ナジュド・サウード王国(ナジュド・サウードおうこく、アラビア語: المملكة العربية السعودية)、通称ナジュドは、中東・西アジアに位置する絶対君主制国家。首都はリヤド。
かつてはアラビア半島で大勢力を築いていたが、ヒジャーズ地方、ハサー地方を奪われ内陸国に転落。中東有数の最貧国となっている。
かつてはアラビア半島で大勢力を築いていたが、ヒジャーズ地方、ハサー地方を奪われ内陸国に転落。中東有数の最貧国となっている。
ワッハーブ派の宣教師ムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブとナジュドの豪族出身であるムハンマド・イブン=サウードが、アラビア半島のアラブ人勢力の結束とオスマン帝国による支配からの自立を目指して1744年に建国された。
初めはナジュドの地方勢力にすぎなかったが、アラビア湾岸地域を征服する。
その後、アスィールも服属すると、北に勢力を拡大し、1801年にシーア派の聖地であるカルバラーおよびナジャフを陥落させた。
また、1803年にはヒジャーズも勢力下に置き、聖地であるメッカとマディーナも陥落させた。
しかし、これらの聖地の守護者であったオスマン帝国は警戒、エジプト総督ムハンマド・アリーにサウード家の王国を滅ぼすよう命令を下した。
そしてエジプト軍が1813年にはメッカを奪回、さらにアラビア半島中央部まで侵入し、1818年、首都ディルイーヤを包囲した。首都でのディルイーヤ攻囲戦は数ヶ月に及んだが、エジプト軍の勝利に終わり、第一次サウード王国は滅亡した。
しかし、第一次サウード王国の成立はアラブ人の民族としての自覚を生み、同時にオスマン帝国の弱体化を表すものだった。
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