2.2 改修準備中

州名カシミール州
公用語英語、ヒンドゥスターニー語、構成国の公用語
州都夏季はシュリーナガル?。冬季はジャンムー?
最大都市シュリーナガル?
州知事アルジュン・クマール
人口1,5991,649人
GDP260億米ドル
通貨インド・ルピー

概要

カシミール州は、カシミール地方に存在する州。カシミール州はジャンムー・カシミール王国の王を頂点とし、ほかの王国をその属国としている点でほかの州と比べて特異な制度である。ジャンムー・カシミール王国、フンザ王国、ナガル王国、バルティスタン王国、ラダック王国、ヤシン王国、プニヤル王国、イシュコマン王国、グピス王国、ファンダル王国、ダレル・タンギル部族地域などから構成される連邦国家である。

歴史

シク教王国の支配

シク王国がパンジャーブ地方に成立すると、イスラムの支配に変わって、シク王国がカシミールを支配した。シク王ランジート・シンがカシミールを征服した。
当初、アフガン人の支配を嫌っていたカシミール人はシク王国の支配を歓迎したものの、高い税金などに苦しんだ。農地は減り、カシミールのイスラム教徒の人権は弾圧された。しかし、1832年の飢饉の後にシク王国の弾圧は弱まり、政府が農民を支援したことで、カシミールはシク王国で2番目の収益を生み出す土地となった。カシミールのショールはヨーロッパ人達を魅了し、世界の注目がカシミールに集まった。
1780年初頭、ジャンムーのラジャのランジット・デオが死ぬと、ジャンムーはシク勢力の家臣となった。ランジット・デオの孫、グラブ・シンはシクの将軍、ゾラワール・シン・カルリアの助けを借りながらナムゲル朝ラダック王国とマクポン朝バルティスタン王国を征服した。

ジャンムー・カシミール王国

1845年の第一次アングロ・シーク戦争後、アムリトサル条約によりジャンムーはシク王国の支配から解放された。これにより、ドグラ朝ジャンムー・カシミール王国が成立した。王国は英国の藩王国となった。1857年、グラブ・シンが死ぬと、後を継いだランビル・シンはギルギット、フンザ、ナガルを服属させた。
ドグラ朝の支配は苛烈であった。多くのイスラム教徒が飢餓でパンジャブへの難民となり、国内ではイスラム教徒が重税、賃金なしの強制労働、差別的な法律による弾圧を受けた。土地も、ほとんどヒンドゥー教徒により独占され、イスラム教徒の農民の生活は破壊されてしまった。
イスラム教徒には1930年代まで政治への参加権すら認められなかった。

独立

カシミール州はほぼ全域がジャンムー・カシミール王国の支配下にあり、当初藩王は大きな領域からある程度の独自性を望んでいた。
カシミールは当初、藩王国の特権を利用してインド政府に対し、連合不参加の構えを見せて圧力をかけ、インドからほぼ独立した高い自治権を得ることに成功した。

紛争前


外交権などを除き、事実上の独立状態に近い状況となったカシミールであったが、その運命は悲惨であった。
インド政府は様々な謀略でカシミールの権限を落とそうと尽力し、カシミールの人々はそのたびに藩王とインド政府に不満を向けた。
また、ラダックのチベット人やギルギット、バルティスタンの人々はジャンムーカシミール王国による実質的な支配を嫌っていた。
カシミールでの紛争の足跡は、ゆっくりと近づいていた。

カシミール紛争


始まりは小さな事件であった。
レーで不当な扱いを受けたとして当局に抗議したラダック人のテンジン・プブが警察に殺害されると、ラダック全土で不満が爆発し、レーではチベット高原の住民や反政府組織の支援を受けたラダック人達が一斉に蜂起した。これが転機と考えたギルギットやバルティスタンでも蜂起がおこり、イスラム系住民とヒンドゥー系住民、仏教系住民の三つ巴の紛争となった。

ギルギット・イスラム共和国

ギルギットとバルティスタン地域はギルギット・イスラム共和国の成立を宣言した。しかし、シーア派やスンニ派などの様々な宗派が集まるギルギットは纏まることができず、すぐに内紛状態となった。

カルギルの密約


インド政府はカシミールへの介入を決意したが、当初の条約が足かせとなった。インドが様々な口実を作成しカシミール介入への準備を進めている間、当時の強硬派のジャンムー・カシミール王が殺害されると、新たな王ランビル・シン二世が即位した。ランビル・シン二世はイスラムへの融和の姿勢を積極的に見せたため、イスラム系とヒンドゥー系の和解は仏教徒より早く起こった。ギゼル谷の指導者たちやギルギットの人々はカルギルで密約を交わした。このカルギルの密約により、その後の自治権を約束する代わりにギルギット・イスラム共和国は解散し、地元部族などは政府軍に加わった。
その後も内戦終結後までイスラム共和国の過激な残党の一部はテロや反乱を何度も起こした。

ラダックの虎


人口も少なく、窮地に立たされたラダックやバルティスタンのチベット系住民は、巧みな山岳ゲリラ戦により王軍とインド軍を翻弄した。ラダックの虎と呼ばれたラダック軍の司令官ギャチュ・サルジェの戦略は、裏に見え隠れする大国から手に入れた銃器により、大いに成功した。バルタルの戦いで山岳地帯を利用した奇襲に成功すると、首都のシュリーナガルにまで進行し、ジャンムーの王はラダック王国とバルティスタン王国の自治獲得を認めた。

レー講和会議
インド諸州連合政府とカシミールの諸勢力の間で行われたレー講和会議では、英領インド時代の旧ギルギット庁で管理されていた領地を新たに王国てして設置することを認め、さらにラダック王国とバルティスタン王国が新設された、
これらの王国はジャンムー・カシミール王国の属国と規定されたものの、自治権と王の維持を認められ、正式な形でインド諸州連合に加盟することとなった。

紛争の終結、新たなスタート


なんとか紛争を終結させたカシミールであったがその代償は大きなものであった。強い力を手に入れたチベット系や虎視眈眈とカシミールの力を削ぎ落とそうとするインド政府は王にとっては頭の痛い問題であった。不満は解決されず、フンザとナガルは度々離脱を匂わせるなどカシミール州の結束は完全に壊れ切っていた。
ランビル・シング二世はインド政府がカシミールにかけていた裏工作や賄賂などを暴露したするなど国民の支持を集めるために奔走したが、こうした行動の一部はインド政府の顰蹙を買った。

現代のカシミール


2020年ジャンムー・カシミールクーデターで逮捕されたチャンド・シン前ジャンムー・カシミール首相

カシミール州には紛争の傷痕や地形と治安の悪さを生かした麻薬や武器の密輸、再燃するイスラム教徒との対立といった問題は山積みだが、一応未来に向けて歩み出した。人々は明日の事を考えるのに精一杯ではあるが、芽生えた僅かな平和はカシミールの民の希望となっている。

地理

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標高8000m級のカラコルム山脈そびえ立つカシミール地方が領域。世界で2番目の高さのK2山がある。
領土は美しい渓谷と山岳地帯、高原、砂漠が存在する。
ジャンムーとカシミールの気候は、周囲の山の影響を大きく受けている。これらの山々と水域は南アジアや内陸アジアの厳しい気候と気温を大幅に緩和している。カシミールでは高度が異なるため、地域によって非常に様々な気候が見られる。カシミール渓谷やフンザ渓谷などは比較的穏やかな気候でだが、ラダックやバルティスタンなどは極寒の凍りついた砂漠で、ジャンムーは日照量が多く暑い亜熱帯地域である。
カシミールの山岳
順位名前高さ(m)地域写真
1K28,611mバルティスタン
2ナンガ・パルバット8,126mディアマル
3ガッシャーブルムI峰8,080mバルティスタン
4ブロードピーク8,051mバルティスタン
5ガッシャーブルムII峰8,035mバルティスタン
6ガッシャーブルムIII峰7,946mバルティスタン
7ガッシャーブルムIV峰7,932mバルティスタン
8ディスタギール・サール7,884mバルティスタン
9クンヤン・チッシュ7,823mバルティスタン
10マッシャーブルム7,821mバルティスタン
11バトゥラ・サール7,795mフンザ
12カンジュート・サール7,790 mフンザ
13ラカポシ7,788 mナガル
14サルトロ・カングリ7,788 mバルティスタン
15チョゴリザ7,668mバルティスタン

言語

主にチベット系、インド系、イラン系の言語が話される。英国植民地であった名残から英語も話される。

公用語

州全体の公用語は英語、ヒンドゥスターニー語であり、構成国の言語であるラダック語やカシミール語なども公用語である。

構成国


カシミール連合の構成国の地図。

・ジャンムー・カシミール王国

ジャンムー・カシミールの旗。






ジャンムー・カシミールの風景。
ジャンムー・カシミールはあらゆる面においてカシミールの中心である。

二つの首都、ジャンムーとシュリーナガルのあるカシミール連合で最も強力な国。
1846年、ジャンムーの領主であるラージプート、グラーブ・シングが、第一次シク戦争でイギリスに味方し、講和に尽力した。グラーブ・シングは第一次シク戦争の講和条約ラホール条約締結後、アムリトサル条約を締結し、イギリスよりシク王国から割譲されたカシュミールを与えられた。これにより、ジャンムー・カシュミール藩王国が成立した。
王家はラジャの称号を持つヒンドゥー教徒で、現在もカシミール州においては強い権限を持つ。
住民はパンジャブ人からチベット人、イラン系の人々まで様々であり、宗教もイスラム、ヒンドゥー、シクなどが入り乱れている。
カシミール州の構成地域ではもっと人口が多い。

・ナガル王国






ナガルの風景。

英国時代ではギルギット庁の下で管理されていた。
カシミール連合北部にある王国で、面積約5000平方km。ナガールの南には7788メートルの山があり、 カシミール連合の中心地と隔絶されていた。1891年にイギリスの支配下に入ったが、ナガールはその時、年に1回カシミールへ貢物を送っていたため、イギリスはナガールをカシミール藩王国の属領だとみなしていた。ナガールが王国として公認されたのはカシミール州が成立してからである。

住民は系統不明のブルーシャスキー語を話す人とインド・イラン語系のシナ語を話す人々がいて、両方ともシーア派のイスラム教徒である。年に1回のシーア派の教主・アリの戦死記念日には、宮殿前に国民が集まって盛大なお祭りが行われた。大臣や兵士の宣誓に始まって、寺院での説教、国民へのごちそうの振る舞い、弓道大会や部族対抗の運動会などが3日間続いたという。

・フンザ王国







フンザの風景。桃源郷と呼ばれた土地である。
英国時代ではギルギット庁の下で管理されていた。
カシミール最北部にあるフンザ地方を領土とする王国。かつて三蔵法師がインドのお経を求めて、はるばる中国から辿ってきたとされる土地でもある。高さ7000メートル級の険しい崖の難所を越えれば、緑豊かな高原が広がっており、旅行者や中国の人々などから「桃源郷」とも呼ばれた。
山岳という天然の要塞に囲まれて、フンザは長年独立した地位を保ってきたが、1891年にイギリスの支配下に入った。フンザはナガールと共に、年に1回カシミールへ貢物を送っていたため、イギリスはフンザをカシミール藩王国の属領だとみなし、フンザが王国として公認されたのはカシミール州が成立してからである。面積約1万平方km。
フンザの言葉は系統不明のブルーシャスキー語が中心で、他にペルシャ語系のワキ・タジキ語やインド・イラン語系のシナ語を話す人もいる。宗教はイスラム教でも戒律が緩いイスマイール派で、住民たちはワインも飲んでいた。隣りのナガールとは宿敵同士で、しばしば交戦を繰り返していた。

・ギルギット





ギルギットの風景。

ギルギット市を中心とした地域。もともとギルギット庁の管理下でジャンムー・カシミール王国の知事が派遣されていたが、内戦期にギルギット地域(ギゼルやバルティスタンも含む)がギルギット・イスラム共和国としての独立を宣言したためジャンムー・カシミール王国の管理下を脱した。その後、講和会議では州政府の直轄地と規定された。このことに不満を持つギルギット市民も多い。
美しい谷間にある地域で、ムスリムが多い。

・ギゼル地方





ギゼルの風景

プニヤルやヤシン、イシュコマンといった旧ギルギット庁管理下の小さな王国群が存在する地域。
多くの伝統文化が維持されている。
・ダレン・タンギル部族地域






ディアマルの風景。

チラスの西方を中心とした領域。
ギルギット庁の下で部族地域とされていたものを引き継いだ。部族法の下にあり、政府の法は通用しない。部族地域は部族の自治下にあり、長老会議により行政が行われる。
治外法権地域であるが、政府との関係は友好的である。
政府は部族地域で起こったことに関しては基本的に関与しないため、麻薬の密輸拠点や武器の輸送などに使われることもある。

・アストア特別地域




アストアの風景。

アストアはギルギット庁の下でジャンムー・カシミールの知事が置かれていた。
一時はギルギット・イスラム共和国の統治下となったが、後にジャンムー・カシミール王国の支配下となった。現在はカシミール州の統治下である程度ジャンムー・カシミール王国から切り離されて自治を行なっているものの、本来はジャンムー・カシミール王国に属する地と規定されている。

・バルティスタン王国





バルティスタンの風景。

チベット系イスラム教徒であるバルティ人の王国。
8000m級の山々が連なる土地にある。
1840年にドグラ朝に征服されたマクポン朝バルティスタン王国を復古した国で、現在の王はイブラヒーム・シャー。
・ラダック王国

ラダックの旗。







ラダックの風景。仏教徒が多いため小さなチベットのようになっている。

仏教徒の多い王国。イスラム教徒もカルギルなどに無視できない人口を抱える。
民族はほとんどチベット系で、ヤクやヤギの放牧が盛ん。
1400年代から続くナムゲル朝が統治していたが1800年代にジャンムー・カシミール王国に征服された。しかし、内戦時にギャチュ・サルジェの活躍もあり、ナムゲル朝ラダック王国が復活した。

治安


抗議する民衆と衝突する武装警官。

非常に山岳の多い地形から警察組織が田舎ではまともに機能していない。そのために、麻薬の密輸ルートとなっている。
インドの警察機構がカシミールにおいても警備を行なっているほか、ジャンムーの王が設置した王立カシミール警察が存在するが、言語の違いなどから中央の警察とは連帯が取れておらず、カシミールの治安を悪化させる原因となっている。

王立カシミール警察


王立カシミール警察はカシミールの主要な法執行機関である。カシミール憲法で定められた管轄区域内での法と秩序の維持、犯罪の防止、犯罪捜査を主に担当しており、主要な役割とは別に、VIP保護、重要施設のセキュリティ、交通管理、シークレットサービス、インテリジェンスコレクション、暴動管理、災害管理、人質救助、その他のさまざまな儀式的役割などのさまざまな任務を行う。

王立カシミール武装警官隊


反乱鎮圧を担当するカシミールの武装警察。半軍事的な組織として機能し、軍と法執行機関の両方としての二重の役割を果たす。入隊は任意であり、入隊の最低年齢は18歳である。当初15,000人の警察と軍人で設立された武装警察部隊は、2015年末には4万人まで拡大した。
役割

・州での武力紛争を制御する。
・州の武装した反乱者、または分離主義活動を統制する。
・州でのテロ活動を制御する。
・州で進行中の暴動を制御する。
・自然災害や伝染病の被害者を救済する。
・凶悪で深刻な犯罪が発生した場合、または重大な災害などの懸念がある場合に市民を救う。
・国境を守る。
・外部の侵略に対して戦うカシミール軍とインド軍を支援する。
・カシミール州から割り当てられた重要な公共施設、インフラストラクチャ、その他の施設を保護する。
・人や公共の重要施設、研究所、その他カシミール州知事により保護されていると見なされる施設や人を保護する。
・法律に従って割り当てられたタスクを実行する。
カシミール州知事によって随時割り当てられるタスクを実行する。
・税関、収入、産業の安全を保証する。

交通


地滑りで寸断されてしまったカラコルムハイウェイ


馬は現在でも有効な交通手段である。


シュリーナガル国際空港

インフラは非常に低レベルであるが、最低限の鉄道、道路、空港は存在する。インフラの整わない土地では馬が主流な交通手段である。
国土をカラコルムハイウェイとカシミールハイウェイが貫く。
また、英国の藩王国であった時代に建設されたカシミール鉄道がバラムラからジャンムー・タウィまでを繋げる。

空港

カシミール連合には9箇所の空港がある
・チラス空港
・ギルギット空港
・ジャンムー空港
・ムザッファラーバード空港
・プーンチ空港
・ラジュリ空港
・ラワラコット空港
・スカルドゥ空港
・シュリーナガル国際空港

鉄道

ジャンムーからバラムラまでを継ぐ、総距離356kmのカシミール鉄道が存在する。この鉄道の建設は非常に困難なものであった。鉄道は750を超える橋を渡り、100 km(62マイル)を超えるトンネルを通過すると予想される。トンネルは新オーストリアトンネル工法で建造されている。
政情不安な地域のため、全ての橋やトンネルなどは常にライトアップされ、テロなどを防ごうとしているが、それでも完璧ではなく、何度も事件が起こったことがある。
この地域での鉄道の歴史は古く、1897年にまで遡る。カシミールの最初の鉄道はジャンムー・シアルコット線で、ジャンムー・カシミール王国時代に建てられ、その後に英国により拡張された。
シアルコットまでの線は北部の政情不安により閉鎖され、現在では荒れ果てているため使用不可能であるが、復興させる計画がある。
独立後、鉄道は補修や強化、改修を経て運用されている。

鉄道はレッグ0からレッグ3までの四つの区間に分けられる。
レッグ0
ジャンムからウダンプールまで53 kmを走るレグ0。 2005年4月に完成した。
レッグ1
レッグ1は、ウダンプールからカトラまで25 kmを走る。この区間はは2014年7月4日に完成した。
レッグ2
レッグ2はカトラからバニハルまでの111 km間を走る。現在 建設中で2021年に開通予定である。
レッグ3
レッグ3は、バニハルからバラムラまで135 kmである。2013年6月26日に建設が完了した。

産業

主な輸出品や産業



カシミールショールを身につけたフランスの皇后ジョセフィーヌ。


サファイアはカシミールの主要な産出物の一つである。


スル渓谷の農業。

主食の米は多く栽培され、トウモロコシ、小麦、大麦、オート麦、アスパラガス、アーティチョーク、シーケール、ソラマメ、スカーレットランナー、ビートルート、カリフラワー、キャベツなどの栽培も行われる。
渓谷では果樹栽培が盛んであり、梨、リンゴ、桃、サクランボなどが栽培される。
林業はヒマラヤスギやもみ、松、スズカケノキなどがある。
カシミールの特産品としてカシミアウールがある。ショールやパシュミナ、クルタ、ラグなど非常様々な種類の繊維産業はカシミールを支えている。
インド本土向けの輸出品ではサフランなどが盛んである。
また、シュリーナガル市では銀細工、張り子、木彫り、絹の織物産業も盛んである。
サファイアの採掘はカシミールの主要な鉱業である。

通信

地上の通信設備は主要都市以外には殆どないと言っていいが、近年の衛星の充実によりカラコルムの山奥でも通信が行われるようになり、ヤクの取引などに使われるようになった。
また、GPS機能は遊牧などに使われている。

メディア

王家のラジオや、ローカルなラジオが多く存在する。州営のラジオにラジオ・カシミールがある。
民営のラジオは数え切れないほどにあるが、特に大きなのはラジオ・ヤールである。
テレビは国営テレビのティービィ・カシミールと民間テレビのミシュカルナ・カシミールがある。また、王室の共同保有するラジャテレビも存在する。
州営の新聞にはチャダヘー・カシミールがある。

教育


教育機関は整っておらず、地方では寺院などが教育の場となっていたり、地元の教師による青空教室が開かれている。
最も大きな国立大学にカシミール大学がある。

文化


インド系の文化圏であるが、北部にはパミール諸語を話す人々などイラン系民族が暮らしており、レーやギルギットはチベット系文化圏である。また、フンザ王国などは独自の言語と文化を持つブルシャスキー人が暮らしている。

料理




カシミールの料理はインドやアフガニスタン、中央アジア、チベットの影響を受けている。
有名なカシミール料理

・タバフマーズ
ヒンドゥー教徒はカバルガフと呼ぶ。

・シャブ・デグ
カブと肉を調理した料理。一晩煮る。

・デム・オラブ、またはドゥム・アロー 
生姜粉、フェンネル、その他のスパイスで調理された料理。

・アーブ・ゴッシュ

・ゴシュタバ

・リャデル・チャマン、又はチャマン・カリヤ

・ルンワガン・チャマン
トマトグレービーとカッテージチーズの料理

・リステ
カレーにミートボールを入れた料理

・ナデル・ティ・ガード
蓮の茎で調理された魚。

・マチャワンガン・カルメ
スパイスとヨーグルトで調理された肉で、主にカシミールの赤唐辛子を使用されており、辛い。

・マシュガンド
赤唐辛子で焼き戻した肉汁の子羊肉ミートボール。

・ワアゼプラーブ

・モンジェ・ハーク・コーラビ
ハーク(特にウォステ・ハーク、ヘンズ・ハーク)のキャベツはカシミールの人々に人気があり、カッテージチーズ、マトンまたはチキンを使った独自の調理法がある。

・ムジュ・ガード
大根の料理で魚を使う。

・ダニワールコルメラム
コリアンダーまたはパセリで調理した料理。

・ローガン・ジョシュ
ラムベースの料理で、カシミール唐辛子(ドライパウダーの形)、ショウガ(粉末状)、アサフォエティダでふんだんに味付けした肉と肉汁はカシミールスパイスとマスタードオイルベースで調理される。

・ヤカニ
ヨーグルトベースのマトンのグレイビーソース。
ターメリックやチリパウダーは使わない。
料理は主に月桂樹の葉、クローブ、カルダモンの種で味付けされる。これは、スパイシーな風味のおかずを伴い食べられることが多い。
ご飯と一緒に食べられるマイルドで繊細な料理である。

・ハリッサ
朝食に人気のある肉料理で、スパイスを手でかき混ぜながら長時間調理される。

宗教

宗教は主にイスラム教、ヒンドゥー教、仏教であり、キリスト教やシク教、ゾロアスター教、ボン教なども僅かに信仰されている。
最も多数派なのはイスラム教徒であり、シーア派、スンニ派、イスマイール派、ヌーフバクシアなどが信仰されている。
ヒンドゥー教徒はジャンムー・カシミール州に多い。
仏教徒は主にラダックやバルティスタンに暮らし、チベット仏教を信仰する。
シク教徒は全土に存在し、無視できない規模の少数派を構成している。
キリスト教徒は非常に少ないが比較的裕福である。
ゾロアスター教徒とボン教徒、ジャイナ教は各地に非常に小さなコミュニティを持つ。

音楽

カシミールの音楽はインド、アフガニスタン 、イラン、チベットなどの影響を強く受けている。
チャクリ
カシミールの伝統音楽。ハーモニウムやルバーブ、サーランギー、ノウト、ゲゲル、トゥンバクネール、チムタなどの楽器が使われる。
イスラム教徒にもヒンドゥー教徒にもポピュラーであり、民俗的にも宗教的にも演奏される。
ヘンザエ
カシミール・パンディットの音楽であり、カシミール音楽の最も古い形である。イスラム以前の貴重な様式を残している。
ロウフ、又はワンウォン
ロウフは主に女性によって踊られる伝統的な音楽とダンスであり、結婚式などの重要な場面で行われる。
ラディシャ
ラディシャは皮肉をふんだんにちりばめた面白おかしい歌である。社会的、政治的な内容を滑稽に風刺し、歌手は村から村へ旅する。歌はその場で作曲で作られ、村の状況にも合わせて歌われる。
ラディシャを歌うのはとても難しいが、面白い。
スーフィアナ・カラム
スーフィアナ・カラムはカシミールの古典的なラーガ音楽である。サントゥールやケマンチェ、セタール、ワソール、ドクラ(タブラ)などを使用するペルシャの影響を受けたものである。
ヒンドゥスターニー・クラシカル
カルハナ著のラジャタランギニなどの書籍に言及された古典音楽。ポピュラーな楽器はサントゥール。
ラダックの音楽
ラダックの音楽はチベット文化の影響下にある。
スルナやダマンなどの楽器が使われる。
僧院での音楽にはチベット語やサンスクリット語の聖典の独唱が含まれる。

国民


・カシミール人

カシミール人の女の子たち。

インド・ヨーロッパ系民族で、カシミールの主要民族である。主にコーカソイドだが、インドの他の地域との混血もあり、肌がくろっぽい者から、髪が金色の者まで様々である

・ドグラ人

ジャンムー・カシミール王家はドグラ人である。
カシミールの主要な民族の一つであり、カシミール全域からパンジャーブにまで住んでいる。
ドグラ民族の人口は250万人である。ドグラ語を話し、主にヒンドゥー教を信仰するが、仏教徒やイスラム教徒も存在する。

・グルジャール人

ラージプターナのグルジャール人戦士。

グルジャール人はインド北西部からカシミールにかけて住む民族。グルジャールは各地で多様な生き方をしており、いくつかの王国の設立者でもあり、戦士であり、農民であり、遊牧民である。
元々は中世ラジャスタンのグルジャナ国出身の民様であった。
・パンジャブ人

パンジャブ人の家族。

主にインドのパンジャブ地方に暮らす民族であり、一部はカシミールにも暮らす。シク教、イスラム教、ヒンドゥー教と様々な宗教を信仰している。

・バルティ人

バルティ人の子供達。

ギルギットなどに暮らすチベット系とダルド系の混合民族。もともとはチベット人だがイスラム教スンニ派が主流。しかし、一部はチベット仏教やボン教も信仰する。

・ブルショー人

髭を生やした男

フンザに多く暮らし、孤立した言語を話す謎の多い人々である。西洋では平和で長寿な民と考えられてきた。

・ダルド人

・ダドルワヒ人

・ワヒ人

伝統的な衣装を着て楽器を奏でるワヒ人

パミール系の民族。キルギスタンからカシミールまでの地域に暮らす。アフガニスタンにあるワハーンとはワヒ人からきている。
主に遊牧で生計を立てる。

・パシュトゥーン人

パシュトゥーン人の子供達。この写真はカシミールではなくアフガニスタンで撮られた。

アフガニスタンなどの主要民族であり、カシミールにも僅かではあるがパシュトゥーン人が暮らす。
美しい青や緑の目で知られている。

・ラダック人

赤ん坊を背負う、ラダック人の女の子。

ラダック人はチベット系の民族であり、仏教徒が多いが、イスラム教も無視できない力を持つ。ムスリムはシーア派が多い。

・チャンタン人

遊牧生活を営むチャンタン。

チャンタンはチベット系の遊牧民族である。主にヤクなどの遊牧により生計を立てる民族で、ラダック地方やチベット高原に暮らしている。

・プリグパ人

・シェイクガル人

スポーツ


ギルギット地方にあるポロ場


クリケット場

最も人気のあるスポーツはサッカーである。英国統治時代の影響もあり、クリケットも2番目に人気が高い。
ジャンムー・カシミール藩王国の国技は馬を使った団体競技であるポロである。
また、地形と気候を生かしたウィンタースポーツなども人気が高い。
高地であるカシミールの選手は持久力が強い。
コモンウェルスゲームズの出場地域である。
サッカー
カシミールのサッカーは1891年から92年に宣教師の学校であるティンデール・ビスコー・スクールにより持ち込まれた。
高地であるカシミールの選手は持久力に長けており、国際試合では大きな存在とはならないものの、アジアリーグに於いては無視できない力を維持している。
クリケット
カシミールでクリケットは2番目に人気のあるスポーツである。英国の藩王国であった時代に持ち込まれたクリケットは、男女関係なく人気がある。
国際クリケット評議会に所属している。
ポロ
ポロはイランから伝わったカシミールでは歴史の古い競技であり、大きな村であればポロ場は多くの場所にある。
国技でもあり、ポロ界隈ではカシミールの名は知られているほうである。
マラソン
この地域で行われるマラソンには、ラダックマラソン、グレートチベットマラソン、カシミールインターナショナルハーフマラソンなどがある。ラダックマラソンは、国際マラソン協会および遠距離レース協会に認定されており、世界で最も高い場所で行われているマラソンの1つである。
アドベンチャースポーツ

起伏のある地形と急流の川があるカシミールは、ヘリスキー、アイススケート、アイスホッケー、水上スキー、パラグライダー、登山、スノーボードなどのアドベンチャースポーツに最適である。
これらを目当てにカシミールを訪れる観光客は多く、無視できない経済効果をもたらしている。
王立カシミール・スポーツ評議会

王立カシミール・スポーツ評議会の目的には、国内で学生と非学生の若者の間でスポーツ活動を促進すること、国のさまざまな地域でスポーツインフラストラクチャを作成および開発すること、財政支援と助成金を提供することが含まれまれる。組織は、カシミールの首相とスポーツ大臣がそれぞれ代表と副代表として率いている。スポーツ評議会は、州、部門、地区レベルで機能する。

自然

ほとんど手付かずの非常に美しい自然が残る。

世界で最も登るのが難しい山に数えられるK2山


ナンガ・パルバット山


ニーラム渓谷


スカルドゥ近郊の冷たい砂漠。この地域は世界の砂漠地帯中で最も標高が高いものの一つである。


フンザのアタバード湖


ラダック地方に位置する美しい湖パンゴンツォ。


ユキヒョウ。

国土は8000m級の山々がつらなる山岳地帯であり、氷河からの雪解け水が川となって谷間を流れる。
多くのヤギやユキヒョウなどが暮らす自然豊か土地がほぼ全土を占めており、首都のあるカシミール渓谷などを除けば未だ開発されていない。

観光


フンザの風景


ラダック地方、レーの旧市街。建物の最上階にはチベット文化圏らしくタルチョーがはためく。


シュリーナガルの旧市街。首都シュリーナガルも古い美しい建物が多く残されており、カシミール観光の拠点となっている。


フンザにあるバルティット砦。チベット文化の影響を受けている。


レーの宮殿


リキル僧院


ラダックで撮られた写真。


ラダック地方の町。


ラダックやフンザの美しい光景は多くの観光客を惹きつけるものの、カシミールの現状から訪れることは不可能ではないが、難しい。
当然ながら入国にはビザが必要であり、観光、就労、ビジネス、巡礼ビザが存在し、外交官用の物や特別な用途で発給されるものもある。観光入国の為には王立カシミール観光局への申請が必要である。更にカシミール国内を移動するには入域する王国への申請が必要である。ギゼルの場合は谷ごとに許可が必要である。部族地域では長老会議にて入域審査が行われる。
現地文化への汚染を避ける為一部の国に関しては監視員が就くほか、入域を許可しない地域もある。
一部の地域では治安が悪いためガイドを雇うことが重要である。

レジャー

カシミールではスキー、ゴルフ、川下り、ロッククライミング、トレッキングと言った大自然を生かした様々なレジャーが可能である。

注釈

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脚注

Category:〈国名〉?

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