バクー Bakı | |
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国 | アゼルバイジャン民主共和国 |
行政区画 | バクー特別市 |
都市性格 | 石油都市 |
建設 | 5世紀 |
面積 | 260㎢ |
総人口 | 約200万人 |
人口密度 | 7,800人/km2 |
UTC | UTC+4 |
主要民族 | アゼリー人 |
市長 | ハジバラ・アブタリボフ |
バクー (Baku) は、アゼルバイジャン民主共和国の首都。
カスピ海西岸に突き出したアブシェロン半島南岸に位置し、市街はバクー湾に面するように広がった港町である。
行政的には11の行政区に分割されており、2020年時点の総人口は約200万人。アゼルバイジャン最大の都市であると同時に、
カフカス地域でも有数の大都市である。大規模なバクー油田をもち、石油の生産地として発展してきた。
カスピ海西岸に突き出したアブシェロン半島南岸に位置し、市街はバクー湾に面するように広がった港町である。
行政的には11の行政区に分割されており、2020年時点の総人口は約200万人。アゼルバイジャン最大の都市であると同時に、
カフカス地域でも有数の大都市である。大規模なバクー油田をもち、石油の生産地として発展してきた。
バクーは、12世紀にシルバン・シャー朝の首都となり、港湾都市として栄えた。
1604年のアッバース1世の軍勢によって城も破壊された。
バクーで大掛かりに油井が掘削されたのは1846年である。欧米諸国から石油資本が流入して急速に発展を遂げ、
未だペルシア湾の油田が開発されていなかった20世紀初頭の帝政末期には、世界の石油生産の過半を占めるほどであった。
この時代のバクーは石油産業から近代的工業都市へと発展を遂げ、アゼリー人の様々な経済・政治・文化活動の中心となった。
南方から教徒の労働者が溢れ国際都市となった。
1604年のアッバース1世の軍勢によって城も破壊された。
バクーで大掛かりに油井が掘削されたのは1846年である。欧米諸国から石油資本が流入して急速に発展を遂げ、
未だペルシア湾の油田が開発されていなかった20世紀初頭の帝政末期には、世界の石油生産の過半を占めるほどであった。
この時代のバクーは石油産業から近代的工業都市へと発展を遂げ、アゼリー人の様々な経済・政治・文化活動の中心となった。
南方から教徒の労働者が溢れ国際都市となった。
バクー市は、12の行政区(特別区)があり、それぞれの自治政府が存在する。
地区名 | 面積 | 人口 |
---|---|---|
ビナガディ | 170㎢ | 26万人 |
ガラダー | 1,080㎢ | 12万人 |
ナリマノフ | 20㎢ | 17万人 |
ナシミ | 10㎢ | 21万人 |
ニザミ | 20㎢ | 20万人 |
サブンチュ | 240㎢ | 24万人 |
サベイル | 30㎢ | 10万人 |
スラハニ | 120㎢ | 21万人 |
ピララ | 30㎢ | 28万人 |
ハタイ | 30㎢ | 28万人 |
ハザール | 370㎢ | 16万人 |
ヤサマル | 10㎢ | 21万人 |
バクー油田があり、石油産業が盛んである。
バクーでの石油の採取は紀元前より行われ、皮袋に詰められラクダでイランやイラクに運ばれたという。その石油は灯火用あるいは建物や船のモルタルに、あるいはミイラの防腐剤として使われた。初めは地表への湧出油を採取していたが9世紀には手掘りの井戸が掘られ、16世紀には石油産業の様相を呈した。
バクーでの石油の採取は紀元前より行われ、皮袋に詰められラクダでイランやイラクに運ばれたという。その石油は灯火用あるいは建物や船のモルタルに、あるいはミイラの防腐剤として使われた。初めは地表への湧出油を採取していたが9世紀には手掘りの井戸が掘られ、16世紀には石油産業の様相を呈した。
都市の中心部にはかつて旧市街を取り囲んでいた城壁が残っており、アゼルバイジャンで最初の世界遺産に登録された。現存しているほとんどの城壁や塔は、1806年に補強されたものである。迷路のような細い小路と古い建物によって非常に古代の趣を感じさせる地区である。
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