チャプター 
〜前回までのあらすじ〜
愛犬のロンを失い、この世に絶望して希死念慮を抱く「私」が死に場所に選んだ待合室は、住み着いた妖精の「ずんち」で汚染されてしまった。しかし、元「飼いずん」である妖精は、『ぼくたちがやることじゃないちゃ』として、自分から掃除することはなかった。
それでいて、図々しくも「ごはんさん」の施しを求める妖精に、「ずんち」の掃除を命じる「私」の心は、ひと時の安らぎを得るのであった。
しかし、心優しい友人の存在も「私」を思いとどまらせるには足らず、むしろ『妖精を日本国民として迎える会』の存在や、歪んだ家庭環境によって、「私」はさらにこの世への失望を募らせるのみであった………………
本編
第3話「あまあま」
その日の夜。
着替えた私は、例のキャンディと、夜食として作ったカップラーメンを持って、こぼさないように気を付けながら待合室に向かう。
私自身に食欲はなかった。
元々妖精には期待してないけど、妖精がきれいに「ずんち」を掃除出来ていたなら、約束通りこれを「ごはんさん」として与えようと思った。
「おちびちゃああん！ へんじするちゃあああああああ！」
「「「「おぎゃーおぎゃー！ おぎゃーおぎゃー！！」」」」
なぜか妖精たちは、待合室の中にはいなかった。排水溝の周りを、泣き叫びながら、かさかさと這いまわっている。
私はカップラーメンをそっとロングシートの上に置くと、妖精たちに声をかけた。
「何してんの」
「あっにんげんしゃん！！ おちびちゃんが、おちびちゃんが……ずんちをはこんでたら、はいすいこうさんからおちちゃったのだああああああああ！！」
目をうるませた親ずんが叫ぶ。よく見たら、子ずんの数は4匹に減っていた。子ずんは小さいから、グレーチングの隙間をすり抜けてしまったのだろう。
目を凝らして下を確認しても、見えるのは緑褐色の「ずんち」ばかりで、子ずんの姿は見えない。
「……もう下水道に流されたんじゃない？ 諦めなよ」
「に、にんげんしゃん！ にんげんしゃんがおちびちゃんをころしたちゃ！ ずんちをはこぶなんて、にんげんしゃんがいいださなければ、おちびちゃんがおちちゃうこともなかったのにいいいいいいいいいいいいいいいいいい！！」
「……子ずんに協力させずに、あんた1匹でやればよかったのにね」
「う、のだああぁ……」
またも責任転嫁しようとする親ずんに、私は冷たく言い放つ。元々、妖精が清潔かつ賢いイキモノならば、こんな事態にはなっていなかったのだから。
「おちびちゃああああああああん！！ ごめんね……たすけてあげられなくて、ごめんね……」
「あ〜、いいじゃん。綺麗になってる」
私は、うるさい声で嘆き続ける親ずんを無視して、待合室の中をチェックする。まだ「ずんち」のシミが少し残っているけど、まあよしとしようか。あの悪臭は、しっかり嗅がないとわからないくらいになくなっている。
「ほら。約束通り、“ごはんさん”持ってきたよ」
「のだのだのだのだのだ！ ごはんさん！ ごはんさん！！」
私がカップラーメンを掲げると、今まで我が子を失った悲しみに打ちひしがれていた（ように見えた）親ずんが、恐ろしい勢いで向かってくる。
欲望に支配されて、我が子の死を悲しむ気持ちなんて、最初からなかったように思えた。
「ずんちゃの！ ずんちゃの！」 「ごはんしゃんなにょだ！？」 「やっちゃーにょだ！」 「ごはんしゃん、たべりゅにょだ！！」
残った4匹の子ずんも、目をキラキラさせてよちよちと歩いてくる。
「………うるさい」
これを妖精に与えた瞬間、汁をまき散らしながら汚らしく食べるのは目に見えているから、外で食べさせることにした。
「のだのだのだのだのだ！ ごはんさん、ごはんさん！！ うわああまちきれないちゃあああああああ！！」
いいよって言う間もなく、私が地面にカップを置いた瞬間、親ずんが突進した。
「待て」も出来ないんだ。こんなイキモノが、よくも犬を見下して………………
「はああ！ はあああ！ ごはんさんごはんさんごはんさん……！！ じゅぼぼぼ！ づぼるぼぼぼぼっ！」
「「「「おかーちゃ、おかーちゃ、ずんちゃも、ずんちゃも！！」」」」
カップに顔を突っ込んで、狂ったように麺をすすり始める親ずんは、子ずんの催促に気づくと、その小さい前足で麺を掴み上げた。
「ま、まっててねおちびちゃん、あ、あちゅ、あちゅ、あちゅいいいいい！！」
びたん！！
「「のだ、のだ！ ごはんしゃん、ごはんしゃん！！」」 「「あちゅ、おいち、あちゅい、おいち！」」
親ずんは、何とか熱々の麺のカタマリをカップから出すことに成功した。地面に叩きつけられたそれに、子ずんたちが一斉に群がる。
「おちびちゃんたち、いっぱいたべるのだ……これは、くちゃくても、ぼくたちがひっしでがんばったからこそ、てにいれたごはんさんなのだ！」
「のだ、のだ！ おかーちゃ、うれち、うれち！！」 「おかーちゃ、すぎょいにょだ！」 「ずんちゃたちぇ、くちゃかったけでょ、がんばっちゃーにょだ！！」 「ずんちゃ、しあわせ、しあわせ！！」
………………
私は、約束したこととはいえ、妖精にこうも簡単に「ごはんさん」を与えてしまったことを早くも後悔していた。
妖精は、単に自分たちの出したものを片づけただけだ。なのにそれを、「本来なら自分たちがやるべきではないような大変な仕事」であったかのように語っているのが、納得いかなかった。
「そうちゃ、おちびちゃんたち。おちびちゃんたちは、しあわせになるために、うまれてきたのだ！ いままではつらいこともあったけど、これからはきっと、ぜったいに、しあわせなひびがまっているのだ！」
「「「「しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ！！」」」」
親ずんの言葉に、ますます激しく胎動して叫ぶ子ずんたち。今までに感じたことのないような怒りが、私の体中を駆け巡った。
私は今、「しあわせ」じゃない。すぐにでも死にたいと思っている。それなのに、こんな害獣が、一丁前に「しあわせ」を感じているのが、許せない。
一刻も早く、この「しあわせ」を引き裂いてやりたい…………
けど、私が何もしなくても、「しあわせ」の終焉は突然に訪れた。
「んちょ、よいちょ……ずんちゃだけのごはんしゃん、ずんちゃだけのごはんしゃん……」
まだスープが残っているカップに、1匹の子ずんが欲望のままによじ登る。
「ずんちゃだけのごはんしゃん、どこ、どこ？ う、ううぅん…………にょだっ！？」 ぽちゃん
……中を覗き込もうとバランスを崩し、カップの中に落下した。
少し覗いてみると、ばしゃばしゃという激しい水音とともに、子ずんがスープに溺れていた。
「がぼっ……がぼぼおおおっ……ぷあああ！ のだ、のだ！ おかーちゃ、おかーちゃぶるぼぼぼ……」
「くちゃっくちゃっ……おちびちゃん、およいでてたのしそうなのだ！」
「「「おいち、おいち、おいち、おいち、おいち……」」」
子ずんの危機にも気づかず、親ずんと残りの子ずんは、親ずんがカップから取り出していた麺を呑気に貪り続ける。
「おか、ちゃ……ぶく、ぶくぶくちゃ、ぶくぶくちゃ…………たしゅ、ごぼっ、たしゅけちぇほち……にょ…………だ………」
やがて、子ずんは静かになった。
私以外の誰にも、その助けを呼ぶ声に気づかれることのないまま、力なくぷかぷかとスープに浮かぶ。
親ずんたちが気づいたのは、それから10分以上経過してのことだった。
「おちびちゃん、もうでてくるちゃ！ ほかのおちびちゃんにも、のませてあげるのだ！」
「おみゃえだけずりゅいにょだ！ ずんちゃも、のみちゃいにょだ！」 「ずんちゃも、ずんちゃも！」 「おいくちょじゅん！ でてくりゅにょだ！！」
憤った子ずんたちが、物言わぬカップを揺する。カップはバランスを崩し、スープをまき散らしながら倒れた。ああ、やっぱり、待合室の中じゃなくて正解。妖精は、何をするかわからない。
ばっしゃああああ…………
「にょだっ！？ あちゅ、あちゅあちゅ！」 「「おいち、おいち、おいち、じゅぼぼぼぼぼぼぼぼおおお…」」
「あれ……？ おちびちゃん……？」
残ったスープや具材に紛れて、死んだ子ずんが流れ出た。その白と緑の体は、スープに長時間漬かっていたせいで、変色している。
「お、おちびちゃん？ ねちゃったのだ？ おき、おきるちゃ…………」
せわしなく足を動かしてスープに群がる子ずんをよそに、親ずんはスープに浸った子ずんを揺さぶる。力を失ったその首は、ぐらぐらと危なっかしげに揺れた。
「……死んだよ」
「えっ……」
「欲張って、スープを独り占めしようとしたんだ、その子ずん。あんたは泳いでるって思ったみたいだけど。ホントは溺れてたんだよ」
「う、うそちゃ、うそちゃ！！ にんげんしゃん、どうしてしょんな、うそつくちゃ！ おちびちゃんは、ねてるだけちゃ！！ ほら、おきるのだおちびちゃん！！」
みちぃっ
親ずんがますます激しく子ずんの体を揺さぶったので、スープと熱でふやけた子ずんの首が外れ、スープに漂いだした。
「えっ…………ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「「「にょだっ！？ うぇーんうぇーん！ うぇーんうぇーん！ きょわい、きょわい、きょわいにょだああああああああああああああああああああああああああああああああ！！」」」
信じられない光景に、抱き合って泣き叫び始める妖精たち。自分たちで招いた結果なのに、頑なに信じようとしないところが、ただただ愚かだった。
やがて、絶望したようにへたり込む親ずん。
「きょ、きょうだけで、おちびちゃんが、にずんもいなくなっちゃったのだ……どうして、どうしてちゃ………ぼ、ぼくたちは、しあわせになれるはずじゃ、なかったのだ……？」
「おかーちゃ、おかーちゃ……ずんちゃも、ちんじゃうの？」
「ずんちゃ、しあわせに、なりぇないの……？」
「きょわいにょだ、おかーちゃ……ずんちゃ、まだちにたくないにょだああああ！」
残された3匹の子ずんは、自分たちの命が軽いことをようやく思い知ったようだった。理解するのがあまりにも遅すぎるけど、頭お花畑の妖精にとっては、これでも理解が早い方なのかも。
「あんしんするのだ、おちびちゃんたち！ おちびちゃんたちには、しあわせなひびが、やくそくされているのだ！ なにかあっても、ぼくがまもってあげるのだ！ かわいいおちびちゃんたちがしぬなんてことは、ないちゃ！！」
「ほ、ほんとうなにょだおかーちゃ？ ずんちゃ、ちあわちぇ！」 「やっぱりずんちゃは、ちななくていいにょだ！ よかったにょだ！」 「しあわせ、しあわせ！ のだのだ！！」
何の根拠もない言葉を発する親ずんと、それにコロッと騙される単純な子ずんという、あまりにも愚かすぎる構図。この家族はもう、全滅が近いだろう。
だから、予定を早めることにした。
「……バカだね」
「に、にんげんしゃん……おちびちゃんがおぼれてるなら、どうして、たすけてくれなかったのだ……」
「あんた、親なんでしょ？ どうして私に頼るの？ あんたが目の前の“ごはんさん”に夢中で、子ずんの危機に気づかなかっただけじゃん」
「ひ、ひさしぶりの、ごはんさんだったから、しょうがなかったのだ……」
「………親失格だね。どうして、自分が食べてる間、他の誰かが世話してくれるなんて思い込んでんの？ 子ずんの面倒くらい自分で見て？…………面倒見きれないなら産むな」
どうして、どうして私が、こんな害獣を叱ってるんだろう。
叱ったって、こいつらが学習しないから、意味がないことはわかってるのに。
「く、くちょいぬによってころされたぱぱずんとへこへこしてうんだ、だいじなおちびちゃんたちなのだ…………ぼくがぜったい、まもるのだ……」
「守れてないじゃん。そんなんだから、みんな死ぬんだ」
「のだああああああ……うそちゃ、うそちゃ！ ぼくたちには、しあわせなひびがやくそくされているはずちゃ……しなないはずなのだ……」
歯ぎしりする親ずん。
……その「しあわせ」になれるなんて妄想、どこから湧いてくるんだろう。すべての妖精が、こうなのだろうか。
呆れている私の前で、妖精たちのお腹が再び、ぶううううううっ！と音を立てる。
膨れ上がった欲望は、尽きることを知らないみたい。
「まだ、お腹空いてるんだね………………これ、あげる」
私は満を持して、毒入りキャンディを取り出した。妖精たちの目が、輝き始める。
「にんげんしゃん！ そ、それは、あまあまなのだ？」
「あ、あまあま！ あまあま！！」 「ずんちゃの、ずんちゃの！！」 「ちがうの、ずんちゃのおおおお！！」
嘆き悲しんでいたことも忘れて、欲望のままに胎動を速める妖精たち。
気持ち悪い、心の底から。
「あはっ…………これを舐めるだけで、とっても“しあわせ”な気分になれるよ」
「「「「はあっ、はああっ！ あまあま、あまあま、あまあま、あまあま！！ ほしい、ほしい、ほしい、ほしい！！」」」」
包み紙を剥がし、妖精の口に入らないようなサイズのキャンディを取り出すと、妖精たちが一斉に激しく胎動する。
妖精の発する、「あまあま」という鳴き声も不快だった。
ずっとこっちを向いていて欲しくないから、待合室の方に投げる。
「ほぉ〜ら」 ぽーい
「「「「あまあま！ あまあま、あまあま、あまあま、あまあま、あまあま、あまあまっ！！」」」」
一直線に妖精たちが突進した。
家路につく私の後ろから、「あまあま」にありついた妖精たちの意地汚い叫び声が、絶え間なく響いてきた。
「「「「しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ…………」」」」
とうとうやってしまった。自分のために手に入れたはずの遅効性の毒薬を、妖精に使ってしまった。
新宿で会ったあの男の話していたことが全部ウソだとは思わないけど、全部ホントだとも思わなかった。だから最初は、キャンディの効能を、妖精で確かめようと思った。ホントに、軽い気持ちからだった。
それでも、妖精と関わるうちに、妖精にとっての「しあわせ」をめちゃめちゃに壊してやりたいと考えるようになった。
さっき、明確な「殺意」を持って、妖精に毒入りキャンディを与えた。
私は、自分の中で牙を覗かせた凶暴な感情に、自分で驚いていた。
確かに私は、何らかの手段で自分を殺そうとしていた。その希死念慮も、ある意味で「殺意」かもしれない。
でも、その殺意が、他の何かに向いたのは初めてだった。
…………それだけ、私の中で妖精は憎むべき存在だったのかもしれない。
「んんっ？……こんなところに、妖精が……」
「しあわせ、しあわせ……のだっ！？ に、にんげんしゃん！？ た、たべないで！」
「「「お、お、おぎゃーおぎゃー！！ ちゃべないで、ちゃべないで、ちゃべないで！！」」」
「安心しなさい。おじさんは、お前たちを食べないから……んんっ？ お前のそれは、首輪か？」
バス停の方から、人間の声がした。
多分、このあたりを深夜徘徊している中年男性だろう。町内会の張り紙に不審者情報として載っていた。
「そ、そうちゃ！ ぼくは、かいずんなのだ！ なのに、なのに、こんなせいかつ、ありえないちゃ！」
「ああかわいそうに、お前も身勝手な飼い主に捨てられたんだね……………最後にこんなカップラーメンと飴玉だけ与えて、それでバイバイだなんて！ おじさん、許せないよ！！」
びくっ、と体が跳ねる。
しまった。人間がそこにいたという証拠を残してしまった。
あの待合室には誰も来ない、と思い込んでしまった、私の過信だった………………
「そうちゃ、そうちゃ！！ ぼくたちは、“ぎゃくたい”されてすてられた、かわいそうなようせいさんなのだ！」
「うんうん。かわいそうになあぁ！ おじさんが、お前たちを何とかしてあげられたらなあ！！」
男は、あの妖精たちを、連れて帰るつもりなのだろうか。
妖精が待合室から立ち退くことになるのは歓迎だけど、毒を与えてしまった今、私の知らない場所で妖精が死んで、キャンディの正体がバレるのは、まずい……
「に、にんげんしゃん……どうか、ぼくたちを、にんげんしゃんの、かいずんに……」
「うんうん。おじさん、かわいそうなお前だけでも飼ってやりたいが……子ずんもいるとなるとなぁ……お金が……」
「おねがい、おねがい！！ きょうだけで、おちびちゃんが、にずんも、しんじゃったちゃああああ！！」
「うんうん。そっか、そっかぁ……おじさん、ますます許せないよ！ 人間が、許せないよっ！！…………その身勝手な飼い主は、まだ近くにいるのかあぁ？」
こちらからは姿の見えない男の言葉に、思わず身をかがめた。鼓動が速くなるのを感じる。
見つかったら、何をされるかわからない。
「に、にんげんしゃん！ ぼくたちを、かいずんに、してくれないのだ……？」
「んん……お前だけついてくるなら、おじさんの飼いずんにしてやってもいいが……」
「うう……だ、だめちゃ！ おちびちゃんたちは、しんだぱぱずんの、だいじな“かたみ”なのだ！ はなれるなんて、できないちゃ！」
「うんうん。そっか、そっかぁ…………どんなに苦しくても、死んだ亭主のことを想ってやれるお前は、どこまでも優しい妖精だな……こんな優しい妖精でさえ捨ててしまう人間を、おじさんは、絶対に許さないよ…………必ず、見つけ出して懲らしめてやる」
私は関係ない。
そう自分に言い聞かせたところで、見つかるわけにはいかなかった。見つかったら最後、私が妖精を捨てた張本人だという疑いをかけられてしまう。
もはや飼いずんではないのに、一向に取り去ろうとしない親ずんの首輪！！ あれのせいだ………
話の通じるような相手じゃない。きっと、力も強いだろう。一刻も早く、この場から去らないと……
なのに、足がすくんで動けなかった。
「……これは、せめてもの施しだ……おじさんは、これから遠いところにいかなきゃいけないんだよ」
「わあごはんさん！ ごはんさん！ おいち、おいち！！」
「「「ごはんしゃん、ごはんしゃん、ごはんしゃん！！ おいちおいちおいち！！」」」
「うんうん。よっぽどお腹が空いていたのか……いっぱい食べて、元気になるんだよ」
どうやら、妖精を連れて帰る気のない男は、妖精たちに餌付けをしたらしい。
……………余計なことを。
「「「「おいち、おいち！！ しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ！！」」」」
また「しあわせ」の大合唱が始まった。その耳障りな音声に、男の下卑た笑い声が重なる。
「ぶふっふっふっ……うんうん。そうか、そうかぁ！ “しあわせ”かあ！ おじさん、いいことしたなあぁ！」
「「「「しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ……………」」」」
偽善者。
かつてあの妖精を家に入れていた、犬の飼い主さんを散々侮辱されたうえに、勝手に餌付けまでされて………
それでも、何も行動を起こせない自分が情けなかった。
「ああ、いい食べっぷりだなあ……お前たちを見てると、おじさんも“しあわせ”になっちゃうなあ……そうだ、若い女のコとか、近くに隠れてないカナ……？ それなら、おじさんも、もっと、“しあわせ”になれるんだけどなぁ………」
待合室を離れたのか、姿の見えない偽善者の声が近づいてくる。
その声に命の危機を感じて、私の体はようやく動く。
ヤバい……私の存在が、バレてた！？
かちゃっ
焦って動いたせいでガーターベルトの金具が音を立て、私の心臓は跳ね上がった。
ヤバいヤバいヤバいヤバい。
見つかった………？
がささっ………
反対方向で、茂みが揺れる音がした。
「あっ……あっちに逃げたカナ、うんうん。」
………………
遠ざかっていく、偽善者の声。
野生動物か何かはわからないけど、助かった。
「はっ……はっ、はっ、はぁっ！」
オバケを見た子どもが安全な家へと逃げ帰るように、私は駆け出す。
死ぬ前に、見知らぬ偽善者にレイプされるなんてイヤだった。
「おかえり……アヤちゃんっ！？ ど、どうしたのっ！？」
帰宅した私に、ママが驚いて声をかけてきた。私に興味がなくても、息を切らしていれば疑いもするか。
「……何でもない」
「目の前で人が殺されたみたいな顔してるわよ……あっ…………やだわ、私。ロンが死んじゃったのに、すぐこんなこと言って……教祖様に叱られちゃう……」
「…………いいんだよ、ママ。明日早いんでしょ？ もう寝ないと」
「アヤちゃん…………ごめんね、でも辛いことがあったらすぐに言うのよ……何かその、ほら、精神的に疲れちゃってるかもしれないから……よかったら、“食事会”であった人を紹介するわよ……精神科医なんだって…………」
「私は大丈夫…………ママ、今度、ロンのところにいくよ」
私は、しつこく宗教の話題を持ち出そうとするママをさえぎって、試すように語り掛けた。
私にとっての「しあわせ」を再確認するために。
「えっ……？ ええ、そうね……ごめんね、私は“食事会”で忙しいから、ロンのお墓参りには家族揃って行けないかもしれないわ」
「大丈夫。気にしなくていいよ…………私ひとりで逝くから」
…………私の言葉の真意は、ママには読めない。家族だって、所詮は赤の他人とおんなじ。
ましてや、私よりも宗教の教えの方が大事なママにはわかんない。
昔から私は、いくら自分が辛くても「大丈夫」と言ってやり過ごしてきた。周りを心配させたくなかったから。
いじめられていた時だって、パパもママも、その言葉を信頼して疑わなかった。
それでも、ロンだけは、私の抑え込んだ悲しみを、辛さを、瞬時に感じ取ってくれた。言葉は話せなくても、この部屋で、ただそばに寄り添ってくれたあの時間が、ただ「しあわせ」だったのに。
ロンがいるだけで、あとは何もいらなかったのに。
何で。
どうして、私を置いて死んじゃったの？
ロン…………
自分の部屋に閉じこもった瞬間、枯れていたはずの涙が一気にあふれ出した。それに、また驚く。
今日は何かおかしい。妖精や偽善者のせいで、感情がぐちゃぐちゃに掻きまわされたのかもしれない。
最後まで、私の一番そばにいて、私のことを一番理解してくれたのは、ロンだけだった。唯一の心の支えだったそのロンがもういないんじゃ、私に生きている意味はない。
悲しみのままに死にたくはない。これではっきりした。
結局のところ、私にとっての「しあわせ」は、ロンのところにいくことだから。
つまり、死ぬこと。
その前に立ちはだかる障害物が、妖精。私の死に場所に、妖精がいると、邪魔だ。
だから、妖精を殺すことが、今の私にとっての「しあわせ」を実現するための唯一の方法。
遅効性の毒薬で苦しんで死んでいくさまをじっくりと観察して、愉悦に浸ってから死のう。
ふと、鏡を見る。
涙で顔をぐちゃぐちゃにした私が、そこにいた。
酷い顔。何もしないでも、地雷系病みメイク。
ううん。メイクなんかしなくても、私は病んでる。
《しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ、しあわせ………》
毒入りキャンディを卑しく舐め続ける妖精たちの叫びが、フラッシュバックする。
鏡の中の私が、顔を激しく歪めた。
何が、「しあわせ」だ。
その「しあわせ」は私が分け与えた「しあわせ」。
誰かの「しあわせ」を奪うだけ奪って…………感謝もせず、自分たちの欲望のためだけに食らい続けることが、妖精にとっての「しあわせ」なら。
そう。妖精がいつまでも「しあわせ」を享受していいわけがない。最期に「しあわせ」になるのは、この私だから。
〜つづく〜
〈待合室〉
妖精：生存 4（親ずん1、子ずん3）
人間：生存 1
キャンディ……残り4個
ここまで読んでいただきありがとうございます。週2での投稿ペース、いかがでしょうか！
次回は3/8（金）の投稿を予定しております！
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無責任に餌やりする人間に碌な奴がいない
アパートで迷惑だから辞めろって言ったら出刃包丁持ってこられた事ありますよ
ポリス呼んで事なきを得ても取調室で長時間調書とられるし、後日検察行って検事にも同じ事言わなきゃならないしでホントに迷惑な人種でしたよ
検事にどんな罰を望むか？と聞かれたので
死刑→ダメ
呼吸を止めてくれ→ダメ
この世から追放してほしい→ダメ
ロボトミー手術を→ダメ
と望みを言ったのに全部却下されました
この妖精どもは毒やらなくても勝手にくたばるんじゃなかろうかと思ってしまう今日この頃
でも生きてたら人間の良心につけこんで迷惑三昧やるから処さないといけないんでしょうなぁ
コメントありがとうございます。出刃包丁！？それは災難でしたね……8h247gY9Mw様がご無事で何よりです……
実は本日投稿予定の第4話には、私自身の「無責任にエサやりする人間」に対する私怨のようなものもこもっておりますので、よろしければそちらもご覧くださいね（内容が内容なだけに、気分を害されましたら申し訳ございません）！
あと「幸せのために殺し」、「幸せのために死ぬ」を同時に実行しようとしている破滅寸前のアヤを助けてあげられるのはあの子でしょうか？飴玉がまだかなり残っているのが気になる
続けてのコメントありがとうございます。一直線に破滅に向かう人間を救えるのは同じ人間しかいないのか、それとも………？
キャンディは、これから数をどんどん減らしていくことになります……各ページの終わりにカウンターを用意しました（数字間違ってたらごめんなさい）
第4話は本日投稿予定です！ご期待くださいませ！
さっきまで臭い臭い糞を運んで体も口内も糞まみれだったのに、餌をみるとそのまま貪るわスープに浸かるわ醜悪過ぎてニンマリが止まりません
「しあわせしあわせしあわせ…」この言葉でなぜこんなに腹が疼くのか 地べたの飯を美味しく食べる幸せのハードルの低さの嘲笑だろうか、幸せになってはいけない者の幸せを認めたくない意地だろうか
しかしレイパー乱入(第三勢力？)のサスペンス的緊張感と、アヤ本人が死に突き進むように、まるで焦るように死ぬ理由をかき集め、死に場所から幸せな妖精を殺して自分こそが幸せになるため、心の武装をするシーンが圧巻でした。しかし故に妖精たちの愚かなシーンが霞んでしまい残念(個人の意見です)
コメントありがとうございます。私が表現したいのは正に、「醜悪さ」これに尽きます、ありがとうございます！！
妖精の『しあわせ』について、両方とも当てはまるのですが、私はどちらかと言えば後者……『幸せになってはいけない者の幸せ』を祝福出来ないこと……かなあと今、考えました！
人間から奪ったもの（食べ物や住居？）に幸福感を得て、そしてそれを高らかに「宣言」している部分に私は嫌悪感を抱いています……
『心の武装』、いいひびき！！妖精たちの愚かなシーンはこれからも続きますので、何卒ご容赦くださいませ……
やっとチビ虫が死に始めましたね。
待合室から離れたりしてる時もあるから本来なら即猫やカラスのエサになってもおかしくないのに・・・
そしてこの主人公やたら待合室に固執していますけど昔親と仲良った頃に良く利用したりしてたから死に場所に選んび、もしかしたら親が昔の良かった性格に戻って探しに来たくれるのを望んでるようにも思いました。
また、それによりこの母親クズ虫に接するうちに昔の母親の面影を重ねてしまい、今と昔の違いにイラついているのではないでしょうか？
まぁそのせいで変態偽善者さんが登場し危うくなりましたが、物音のおかげでピンチを切り抜けましたね。
（茂みに子犬か子猫でもいたのですかね）
そして遂にくそ虫共が例の飴を舐めましたがどのようになるのでしょうね。
（まぁ大方詐欺で普通のあずき飴かもしれないですが）
チビ虫が死んだことで考察に火が付き始めました。
次のお話も期待しています。
コメントありがとうございます。妖精がなかなか死ななかったのは、それこそ幸運だったというべきか……その幸運が、いつまで持つかはわかりませんが()
なるほど、アヤが待合室に通うようになったのも、状況の好転を期待する一種の防衛機制なのかもしれませんね……人間の心って不思議ですね！
毎回、緻密で楽しい考察をありがとうございます。次回もコメントお待ちしております！！
とうとうキャンディ投入・・・！
果たしてどのような症状が出て、どんなﾀﾋに様を見せてくれるのか
くしょ偽善者の魔の手から助けてくれたあの物音の正体は一体・・・？
コメントありがとうございます。アイテム自体は1話からあったのに、ここまで長かったです（ここからもおそらく長いです）………
「おとーちゃ おとーちゃ きこえないの まおうがなにかいうにょだ」
「なあに あれは かれはさんのざわめきちゃ」