバシなのです。
Tua beko sucias nur peskar e nutrar la filii,
キミのクチバシは、餌を取ったり、子らを養うことだけは、知っていますし、
E tua filii ne lansas stoni al pensi da altri.
それに、キミの子らは、他人の考えに対して、石を投げたりはしません。
Sub tua beko salianta la maro spumifas
隆起しているキミのクチバシの下には、海が泡だっています。
Ed arozas la brizanti per blankeso salatra.
そして、塩のような白さで、暗礁を潤しています。
Tua okuli tante kustumeskis spektar lo,
キミの目は、こんなに見物するのに慣れているのです。
Ke li ne plus vidas to
(見物するものは)私が努力して見ようとしているもの。
Quon me esforcas esar kapabla vidar.
私があえて見ようとしているものです。
Okuli oglanta, okuli vivaca,
誘う目、元気な目
Kompani di beko qua genitas poemo sur rokajo:
岩の上で、詩を生み出すクチバシの仲間たちよ、
Regardez!
じっと見つめてくれたまえ!
Eskartez via atenco del nulo quo es omno
誰のものでもないものの注目は、無視しなさい。
E direktez ol
そして、それを指図しなさい!
A mea esforci pensar pri la existo-senco di beko.
私がクチバシの存在意味について考える努力をするように。
Tu stacas kun tua beko sen savar
自らのクチバシをもっているキミは、何も知らずに、立っている
Ke ol es plu importanta
それがもっと大切であることを。
Kam omna beki imaginata dal poeti;
詩人らによって空想されたクチバシよりも、大切であることを。
Ke ol es simbolo di kurvo dusinsa;
それが二方向へ曲がり角のシンボルであることを。
Ke en ol rezidas la sajeso di bekifero misterioza;
その中に、神秘に満ちたクチバシが生むものの知恵が住んでいることを。
Ke ol es statuo da manui habila
それが巧みな手によって作られた彫像であることを。
E da penso sempre tam friskanta kam la fishi
そして、そのさかなたちと同じようにいつも跳ねまわる思考によるものなのです。
Qui trovas en ol la lasta respiro;
その中には、最後の呼吸があります。
Ke ol povus naracar multa veraji celita,
それが、隠された多くの真実を物語ることができること。
Se ol koncius ke esar beko
もし、クチバシであることが、
Es esar preter esar beko:
クチバシであることを素通りしていることを意識しているならば、
Es naskir mesajero;
伝言者を生み出してしまったことを意識しているとするならば、
Es savar flugar super maro
海の上を飛ぶことを知っているとするならば、
Qua spumifas sensucie;
海は無邪気に泡立てます。
Es esar plu alta kam la fluktuema menti dil poeti;
それは詩人たちの波を起こす精神とは別なものです。
Es povar arachar poemo de homo
人の詩を引き出すことができることことです。
Qua regardas treni quale muevi
人は、カモメのような列車を見つめて、
E sentas en la reli
レールの中で感じています。
La maral odoro di rokajo irigacita;
(波に)濯がれた岩の海の匂いは、
Es skribar poemi per plumi di muevi
カモメの羽で書かれた詩なのです。
Qui flugas en omna direcioni dil cerebro;
カモメは、脳の中のすべての方向に飛びます。
Es skrapar guano de rokaji,
岩のグアノ(鳥の糞尿が凝固したもの)を削ることです。
Esperante trovir la percheyo definitiva;
望むべくは、最後のすみかを見つけたことです。
Es kurajar esperar irgo
勇気をもって何にでも希望を持つことです。
Ankore ed itere,
いまだに、そして、ふたたび
Sempre kande la muevi duros flugar e havar beki;
カモメが飛び続け、クチバシを持っている時は、いつでも、
Sempre kande la rokaji duros admisar guano skrapota;
グアノが削られることに、気付き続ける時は、いつでも、
Sempre kande poezio fluktuos super la spumo;
詩が泡の上を揺れ動く時は、いつでも
Sempre...
いつでも…

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