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タグ検索で戦国時代8件見つかりました。

明智秀満

'明智秀満''(あけちひでみつ)は、[[戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての[[武将]]。[[織田氏]]家臣の[[明智光秀]]の重臣で女婿。字は弥平次。[[本能寺の変]]では光秀軍の先鋒を務めた。 *生涯 天文5年(1536年)生まれ。ただし、天文4年(1535年)説や天文6年(1537年)説もある。 天正6年(1578年)頃、[[荒木村重]]の嫡男村次のもと妻で、村重が[[織田信長]]に謀反を起こしたため離縁された光秀次女(養女)革手を正妻とした。 天正9年(1581年)、光秀による丹波…

https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%cc%c0%c3%d2%... - 2009年01月29日更新

火縄銃

より「種子島」とも呼称された。日本では、戦国時代の後半から幕末期の洋式銃の到来以前の近世期を通じて使用された。 *概要 黒色火薬を使用し、銃口から弾薬を挿入する先ごめ式の銃で、人馬を殺傷できる距離はおよそ80メートルであったとされる。天文12年8月25日 (旧暦)(ユリウス暦1543年9月23日)、ポルトガル人によって種子島に伝来した鉄砲の製法を、当時15歳の島主[[種子島時堯]]が家臣に命じて習得させ、やがてこの製法は九州各地、和泉の堺、近江の国友村、紀伊の根来などの鉄砲鍛冶によって製造され、全国的に…

https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%b2%d0%c6%ec%... - 2009年01月29日更新

南蛮貿易

''南蛮貿易''(なんばんぼうえき)とは、16世紀後半から17世紀初頭にかけておこなわれた[[南蛮人]]([[ポルトガル]]・[[スペイン]]など南欧系の商人)による中継貿易。東シナ海域を主たる舞台とし、また、カトリックの布教と一体的な貿易であった。 *概要 ポルトガル人が日本到達した16世紀中葉は、ちょうど日明間の[[勘合貿易]]の終末期にあたっていた(最後の勘合船は1547年)。ポルトガルはこの機に乗じて[[琉球王国]]の商人の活動とも競合しながら、主として日本と明国のあいだの中継貿易に乗り出すこと…

https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%c6%ee%c8%da%... - 2009年01月24日更新

種子島

''種子島''(たねがしま)は、鉄砲伝来の地として有名な九州南方の島。 *沿革 7世紀末には多彌島として朝廷に服属(また、この前後に奄美、掖玖(屋久)、信覚(石垣島)、度感(徳之島)などの西南諸島各地域」が服属したとの記録がある)。令制国においては、大隅国に帰属していた。 *概要 1543年、ポルトガルの商人を乗せた倭寇王直の船が種子島に漂着。当時15歳の島主種子島時堯はポルトガル人の持参した[[火縄銃]]2挺を購入し、鍛冶師の八板金兵衛に鉄砲の製法を学ばせた。なお、ポルトガル側の史料では、このできご…

https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%bc%ef%bb%d2%... - 2009年01月21日更新

南蛮人

。中国での呼称にしたがった。 *概要 戦国時代から安土桃山時代にかけて多数来日した。東南アジアなど、日本からみて南方から渡来することが多かったために南蛮人と称された。のちに渡来するイングランド・オランダなど北欧系の人びと([[紅毛人]])とは区別された。 南蛮人は、中国産の生糸や絹織物、[[鉄砲]]、火薬をもたらし、銀や刀剣を日本から持ち帰る中継貿易([[南蛮貿易]])をおこなった。 *履歴 -本記事の履歴を参照。 **著作権者 -Greenland4 …

https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%c6%ee%c8%da%... - 2009年01月10日更新

伊東塚

''伊東塚''(いとうづか)は、[[戦国時代]]の[[日向国]]の大名[[伊東氏]]配下の武将の[[墓]]。宮崎県小林市に所在する。[[1934年]]([[昭和]]9年)[[4月17日]]、宮崎県指定[[史跡]]となった。 *概略 [[元亀]]3年([[1572年]])、[[伊東義祐]]と[[薩摩国]]を本拠とする[[島津義弘]]とのあいだの[[木崎原合戦]]において敗死した伊東加賀守、伊東又次郎、伊東新次郎、米良筑後守をはじめとする諸将の墓である。この合戦を境に日向における伊東氏の勢力は徐々に衰退し、…

https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%b0%cb%c5%ec%... - 2008年12月23日更新

分国法

''分国法''(ぶんこくほう)とは、[[戦国大名]]が分国統治のために制定した施政方針もしくは基本法規。 *概要 分国法は、戦国大名の私的な家訓、家法および[[一揆]]契約などからはじまり、やがて軍事・刑事・民事など多方面にわたる国法となって、多くは法典の形式をとるようになった。その大名の支配地域においては恒久的な効力を有するもので、戦国大名の領域支配、一円支配を端的に物語る。その多くは[[幕府法]]や[[守護法]]を継承しており、中世法制の集大成的な役割を担った。しかし、すべての戦国大名が分国法を制定…

https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%ca%ac%b9%f1%... - 2008年12月10日更新

会津天寧寺

''天寧寺''(てんねいじ)は,[[福島県]][[会津若松市]]東山町石山天寧に所在する[[曹洞宗]]寺院。山号は萬松山。 *沿革 [[文安]]4年([[1447年]])に[[蘆名盛信]]が大瞞行果禅師 南英謙宗のために[[陸奥国]]会津黒川東山に開いたといわれる。勧請開山は傑堂能勝であった。かつては会津曹洞宗の[[僧録司]]を兼ね、末寺33カ寺、僧堂12を数えたとされる。 蘆名家中興の英主とされ、[[会津]]地方に大勢力を築いた[[蘆名盛氏]]が銭100貫文を寄進した記録があり、最盛期には[[雲水]…

https://seesaawiki.jp/w/greenland4/d/%b2%f1%c4%c5%... - 2008年12月10日更新

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