イド語上級講座 第23課*1
「what」は先行詞を含む関係代名詞として使われるならば、イド語では意味に応じて「quo」や「quon」になります。
上の英文の「which」は主格なので、イド語の関係代名詞も主格「quo」になります。
上の英文の「which」は対格なので、イド語の関係代名詞は対格「quon」になります。
(注意)
イド語においては、「to quo」「to quon」という関係において、動詞の後の「to」は省略できます。
(1) | What is here is good. (=That which is here is good.) |
---|---|
To quo esas hike, esas bona. | |
ここにあるものは、良い。 |
(2) | What you say is right. (=That which you say is right.) |
---|---|
To quon vu dicas, esas justa. | |
あなたが言っていることは、正しい。 |
(注意)
イド語においては、「to quo」「to quon」という関係において、動詞の後の「to」は省略できます。
I heard what he said. |
---|
Me audis quon ilu dicis. |
私は、彼が言ったことを聞いた。 |
I know what they are. |
---|
Me savas quo li esas. |
私はそれらが何であるかを知っている。 |
「what」が疑問代名詞の意味で使われる時は、イド語では「quo」「quon(対格)」を使います。
What is it? |
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Quo esas? |
これはなんですか? |
What is the matter? |
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Quo eventas? |
どうしたの?(何が起きましたか?) |
What do you want? (= you want what thing? ,'what' being the object.) |
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Quon vu volas? |
あなたは何がほしい?(「what」は目的格(対格)) |
疑問形容詞としての「what」は、イド語では「qua」「quan」が使われます。
What carriage? |
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Qua veturo? |
どんな乗り物? |
What day? |
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Qua dio? |
何日?(何曜日?) |
間投詞としての「what」は通常、疑問文を伴って、驚きや怒りを表します(何だって、ええ、まさか)。イド語でも、英語と同様に間投詞としても使われます。
What! is it true? |
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Quo!, ka vera? |
えっ!それは本当か? |
感嘆文で使われた「wtat」(whatは、次の来る名詞を強調するので、形容詞としての役割をもっています)は、イド語では「quala」を使って翻訳します。
What a wind! |
---|
Quala vento! |
なんという風なんだ! |
「some」「any」については第21課の部分冠詞で解説しています。
「no(どれでもない、まったくない)」の場合は、イド語では、通常の否定文にする場合と、否定の形容詞「nula」を使う場合があります。
*** a noun of quantity ***
英文では「全く無いパン(no bread)」という表現を使って、パンの量を否定しています。結果的には、英文は文全体を否定する文となっています。この時、英語の「no」は、「量を否定する形容詞」として機能しているわけです。本来は、一部の語句を修飾しているはずなのに、文全体を否定する役割をもつのが「no」の特徴です。
ところで、ここで使われている意味で「no + 名詞」を逐語的にイド語訳するならば、どうなるでしょうか。「量を表し、形容詞として機能して、しかも、その量を否定する単語という」条件に当てはまるイド語の単語は「nulquanta(少しも〜ない)」です。したがって、
となります。逐語的は、これが論理的に正しいのですが、語法的に表現が重すぎるかもしれません。しかも、否定語が文の後半に来るのは、欧米語では馴染みがないのです。(日本語では、否定語が文の末尾に来るのは自然なことですが…)
したがって、できるだけ否定語を前に持ってきて「Me ne havas pano」という表現のほうが好まれるのかもしれません。
次の例文を見ましょう。
「女性がいない」という表現を使って、「私は女性を見なかった」という否定文にしています。
論理的には、
という表現も可能ですが、語法的には、単純な否定文にしたほうがいいのでしょう。
つまり「一般的な名詞(厳密には名詞の表す量=a noun of quantity)を否定する時には、英語が名詞を否定するのに対して、イド語では動詞を否定する」のです。
*** a noun of individuality ***
さて、英語「no」が否定の形容詞となって、個別の名詞(a noun of individuality)を否定する場合について考えます。
この「no」は、「どの人も、モノものも〜ない」という表現を使って、個々の人やモノを否定しています。
個別の名詞を否定するイド語の形容詞は「nula」です。その名詞の前にnula を置いて否定します。
個性を持った名詞を否定する時には、イド語では名詞そのものを nula で否定するのです。
これは、一種の強調文になっております。ただの女性ではなくて、「どの女性もを」と強調しているのです。
上記の例文のように「no + 名詞」が文全体を否定するものばかりではありません。
「no」が次の来る名詞だけを否定する場合もあります。
(注)英語の news にはイド語では幾つか新語が提案されております。
ところで、ここで登場する「量の名詞」とか「個別の名詞」という概念は、エスペラントで使われる相関詞の考え方を利用することによって、より分かりやすくなると思います。「エスペラントの相関詞表とイド語語彙との比較」を参照して下さい。
*** a noun of quantity ***
I have no bread (=I do not have bread.) |
---|
Me ne havas pano. |
私はパンを持っていない。 |
ところで、ここで使われている意味で「no + 名詞」を逐語的にイド語訳するならば、どうなるでしょうか。「量を表し、形容詞として機能して、しかも、その量を否定する単語という」条件に当てはまるイド語の単語は「nulquanta(少しも〜ない)」です。したがって、
I have no bread |
---|
Me havas pano nulquanta. |
したがって、できるだけ否定語を前に持ってきて「Me ne havas pano」という表現のほうが好まれるのかもしれません。
次の例文を見ましょう。
I see no woman. |
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Me ne vidas muliero. |
女の人が全然いない。 |
論理的には、
Me vidas muliero nulquanta. |
---|
つまり「一般的な名詞(厳密には名詞の表す量=a noun of quantity)を否定する時には、英語が名詞を否定するのに対して、イド語では動詞を否定する」のです。
*** a noun of individuality ***
No man will say. |
---|
Nula homo dicos. |
誰も言わないだろう。 |
この「no」は、「どの人も、モノものも〜ない」という表現を使って、個々の人やモノを否定しています。
個別の名詞を否定するイド語の形容詞は「nula」です。その名詞の前にnula を置いて否定します。
No woman likes me. |
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Nula muliero prizas me. |
私は女の人に全然もてない。 |
これは、一種の強調文になっております。ただの女性ではなくて、「どの女性もを」と強調しているのです。
上記の例文のように「no + 名詞」が文全体を否定するものばかりではありません。
「no」が次の来る名詞だけを否定する場合もあります。
No news is good news. |
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Nula nuveli*/nuntii* esas bona nuveli*/nuntii*. |
Estar sen nuveli*/nuntii* esas bona nuveli*/nuntii*. |
何のニュースがないことが良いニュースだ |
ところで、ここで登場する「量の名詞」とか「個別の名詞」という概念は、エスペラントで使われる相関詞の考え方を利用することによって、より分かりやすくなると思います。「エスペラントの相関詞表とイド語語彙との比較」を参照して下さい。
「either(どちらかの、どちらでも)」は、次のように,イド語訳にします。
(「either…or… 」として相関接続詞的に使われる場合、イド語では「sive ... sive」を用います)
「neither(どちらもない)」の場合のイド語訳は「」nek una nek la altra」です。
Either of them will do (= one or other will suit). |
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Una od altra konvenos. |
どちらも似合うだろう。 |
Either book will do (= one book or the other will suit). |
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Un libro o la altra konvenos. |
どちらかの本がいいだろう。 |
「neither(どちらもない)」の場合のイド語訳は「」nek una nek la altra」です。
Neither door was open. |
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Nek una nek la altra pordo esis apertita. |
どちらのドアも開いていなかった。 |
「few(ほとんどない,少数[少し]しかない)」は、イド語では「poka」です。
「a few( 少しはある,ないことはない)」は、イド語では「kelka」です。
「sevral(いくつかの,数名[数個,数度]の)」は、イド語では「plua」です。
「many」「much」は、イド語ではいずれも「multa」で翻訳します。(「too many」「too much」は「tro multa」)
「a few( 少しはある,ないことはない)」は、イド語では「kelka」です。
「sevral(いくつかの,数名[数個,数度]の)」は、イド語では「plua」です。
「many」「much」は、イド語ではいずれも「multa」で翻訳します。(「too many」「too much」は「tro multa」)
形容詞の「such(それほどの,そのような)」はイド語では「tala」、代名詞の「such(こんな事、そんな事)」はイド語では「ti」で訳出します。
代名詞の「such」はイド語の「ti」で翻訳します。
Such as we are |
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Tala quala ni esas. |
そんな私たちだ。 |
代名詞の「such」はイド語の「ti」で翻訳します。
Such as like it. |
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Ti qui prizas olu. |
それを好むそんなもの。 |
英語の「all」も、多様な用法があるので、イド語訳する場合は、特に注意を要します。
「all」が単数扱いで「すべて(のもの)、万事」という意味の代名詞として使われる場合、イド語では「omno」。
「all」が複数扱いで「すべての人々、みんな」という意味の代名詞として使われる場合、イド語では「omni」。
「all」が形容詞として使われる場合、イド語では「omna」。
「all」が「すべての〜」という意味の場合は、イド語では「la tota」。
ALL THE, meaning the whole = la tota.
「all」が単数扱いで「すべて(のもの)、万事」という意味の代名詞として使われる場合、イド語では「omno」。
「all」が複数扱いで「すべての人々、みんな」という意味の代名詞として使われる場合、イド語では「omni」。
「all」が形容詞として使われる場合、イド語では「omna」。
All I have said. |
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Omno quon me dicis. |
私が語った全てのこと。 |
All were there. |
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Omni asistis. |
みんなが出席した。 |
All trouble, all efforts. |
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Omna peno, omna esforci. |
全ての苦労、すべての努力 |
「all」が「すべての〜」という意味の場合は、イド語では「la tota」。
ALL THE, meaning the whole = la tota.
All the town was ablaze. |
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La tota urbo flagris. |
街全体が燃えていた。 |
「each other(お互いに)」は、イド語では「una altra」となります。「each other」は3人以上でも使えます。
二人の場合の「one another(お互いに)」は、イド語では「una altra」または「inter-」の接辞が入った動詞が用いられます。
二人の場合の「one another(お互いに)」は、イド語では「una altra」または「inter-」の接辞が入った動詞が用いられます。
They loved each other. |
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Li amis una altra. |
彼らはお互いに愛し合っていた。 |
They loved one another. |
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Li amis una altra. Li inter-amis. |
彼らはお互いに愛し合っていた(二人の場合に限定される) |
They took each other's hats. |
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Li prenis la una la chapelo di la altra. |
彼らはお互いの帽子を取り合った。 |
「not...anything」「nothing」(〈どんなことも〉・何も)は、イド語訳で「ne ... ulo」「nulo」と逐語訳でもよさそうです。
「no one」「none」は、イド語では「ulo」「nulu」となります。
「no one」「none」は、イド語では「ulo」「nulu」となります。
数詞としての「one」の場合は、「un」ですが、単一性を示す形容詞としては「una」、人称代名詞としてのは「uno」です。
指示詞の後の「one」と形容詞の後の「one」が、イド語では省略されます。
形容詞の後の「one」は、名詞の反復で、しばしば訳されることがあります。
'One' after an adjective, is often translated by a repetition of the noun.
代名詞としての「the ones」はイド語では「uni」と翻訳されます*2。
形容詞の後の「ones」は、イド語には翻訳しません。
ONES, after an adjective, is not translated:
One and one make two. |
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Un ed un facas du. |
一足す一は二。 |
The One Holy Church. |
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La Una Santa Eklezio. |
一なる聖教会 |
The one said this, the other sai that. |
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Unu dicis ico, la altru dicis ito. |
一人はこう言い、別の人はあのように言った。 |
This one said this, that one said that, and the other one said the other thing. |
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Ica dicis ico, ita dicis ito, e la altra dicis la altro. |
この人は、こう言い、その人はそのように言い、あの人はあのように言った。 |
The little one was tired. |
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La puereto esis fatigita. |
その子は疲れていた。 |
形容詞の後の「one」は、名詞の反復で、しばしば訳されることがあります。
'One' after an adjective, is often translated by a repetition of the noun.
She had a doll, a beautiful one too. |
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Elu havis pupeo, vere bela pupeo. |
彼女は人形を持っていた、それも本当に美しい人形を。 |
代名詞としての「the ones」はイド語では「uni」と翻訳されます*2。
The ones were long, the other were short. |
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Uni esis longa, l'altri esis kurta. |
これらは長く、あれらは短かった。 |
形容詞の後の「ones」は、イド語には翻訳しません。
ONES, after an adjective, is not translated:
Give me two small ones. |
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Donez ad me du mikra. |
小さなふたつを下さい。 |
再帰代名詞「self」は、イド語では「ipsa」と翻訳します。
「myself」「himself」などが、単純な代名詞の後に使われるの時(すなわち「I myselef」「himself」など)、あるいは名詞の後に使われる時(the king himself)、単純な代名詞もしくは名詞を翻訳してから、空白をおいて「ipsa」と付け加えます。
注意しなければならないのは、「ipsa」はそれを言及する単語の次に置くということです。
名詞としての「self」は、イド語では「persono」と訳出されます。
Who was there? Only myself. |
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Qua esis ibe? Nur me ipsa. |
そこには誰がいるのか?私自身です。 |
「myself」「himself」などが、単純な代名詞の後に使われるの時(すなわち「I myselef」「himself」など)、あるいは名詞の後に使われる時(the king himself)、単純な代名詞もしくは名詞を翻訳してから、空白をおいて「ipsa」と付け加えます。
They themselves told me. |
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Li ipsa dicis to a me. |
彼ら自身が私にそのことを語った。 |
She saw it herslef. |
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Elu ipsa vidis olu. |
彼女自身がそれを見た。 |
She saw the thing itself. |
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Elu vidis la kozo ipsa. |
彼女はそのバラ自体を見た。 |
注意しなければならないのは、「ipsa」はそれを言及する単語の次に置くということです。
名詞としての「self」は、イド語では「persono」と訳出されます。
My whole self. |
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mea tota persono. |
私自身の全て。 |
A quale B | AとBは似ているが、同じ性質ではない。 |
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Matro quale mortinta patro reprimandis sua kindi*' ma ne suficante bone. |
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亡くなった父のように母は、自分の子どもたちを罰したが、それで十分ではないのだが。 |
A kom B | AとBは同じ品性をもっているが、同じ性質ではない。 |
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Patro anke kom matro sorgis sua kindi*, nam ja mortabis la matro. |
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父も母のような役割で自分の子どもたちを世話したが、なぜなら子供らの母は亡くなっていたからだ。 |
ベブソンさんが所属しているイド語のヤフーグループの中でも、「qua」と「quo」の相違について、議論することがあるらしい。
ここでは、その議論についての概要を、ベブソンさんが同グループへのメーリングリストを掲載する形で、なぞっています。
まず最初に、フランスのイディストのロイック・ランデ氏からのメーリングリストの記事を紹介しています。
Kara Jean, |
---|
ジャンさんへ、 |
Me remarkis segun me eroro pri la Dio-Proverbo di hiera Diala Jurnaleto |
昨日の日刊小新聞の「その日のことわざ」について、私なりにその間違いに気がつきました。 |
"Omno quo brilas ne esas oro ". |
「Omno quo brilas ne esas oro 」は |
Ka ne esus plu bone skribar |
次の文の方が、うまく書けているのではないでしょうか? |
"Omno qua brilas ne esas oro " od "Omna to qua brilas ne esas oro"? |
「Omno qua brilas ne esas oro」あるいは「Omna to qua brilas ne esas oro」です。 |
Kordiale Loik |
敬具 ロイック |
そこで、ベブソンさんは以前に、同グループに掲載した記事(「qua」と「quo」の違いについて)を、ロイック・ランデ氏宛に送ったわけです。
Sro Loi"c LANDAIS: Yen mea antea letro por granda difero inter qua e quo. |
---|
ロイック・ランデ氏へ:「qua」と「quo」の大きな違いに関する以前の手紙がありますよ。 |
Quankam me sporadike lektas IdoListo, tamen nek me nek Sro Jean MARTIGNON pluse esas membri di IdoListo. Do povesar ke lu ne lektas vua questiono.. |
私はときどき「IdoListo」(の記事)を読んでいますが、私もジャン・マルティニョンもすでに「IdoListo」のメンバーではありませんので、だから、あなたの疑問を彼(ジャン・マルティニョン)は読んでないかもしれませんよ。 |
Me sendas mea anciena e sequanta letro por vu. |
私は自分の古い、次の手紙をあなたへ送ります。 |
Sro Christophe GAUBERT: quo = qua'ns kontenajo |
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クリストフ・ゴーベール氏へ:「quo」とは「quaの中身」のこと |
Sro Eduardo A. RODI:Por klimar monteto di quo. |
エドゥアルド・A・ロディ氏へ:「quo」の丘をのぼるために |
ベブソンさんは何処からか勉強の為の例文を引き出して来ました。
On ya vidas ke multa homi mem ocidas por kelka monet-peci. |
---|
すこしばかりの小銭のために、多くの人たちが殺人をおかすのが知られております。 |
Ed en la televiziono (adminime en mea lando) on vidas homi facanta kozi mokinda po premii pekunia. |
そして、少なくとも自分の国(日本)では、(殺人は犯さないけれど)テレビでは、人は賞金で釣られて馬鹿げた事をしております。 |
Do forsan la ideo pri kordio militista esas nur traito kulturale impozita al homaro. |
だからおそらく、軍国主義者の心を動かす思想も、人類に押し付けられた文化的特色にすぎないでしょう。 |
On pensas ke suceso esas suceso materiala, aparar en televiziono (facante irgo) esas maxim granda revo por multi. |
人々が考えるのに、成功とは物質的な成功であり、(何でもやって)テレビに出られるのは、多くの人たちにとってとても大きな夢なのです。 |
Quante plu stupida on esas e montras su, plu multe on esas aceptita. |
自分を愚かにするほど、またそれを見せ付けたりするほど、人々はより多く受け入れられるのです。 |
Pensar esas konsiderata neutila. |
(深く)考えることは、無駄だと思われています。 |
Ed on devas facar nur to quan omni facas (precipue le sucesoza). |
そして、人々はみんなが行っていることだけは行うべきである(特に成功者は) |
E la sucesoza ya militas ed esas violentema. |
そして、成功者はまさに闘争しており、暴力的です。 |
Do on mustas esar violentema, se on volas sucesar quale li. |
したがって、人々が彼らのように成功を願うならば、荒々しくあるべきだ。 |
つぎからの記事が、ベブソンさんの「qua」と「quo」との相違についての記事になります。
Quo esas "quo"? Quo esa la kontenajo di "qua". |
---|
「quo」とは何か?「qua」の中身とは何なのか? |
On devas facar to quon omni facas. |
---|
人々は、みんなが行うことを行わなければならない。 |
On devas facar to di qua kontenajon omni facas. |
---|
人々は、みんなが行う内容を行わなければならない。 |
Qua esas la pacifisto? La duesma de la dextra. |
---|
平和主義者はどちらなのか?右から二番目だ。 |
Quo esas la pacifisto? Vera prejanto por paco. |
---|
平和主義者とは何者なのか?平和のために本当に祈る人だ。 |
Qua esas do la pacifisto? Lu esas Sro E. RODI. |
---|
だから、平和主義者とはどの人なのか?その人とはE・ルディ氏だ。 |
(ここから、「quo」「qua」の使い方の例文を列挙します)
Me ne komprenas to quon vu prejas* (insistas). |
---|
私はあなたが祈っている(主張する)ことが分からない。 |
Me ne komprenas to di qua kontenajon vu dicas. |
---|
私は、あなたが言っている内容が分からない。 |
Me ne komprenas "nur" to quan vu prejas*. |
---|
私は、あなたが祈っていること"だけ"は分からない。 |
Me komprenas l'altra kozi quin vu dicas, tamen me ne povas komprenar nur to "quan" vu prejas. |
---|
私はあなたが言っている別のことは分かるが、しかし私はあなたが祈っていることだけは理解できない。 |
(ベブソンさんは、「to qua/quan」の流れは否定しているものの、限定の副詞「nur」がついたときは、、「to qua/quan」の使用を肯定しているのです。すなわち…)
>Ed on devas facar nur to quan omni facas ...(precipue le sucesoza). |
---|
vu semblas gramatikale justa, pro ke ... |
ここではあなたは文法的に正しいようです、なぜなら… |
>Ed on devas ne facar "l'altra nenecesa kozi", |
人々は「他の必要ないこと」をすることをすべきではないが、 |
>ma on devas facar "nur" to quan omni facas .. |
しかし、みんながしていること”だけ”はすべきである。 |
>(precipue le sucesoza). |
(とくに成功者は) |
Se vu uzus "quon" vice "quan" .... |
---|
もし、あなたが”quan”のかわりに”quon”を使ったならば… |
>Ed on devas facar nur to quon omni facas ...(precipue le sucesoza). |
「Ed on devas facar nur to quon omni facas ...(precipue le sucesoza).」ようになるので、 |
Co dicus .... |
この文は…次のようになるかもしれません。 |
>On devas facar nur to quon (nejusta ma profitebla kozi=la kontenajo) omni facas (precipue le sucesoza). |
「人々が、みんな(特に成功者たち)がしていること(正しくはないが有益な事柄=その内容)だけはすべきである。」 |
Co anke dicus .... |
---|
これはまた…次のようになるかもしれません… |
>On devas facar "anke egale bone" to quon omni facas (precipue le sucesoza). |
「人々は、みんなが(特に成功者は)(行っていることを”また等しく、うまく”行わなれければならない。 |
Pro ke "nur" hike kun sequanta "quon" ma ne "quan" aspektas a me retorikale egalesar ya "anke egale bone". |
なぜなら、”quan”ではなく”quon”についている”nur”は、”anke egale bone”と修辞学的に等しいと、私には思えるからである。 |
このようなベブソンさんの議論に対して、エドゥアルド・A・ロディ氏は次のような反論を寄せています。
Me ne bone komprenas vua expliko. |
---|
私は、あなたの説明をよくわかりません。 |
Kom relativi, me uzis "qua/i(n)" kande esis "antecedento"(substantivo avana a qua la pronomo referas), e me uzis "quo(n)", kande ne esis tala substantivo, quale la Angla "that/which/who" vice "what": |
”先行詞”(代名詞quaに先行する名詞)がある時は、関係詞として、”qua/i(n)”を私は使いましたし、また、そのような名詞(先行詞)がない時は、"what"の代わりに"that/which/who"使う英語のように、”quo(n)”を使いました。 |
>>> I didn't understand the EXPLANATION (that) you offered to me. Me ne komprenis la EXPLIKO quan vu ofris a me. >>> |
(例えば)「I didn't understand the EXPLANATION (that) you offered to me.」 「Me ne komprenis la EXPLIKO quan vu ofris a me.」から… |
I didn't understand what you explained to me. Me ne komprenis quon vu explikis a me. |
(次のようになります…)「I didn't understand what you explained to me.」 「Me ne komprenis quon vu explikis a me.」 |
Ka ta uzado esas nekorekta?//99% korekta ma.. |
この語法は正しくないのですか?99%正しいと思いますが… |
この反論に対するベブソンさんの返事は次のようなものです。
Me dicus en la duesma frazo... |
---|
私は二番目の文章で次のように言っています… |
Me ne komprenis to quon vu explikis a me. |
私は、あなたが私に説明したことが分からなかった。 |
Me ne komprenis la EXPLIKO quan vu ofris a me. |
私は、あなたが私に提供した「説明」は分からなかった。 |
Onu ne parolas la kontenajo di la explko en la unesma frazo. |
---|
最初の文では、説明の内容を話していません。 |
Kande me a vu dicadis multa kozi inkluzante expliko, jokajo e mem prediko edc.: |
説明やジョークや小言までも含めて多くの事を、私はあなたに対して言ってきました。 |
Me komprenis la jokajo quan vu ofris a me. |
あなたが私に提供したジョークは理解できますよ。 |
Me komprenis ma ne prizas la prediko quan... |
小言は好きではないが、分かりますよ… |
Me ne komprenis la expliko quan vu ofris a me. |
あなたが私に提供した説明は分かりません。 |
Vu indikas la expliko inter multa kozi de me. |
あなたは、私からの多くの事柄の中に、その説明を示しているのです。 |
Me ne komprenis to quon vu explikis a me. |
---|
あなたが私に説明したことは、分かりません。 |
Me ne selektas vua expliko inter multa kozi. |
---|
私は、多くの事柄の中からあなたの説明を選抜しません。 |
Existas nur la expliko avan me. |
私の前には説明だけがあるのです。 |
Kande tamen me esforcas pensar pri la kontenajo di l'expliko, me tote ne komprenis to quon vu predikis a me. |
しかし、その説明の内容について努めて考える時には、私に対する説教を私は全く理解できなかったのです。 |
En ta kazo, vu do anke povas dicar quale... |
---|
その中で、あなたはこのように言っているのかもしれませんね… |
Me ne komprenis l'expliko quon vu dicis a me. |
私は、あなたが私に語った説明を理解できなかった。 |
Me ne komprenis l'expliko qua'ns kontenajon vu vane esforcas koaktar aden mea bonega cerebro. |
私は、自分のとても良い頭に向かって、あなたが虚しく無理いじする内容の説明を、理解できなかった。 |
つまり、qua は何かを指している矢印なのです。----> ◯ その先にある、面積を持った丸が to とお考え下さい。
qua は何かを指し示せば良いので、qua 自体には内容がありません。 nur to qua の時には、 qua が to の中の小さな ○ を示しているのでしょう。
On devas facar nur to quan omni facas (precipue le sucesoza).
人々は成功する為に他に色々やるべき事があっても、みんな(特に成功者)が行っていること(絶対的に必要な事)だけは行うべきである。ここでは nur は狭い矢印 qua が示す to 中の小さな部分の意味になるのです。
一方、to quo は ===> ◯ が一緒になったモノです。内容を持った矢印なのですね。
On devas facar nur to quon (nejusta ma profitebla kozi=la kontenajo) omni facas (precipue le sucesoza).
人々が、みんな(特に成功者たち)がしていること(正しくはないが有益な事柄=その内容)それだけは全てすべきである。ここでは nur は to 全体を漏れなくの意味になるのです。
On devas facar "anke egale bone" to quon omni facas (precipue le sucesoza).|
人々は、みんなが(特に成功者たち)が行っていることは、漏れなく(全て)同じ様にうまく行わなれければならない。
参考:co ca(これ) と to ta (それ)に付いても同様な関係です。
ca や ta は矢印で指し示しているだけ、co や to は指し示された実体です。詰まり形容詞は矢印で名詞は実体です。bela は美しいモノ/人を指し示しているだけ。belo になると指し示された実体、美男、美女になります。
(一連の議論の流れから見ると、ベブソンさんの細かなこだわりが見て取れます。また、問題となっている「quoとquaの相違」を文章に混ぜながら、ジョークを巧みに操っているベブソンさんの語学能力には、恐れいりますね)
ベブソンの呟き:イド語を学習すると、言語の裏にある論理が見えて参ります。私程度の語学能力を身に付けるなど訳もありません。
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