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【定義】

道元禅師が『正法眼蔵』「渓声山色」巻にて、懺悔すべき相手として捉えた存在。同巻に於いては、『妙法蓮華経』に出て来る世尊のこと。

【内容】

道元禅師は、自分自身に怠け心や、教えへの不信がある場合には、懺悔すべきという。
又、心も肉も、懈怠にもあり、不信にもあらんには、誠心をもはらして、前仏に懺悔すべし。恁麼するとき、前仏懺悔の功徳力、われをすくひて清浄ならしむ。 「渓声山色」巻

ところで、この「前仏」が何を意味するかについては、議論がある。例えば天桂伝尊師は『正法眼蔵弁註』にて、次のように指摘する。
懈怠にも不信にもあらんにはとは、身も心も多くは懈怠なるもあり、又不信なるもあり、若然懈怠不信あらば必ず仏前に懺悔すべし。 『弁註』「渓声山色」篇

ここからすれば、天桂師の場合(或いはその法孫父幼老卵師も同見解)には、「仏の前で」という意味になり、仏像か、もしくは人か、どちらにしろ、今現前している仏を前提にしていると思われる。ただし、同巻に於いて以下の様に示されている。
前仏いはく、不親近国王・王子・大臣・官長婆羅門居士。まことに仏道を学習せん人、わすれざるべき行儀なり。 「渓声山色」巻

よって、これが『妙法蓮華経』「安楽行品」を引用していることから、この前仏が、『妙法蓮華経』を説いた世尊であると分かる。ところで、道元禅師が他の箇所で「前仏」を使う時には、必ず「後仏」と対で用いられている。
これ七仏祖宗の通誡として、前仏より後仏に正伝す、後仏は前仏に相嗣せり。ただ七仏のみにあらず、是諸仏教なり。 『正法眼蔵』「諸悪莫作」巻

以上の見解からすれば、伝灯上、以前にいた仏ということになり、いわば歴代の仏祖こそが「前仏」という意味になろうかと思われるが、この「諸悪莫作」巻に対する『御抄』の註釈では、相対的な伝授という意味合いを否定している。

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