最終更新:ID:UynAowr9aQ 2017年05月29日(月) 17:20:30履歴
933 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/18(木) 23:59:01.46 0
静かに閉められたドア。
重い瞼を開き戸惑う。
唇に残る桃子の感触。
気のせいじゃない。
頬に添えられた桃子の手は僅かに震えていた。
桃子の行動の真意がわからない。
目がさめる直前、微かに聞こえた桃子の声。
あれが何か聞こえていたら今のキスの理由がわかったのだろうか。
考えても答えは出ない。
少なくとも嫌われてはいない。
それしかわからない。
茉麻から聞いた熊井ちゃんからの伝言。
みやなら大丈夫。
その言葉を良いように受け止めたら桃子も自分の事を好きなのかもしれないと思える。
それでも一度は断られた告白。
明らかに避けられていたここ数ヶ月。
これまでの桃子の行動。
熊井ちゃんと別れたからまた遊びたいだけなのかもしれない。
そんな疑いもちらっと頭を過る。
それと熊井ちゃんへの罪悪感。
それもあって一歩踏み出す勇気が出ない。
眠れないまま朝が来た。
働かない頭はもう考えるのを拒否していた。
どんなに考えたところで桃子が何を考えているのかわからなければどうしようもない。
一度ちゃんと桃子と話し合おう。
そう決意して自室を出た。
桃子の部屋の前。
ノックをしようとしたところで聞こえてくる声に手が止まる。
電話中ならまた後にしよう。
そう思ったのに。
耳に飛び込んで来た言葉。
『そっちに行く』
玄関脇に置かれていたパンパンのスーツケース。
それが電話の言葉と繋がる。
出て行ってしまう
焦る気持ちが行動に出た。
ドアを開け室内に踏みこんでいた。
桃子の片手には財布と鍵。
室内はやけにガランとして見えた。
934 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:00:22.22 0
「また掛け直す」
こちらに視線を向けすぐに電話を切った桃子。
「どうしたんですか?」
「話したい事があるんだけど」
感情の籠らない平坦な声。
それに心が折れそうになる。
勢いで入ったせいで次どうしたらいいのかわからない。
気まずい沈黙。
立ち尽くしていると座るように促された。
座った椅子の横。
ゴミ箱に捨てられた熊井ちゃんとのペアリングが視界に入った。
別れたのは昨日なのにそんなに簡単に捨てられるなんて信じられなかった。
よく見ると暫く見ていなかったあの指輪も。
熊井ちゃんとも飽きたから別れたの?
急速に萎えていく気力。
それでも今、出て行ったらもう話す機会がなくなるような気がして。
言いたい事はあるはずなのに頭の中が混線していて口から出てこない。
そんな中、先に沈黙を破ったのは桃子だった。
「結婚でもするんですか?」
聞こえて来た桃子の声。
あまりに予想外な言葉。
それも桃子の口からは聞きたくないそれに思わず低い声が出る。
「はっ?」
「あれ?違うんですか?ああそれとも彼氏と同棲するから出て行くとか?」
何をどうすればそんな発想が出てくるのか。
うっすら笑みすら浮かべているその表情にカッとなる。
「なんでそんな話しになる訳?」
「そんな真剣な顔でされる話ってそれぐらいしか思いつかなくて。だって雅さんと話す事って家の事ぐらいしかないじゃないですか」
その言葉が突き刺さる。
まるで自分個人には興味があるないと言われているようで。
頭に血が上っていたのが急速に冷まされていく。
936 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:01:32.87 0
「結婚する予定なんてないしそもそも彼氏もいない」
あれっ?と小さい声が桃子から漏れる。
心底不思議そうな顔。
「クリスマスの時の彼と付き合ってるんじゃないんですか?」
ざっと血の気が引いて行く。
見られたかもしれないとは思っていたけれどまさか本当に見られていたなんて。
「違う」
「そうなんですか?お似合いでしたよ。楽しそうでしたし」
「…なんでそういう事ばっかり言うの?」
「かなり積極的に恋人を探されていたようだったから」
否定はできない。
「頻繁に夜出歩いてましたよね。まあ人の事は言えないですけど」
自嘲するように笑って言葉を切った桃子。
「すみません。この話はやめましょう。雅さんの話ってなんですか?」
この流れで昨夜のキスの真意を聞くことも改めて自分の気持ちを告げることもできない。
どうにか出したのはここに入る直前に発生した疑問。
「あのスーツケース何?ももこそ出て行くの?」
虚をつかれたような桃子。
あーと肯定とも否定とも取れない声を出した。
「どうしてそう思ったんですか?」
逆に問い返される。
937 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:02:58.85 0
「出て行って欲しいとか?」
答える前にすぐに続けられた言葉。
口角の端だけが上がった少し嫌味ったらしい表情。
「そんな訳ない」
即座にした否定。
少し変わったように見える桃子の表情。
「出て行きませんよ。少なくとも今すぐには」
「どういうこと?」
「今、迷ってるんですよ。海外に行くのも悪くないなって」
「なんで?前に海外は行きたくないって言ってたのに」
「心機一転ですかね。色々めんどくさくなっちゃって」
クスッと小さく笑う桃子。
その言葉が怒りに火をつけた。
「熊井ちゃんの事も遊びだったの?」
さっと顔色が変わる。
「何言ってるんですか?」
普段の声からはかけ離れた聞いたことのないような怒気を孕んだ低い声。
「めんどくさいって言ったじゃん今。それにこれ。昨日別れたばかりでできる?こんな事」
ゴミ箱を指差し責めるとはっと息を呑み目を逸らした。
「くまいちょーは遊びじゃない」
絞り出すような声。
後悔が滲んでいるそれに疑問が浮かぶ。
938 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:04:02.11 0
「じゃあなんで別れたの?」
「雅さんとは関係ないでしょ」
「関係ある」
ハッと鼻で笑われた。
「何が?同じ職場なだけでしょう」
「違う」
「違いませんよ。話はもうないですよね。出て行く事になったらまた連絡しますから」
これ以上、話すのを拒否する態度。
ドアを示される。
「見送りに行かないといけないんで」
予め聞いていた帰りの便の時間。
それにはまだ早い。
「まだ時間あるでしょ。逃げんな」
ずっと浮かべていた薄ら笑いが消え無表情になった。
「逃げるって何からですか?別に逃げてませんよ」
「だったらなんで別れたのか言えるでしょ」
「またそれですか?」
わざとらしいため息。
「そういうのってベラベラと話すような事でもないでしょう?相手もいる話ですし」
「だったらこれだけ答えて。熊井ちゃんの事は本当に好きだった?」
「…好きでしたよ」
一瞬、言葉に詰まり視線を逸らされた。
本当とは思えない反応。
「本当に?」
完全に下を向いてしまった桃子。
939 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:06:52.54 0
「本気で付き合ってるってあの時の言葉は何?断るための嘘だったの?」
「違います」
「だったら本気なのに好きじゃないってどういう事?」
「好きだったって言ったじゃないですか。なんで好きじゃないって決めつけてるんですか」
珍しく半ばキレているような口調。
それは本当に心外そうで。
それでも引っかかるさっきの反応。
質問の方向を変えてみる。
「その好きってどういう好き?」
ぐっと言葉に詰まる桃子。
渋々という感じで漸く口を開いた。
「本気でしたよ。大事にしたかったですし。でも恋愛の好きではなかったです」
「だったらなんで付き合ったの?」
「下手に断ってぎくしゃくするより練習台になる方がいいかなって」
「練習台って何それ?」
桃子の言っている意味がわからない。
「だって最終的には男の人に行くじゃないですか」
「バカにしてんの?」
人の気持ちをなんだと思ってるんだろう。
「いえ、ただ環境による一時の気の迷いでしょうし。それにはちょうどいい安全な相手になれるかなって」
ムカつく。
本気でそう思っている感じが余計に。
377 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:01:46.61 0
「本当にそう思ってんの?」
「だって実際そうでしょう?」
「人の気持ち勝手に決めつけないでよ」
熊井ちゃんの気持ちも自分の気持ちも軽んじられているようで。
思わず桃子を睨み付けるとどこか呆れたような眼差しを向けられた。
「決めつけというか現実的に考えたらむしろそれが一般的ですから」
「現実的にとか一般的にとか関係ない」
「子どもみたいな事を言わないで下さいよ。それに雅さんも次の相手は男性だったでしょ?」
「それは、だって」
「雅さんも恋と勘違いしてただけじゃないですか。色々重なって好奇心とかと取り違えて。まあ今はもう気づいたようですけど。くまいちょーもきっとすぐに…」
「だから決めつけないでよ!」
今までしていた最低限の自制はどこかに吹き飛んでいた。
叫ぶような自分の声。
「それに勝手に過去にしないで」
気づいたって何に?
勘違いならこんなことになってない。
「今もももが好き」
勢いで伝えてしまった気持ち。
ピクリとも変わらない桃子の表情。
むしろ冷やかになった桃子の態度。
何も伝わってない。
それが嫌というほどよくわかる。
「そうですか。ごめんなさい。雅さんの勘違いには付き合えません」
坦々とした声。
露骨にこれで話は終わりという態度。
それに少し頭が冷える。
379 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:03:53.78 0
「勘違いなんかじゃない。どうしたら本気だって信じられる?」
「さあ?ないものをあるって言われても」
無いと断定している物言い。
どうやったら伝わるのか。
言葉が出て来ずもどかしい。
流れる沈黙に焦りばかりが生まれる。
そこにタイミング悪くかかって来た電話。
中々鳴り止まないその音。
ちらりと画面を見て渋い顔の桃子。
「もういいですか?たぶんこれ早く来るようにって催促の連絡でしょうし」
父と表示された画面を見せてくる。
たぶん本当にそういう用件だろうと想像がつく。
それでも今話を終わらせたら本当にお終い。
どうにか苦し紛れに言葉を放つ。
「ももの事だけずっと見てたら信じる?」
「ずっととか無理でしょうし第一それ自体どうやって証明するんですか?」
今日何度も見せられた呆れた表情。
側に置いていた鍵と財布を持って立ち上がる桃子。
「ももが納得するまでももとしか関わらない」
「それもっと無理じゃないですか。それにさっきから雅さんのも結構鳴ってますけど出なくていいんですか?私に関わってるよりそのご友人達と仲良くしてた方が有意義ですよ」
ほら無理でしょと言わんばかりの態度。
それにイラっとする。
また着信し始めた自分の電話。
「どうぞ出て下さい。私はもう出ますから」
ガッと鈍い音。
反射的な行動。
ヒビの入った画面は真っ暗になり静かになった。
380 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:04:47.30 0
「何してるんですか」
「チャンスをちょうだい。絶対、本気だってわからせる」
「いや、そんな事よりそれどうするんですか?」
それこそ今どうでもいい。
机の上に放り投げる。
「どうでもいいじゃん。それにほらこれでとりあえず今はもも以外と関われない」
唖然として言葉も出ない様子の桃子。
それに構わず言葉を続けた。
「少しの間でいいから。お試しで付き合ってよ。ももの好きなようにしていいから」
「好きなようにって例えば?」
「それはわからないけどももが信じられるなら何を試して見てもいいよ」
一度考え込むように俯く桃子。
「例えば今日から一歩も外に出るなって言っても?」
「ももがそれで信じるなら」
ハハッと乾いた笑い。
何かを堪えるように一瞬、ぎゅっと瞑られた目。
すっと目を逸らされた。
「そんな事言いませんよ。ごめんなさい。勘違いって言った事は謝ります。それでも雅さんとは無理です」
「それどういう意味?嫌いって事?」
何か短くボソッと呟かれた言葉。
聞き直す前にまた鳴りはじめた桃子の電話。
まるで逃げるかのように断りもなく電話に出る桃子。
漏れ聞こえてくる桃子の父親の声。
「すぐ行くから」
短く答えて本当に出て行きそうな桃子の手を掴む。
381 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:06:02.07 0
「待って。ねぇさっきなんて言ったの?」
「さぁもう忘れました」
「そんなわけないじゃん。それに無理ってなんでか教えてくれない限り離さない」
両手で握り締めた桃子の腕。
諦めたようにため息が一つ聞こえてきた。
「嫌いでは無いです。でもやっぱり近い将来、結婚したりするでしょ?そんな先の見えた短い付き合いなんて嫌ですよ」
「絶対ない。それに結婚するならももとする」
「絶対なんてないですよ。それと女同士で結婚もできないですし」
諭すような静かな声音。
反論する前に小さく聞こえてきた桃子の呟き。
「それにその言葉も忘れるんじゃ無いんですか」
若干拗ねているようにも取れるその声。
割と最近思い出した小さい頃の桃子との記憶。
桃子の言う忘れた言葉が何を指してるのかすぐに思い当たった。
「確かに忘れてたけど思い出したし」
待っててと念を押し自室に。
綺麗に包装されたそれを引き出しから取り出し、桃子の部屋に急いで戻った。
桃子がちゃんと部屋に居たことにほっとする。
桃子の不思議そうな視線が手元の箱に注がれる。
「なんですかそれ?」
雑に破り中身を取り出す。
思わず買ってしまったどことなく似ていたデザインの指輪。
あの時と同じように桃子の手を取り指輪をはめる。
ただあの時と違って桃子からの好意も見えなければ交換する指輪もない。
『大っきくなったら一緒に住めばいいんだよ
これでみやはもものだしももはみやのね
これは約束のあかしね』
382 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:07:26.92 0
強引な幼い頃の自分の言葉。
嬉しそうに笑顔で頷いた幼い頃の桃子。
「もう大人だし一緒に住んでるからあとはももがみやのになってくれたら約束叶うじゃん」
虚をつかれたような桃子。
茫然としていた表情が徐々に柔らなものに変わる。
懐かしそうに細められる目。
その視線は嵌められた指輪に向けられていた。
また流れる沈黙。
それでもそんなに悪くない空気。
少し期待してしまう。
「やっぱり私には無理そうです」
俯いていて表情がうかがえない。
「なんで?」
その問いかけには何も答えは返されない。
そっと外される指輪。
返そうと伸ばされたその腕を引き寄せ、キスをする。
少しでもこの気持ちが伝わればいいのに。
それなのに桃子は無反応。
意地になって噛み付くようにしても誘うように舌を這わせても変わらない。
いつかのように押し離されることもない。
ただただ無反応。
自分だけが必死。
目を開くと何も写してないかのような色の無い目。
「ごめんなさい。もう行きますね」
体を離す桃子。
本当に出て行きそうな桃子に聞きたかった疑問をぶつけた。
「…ねえ、なんで昨日キスしたの?」
僅かに動揺したかのように揺れる表情。
でもすぐにそれは隠された。
「…なんででしょうね」
やはり答えてはくれない。
すっと横をすり抜けて桃子は出て行った。
383 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:08:39.47 0
一週間後。
あの後、一度も会うことなく桃子は両親の元へ行ってしまった。
期間を決めていない留学らしい。
仕事から帰ったらリビングの机に置かれていた手紙。
手紙には留学という形で海外に行くと書かれていた。
あとは急な事を詫びる言葉とこの部屋の事が書かれていた。
帰ってきた時のために契約したままにしておくから家賃の心配はいらない事。
残された桃子の部屋の家具は好きにしていいし、引っ越すのも自由にしていいと。
そこから数行空け末尾に書き足されていた文章。
桃子の通帳の場所と暗証番号。
引っ越しの時の足しにして下さいと。
出て行く事を推奨しているとしか思えないそれに手紙を投げてしまう。
ひっくり返った手紙の裏、小さな黒い線。
よく見るとひっそり書かれた小さな文字。
気持ちが変わなかったらそのままいて下さい
結局、桃子の真意はわからないまま。
あの時、受け取らず桃子の机に置かれたままだった指輪はなくなっていた。
手紙の言葉となくなっていた指輪のせいで少しの期待。
そのせいで桃子への気持ちが消化できないままいたずらに時間が過ぎた。
変わらない気持ちに引っ越す気も起きない。
なんの連絡もなく一年半が過ぎているのに。
何をするでもなく自宅で過ごす休日。
夏の暑い空気に何をする気にもなれない。
エアコンの効いたリビングで無為に時間を消費する。
ふと目に入る桃子の部屋。
暫くしていなかった桃子の部屋の掃除。
重い腰をあげて桃子の部屋に入った。
部屋に置かれたままの家具。
机の上に置かれていた二つの指輪の掛かったリングスタンド。
熊井ちゃんとのペアリングと小さい頃にあげた指輪。
桃子に置いていかれたものたち。
この部屋に入る度にそれをただぼーっと眺めてしまう。
今日もまた目的を忘れてぼーっとしてしまう。
いつも何かきっかけが無いと動き出せない。
今日は何で動き出す事ができるだろう。
漫然とした思考。
玄関から鍵の開く音が聞こえた。
静かに閉められたドア。
重い瞼を開き戸惑う。
唇に残る桃子の感触。
気のせいじゃない。
頬に添えられた桃子の手は僅かに震えていた。
桃子の行動の真意がわからない。
目がさめる直前、微かに聞こえた桃子の声。
あれが何か聞こえていたら今のキスの理由がわかったのだろうか。
考えても答えは出ない。
少なくとも嫌われてはいない。
それしかわからない。
茉麻から聞いた熊井ちゃんからの伝言。
みやなら大丈夫。
その言葉を良いように受け止めたら桃子も自分の事を好きなのかもしれないと思える。
それでも一度は断られた告白。
明らかに避けられていたここ数ヶ月。
これまでの桃子の行動。
熊井ちゃんと別れたからまた遊びたいだけなのかもしれない。
そんな疑いもちらっと頭を過る。
それと熊井ちゃんへの罪悪感。
それもあって一歩踏み出す勇気が出ない。
眠れないまま朝が来た。
働かない頭はもう考えるのを拒否していた。
どんなに考えたところで桃子が何を考えているのかわからなければどうしようもない。
一度ちゃんと桃子と話し合おう。
そう決意して自室を出た。
桃子の部屋の前。
ノックをしようとしたところで聞こえてくる声に手が止まる。
電話中ならまた後にしよう。
そう思ったのに。
耳に飛び込んで来た言葉。
『そっちに行く』
玄関脇に置かれていたパンパンのスーツケース。
それが電話の言葉と繋がる。
出て行ってしまう
焦る気持ちが行動に出た。
ドアを開け室内に踏みこんでいた。
桃子の片手には財布と鍵。
室内はやけにガランとして見えた。
934 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:00:22.22 0
「また掛け直す」
こちらに視線を向けすぐに電話を切った桃子。
「どうしたんですか?」
「話したい事があるんだけど」
感情の籠らない平坦な声。
それに心が折れそうになる。
勢いで入ったせいで次どうしたらいいのかわからない。
気まずい沈黙。
立ち尽くしていると座るように促された。
座った椅子の横。
ゴミ箱に捨てられた熊井ちゃんとのペアリングが視界に入った。
別れたのは昨日なのにそんなに簡単に捨てられるなんて信じられなかった。
よく見ると暫く見ていなかったあの指輪も。
熊井ちゃんとも飽きたから別れたの?
急速に萎えていく気力。
それでも今、出て行ったらもう話す機会がなくなるような気がして。
言いたい事はあるはずなのに頭の中が混線していて口から出てこない。
そんな中、先に沈黙を破ったのは桃子だった。
「結婚でもするんですか?」
聞こえて来た桃子の声。
あまりに予想外な言葉。
それも桃子の口からは聞きたくないそれに思わず低い声が出る。
「はっ?」
「あれ?違うんですか?ああそれとも彼氏と同棲するから出て行くとか?」
何をどうすればそんな発想が出てくるのか。
うっすら笑みすら浮かべているその表情にカッとなる。
「なんでそんな話しになる訳?」
「そんな真剣な顔でされる話ってそれぐらいしか思いつかなくて。だって雅さんと話す事って家の事ぐらいしかないじゃないですか」
その言葉が突き刺さる。
まるで自分個人には興味があるないと言われているようで。
頭に血が上っていたのが急速に冷まされていく。
936 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:01:32.87 0
「結婚する予定なんてないしそもそも彼氏もいない」
あれっ?と小さい声が桃子から漏れる。
心底不思議そうな顔。
「クリスマスの時の彼と付き合ってるんじゃないんですか?」
ざっと血の気が引いて行く。
見られたかもしれないとは思っていたけれどまさか本当に見られていたなんて。
「違う」
「そうなんですか?お似合いでしたよ。楽しそうでしたし」
「…なんでそういう事ばっかり言うの?」
「かなり積極的に恋人を探されていたようだったから」
否定はできない。
「頻繁に夜出歩いてましたよね。まあ人の事は言えないですけど」
自嘲するように笑って言葉を切った桃子。
「すみません。この話はやめましょう。雅さんの話ってなんですか?」
この流れで昨夜のキスの真意を聞くことも改めて自分の気持ちを告げることもできない。
どうにか出したのはここに入る直前に発生した疑問。
「あのスーツケース何?ももこそ出て行くの?」
虚をつかれたような桃子。
あーと肯定とも否定とも取れない声を出した。
「どうしてそう思ったんですか?」
逆に問い返される。
937 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:02:58.85 0
「出て行って欲しいとか?」
答える前にすぐに続けられた言葉。
口角の端だけが上がった少し嫌味ったらしい表情。
「そんな訳ない」
即座にした否定。
少し変わったように見える桃子の表情。
「出て行きませんよ。少なくとも今すぐには」
「どういうこと?」
「今、迷ってるんですよ。海外に行くのも悪くないなって」
「なんで?前に海外は行きたくないって言ってたのに」
「心機一転ですかね。色々めんどくさくなっちゃって」
クスッと小さく笑う桃子。
その言葉が怒りに火をつけた。
「熊井ちゃんの事も遊びだったの?」
さっと顔色が変わる。
「何言ってるんですか?」
普段の声からはかけ離れた聞いたことのないような怒気を孕んだ低い声。
「めんどくさいって言ったじゃん今。それにこれ。昨日別れたばかりでできる?こんな事」
ゴミ箱を指差し責めるとはっと息を呑み目を逸らした。
「くまいちょーは遊びじゃない」
絞り出すような声。
後悔が滲んでいるそれに疑問が浮かぶ。
938 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:04:02.11 0
「じゃあなんで別れたの?」
「雅さんとは関係ないでしょ」
「関係ある」
ハッと鼻で笑われた。
「何が?同じ職場なだけでしょう」
「違う」
「違いませんよ。話はもうないですよね。出て行く事になったらまた連絡しますから」
これ以上、話すのを拒否する態度。
ドアを示される。
「見送りに行かないといけないんで」
予め聞いていた帰りの便の時間。
それにはまだ早い。
「まだ時間あるでしょ。逃げんな」
ずっと浮かべていた薄ら笑いが消え無表情になった。
「逃げるって何からですか?別に逃げてませんよ」
「だったらなんで別れたのか言えるでしょ」
「またそれですか?」
わざとらしいため息。
「そういうのってベラベラと話すような事でもないでしょう?相手もいる話ですし」
「だったらこれだけ答えて。熊井ちゃんの事は本当に好きだった?」
「…好きでしたよ」
一瞬、言葉に詰まり視線を逸らされた。
本当とは思えない反応。
「本当に?」
完全に下を向いてしまった桃子。
939 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/19(金) 00:06:52.54 0
「本気で付き合ってるってあの時の言葉は何?断るための嘘だったの?」
「違います」
「だったら本気なのに好きじゃないってどういう事?」
「好きだったって言ったじゃないですか。なんで好きじゃないって決めつけてるんですか」
珍しく半ばキレているような口調。
それは本当に心外そうで。
それでも引っかかるさっきの反応。
質問の方向を変えてみる。
「その好きってどういう好き?」
ぐっと言葉に詰まる桃子。
渋々という感じで漸く口を開いた。
「本気でしたよ。大事にしたかったですし。でも恋愛の好きではなかったです」
「だったらなんで付き合ったの?」
「下手に断ってぎくしゃくするより練習台になる方がいいかなって」
「練習台って何それ?」
桃子の言っている意味がわからない。
「だって最終的には男の人に行くじゃないですか」
「バカにしてんの?」
人の気持ちをなんだと思ってるんだろう。
「いえ、ただ環境による一時の気の迷いでしょうし。それにはちょうどいい安全な相手になれるかなって」
ムカつく。
本気でそう思っている感じが余計に。
377 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:01:46.61 0
「本当にそう思ってんの?」
「だって実際そうでしょう?」
「人の気持ち勝手に決めつけないでよ」
熊井ちゃんの気持ちも自分の気持ちも軽んじられているようで。
思わず桃子を睨み付けるとどこか呆れたような眼差しを向けられた。
「決めつけというか現実的に考えたらむしろそれが一般的ですから」
「現実的にとか一般的にとか関係ない」
「子どもみたいな事を言わないで下さいよ。それに雅さんも次の相手は男性だったでしょ?」
「それは、だって」
「雅さんも恋と勘違いしてただけじゃないですか。色々重なって好奇心とかと取り違えて。まあ今はもう気づいたようですけど。くまいちょーもきっとすぐに…」
「だから決めつけないでよ!」
今までしていた最低限の自制はどこかに吹き飛んでいた。
叫ぶような自分の声。
「それに勝手に過去にしないで」
気づいたって何に?
勘違いならこんなことになってない。
「今もももが好き」
勢いで伝えてしまった気持ち。
ピクリとも変わらない桃子の表情。
むしろ冷やかになった桃子の態度。
何も伝わってない。
それが嫌というほどよくわかる。
「そうですか。ごめんなさい。雅さんの勘違いには付き合えません」
坦々とした声。
露骨にこれで話は終わりという態度。
それに少し頭が冷える。
379 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:03:53.78 0
「勘違いなんかじゃない。どうしたら本気だって信じられる?」
「さあ?ないものをあるって言われても」
無いと断定している物言い。
どうやったら伝わるのか。
言葉が出て来ずもどかしい。
流れる沈黙に焦りばかりが生まれる。
そこにタイミング悪くかかって来た電話。
中々鳴り止まないその音。
ちらりと画面を見て渋い顔の桃子。
「もういいですか?たぶんこれ早く来るようにって催促の連絡でしょうし」
父と表示された画面を見せてくる。
たぶん本当にそういう用件だろうと想像がつく。
それでも今話を終わらせたら本当にお終い。
どうにか苦し紛れに言葉を放つ。
「ももの事だけずっと見てたら信じる?」
「ずっととか無理でしょうし第一それ自体どうやって証明するんですか?」
今日何度も見せられた呆れた表情。
側に置いていた鍵と財布を持って立ち上がる桃子。
「ももが納得するまでももとしか関わらない」
「それもっと無理じゃないですか。それにさっきから雅さんのも結構鳴ってますけど出なくていいんですか?私に関わってるよりそのご友人達と仲良くしてた方が有意義ですよ」
ほら無理でしょと言わんばかりの態度。
それにイラっとする。
また着信し始めた自分の電話。
「どうぞ出て下さい。私はもう出ますから」
ガッと鈍い音。
反射的な行動。
ヒビの入った画面は真っ暗になり静かになった。
380 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:04:47.30 0
「何してるんですか」
「チャンスをちょうだい。絶対、本気だってわからせる」
「いや、そんな事よりそれどうするんですか?」
それこそ今どうでもいい。
机の上に放り投げる。
「どうでもいいじゃん。それにほらこれでとりあえず今はもも以外と関われない」
唖然として言葉も出ない様子の桃子。
それに構わず言葉を続けた。
「少しの間でいいから。お試しで付き合ってよ。ももの好きなようにしていいから」
「好きなようにって例えば?」
「それはわからないけどももが信じられるなら何を試して見てもいいよ」
一度考え込むように俯く桃子。
「例えば今日から一歩も外に出るなって言っても?」
「ももがそれで信じるなら」
ハハッと乾いた笑い。
何かを堪えるように一瞬、ぎゅっと瞑られた目。
すっと目を逸らされた。
「そんな事言いませんよ。ごめんなさい。勘違いって言った事は謝ります。それでも雅さんとは無理です」
「それどういう意味?嫌いって事?」
何か短くボソッと呟かれた言葉。
聞き直す前にまた鳴りはじめた桃子の電話。
まるで逃げるかのように断りもなく電話に出る桃子。
漏れ聞こえてくる桃子の父親の声。
「すぐ行くから」
短く答えて本当に出て行きそうな桃子の手を掴む。
381 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:06:02.07 0
「待って。ねぇさっきなんて言ったの?」
「さぁもう忘れました」
「そんなわけないじゃん。それに無理ってなんでか教えてくれない限り離さない」
両手で握り締めた桃子の腕。
諦めたようにため息が一つ聞こえてきた。
「嫌いでは無いです。でもやっぱり近い将来、結婚したりするでしょ?そんな先の見えた短い付き合いなんて嫌ですよ」
「絶対ない。それに結婚するならももとする」
「絶対なんてないですよ。それと女同士で結婚もできないですし」
諭すような静かな声音。
反論する前に小さく聞こえてきた桃子の呟き。
「それにその言葉も忘れるんじゃ無いんですか」
若干拗ねているようにも取れるその声。
割と最近思い出した小さい頃の桃子との記憶。
桃子の言う忘れた言葉が何を指してるのかすぐに思い当たった。
「確かに忘れてたけど思い出したし」
待っててと念を押し自室に。
綺麗に包装されたそれを引き出しから取り出し、桃子の部屋に急いで戻った。
桃子がちゃんと部屋に居たことにほっとする。
桃子の不思議そうな視線が手元の箱に注がれる。
「なんですかそれ?」
雑に破り中身を取り出す。
思わず買ってしまったどことなく似ていたデザインの指輪。
あの時と同じように桃子の手を取り指輪をはめる。
ただあの時と違って桃子からの好意も見えなければ交換する指輪もない。
『大っきくなったら一緒に住めばいいんだよ
これでみやはもものだしももはみやのね
これは約束のあかしね』
382 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:07:26.92 0
強引な幼い頃の自分の言葉。
嬉しそうに笑顔で頷いた幼い頃の桃子。
「もう大人だし一緒に住んでるからあとはももがみやのになってくれたら約束叶うじゃん」
虚をつかれたような桃子。
茫然としていた表情が徐々に柔らなものに変わる。
懐かしそうに細められる目。
その視線は嵌められた指輪に向けられていた。
また流れる沈黙。
それでもそんなに悪くない空気。
少し期待してしまう。
「やっぱり私には無理そうです」
俯いていて表情がうかがえない。
「なんで?」
その問いかけには何も答えは返されない。
そっと外される指輪。
返そうと伸ばされたその腕を引き寄せ、キスをする。
少しでもこの気持ちが伝わればいいのに。
それなのに桃子は無反応。
意地になって噛み付くようにしても誘うように舌を這わせても変わらない。
いつかのように押し離されることもない。
ただただ無反応。
自分だけが必死。
目を開くと何も写してないかのような色の無い目。
「ごめんなさい。もう行きますね」
体を離す桃子。
本当に出て行きそうな桃子に聞きたかった疑問をぶつけた。
「…ねえ、なんで昨日キスしたの?」
僅かに動揺したかのように揺れる表情。
でもすぐにそれは隠された。
「…なんででしょうね」
やはり答えてはくれない。
すっと横をすり抜けて桃子は出て行った。
383 : 名無し募集中。。。@無断転載は禁止2017/05/29(月) 00:08:39.47 0
一週間後。
あの後、一度も会うことなく桃子は両親の元へ行ってしまった。
期間を決めていない留学らしい。
仕事から帰ったらリビングの机に置かれていた手紙。
手紙には留学という形で海外に行くと書かれていた。
あとは急な事を詫びる言葉とこの部屋の事が書かれていた。
帰ってきた時のために契約したままにしておくから家賃の心配はいらない事。
残された桃子の部屋の家具は好きにしていいし、引っ越すのも自由にしていいと。
そこから数行空け末尾に書き足されていた文章。
桃子の通帳の場所と暗証番号。
引っ越しの時の足しにして下さいと。
出て行く事を推奨しているとしか思えないそれに手紙を投げてしまう。
ひっくり返った手紙の裏、小さな黒い線。
よく見るとひっそり書かれた小さな文字。
気持ちが変わなかったらそのままいて下さい
結局、桃子の真意はわからないまま。
あの時、受け取らず桃子の机に置かれたままだった指輪はなくなっていた。
手紙の言葉となくなっていた指輪のせいで少しの期待。
そのせいで桃子への気持ちが消化できないままいたずらに時間が過ぎた。
変わらない気持ちに引っ越す気も起きない。
なんの連絡もなく一年半が過ぎているのに。
何をするでもなく自宅で過ごす休日。
夏の暑い空気に何をする気にもなれない。
エアコンの効いたリビングで無為に時間を消費する。
ふと目に入る桃子の部屋。
暫くしていなかった桃子の部屋の掃除。
重い腰をあげて桃子の部屋に入った。
部屋に置かれたままの家具。
机の上に置かれていた二つの指輪の掛かったリングスタンド。
熊井ちゃんとのペアリングと小さい頃にあげた指輪。
桃子に置いていかれたものたち。
この部屋に入る度にそれをただぼーっと眺めてしまう。
今日もまた目的を忘れてぼーっとしてしまう。
いつも何かきっかけが無いと動き出せない。
今日は何で動き出す事ができるだろう。
漫然とした思考。
玄関から鍵の開く音が聞こえた。
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