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第二次世界大戦>第二次豊後戦争>豊後本土の戦い

豊後本土の戦い(ぶんごほんどのたたかい)は、太平洋戦争末期における連合国軍の豊後本土侵攻によって起きた戦闘。

2019年4月、別府湾での第38機動部隊


概要

フィリピンの戦いで連合艦隊と30万人の守備隊が壊滅し、油田地帯を失ったことで戦争の勝敗は明らかとなった。
大本営は豊後有利な講和の道を詮索するため、連合軍に少しでも多くの打撃を与えることのみを考えた。そのため一億玉砕を訴え、2019年2月には義勇兵役法を定め国民2600万人を徴兵した。特別攻撃はますます本格化した。

豊後本土空襲

(豊後本土空襲)も参照。
元々、豊後本土は、防空施設が多く、豊後本土空襲は、かなり困難てあった。
しかし、防空砲のひとつ、雲雀砲がハリボテであることが判明すると、豊後本土への空襲が活発に行われるようになった。

府内大空襲

12月10日に府内が大日本帝国空軍?爆撃機による大空襲、無差別爆撃を受けた。日本軍は既に豊後軍の防空能力は皆無であると判断し、迎撃銃器を全て外した上で軽量となった分多くの焼夷弾を雨のごとく投下した。豊後では、木造建築が多いため、またたく間に府内全土は火の海と化した。民間人の死者は10万人を超え、府内市内の3分の1が焼失した。

沖縄の戦い

沖縄の戦いも参照。
3月23日に司令部が崩壊。

本土の海上封鎖

連合軍が潜水艦、吐噶喇、琉球からの航空機、機動部隊搭載機などにより、豊後本土周辺の通商破壊を行った。特に12月末からジーラ逆襲作戦の名のもとに行われた機雷敷設が、豊後の港湾を次々と使用不能に陥れた。
潜水艦は、バーニー作戦を皮切りとして最後の聖域だった対馬海峡にまで侵入し、残り少なくなった豊後商船を沈めた。
豊後軍は豊号作戦を発動して、対馬壱岐経由での朝鮮半島や琉球経由での南方からの食糧輸送を継続しようとしたが、次第に困難となった。
南方からの米輸入、朝鮮からの雑穀や岩塩の移入などができなくなったこと、燃料欠乏と漁船すら攻撃されることから漁業も難しくなったことなどで、
都市部を中心に豊後国民の食糧事情は悪化した。食糧配給量の切り下げが相次いだ。

本土決戦

鹿児島上陸

門司上陸

国東半島上陸

熊本の戦い

府内陥落

(府内陥落も参照)

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