曹洞禅・仏教に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々について管理人が研究した結果を簡潔に示しています。曹洞禅・仏教に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

道元禅師は、いま現在修行が出来るのは、古来から仏祖が修行を連綿と行ってきたためであると考えており、そのような仏祖に対する報恩として修行することを促すための喩えで用いた故事がこの「病雀三府環」や「窮亀余不印」である。『修証義』「第五章行持報恩」などでも用いられる。
これらみな古来の仏祖の、古来の仏祖を報謝しきたれる、知恩報恩の儀なり。病雀なほ恩をわすれず、三府の環よく報謝あり。窮亀なほ恩をわすれず、余不の印よく報謝あり。 『正法眼蔵』「行持(下)」巻

なお、この一件は出典があり、『参註』などでは『対偶日記』を挙げている。その内容は以下のようなものである。
古事に曰く「後漢の揚宝。性は慈愛、年は九歳、華陰山の北に至る。一の黄雀の、鴟鳥(註・トンビの類)の為に搏った所で地に堕ち、又、螻蟻に困ぜられる所を見る。宝取りて、之を懐して以て帰る。巾箱の中に置きて飼うに、黄華を以てすること百余日、毛羽既に成りて、朝に去り暮れに来たる。積年の後、忽然として群雀と倶に来たりて哀鳴、繞り至る。数日に乃ち飛び去る。是の夜、黄衣の童子有り。宝に向かい再拝して曰く『我は是、西王が母の使者、蓬莱に生る。此を過ぎて君が仁慶ありて、拯い放ち、しばしば恩義を承けたてまつることを感ず』と。白環四枚を以て、宝に与えて曰く『君が子孫らをして、潔白の位、三公に登らしめんとす。当に、此の環の如くなるか』と。後に、宝は子の震を生み、震は乗を生み、乗は賜を生み、賜は彪を生む。四世、果たしてまさに白環の数に応じ、徳業相継ぐ。

話の内容は、後漢の揚宝という者の話である。この者が、傷を負った雀を拾って介抱していたら、そのうちに恩返しとして、子孫まで含めて4人ほど、位人臣を極めたということであった。なお、その際、功徳があると知らせた童子から4枚の白環をもらったのだが、これがまさに、登るべき位を意味し、その人の数を意味していたというので「三府の環」という。

このページへのコメント

揚宝は楊宝の誤りではないでしょうか

0
Posted by 名無し(ID:5nMCPemDNw) 2019年10月28日(月) 03:05:51 返信

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

管理人/副管理人のみ編集できます