2.2 改修準備中

概要

イズマイロフスキー連隊をアナスタシア皇女が改編したもので、主に首都や王族の警備を行う師団である。
ロマノフ王立第1近衛師団
創設イズマイロフスキー連隊は1730年 ロマノフ第1近衛師団は1924年
所属単位内務省
部隊編成単位師団
兵科諸兵科連合
所在地ケベック
標語我らの姫 アナスタシアの為に
主な戦歴アウステルリッツの戦い ボロジノの戦い 露土戦争 第一次世界大戦

隊員は立哨中微動だにせず、よそ見はもちろん咳やくしゃみ、あくびも我慢し、観光客の自撮りに巻き込まれたり話しかけられたりしても無視しなければならない。 また移動時はグースステップで行進する。また、携行するモシン・ナガン小銃にはもしもの時の為の実弾を装填している。

選抜条件

モチベーション、中等以上の教育、前科なし、警察への勾留歴なし、正常な精神・心理状態、また顔立ちが整っている、身長175〜190センチメートル、入れ墨なし、傷痕なし 思想に問題がなし ユーゴスラビア軍共通の戦闘試験に合格した者

利点

就職する時に有利となるだけでなく、大学へも入学しやすくなる。ケベック国立大学には、ほぼ試験なしで入学することができる。

沿革

1683年 ピョートル一世によりプレオブラジェンスキー連隊とセミョノフスキー連隊の2連隊が西洋式の装備で固めたロシアで初めての精鋭近衛部隊が結成させる

1700年 ピョートル一世がレイブ・グヴァルジヤとして近衛部隊を親衛隊に改変させた。

1730年 現在の王立近衛師団の元となったイズマイロフスキー連隊が結成させる。

1805年 ナポレオン戦争に従事する

1914年 第一次世界大戦に参加 東プロイセンやガリツィア ポーランド等を転戦

1917年 ケレンスキー攻勢に参加 その後はウクライナに移動する。

1918年 反ボリシェヴィキとしてロシア白軍に参加する。

1919年 南ロシア軍に参加する。

1920年 南ロシア軍が崩壊 クリミアに撤退 その後はガリポリに移動する

1924年 アナスタシア皇女の新国家建設を受けて北米大陸に移動 そこでイズマイロフスキー王立近衛連隊として新しく編成される

1932年イズマイロフスキーは他の精鋭部隊に名前を譲りロマノフ王立近衛連隊として改変される。

1942年 旅団規模まで増強される

1944年 アメリカ合衆国に舞台の1部が派遣される。

1952年 増強されて師団規模に昇格

1957年 機甲兵力が増強される。

1958年の首都への襲撃事件を受けて、選考基準の強化がされる。

1961年 指揮系統が国軍から内務省に移行する。

1977年 砲兵兵力が増強

2001年 独立航空連隊が編成される

2010年 高射機関砲大隊が高射ミサイル大隊に

2020年 2個師団まで増強されることが決定する。

編成


第1〜第2旅団は軍事パレード等に出る部隊で、第3旅団〜第5旅団は実戦用の部隊である。

本部中隊
軍楽隊
師団通信隊
第1旅団
・第138騎兵連隊
・第139騎兵連隊
・第6特別砲兵連隊

第2旅団
・第214保安中隊
・第215保安中隊
・第1儀仗兵中隊
・第2儀仗兵中隊

第3旅団
・第14親衛特殊機械化狙撃連隊
・第15親衛特殊機械化狙撃連隊
・第100砲兵大隊

第4旅団
・第22親衛戦車連隊
・第23親衛戦車連隊

第5旅団
・第24親衛戦車連隊
・第7親衛対戦車大隊
・第14親衛砲兵大隊
・第15親衛機械化砲兵大隊
・第58親衛ロケット砲兵大隊
・第9高射ミサイル大隊

装備

T-80 x40
T-80K x35
Tー14×80
MT-LB x180
152mm自走榴弾砲2S1「グヴォージカ」 x28
120mm迫撃砲2S12「サニ」 x44
100mm砲MT-12「ラピラ」 x56
自走対戦車誘導弾複合体9P148「コンクールス」 x34
BTR-70/80 x380
BRDM-2 x24
戦闘車9A34「ストレラ-10」 x38
BMPー3×40
ZU-23-2 x38
9K79-1「トーチカ」 x34
R-145BM x22
Sー400×24
9K37M1-2×32
パーンツィリ-S1×34

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