眠り姫の居る娯楽室迄
初出スレ:2代目393〜
属性:男子高校生と?歳女性
学校に現れた、幽霊屋敷の女主。
突然現れた彼女、庵さんが僕に告げたのは、自分が僕の学校の先輩だということだった。
「何だ、遠藤。知り合いか?」
庵さんの後ろから聞きなれた声。ハンカチで両手を拭きながら、安岡がトイレから戻ってきたのだ。
「あ、うん」
躊躇いがちに僕は答える。
確かに彼女は知り合いだ。だが、知り合いであるというのと取り付かれているというのは、若干違う気がする。
「こんにちは」
「あ、はい。こ、こんにちは」
庵さんが僕に背を向ける形で安岡に挨拶する。
僕の位置からは庵さんと正対する安岡の顔が良く見えるのだが、その顔がみるみる内に赤くなって、鼻の下が伸びた。
気持ちは良く分かるよ、安岡。こんな美人、いや麗人というのだろうか、校内の何処を探しても居ないから。
しみじみと思う。これで幽霊でなければと。
彼女が何時頃この学校に居たのかは分からないが、同じ時間を過ごしていたならば、きっとその美貌を毎日のように見続けていたに違いない。
制服姿の彼女は、体操服姿の彼女は、部活姿の彼女は。時折変わるその姿に、きっと僕はどぎまぎする筈だ。
そんな幻想を目の前の安岡も抱いているのだろうか。
「周くん」
しばらく妄想の世界に入っていた僕は、突如聞こえてきた庵さんの声で我に返った。
見ると、体を安岡に向けたまま、庵さんは首をやや傾けて僕を見ている。切れ長の瞳が流し目になって、ぞっとするほど美しい。
「これからご飯よね。邪魔しちゃったね」
いえ、そんなことはありません。
言葉が口から出る前に、彼女はさっと、まるで舞台の上でターンするかのように身を翻した。
「じゃあね」
両手を後ろで組み、軽く頭を下げて、彼女は本校舎の方向へと歩き出す。
優雅なその仕草に、食堂前で立ち止まっていた生徒達が溜め息を付きながら見送っていた。
「あっ、あの!」
ようやく声が出た。
しかし、次の言葉が出てこない。もう帰ろうとする人を留める程の言葉なんて、意外に思いつかないものらしい。
「これから、何処に行くんですか?」
数秒間考えに考えた後、口から出てきたのは、ありふれた質問の言葉だった。
愚問とまでは言わないが、貧相な言葉である。
だが、庵さんはその言葉に足を止め、ゆっくりと振り向いて告げた。
「久しぶりだから校舎でも見ていくつもり、知り合いもいるから、挨拶でもしようかな」
成程、校舎への再訪と挨拶回りか。卒業生が母校に帰ってきた時の定番だ。
待てよ、挨拶回り?
幽霊による挨拶回りってもしかしてそれは。
「まさか、お礼参りですか?」
そう、お礼参り。恨みつらみのある先生に対する復讐の別名だ。
学園ものの漫画でよくあるパターンである。
『おんどりゃあァァ先公ッ!!今日はお礼参りに来てやったけェのォォっ!!』という感じで。
しかも彼女は幽霊だ。その彼女が行うお礼参りと言えば…。
そんな心配があって掛けた言葉。だが、彼女は僕の言葉に一瞬目を丸くすると、次の瞬間笑い出した。
「ふふっ、あは、あはははは。」
本当に面白いのだろう。上品だがお腹を抱えて笑う姿は、こらえるのに必死という風体だった。
「あはは、面白い」
一頻り笑い終えてから、彼女は静かに告げた。
「誰かを取り殺すとでも思った?」
図星を突かれ、途端に次の言葉が出なくなる。
取り殺すという生々しい言葉を本人の口から聞くと、目の前に居る彼女が急に怖く思えた。
「ふふ、馬鹿ね」
肩にかかった長い髪を掻き上げながら、彼女は口の端だけを上げて笑みを浮かべる。
柔らかそうな黒髪が波打つように揺れて、背中に流れた。
「だったら、一番危ないのはあなたじゃないの?」
「え、僕…?」
「だって周くん断ったじゃないの、私のお誘い」
何の抑揚もない、無機質な言葉。
僕の背中が、ぞくりと冷えた。
庵さんが立ち去った後に食堂で催された安岡との会食では、自然と彼女の話が大半を占めた。
安岡の質問攻めは、先ずどうして僕が彼女と知り合ったのか、彼女は何者かとの点から始められた。
(あの人は幽霊屋敷の女主で、幽霊なんだ)
なんて事実を語ったら、どれだけ電波扱いされるか分からない。
僕は彼女を遠い親戚であり、家庭教師をしてもらっているという、誤魔化すにはベタベタな話を作り上げた。
幸いなことに安岡はそれを信じたらしく、「くーっ、何だよそのマンガみたいな話は、俺にも美人の家庭教師をよこせー!」と叫んでいた。
確かに僕達思春期の青少年にとって、美人の新米教師と家庭教師という存在は、エロの代名詞に等しい。
正直彼女が幽霊でなく、僕にあんなことをしていなければ、完全に参っていただろう。
食堂から戻り、一時限だけ設けられた午後の補習時間を終えるまで、妙に安岡は興奮していた気がする。
「安岡君、今日はいいことでもあったの?」
古文担当の釈信夫先生が、いつものオネエっぽい仕草で指摘する。
傍から見ても分かるほど、安岡の顔は昂揚し、呆けたかのように笑みを浮かべていた。
「んあ、何でもないっス」
急な指摘に、安岡が一瞬かぶりを振る。授業を聞いていないことが一目で分かる反応だった。
「じゃあ、ここを答えて。古今和歌集の編者は?」
「えーと、藤原道長?」
「…立ってなさい。あと、補習が終わったら、私の所へ来ること」
げげっ、という顔をしながら安岡が立ち上がる。この釈先生には、気に入った男子学生にセクハラまがいのことをするという悪しき噂があった。
昔、放課後に呼ばれた生徒が、下校時に薬局で痔の薬を買いに行ったという伝説が残っている。
俺、ノーマルのままでいられるのかな。
油蝉の鳴き声が響く教室で一人立ち尽くす安岡が、そう呟いた気がした。
補習の良いところは、授業終了後のホームルームが無くて、すぐに帰れるところにある。
古文の補習を終え、クラスメイトがおのおのの部活や帰路を急ぐ中、僕も自分の部活へ行くために本館へと向かっていた。
この高校の校舎は、一・二年生用の棟と三年生用の棟、家庭科や化学の実験で使う教場棟、そして職員室等がある本館に分かれている。
僕の部活は、四階建ての本校舎の三階にある、「娯楽室」と書かれた部屋を部室に使っていた。
「お疲れ様でーす」
引き戸をガラリと開けて、挨拶をする。
元々生徒たちの健全な娯楽用に作られたというこの部屋は、茶道室と並ぶ校内唯一の畳敷きの部屋だった。
八畳間程の大きさの部屋に、卓袱台と数枚の座布団。西向きの窓は開け放たれており、その下には碁盤があった。
その隣に、棋譜帳を手にした女生徒が座椅子に座って、…いや眠っていた。
雲で翳った夏の日差しを浴びたその女生徒は、静かな寝息をたてている。
夏服のスカーフが規則正しく上下に揺れており、黒縁眼鏡の奥の瞳は、固く閉じられていた。
高校三年生とは信じられないその小さな身体が座椅子に乗っている姿は、まるで子供が揺り椅子で眠っているように思える。
僅かに赤みを帯びた前髪が眼鏡のレンズにかかり、さわさわと風に揺れていた。
僕は静かに引き戸を閉めて、土間で静かに靴を脱ぎ、音を立てないようにして畳の上を歩く。
彼女を起こさないよう、慎重に。
そっと片隅に鞄を置き、彼女に近づく。碁盤の上を見ると、白黒の石が数個だけ置かれていた。
おそらく棋譜を始めて直ぐに寝入ってしまったのだろう。昼間の一番眠い時間帯だから無理はないが、この人に限っては珍しい話ではない。
この海山手高校の眠り姫こと、囲碁・将棋部の部長。正確には前部長の柴田恋先輩だった。
眠り姫の二つ名の由来は言うまでもないだろう、この人は寝る。それはまた良く眠る。
何せ、去年の囲碁の全国高校囲碁選手権大会の県大会決勝戦でも、対局中に眠ってしまった人なのだから…。
全国高校囲碁選手権。
日本棋院主催の、囲碁をする高校生にとっては甲子園ともいえる大会である。
男子と女子で分かれて、三人一組の団体戦と個人戦により行われるこの大会で、この恋先輩は個人戦で、全国への切符をかけた戦いに挑んだ。
宮本武蔵と佐々木小次郎による巌流島の決闘に匹敵する大一番。文字通りに全身全霊を掛けた一騎打ち。
その最中、恋先輩は寝た。冗談ではなく、応援しているこちらが、叫んでやっと起きるというほどに寝入っていた。
そして待ち時間ギリギリまで寝過ごしながらも、恋先輩は勝った。
前代未聞のこの対局の後、恋先輩に付けられた二つ名は「海山手高校の眠り姫」。
全国大会ではその年の王者に一回戦で敗れたものの、その逸話と打ち筋の美しさから、いつしかそう呼ばれるようになったのである。
「ん…」
眠りから覚めようとしているのだろうか、恋先輩が小さく唸り、眉を顰めた。
無防備だった寝顔に凛としたものが蘇えり、高貴さを含んだ表情が現れる。
まるで貴族のお姫様のように、凛々しさと気高さを含んだ表情。眠り姫のもう一つの由来だ。
眼鏡の下の瞳が開く、両目を覆う縁と同じように深い黒色が、何度か宙を彷徨った。
「遠藤…?」
視線が僕を捕らえて、恋先輩が顔を上げる。
一瞬、呆けたような表情。おそらく思考がまだ目覚めていないのだろう。
しばしの沈黙。
ほんの数秒だったのかもしれないが、僕にしてみれば、何十秒とも感じられる時間だった。
「ああ、遠藤か」
思考が完全に目覚めたためか、恋先輩が僕に向けて微笑む。
成程、庵さんのようにぞくりとするような美しさは無いが、綺麗な花が咲いたかのような可憐さがある。
「お早うございます、先輩」
前半に妙なアクセントを付けて、僕は恋先輩に声をかけた。
また寝ていたんですか、という皮肉さを混ぜての言葉に気づいたのか、恋先輩は口を僅かにすぼめる。
「…可笑しいな。もうとっくに昼だぞ」
「知ってます」
「知っているならば、この時間の挨拶は『こんにちは』の方が良い」
恋先輩が座椅子から立ち上がる。それでも僕の胸あたりにやっと届くくらいだ。
正直、片手で持ち運び出来るかもしれない。もっとも、本人が強行に拒否するだろうが。
「ん?何を考えているんだ」
僕の考えが読めているのだろうか、恋先輩が探るような視線を僕に送る。
慌てて否定すると、彼女はふぅ、と一息ついて、碁盤を指差した。
「まあいいさ。とりあえず指すか?」
「はい、お願いします」
卓袱台の下にあった座布団を引っ張り出して、恋先輩の向かいに置く。その間、恋先輩は盤上の石を集め、碁笥に直していた。
「今日は、何目置く?」
「三目で、お願いします」
「いいのか?おそらく君はボクに、八割の確率で負けるぞ」
「…四目でお願いします」
「分かった」
本人いわく、三人の弟に嘗められない様な生活をしていけば、自然と言葉も、男子のそれに近づいてくるらしい。
目の前の小さな体にTシャツと半ズボンを着せれば、生意気な小学生男児が出来上がるようだ。
まあ、男には出せない爽やかな匂いと、時折見せる女らしい仕草を見れば、彼女が女性であることは一目で分かるのだが。
「ふん、それでは駄目だな」
対局も終盤を迎え、僕がかなりリードされているという状況になった。
自分でも信じられない。確かに僕と恋先輩との腕前に開きはあるが、それでもここまで差がつくことは滅多にない。
筋が乱れている。読みも完全に外れている。
ドツボに嵌って何もかも上手くいかない。そうとしか例えられない状況だった。
「終わりにするか」
「…はい」
投了を告げる恋先輩の声に、僕は否応なく頷いた。
「まあ、飲め」
石を碁笥に片づけてすぐ、恋先輩が自分の学生鞄から何かを取り出し、僕に投げてよこした。
取り損ねて畳の上に転がったそれは、恋先輩が愛飲している烏龍茶の200ミリリットル入りペットボトルだった。
「あ、ありがとうございます」
直ぐに拾ってお礼を言う。恋先輩は僕の目の前に近づいて座ると、一足先に同じペットボトルの蓋を開け、口に含んでいた。
「一体、どうしたんだ?」
唇を湿らせる程度にお茶を飲んだ恋先輩が、僕を正面から見据える。
「心配ごとでもあるのか」
「そんな、ことは」
「…あるみたいだな」
対局中に見せる、鷹の目のような視線を送られた僕に、嘘は付けなかった。
一流の武芸者や棋士は相手の心理を見抜くことが出来ると言うが、その言葉通り、彼女は対局から僕の異常を察したのだろう。
「女、か?」
驚いた。そこまで分かるものなのか。
「まぁ、そんなところです」
素直に認める。すると恋先輩は女の子にしては可愛げのない表情で、くっくっく。と笑った。
「ほぉ、君が女性問題で悩むとは。」
「笑わないで下さいよ、こっちは真剣なんですから」
「悪い悪い。で、悩んでいる理由は何なんだ?好きになったけど、告白できないとでもいうやつか?」
「そんなのじゃありません」
「ああ、そうだったな。君はそんなことでは悩まない男だ」
もう一度、可愛げの無い笑い。この悪戯っ子のような笑みに、僕は不吉を覚えた。
「何せ身の程を考えず、このボクに告白した男なのだからな」
不発弾が爆発したような感覚。
「わーーーーーっ!!」
顔を真っ赤にして周りを見渡す。幸いにしてこの場所に他の人間はいないようだ。
「な、何を言っているんですかっ!」
「悪い悪い。これはボクと君だけの秘密だったな」
か、確信犯だ。
僕の反応を楽しんでいるその表情は、庵さんのそれとほとんど変わらない。女性というものは皆そうなのだろうか。
あたふたする僕と飄々としている恋先輩。本当に誰かが見ていたら、滑稽としか思えない風景だろう。
そう、学年が上がって直ぐのことだった。僕は目の前にいるこの先輩に告白し、見事に振られた。
あの口調を、態度を、何よりその性格を愛おしいと感じるようになったのは一年生の半ばからだったろうか。
第二次性徴期を迎えてから初めて他人に抱いた恋心。だからあの春の日、僕は彼女に部活が終わった後、この場所に残るようお願いした。
夕闇が迫る二人だけの部屋。あの時も彼女は、今ここにいるように飄々とした顔をしていた気がする。
こちらはかつてない緊張と、断られるのではないかという恐怖心で一杯だったというのに、気楽な様子だった。
だから、僕が彼女に告げた言葉をよく覚えていなかった。確か恋愛映画や小説、マンガから色々と引っ張り出したものだったように思える。
しかし、彼女が僕に告げた断わりの台詞は、今の今でもよく覚えていた。
「すまない、君のことは弟のようにしか見れない」
俗に言う特攻→玉砕というやつだった。
初めて味わう失恋の痛みはまるで吐き気のようで、正直、息が止まるような感覚がした。
言いようもない気まずさが胸の中に溢れて、頭の中に『退部』の二文字が頭の中に浮かんだ。
すぐに背中を向けて、走り去ろうとした。この場から一刻も早く立ち去りたかった。
しかし恋先輩は、背を向けた僕の肩に手をぽん、と置くと、振り向いた僕に困ったような顔を見せた。
「そんな顔はしないでくれ」
たぶん今にも泣き出しそうな顔をしていたのだろう。いつものポーカーフェイスが珍しく、弱気な顔へと崩れていた。
今にして思えば、そんな顔にさせたのは他ならぬ彼女自身だったのだが、その時の僕にそんなことを考える余裕は無かった。
確か彼女の手を振り払うようにして、再び引き戸へと踵を返していたはずだ。
その背中に、今度は彼女の言葉が触れた。
「忘れるから」
びくりとして、もう一度振り返る。崩れていた顔は元の無表情に戻っておりしっかりと僕を見据えていた。
「今日のことは忘れる。君とボクの間には、何も無かった」
忘れる。ある意味残酷な言葉だ。
今日のために費やした僕の情熱を、恋先輩への思いを、全て無かったことにするというのですか、あなたは。
虫がいいとしか思えない、彼女の提案。馬鹿にするなと、文句の一つでも言ってやろうかとも思った。
だが、怒りをぶつけようと視線を一度畳に移した時に僕は気づいた。彼女の足が、遠目で見ても分かるくらいに震えていたのだ。
すぐに顔を上げて彼女をよく見ると、眼鏡の向こうにある瞳が潤んでいる。
その時に、僕は思い出す事があった。
『提案することは勇気の居ることだ。しかし、それを断るのは、もっと勇気の居ることだ』
父さんが、その日の朝食の時に言っていた言葉だった。思い返せば、告白することで頭が一杯だった僕を見ていた父が、さりげなく伝えてくれた助言だったのかもしれない。
恋先輩も、苦しかったのだ。
例えば兄弟姉妹に告白されたとして、それを受け入れることのできる人間は多くないはずだ。
実際、僕に妹がいたとして「お兄ちゃん、大好き!きょうだいでもいいから結婚して!!」と言われても、到底受け入れることは出来ない。
彼女も、同じような気分だったのだろう。弟同然に見ているものからの告白は、即ち弟からの告白。
そう考えれば、僕の告白を断らざるを得ない彼女の気持ちを理解することが出来た。
関係は壊したくない。でも、受け入れるわけにはいかない。
強烈なジレンマが、僕と同じように、彼女の心を苦しめていたのだ。
「分かり、ました」
頭とは異なり、中々冷静な判断を理解出来ない心を無理やりに抑え、僕は彼女の提案を受け入れた。
「すまない。本当にボクの身勝手だ」
僕の返答に安心したのか、彼女は最後に大きく息をついて言っていた。
「このことは胸の中にしまっておく、他の誰にも言わないから」
…と、言ったはずなのに、今になってその話を持ち出すとは、正直奇襲に等しい一撃だった。
「うわ、恋先輩。それ約束違反じゃないですか?」
「他の誰にも言わないとは言ったが、それに君は入らない。よって約束違反には該当しない」
どうしてこう、女性というものは意地悪なのだろうか。一度は惚れた弱みだから仕方無い部分はあるが、納得いかない。
「それで、君が悩んでいるのはどんな問題なんだ?」
横道に逸れてしまった話を戻すべく、恋先輩が当初の質問を僕に振ってきた。
実はあの告白以来、かえって僕と恋先輩との仲は良くなっていた。
姉弟のような関係というべきなのだろうか、恋愛感情抜きという事で、気兼ねなく話し合うことが出来る仲になっていたのだ。
「実は…」
僕は幽霊屋敷で出会った庵さんのことを、恋先輩に伝えた。勿論、襲われそうになったことは隠して。
先輩は時折ふむとか、ほうとか頷いていたが、話が終わると
「ちょっとあっちを向いていてくれ」
と、僕に背を向けるよう言った。
「もういいぞ」
少しして、振りむく。
恋先輩は僕の目の前に両手を突き出していた。手の先はジャンケンでいうグーの形になり、固く握られている。
「石はどこにあると思う?」
いきなりクイズというわけか。僕は何も考えずに、先輩の左手を指差した。
先輩がちっ、と苦い顔をするのと同時に左手が開かれる。現れたのは一個の黒石だった。
「正解ですか」
回答を求めて先輩に尋ねる。すると先輩は答えないまま残る右手を開いた。
「あっ」
右手の中には、白石が一個。すると、どちらにも石が入っているということか?
「下も、見てみろ」
今度は畳の上を見てみろという指示。
視線に下にやる。うお、スカートから健康そうな恋先輩の膝小僧が…。
っと、見る所を間違えていた。正面の畳の上には白黒の石が一つずつ、寄り添うようにして載せられている。
つまり、石は手の中以外にもあるわけだ。
「まずは、前提条件から疑うことだな」
畳の上の石を摘まみながら、先輩が告げる。
「君はボクが石の在り処を尋ねた時、付き出された両手を見て、そのどちらかにあると思った。」
「え、ええ。そうです」
「まずそこで君の思考は両手へと集中し、それ以外の選択肢を失った。次いで、君は『石はどこにあると思う?』の質問を違った意味に捉えた」
「違った意味?」
「君はこう思ったのではないか?『石は両手の内のどちらかにあると思う?』と。ボクは一度も石が一個だと限定していないのに」
確かにそうだ、先輩は一度も石の個数について尋ねていない。
同じようなことが、つい昨日もあった。幽霊屋敷でのミスリード、あの通用口の仕掛けと同じようなものだ。
「つまり、君は前提条件に惑わされ―――」
更に先輩は言葉を続けようとした。しかし次の瞬間、勢いよく開け放たれた娯楽室のドアの音にそれは遮られた。
「ごめん、ごめん。遅れたーっ」
元気の良い声が、部屋中に響く。
鞄を片手に入ってきたのはこの部活の現部長で、クラスは違うが僕の同級生、初芝遼子だった。
「あの、遅れて申し訳ありません」
その後ろに後輩の一年生、宮城昌美さんが続く。
「あ、恋先輩、お疲れ様です。おっ、周ちゃんも早いね〜」
「ん、ああ」
真っ茶色の髪を靡かせて、初芝が入ってくる。あれで地毛だというが、僕にはどうしても信じられない。
昔バリカンで長髪を刈られた生徒が自殺して以来、この学校は服装検査は厳しくても、髪型については甘い所がある。
「やっぱ二人とも付き合っているでしょ。もー、部活内恋愛は禁止のはずじゃ〜?」
ばしばしと背中を叩かれた。中学までは体育会系の部活に入っていたためか、文科系部活の部員としてはかなりテンションが高いのが彼女の特徴だ。
「あの、初芝先輩。遠藤先輩、痛がっていると思います」
老舗の土産物屋のお嬢様である宮城さんが、遠慮がちに初芝を窘める。しかし初芝のテンションは収まることなく。
「そろそろ吐いちゃえよ〜。おっ姉さんに言ってみ〜」
と、今度は僕にヘッドロックをかけ始めた。
それを隣で見ている恋先輩の視線が冷たいこと冷たいこと…。
結局先輩の言葉を聞くことなく、今日の部活が幕を開けたのである。
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2008年04月13日(日) 23:22:52 Modified by toshinosa_moe