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ミリタリ関係

憲兵隊の編成

 すでに挙げた書物のほか、次の書物をもとに解説する。
Chain Dogs: The German Army Military Police of World War II Robert E. Witter Pictorial Histories Pub.Co. ISBN 0-929521-86-2 (Volume Two; ISBN 1-57510-0134)

 著者はベトナム戦争に従軍したアメリカ人で、学校や市民団体のためにReenactmentを行う非営利団体である、軍事史教育協会に参加している。日本では考えられないコンセプトの団体であるが、このことはこの本の性格を説明する上で重要である。この本には軍装、書類、編成、主要部隊一覧といった、憲兵隊の様子を総合的にイメージするための情報が、広く浅く収められている。第2巻はいくつかの元ドイツ憲兵の体験談と、より包括的な部隊リストにあてられており、こちらだけ買っても活用しづらいであろう。

 第1次大戦後、ドイツは陸軍の定員を厳しく制限されたので、憲兵隊(Feldgend-armerie)は警察の一部とされた。同じように、警察の中の準軍事組織として治安警察(Orpo)が作られた。ヒトラー政権下で憲兵隊は再び国防軍に属することになり、治安警察は警察の(つまりヒムラーの)指揮下に残ったが、後方地域や占領地域が広がるにつれて、治安警察から憲兵隊にかなりの人員が移された。特に、特定の師団に属さず後方地域の治安任務に就く軍直轄憲兵大隊については、ほとんどが治安警察からの移籍者を中心に編成された。

 師団の憲兵隊はTruppであり、小隊とも中隊ともつかない位置づけであったが、指揮官は少尉または中尉であった。Buchnerの扱った1940年の歩兵師団では、憲兵隊は指揮官も含めて37名で、乗用車7台、オートバイ6台、サイドカー2台、トラック1台を持っていた。Witterの挙げた同種の部隊の例では総数は33名で、装備は不明だが、次のような構成になっている。
  • 指揮官
  • 乗車士官(Vehicle Officer)
  • 憲兵14名(下士官14)
  • 運転手15名(下士官7、兵8)
  • 運転助手、トラック運転手(各兵1)

 軍の権威を代表する性格上、下士官の割合がきわめて高い。そして歩兵師団の中では、全体が自動車やオートバイで移動できる数少ない部隊である。このことは憲兵たちにとって不幸な結果をもたらした。師団の前進時に、憲兵隊は先遣隊のそのまた前の偵察を命じられることが多く、軽武装にもかかわらずしばしば戦闘に巻き込まれたのである。

 軍直轄憲兵大隊は普通、3個憲兵中隊から成っていた。中隊は3個小隊に分かれていて、やはり半数近くが「運転手」で、残りは下士官であった。

 このほか、軍直轄の憲兵隊が多数存在した。これらは師団憲兵隊に似た規模であったが、自転車の割合が高い「駐在さん」であった。

 開戦当初から、交通整理は憲兵隊の重要任務であった。このために2個中隊編成の交通整理大隊がいくつか編成されたが、1942年に相次いで解隊させられ、既存の憲兵大隊に併合されたり、憲兵大隊として再編されたりした。

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