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ミリタリ関係



上陸部隊の器材と編成


 ゼーレーヴェ作戦は「何度も構想されたが、一度も計画されなかった」という評価があるそうである。上陸を実現させる器材と、それを装備する部隊は、陸軍・海軍にとどまらず空軍までが手を出す不思議世界となった。

 工兵大隊・架橋段列の編成と火炎放射器の運用に述べたように、陸軍の架橋段列が持っている小舟を並べて橋板を渡すと、とりあえず平べったい艀になる。陸軍のソリューションは、これを小型突撃艇や上陸艇、さらに艀をけん引できるラントワッサシュレッパーやM-Booteと組み合わせるというもので、Landungs-Pionier-Kompanie(上陸工兵中隊)やPionier-Landungs-Bataillone(上陸工兵大隊)が少数編成された。これらは海軍を巻き込むほどの上陸作戦ではしばしば海軍の指揮下に入ったので、LWSの模型箱絵に海軍兵士が載っていることもある。

小型突撃艇(le.Stubo)は全長6メートル、30馬力エンジンを積んだ喫水の浅いボートで、運行要員2名以外に兵士6名と機関銃、または兵士4名と迫撃砲を積める。15メートル級でペイロード3トンの大型突撃艇はs.Stuboといった。

上陸艇(Pilabo)は長さ19メートル前後、戦車も積める点で日本の大発に似ているが初期型の歩板は艇尾にある。のち艇首から積み下ろしができるタイプが現れた。

M-BooteはMotorboot、SchleppbootあるいはSeeschlepperと呼ばれ、全長7〜12メートルで100〜125馬力のエンジンを積み、艀を引いて12km/hの速度が出る。250馬力版や600馬力版も後に作られた。

 海軍はMarinefahrprahm(MFP)を開発した。ディーゼルエンジンで空荷なら10km/hを出せる本格的な艀だが1号艇が1941年になるまで完成しなかった。Landungs-Flottille(上陸隊)という単位で、上陸艇隊(Landungs-Division)や臨時の地域司令部(例えばLandungseinsatzstab Kertsch=ケルチ海峡)に属して作戦した。

 空軍は、ジーベル大佐(練習機などを作っていたジーベル社の創業者と思われる)の主導で、接収したフランスの航空機工場を使って艀を作り始めた。ジーベルフェリーである。航空機用エンジンを使って、初期型では4km/hに過ぎなかった速度を上げたが、音がうるさいしガソリンエンジンも危険だと陸軍は嫌がって単独運用しようとしなかった。ジーベルフェリーと小型上陸艇から成る、合計3つのLuftwaffen-Fährenflotille(空軍航行隊)がつくられ、ケルチ海峡やラドガ湖で戦った。

MFPとジーベルフェリーの写真などを多く含む海外掲示板のスレッド

高橋慶史先生によると、第100戦車大隊に配属されたLWSが空軍とともに上陸する計画もあって、空軍兵士とLWSが写った写真があるそうである。

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