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ミリタリ関係



自動車化歩兵大隊・装甲擲弾兵大隊・オートバイ歩兵大隊の編成

総説


 1939年の開戦当時、各戦車師団は1個連隊(2個大隊)の自動車化歩兵と、オートバイ歩兵大隊を持っていた。1940年春には、軽機械化師団から改編された戦車師団も含めて、半数(第1、第2、第3、第6、第8)の戦車師団自動車化連隊は3個大隊を持つようになり、オートバイ歩兵と合わせて4個大隊となった。残り5つの戦車師団はそれぞれ2個大隊から成る自動車化歩兵2個連隊を持っており、オートバイ歩兵大隊は欠けていたので、歩兵戦力は4個大隊でほぼ同じであったといえる。

 1940年秋から1941年春にかけての改編でさらに1個大隊増えて、各戦車師団はそれぞれ2個大隊から成る自動車化歩兵2個連隊と、オートバイ歩兵大隊を持つようになった。都合5個大隊の歩兵戦力を持つことになったわけである。ギリシャ戦に参加した第2戦車師団や、アフリカに送られた当初の第15戦車師団は、このような構成であった。1942年夏になるとオートバイ歩兵大隊は装甲偵察大隊と統合・廃止され、そのあと大戦末期までタテマエとしてはこの大枠は変わらなかった。

 軽機械化師団は、開戦当初から3個大隊から成る自動車化歩兵連隊とオートバイ歩兵大隊を持っていたので、ポーランド戦後に相次いで戦車師団に改編されたとき、この点では実質的な変更はなかった。アフリカで現地編成された第5軽機械化師団は、独立機関銃大隊をふたつ合わせて第200歩兵連隊を急遽編成しただけで、オートバイ歩兵大隊は持っていなかった。

 自動車化歩兵師団のうち、ポーランド戦に参加したものは当時の歩兵師団と同様に、各3個自動車化歩兵大隊から成る自動車化3個連隊を持っていた。これはフランス戦までに改編を受け、各3個大隊を持つ2個連隊と1個オートバイ歩兵大隊という構成を持つようになった。これらオートバイ歩兵大隊も戦車師団のそれらと同様に、やがて装甲偵察大隊と統合されるが、統合する側とされる側がいったん逆になった。1941年のうちに装甲偵察大隊がいったん廃止されてオートバイ歩兵大隊に装甲車中隊がつき、1943年夏に自動車化歩兵師団が装甲擲弾兵師団に改称されるさい、オートバイ歩兵大隊も装甲偵察大隊に改称されたようである。

自動車化歩兵大隊/装甲擲弾兵大隊(自動車化)


 このシリーズの「大隊本部と重火器中隊」でも扱ったように、ドイツ軍の歩兵大隊は3個歩兵中隊と、それを支援する1個重火器中隊(主要兵器は重機関銃と81ミリ迫撃砲)から構成されるのが基本の形である。自動車化歩兵大隊も、当初はそのような編成であった。開戦当初は歩兵師団の歩兵大隊においても、重火器中隊が8丁、各歩兵中隊の重火器小隊が2丁ずつ、大隊全体で14丁の重機関銃を持っているのが標準で、自動車化歩兵大隊も多くはそのような構成になっている。

 ただし戦車師団の自動車化歩兵大隊は、Nieholsterによれば、これに加えて開戦時既に重装備中隊を持っていた。この中隊は工兵小隊、対戦車砲小隊(37ミリ対戦車砲3門)、歩兵砲小隊(75ミリ歩兵砲2門、のち4門の例もある)から成る。

 なお第1戦車師団など一部の戦車師団は、開戦当時、大隊の3個自動車化歩兵中隊のうち1個がオートバイ中隊であった(Nieholster)。

 Nieholsterの示す各戦車師団の編成表をよく見ると、師団によって、1個自動車化歩兵中隊の持つ軽機関銃が9丁のものと18丁のものがある。幸運にも手に入れることの出来たNieholsterの出版物で確認すると、別に車載機銃を別立てで数えているわけでもなく、本当に1個分隊で軽機関銃2丁を備えていたらしい。このころの自動車化歩兵の主要装備はクルップ・ボクサー6輪トラックの兵員輸送車タイプ(Kfz.70)であり、小型なので半個分隊ずつ2台に分乗するのが普通であった。従って軽機関銃が2丁というのは、半個分隊のそれぞれが軽機関銃チームを持っていたということなのである。

 その場合、分隊の小銃手は何人いたのだろうか。背負って移動しなくていいとはいえ、軽機関銃は銃手と弾薬手のふたりを最低限必要とする。分隊長と副分隊長がそれぞれの射撃グループを指揮しなければならないとすると、すでにこれで6名である。とするとせいぜい小銃手は4名であったと思われる。軽機1丁に小銃2丁というのは驚くべき比率のように思われるが、ドイツ軍というのはそういうコンセプト(機関銃重視)の軍隊であると言われると、なんとなく納得してしまいそうになる。

 同様にオートバイ中隊にも軽機関銃9丁のタイプと18丁のタイプがあり、Nieholsterの出版物によると、前者は1個分隊のサイドカーが3台、後者は4台である。先ほどと同じ計算をすれば、小銃手はわずか1名で、軽機関銃と小銃の比率はなんと1:1であったことになる!

 話を戻そう。フランス戦当時、最初に創設された3つの戦車師団では、3個中隊プラス重火器中隊プラス重装備中隊という構成で、そのかわり連隊直轄の歩兵砲中隊や対戦車中隊はなかった。第6・第8戦車師団は、重火器中隊がなく、歩兵砲は連隊直轄の歩兵砲中隊にまとめられ、対戦車砲小隊は重装備中隊に配属されていた。また、分隊の軽機関銃は2丁に増強されていた。第7・第9戦車師団などでは、重火器中隊はあるが重装備中隊がなく、その重機関銃や迫撃砲は各中隊に最初から分配されていた。これらも分隊の軽機関銃は2丁である。第10戦車師団は連隊直轄の対戦車中隊と歩兵砲中隊を持っている代わりに、大隊に重火器中隊はなかった。このように、急拡張が続いたことと、重火器を現場に貼り付けてしまうことの功罪が定まらなかったために、いろいろな編成が混在していた。

 よく知られている1943年型戦車師団編成表では、重装備中隊の構成が変化している。対戦車砲小隊の装備が75ミリ砲3門に変化したのは時代の流れとして、歩兵砲小隊は120ミリ重迫撃砲4門を持つ迫撃砲小隊に置き換わっている。また、連隊直轄の工兵中隊が新設された代わりに、重装備中隊の工兵小隊は削除されている。

 1944年型戦車師団編成表になると、対戦車砲小隊は20ミリ対空砲6門を持つ対空小隊に置き換わっている。

 装甲擲弾兵師団の場合、3個歩兵中隊・1個重火器中隊という大隊構成は1943年以降に再編された師団においても引き継がれた。1943年以降、重火器中隊の迫撃砲小隊が120ミリ迫撃砲を配備される例はあったようである。1943年型装甲擲弾兵師団編成表では、戦車師団のそれと同様に重装備中隊には対戦車砲(1944年型編成表では対空砲)と重迫撃砲だけを持たせることになっていた。

装甲擲弾兵大隊(ハーフトラック)


 Fleischerによれば、1940年のフランス戦当時、第1戦車師団はSd.Kfz.251兵員輸送車を集中配備されていて、9個自動車化歩兵中隊のうち7個までがSd.Kfz.251をあてがわれていた。よく知られているように、ドイツ軍はその後方針を変えて、各師団の持つ4個大隊のうち1個だけにSd.Kfz.251を装備させるようにした。この大隊は何かしら特別扱いされて、普通の装甲擲弾兵大隊よりも重装備を与えられたようである。

 Nafzigerによれば、1943年夏の第1戦車師団の場合、重装備中隊に24口径75ミリ砲を積んだSd.Kfz.251/9が6両加えられた。歩兵砲小隊もそのままなので大幅な火力増大である。同時期の第5戦車師団はこれに加えて各擲弾兵中隊に2両ずつ、計12両のSd.Kfz.251/9を集中装備している。また、28/20ミリ砲口漸減砲(いわゆるゲルリヒ砲)3門をハーフトラックを持つ擲弾兵中隊にだけ3門ずつ配備している例、同様に75ミリ歩兵砲3門を配備している例などがある。最後の例は、歩兵砲牽引車タイプのSd.Kfz.251/4が使われている可能性がある。

 なおSd.Kfz.251系列は車載機銃としてMG34/42を1丁持っている。分隊火器として持っている2丁の軽機関銃と合わせて、1個分隊は3丁の軽機関銃を保有していた。

 Gajkowskiが掲げる、1943年11月の装甲擲弾兵中隊編成表を少し抜粋して掲げておこう。
  • 中隊本部(無線手、伝令など)
    • 士官1、下士官6、兵11
    • Sd.Kfz.251/3装甲通信車2両
    • サイドカー2台、ケッテンクラート3台、キューベルワーゲン1台
  • 対戦車戦闘班
    • 下士官2、兵8
    • Sd.Kfz.251/17自走対空砲1両
    • パンツァーシュレック4基
  • 第1小隊
    • 士官1、下士官8、兵28
    • 小隊本部(士官1、下士官1、伝令など兵5、Sd.Kfz.251/17を1両)
      • 第1分隊(下士官2、ドライバーを含み兵7、車載機銃を除き軽機関銃2丁、Sd.Kfz.251/1装甲兵員輸送車1両)
      • 第2分隊(第1分隊に同じ)
      • 第3分隊(第1分隊に同じ)
  • 第2小隊(小隊長が下士官なのを除き第1小隊に同じ)
  • 第3小隊(小隊長が下士官なのを除き第1小隊に同じ)
  • 第4(重火器)小隊
    • 小隊本部(士官1、下士官1、伝令など兵9、Sd.Kfz.251/10小隊長用37ミリ砲つき装甲兵員輸送車を1両、ケッテンクラート1台)
    • 第1(重機関銃)分隊(下士官2、兵9、重機関銃2丁、Sd.Kfz251/17を1台)
    • 第2(重機関銃)分隊(第1分隊に同じ)
    • 第3(迫撃砲)分隊(下士官3、兵12、80ミリ迫撃砲2門、Sd.Kfz.251/2迫撃砲班用装甲兵員輸送車2両)
    • 第4(75ミリ砲)分隊(下士官2、兵6、Sd.Kfz.251/9支援用75ミリ砲つき装甲兵員輸送車2両)
  • 整備班(下士官2、兵7、2トントラック1台、3トントラック1台、8トンハーフトラック1台)
  • 段列(下士官5、兵11、キューベルワーゲン1台、3トントラック4台)

オートバイ歩兵大隊


 開戦当時の戦車師団自動車化歩兵大隊が重火器中隊・重装備中隊の両方を持っていたことは既に述べたが、オートバイ歩兵大隊の編成はこれと同様であった。フランス戦以後に自動車化歩兵師団に新設されたオートバイ歩兵大隊も、装甲偵察大隊と統合されて1個装甲車中隊・3個オートバイ歩兵中隊・1個重装備中隊という構成になるまでは、戦車師団の同種部隊と同様の構成であった。オートバイ歩兵中隊については、「オートバイ歩兵中隊の編成」を参照されたい。

連隊直轄中隊群


 開戦当時、戦車師団の自動車化歩兵連隊に付属していたのは通信小隊のみであった。軽機械化師団と自動車化歩兵師団については、自動車化歩兵連隊の多くは75ミリ歩兵砲8門を持つ歩兵砲中隊を持っていたが、戦車師団にはそれがなかった。フランス戦ではI号戦車の車台を使ったトップヘビーな150ミリ自走歩兵砲が作られ、6両ずつ第701〜706自走重歩兵砲中隊に配属されて戦車師団の支援に当たった。Nieholsterの印刷物と、彼のサイトにある1941年独ソ戦開始時の編成表に従い、配属先を書いておく。
第701 第9戦車師団 第702 第1戦車師団 第703 第2戦車師団 第704 第5戦車師団 第705 第7戦車師団 第706 第10戦車師団

 もっとも第1戦車師団はフランス戦直前に、騎兵砲1個小隊と対戦車砲1個小隊を自動車化歩兵連隊に加え、第2・第3戦車師団にも騎兵部隊から1個中隊が加わったとNafzigerが記しているから、これが直接支援火力の増強だったと思われる。ただしこの増強はNieholsterの出版物と一致しない。

 これらを受け取れなかった師団のうち、第6と第8は75ミリ歩兵砲8門を持つ歩兵砲中隊を配属された。第4にはそれに加え、対戦車砲中隊も配備された。第10は自走重歩兵砲に加えて、2個自動車化歩兵連隊のそれぞれに、対戦車砲中隊と歩兵砲中隊(75ミリ歩兵砲各8門)をあてがわれた。第3戦車師団については不明である。Nieholsterの印刷物では自走重歩兵砲中隊をあてがわれたことになっているが、あてがうべき中隊がない。この車輌は38両しか作られなかったことで各種の資料が一致しており、6両編成の中隊は6個しか作れないのである。

 1941年2月の編成定数改正で、戦車師団自動車化歩兵連隊の直轄部隊として、工兵小隊、オートバイ歩兵小隊、そして歩兵砲中隊が加わった(Fleischer、p.58)。この歩兵砲中隊は150ミリ歩兵砲2門、75ミリ歩兵砲4門を持っていた。150ミリ自走重歩兵砲部隊もまだ独立部隊として存在しており、独ソ戦にあたって一部の戦車師団を支援した。1943年半ばになっても、第5戦車師団と共に戦っていた第704自走重歩兵砲中隊は、この兵器を使用していた(Fleischer、p.30。チェンバレン&ドイル「ジャーマンタンクス」にも同様の記述がある)。第707、第708自走重歩兵砲中隊は2号戦車車台の同種車輌を装備してアフリカで戦った。Nafzigerが示す、1942年4月の第90アフリカ軽師団の編成表に、両中隊の名が見える。

 1943年2月以降、戦車師団に属する自動車化歩兵連隊(装甲擲弾兵連隊)の歩兵砲中隊は可能な限り、38(t)戦車車台の150ミリ自走重歩兵砲"グリーレ"6両で置き換えられた。装甲擲弾兵師団では、従来通りの「2+4」編成、あるいは150ミリ歩兵砲4門という構成のままで、グリーレは配備されなかった。

 1943年型戦車師団編成表では、連隊直轄の中隊として20ミリ自走対空砲12門を備える対空中隊と、工兵中隊が加わった。このうち対空中隊は、各大隊の重装備中隊に対空小隊を新設するのと入れ替わりに、1944年型戦車師団編成表では削除されている。これら1943年以降の変遷については、装甲擲弾兵師団の擲弾兵連隊も同様である。

 1942年以前の自動車化歩兵師団については不明な点が多いが、対戦車砲中隊を持っている例や、1942年に既に対空砲中隊を持っている例が見られる。

参考文献


  • Nafziger G.F.[1999],'The German Order of Battle: Panzers and Artillery in World War II',Greenhill Books/Stackpole Books,ISBN 1-85367-359-5
  • Nieholster Dr. Leo [1990],'Gernam World War II Organizational Series' 2/I,2/II, (Private Publishing)
  • Fleischer W. and R. Eiermann[1999],'Die motorisierten Schutzen und Panzergrenadiere des deutschen Heeres 1935-1945',Podzun-Pallas,ISBN 3-7909-0687-5

 Nafzigerの分厚い本は著者が長年書き溜めた編成表シリーズのドイツ軍に関する集大成である。ただ中隊ないし小隊レベルから下はほとんど省略されており、明らかな誤植や誤伝がかなりある。最近、歩兵部隊に関する巻と、親衛隊・警察・外国部隊に関する巻が揃って全3巻となった。

 Nieholsterのものは分隊・班レベルまで装備と共に書き込まれているが、装備定数表が基礎資料であることもあって、人員に関する記述がほとんどないのが惜しまれる。Nieholster氏のサイトからPDFとしてダウンロード可能である。3社目の出版社にバックレを食らったところで紙出版をあきらめたらしい。世界に冠たる日本の同人出版事情が外国でも当てはまると思ってはいけない。

 Fleischerらの著書は写真も編成表も厚さの割には豊富だが、写真と編成表の両方を薄い本で扱おうとして、どちらも中途半端になった感がある。

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