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ミリタリ関係

歩兵師団偵察大隊・自動車化歩兵師団偵察大隊の編成



自転車部隊前史


 日清戦争のころ、プロイセン陸軍最初の自転車中隊が猟兵大隊の中に作られた。1870年の普仏戦争はすでに後装銃同士の戦いとなっており、このころの猟兵は一列横隊を組むに適さない困難な地形用の軽歩兵部隊となっていた。その中に快速部隊として自転車隊が加わったのである。これに先立ち、すでに18世紀から猟兵の一部は偵察用軽騎兵に変じて猟騎兵(Jäger zu Pferde)となっていたが、猟騎兵部隊が自転車を第1次大戦までに使った例は今のところ見つからない。

 1936年になって自転車部隊は復活し、下記のように偵察部隊としての騎兵中隊を水増しする存在として急拡張された。

歩兵師団偵察大隊


 ヒトラー政権の下でいわゆる再軍備が宣言された後、ドイツ国防軍はいったん3個騎兵師団を編成したが、すぐにこれを解体して、第3から第18までの16個騎兵連隊(各1個大隊/5個中隊)を軍直轄部隊とした。

 東プロイセンを本拠とする第1・第2騎兵連隊は当初から騎兵師団に属さず、一種のエリート集団として別個に第1騎兵旅団を構成していた。これが大戦勃発後に昇格して第1騎兵師団、さらに第24装甲師団となるのだが、この話は本筋から外れるのでここまでにしよう。

 さて、先ほどの16個騎兵連隊は戦車連隊や自動車化歩兵連隊が編成されるたびに人員を提供し、いくつかの連隊は解体された。第1・第2騎兵連隊を含めて、残った騎兵連隊のいくつかは、2個大隊編成に改組され、第2大隊として3個自転車化中隊、対戦車中隊、騎兵砲中隊を宛がわれた。この改編を受けた連隊をKavallerie Regiment、受ける前の連隊をReiter Regimentというが、特に訳語は区別しないことにする。

 自転車化中隊の導入は一種の近代化(自転車は馬よりも速く、偵察任務中に鳴き声を立てないという利点があった)と取られていた節もあるが、大戦に突入すると経験を積んだ騎兵の不足から、背に腹は変えられず自転車化部隊がその比率を高めて行くことになる。

 開戦準備が始まるまでは、歩兵師団には偵察隊はなく、そのつど軍や軍団に配属された騎兵連隊から騎兵の分遣を受けるシステムであったらしい。しかし開戦に向けて大量動員が始まると、第1・第2騎兵連隊を除く騎兵連隊はどうやら事実上解体されたようで、歩兵師団の編成には偵察大隊が加わることになった。

 ドイツ語版Wikipediaで唯一詳しいエントリを持つ第18騎兵連隊の場合、1939年8月にこの連隊を解体して4つの偵察大隊が編成された。騎兵連隊は騎兵8個中隊を持ち、偵察大隊は2個中隊だからぴったり配分されたように見えるが、Dr.Leo Nieholsterのサイトによると第1波(1.Welle)と第2波が騎兵・自転車ひとつずつ、第3波と第4波は自転車中隊ふたつの編成となっている。平時編成の騎兵連隊は最初から定数を割っていて、騎兵中隊をそのままの数だけ配属できなかったのかもしれないし、馬糧を補給する行李が大規模になるのを避けたのかもしれない。ともあれ最後の連隊長は9月30日までその職にとどまった。そして補充兵育成のため、第18騎兵訓練大隊(Kavallerie-Ersatz-Abteilung 18)が作られた。おそらく他の騎兵連隊も同様だったかと思われる。

 なおKavallerie-Ersatz-Abteilungでは自転車歩兵と騎兵の両方を(別々のエレメントで)教育していた。1942年にそれらの名称がRadfahr-Ersatz-Abteilungに変わったが、少しずつ名前を変えて何かしらの騎兵訓練部隊は残っていた。Kavallerie-Ersatz-Abteilung 100はじつに1945年4月になっても、バラトン湖で戦う第5騎兵連隊に列車で増援を送り込もうとした。

 従来、この項では次のように記述していた。
大戦後半になると、偵察大隊に送る騎兵のプールとして北部・中央・南部の各騎兵連隊が 新設されているから、このときには名実共に従来の騎兵連隊は解散していたと思われる。

 これは間違いだった。正しくは、中央軍集団が歩兵師団に残っていた騎兵中隊を集めた連隊をつくって後方の治安戦に充て、北方軍集団と南方軍集団もこれを真似たのである。中央騎兵連隊について新しいエントリ?を作ったのでそちらを参照されたい。

 そういうわけで、歩兵師団の偵察大隊は2個騎兵中隊を持つもの、騎兵中隊と自転車化中隊をひとつずつ持つもの、2個自転車化中隊を持つものが混在していたが、実際には1個自転車化中隊のみが配置される場合もあった。

 フランス戦以降、いくつかの歩兵師団では、快速(Schnelle)大隊が配属された。これは自転車化2個中隊と対戦車2個中隊を持ち、対戦車大隊と偵察大隊をひとつにまとめて要員を節約しようというものであった(Nafziger,p32)。

 また、スターリングラード戦以降、偵察大隊に代えてFusilier(火打石銃兵)大隊を配属された師団もあった。これは通常の歩兵大隊(3個歩兵中隊、重火器中隊)に似ているが、第1中隊だけ自転車を宛がわれていて、乗車偵察任務を念頭に置いた編成になっている。これは歩兵師団の歩兵大隊を9個から6個に減らした埋め合わせとも考えられるが、偵察隊が急場をしのぐ救援隊として投入されることが多かったことから、歩兵大隊に近い戦力を持つことを目指した可能性もある。国民擲弾兵師団になると結局、偵察大隊は若干の重火器を持った(自転車化)中隊に縮小されている。

 近頃何かと話題のパウル・カレルによる『彼らは来た』に第30歩兵旅団という部隊が登場するが、これはもともとReserve-Radfahr-Regiment 30として 各地の自転車兵訓練・補充部隊Reserve-Radfahr-Abteilungを管理していたものが、Schnelle Brigade 30と勇ましげに改名されたものである。本部はクータンスにあったが、5個大隊のうち2個はディエップ方面にいたので、ノルマンディー戦にすぐ巻き込まれたのは旅団の半分強、3個大隊であった。

 ちなみに偵察部隊は、黄色の兵科色を最後まで騎兵と共有した。

 前置きが長くなった。Buchnerの取り上げている歩兵師団(第9歩兵師団、1940年4月)は騎兵中隊と自転車化中隊をひとつずつ持つタイプのものなので、これを中心に見ていくことにしよう。
  • 偵察大隊本部
    • 大隊長、副官
    • 獣医
    • 修理隊
    • 伝令隊
      • オートバイ伝令兵5、自転車伝令兵5
    • 通信小隊
      • 無線機チーム4組(他に大隊長車にも車載無線機がある)
      • 野戦電話チーム2組
  • 第1中隊(乗馬)
  • 中隊本部
  • 第1小隊
    • 第1分隊
      • 軽機関銃1、下士官1、乗馬兵12
    • 第2分隊
    • 第3分隊
  • 第2小隊
  • 第3小隊
  • 補給段列

 上記の記述はBuchnerの記述をそのまま記したものである。Richterの著作には騎兵中隊の精細な編成表があって、いつごろの編成か記されていないので上記の編制との整合性がやや疑問だが、ある重要な点を指摘するために併記しておこう。 Richterの挙げた編成表(p.31)では、分隊には兵・下士官が合わせて16人いるが、実際に戦闘に参加できるのは12人である。戦闘地域の後方で16頭の馬を保持するために、4人が割かれてしまうからである。Buchnerもこの点に触れているが、馬の保持には2頭にひとりが必要だとしており、そうだとすると後方に8人を残さねばならない。

 軽機関銃チームは4名である[通常、軽機関銃チームが4人なのは旧式の08/15水冷軽機関銃を使っている場合で、4人目は冷却用の水タンクを運ぶ]。分隊長の下士官の他に、副分隊長が置かれている。おそらく伍長(ドイツ軍では日本陸軍と違って下士官でなく兵扱い)か上等兵が務めることになっているのであろう。残りの6名が小銃手ということになる。Buchnerは小銃手は2名しかいないと書いているから、本当に8人で戦闘していたのかもしれない。

  • 第2中隊(自転車)
  • 中隊本部
  • 第1小隊
    • 第1分隊
      • 軽機関銃1、下士官1、兵11(自転車)
    • 第2分隊
    • 第3分隊
      • 軽迫撃砲隊(50ミリ迫撃砲1、サイドカー2)
  • 第2小隊
  • 第3小隊
  • 重火器小隊
    • 重機関銃2、サイドカー11
  • 修理隊
  • 補給段列
  • 第3中隊(重火器)
  • 騎兵砲隊
    • 75ミリ歩兵砲2、馬6
  • 対戦車小隊(自動車化)
    • 37ミリ対戦車砲3
  • 軽装甲車3(うち1台は無線車)*民間乗用車をもとにしたKfz.13/14であろう。
  • 補給段列

自動車化歩兵師団偵察大隊


 戦前に改編された4つの自動車化歩兵師団は、歩兵科所属だった。つまりグデーリアンの渋面にかまわず、歩兵科が余計に車両を要求したのである。

 大戦勃発当時、その自動車化偵察大隊は、1個装甲車中隊、1個オートバイ中隊、偵察小隊という構成だった。1941年には、ここに重装備中隊が加わった。重機関銃小隊はオートバイ中隊内にあるので、重装備中隊は37ミリ対戦車砲小隊、75ミリ歩兵砲小隊、工兵小隊から成った。

 1942年になると、オートバイ中隊が3個に増えて、当時の(やや旧式な)装甲師団の装甲偵察大隊と同様になった。ただし装甲偵察大隊になってもSd.Kfz.250系列はもらえず、1944年型編成でオートバイ中隊がキューベルワーゲン編成に変わったにとどまった。




参考文献


  • Richter K.C.,'Cavalry of the Wehrmacht 1941-1945', Schiffer, ISBN 0-88740-814-1

 この本は基本的に写真集であるが、戦間期から第2次大戦にかけてのドイツ騎兵に
関する概説の部分が優れている。装備品の図解も多く、このテーマに興味のある読
者にはお勧めできる。
  • Nafziger George F.,'The German Order of Battle: Infantry in World War II', Greenhill Books, ISBN 1-85367-393-5
 歩兵師団の編成一覧とでもいうべき本。非常に便利である。

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