2.2 改修準備中

ストラリツィ戦車旅団
創立1901年
所属政体ロマノフ主権国家連邦
所属組織ロマノフ連邦陸軍
編成単位旅団
所在地ケベック
編成地ケベック共和国全域
上級単位南方軍集団
担当地域ケベック市
愛称不死身の旅団
即応度A
定員4760人
充足率95%
戦車285両
車両1840両
駐屯地ケベック



概要

ストラリツィ戦車旅団は迅速に戦闘任務を達成するための戦闘即応態勢が整っており、敵軍と互角あるいは敵が優越している場合でさえも完全戦闘即応態勢であれば敵へ奇襲的行動を可能にする完全戦闘態勢を示す即応体制カテゴリAの旅団である。担当地域はケベック市でありこの旅団はケベック市を防御する政経中枢部隊でロマノフ王立第1近衛師団と共同でケベック市を防衛している。この部隊の前身としてはシベリア狙撃兵連隊であり日露戦争等を戦い抜いた歴戦の部隊である。練度が非常に高い事で有名で特に機甲部隊の練度は教導部隊並みの練度を誇っておりロマノフ最精鋭と謳われている。

歴史

1901年 イルクーツクにてシベリア狙撃兵連隊として編成される

1903年 ニコラエフスクにて2個連隊を追加し旅団として編成される

1904年 日露戦争に参加 遼陽会戦 黒溝台会戦 奉天会戦などの数々の激戦に投入されたが、数々の戦闘で活躍して生還した事から不死身の旅団の名をニコライ二世から承り、ロシア軍から数々の勲章を授与された。

1907年 シベリア軍管区から中央アジア軍管区のアルマアタに駐屯する。

1910年 シベリア近衛狙撃兵旅団に格上げされる。

1914年 第一次世界大戦においてカフカース戦線に参加

1916年 ニジニ・ノヴゴロドにおいてトラック等を運用するロシア初の機甲部隊として再編成を受ける

1917年 西部戦線に義勇の名目で派遣される。 その後のカイザーシュラハトにおいては連合軍の反撃において非常に重要な役割を占めた。

1919年には祖国が崩壊した為に英国軍の指揮下に入る事となる。

1924年 英国からロマノフ主権国家連邦に編入 ロマノフ初の機甲部隊となる。

1928年 完全に自動車化された部隊となる。

1938年 戦車3個連隊に拡大

1943年 アメリカ製のM4戦車が旅団に無償供与される。

1955年 西側諸国への教導部隊に指定される。

1971年 核戦争下での作戦を想定した編成となる。

1992年 ユーゴスラビアに派遣

2001年 本国に帰還する

2018年 自走砲兵部隊も編入

編成

第1親衛自動車化狙撃連隊

第7親衛戦車連隊

第8親衛戦車連隊

第9親衛戦車連隊

第52親衛機械化砲兵連隊

第14高射ロケット大隊

第8高射大隊

第49ロケット砲兵大隊

狙撃A大隊

第52偵察中隊

第108工兵中隊

第44電子戦闘連隊


装備



Tー80U
TR‐24F
M1A2TUSKII
M551A4
BMPー3
BTRーT
M2ブラッドリー
VPK-7829
BMDー3
M3ブラッドリー
ストライカー
ストライカーMGS
ストライカーATGW
2A65 152mm榴弾砲
2S45 125mm対戦車砲
M777 155mm榴弾砲
M198155mm榴弾砲
M119 105mm榴弾砲
FH70 155mm榴弾砲
2S19ムスターS 152mm自走榴弾砲
2S35コアリッィヤーSV 152mm自走榴弾砲
M109 155mm自走榴弾砲
BMー27 ウラガン
BMー30 スメーチ
TOSー1 タルナード
9A52ー4
MLRS

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