マイソフの創作と資料とチラシの置き場です。

ミリタリ関係

輸送と補給

 「輸送能力」なるものを具体的に測ることは難しい。いったい不足しているのか足りているのか、さっぱりわからない。

 この分野の古典というとクレフェルトの「補給戦」(中央公論新社から文庫版で復刊)であろう。北アフリカ諸港の陸揚げ能力について具体的に述べたあたりはまことに貴重であるが、具体的な数字はこれ以外ほとんど含まれていない。

 もうひとつ古典を挙げておくと、アメリカ戦略爆撃調査団報告書(欧州編)というのがある。アメリカが戦後になって、自分たちの行った戦略爆撃はどれだけの効果を上げたのかを調査した報告書である。以前NHKがわざわざワシントンだかまで行って、原本をずらりと並べたところをカメラに収めていたけれども、英文版であれば日本の国会図書館に(たぶんすべて)ある。

 この中に、大戦末期になって行われた鉄道への集中的な戦略爆撃について触れた部分がある。第一目標であったドイツの燃料産業がかなり損害を被ったことから、目標を変更したのである。

 この文書の日本編は英文復刻版が「太平洋戦争白書」というタイトルで、日本図書センターから全50巻揃定価120万円(税別)で売られているが、欧州編は筆者の知る限り出版されていない。(みすず書房「現代史資料」シリーズなどに、ごく一部の日本語訳が収められている)

 では和訳は手に入らないか? 方法はある。航空自衛隊幹部学校が教材用に(全部ではないかもしれないのだが)訳したものが、同じく国会図書館にある。ただし版権を取っていない私的な翻訳だから管理は厳重を極め、コピーすら許されないから、メモだけが頼りである。筆者はこれを読みに行ったことがある。

 結論から言うと、あまり使える資料ではない。かなり一生懸命調べているのだがやや具体性に欠ける。調べたい「輸送能力」の概念がはっきりしていないから仕方がないことである。また、鉄道への爆撃が大戦末期であったことが、戦略爆撃の効果を切り出すことを
困難にしている。ドイツは後退を重ねたため、輸送システムへの負荷はむしろ下がる面もあり、輸送力がボトルネックになるような事態が生じにくくなったのである。

 しかし第2次大戦の欧州に限るなら、キーポイントとなるのはドイツの鉄道輸送能力であろう。大戦末期に英米はトラック輸送能力の限界から進撃速度が鈍り、アルデンヌ攻勢を受ける破目になったが、この時点になると生産力の面からはすっかり勝負がついていて、考察すべき大局的なifはもう残っていない。大戦中期におけるドイツのifを扱うなら、鉄道輸送能力がドイツの生産や進撃を制約したかどうかが最も重要なポイントである。
'Die Deutsche Reichsbahn im Zweiten Weltkrieg' J. Piekalkiewicz Transpress (Berlin) ISBN 3-344-70812-0

 この本は基本的に写真集である。文章の中にちょこちょこ重要な数字が入っているのだが、ドイツ語がすらすら読めるのでない限り、ポイントを切り出すことはかなり難しい。しかしこの写真が、短い説明文と合わせて捨て難い。単に鉄道だけでなく、駅に設けられたナチス党の運営するコーヒースタンドや、ロシア人鉄道員に指示を与えるため職場に張った絵入り独露対照表、妙に美人な女性補助鉄道員、ルントシュテット元帥を駅で迎えるブラスバンドといった「いい絵」が多い。
'Deutsche Kriegslokomotiven 1939 bis 1945' Alfred B. Gottwaldt Transpress (Berlin) ISBN 3-344-71032-X [1998年2月現在版元品切]

 こちらは一転して数字と図ばかり。

 ドイツでは1941年末に(占領地が急拡大したことにより)機関車の不足に直面した。早速設計されたのが、戦時量産型機関車の52型である。このタイプは後に更に簡易化された42型機関車と共に、ドイツ戦時経済を支えた。この本はこれら両形式を中心とした内容だが、これらの機関車生産台数、貨車生産台数をはじめ具体的な数字が多い。

 ライヒスバーン(ドイツ国有鉄道)への鉄鋼割当量は1940年の第4四半期になって(おそらく対ソビエト戦の準備のために)それまでの160000トン前後から215000トンに引き上げられ、1942年の第2四半期まで190000〜210000トン/四半期で推移したが、1942年第3四半期に262000トンに急伸する。この「割り増し」は1943年の第3四半期まで続くが、この間機関車の生産量は増加の一途をたどり、ピークの1943年8月には月産535両に達する。その後は鉄鋼割当量も機関車生産数も落ち込んでゆくが、これはおそらくドイツが各戦線で後退を始めて補給線が短くなり、正面装備の生産に対して機関車生産が相対的に優先度を落とされたためであろう。貨車の生産は1942年に跳ね上がった後、1944年まで漸増を続けていることを考え合わせると、編成あたりの平均移動距離が下がって、より少ない機関車で間に合うようになったと思われる。

 52型には「復水型」という珍しいバリエーションがある。これは煙突からの排気を炭水車の後部にしつらえた冷却室に導き、熱と水を回収して無給水での行動距離を伸ばすものである。設備の整った駅の少ないウクライナで使用する予定であったが、1943年に完成がずれ込んだため、本来の用途に活躍することはほとんどなかったに違いない。ちなみに南満州鉄道も復水型蒸気機関車(形式名「ミカク」)を1両だけ持っていたそうである。

 さて、ドイツの鉄道を語る上で欠かせない重要な存在が、ドイツ鉄道工兵である。鉄道工兵は東部戦線でレールの幅の違うソビエトの鉄道をドイツの規格に合わせて張り替えたので有名であるが、本来の任務は戦闘で破壊された鉄道を修復するほか、野戦鉄道を設営し管理することであった。この野戦鉄道はレールの幅が狭く、時速15キロ程度で運行されるもので、主に荷物の運搬用であった。部隊一覧を見るとケーブルカー部隊などというのがあるのだが、実際に野戦ケーブルカーなどを運用したのかは不明である。たぶん修理しか出来なかったのであろう。

 この鉄道工兵についてまるごと1冊使っているのが、次の本である。
'Heeres Feldbahnen' Alfred B. Gottwaldt Motorbuch (Stuttgart) ISBN 3-613-01080-1

 この本には大きなボーナスがついている。1942年11月現在の、ドイツからソビエトにかけての鉄道網地図である。単線・複線、広軌・標準軌の別も記されている。この図は唯一の図なのか、いくつかの資料に同じものがついている。

 では戦線の向こう側、イギリスの鉄道はどうなっていたのか。
'The Great Western at war 1939-1945' Tim Bryan Patrick Stephens (Somerset,UK) ISBN 1-85260-479-4

 大戦初期の苦労話を中心にした、写真の比率の高い本である。爆撃機のプロペラを運ぶ専用貨車など珍しい写真が多い。大西部鉄道というのはロンドンのパディントン駅から発し、南西イングランドとウェールズをカバーする路線のことだそうである。

 物流現場でのトラックの過不足を直接検証できる資料は見たことがないが、トラックの生産に関する状況は、第1篇で挙げたHahnの著作などいくつかの資料から得ることが出来る。トラックの場合に話をややこしくするのは、新造車両に対して工場修理を受けたセコハン車両がかなり多く、大戦後期には6:4くらいになっていることと、民間への引き渡し分がそれなりに存在することである。

 ここから先は印象論になるけれども、筆者は知る限りの事実を総合すると、トラックは重点生産品目ではなかったと考えている。まず1940年の水準に対する1944年の数字は、工場修理分を含めてもやっと2倍というところである。機関車は正味の生産だけで2倍(ただし月間生産量)になっており、例えば明らかに重点的に増産された8トンハーフトラックの場合は1940年の996両から1944年の3352両と3倍以上に伸びている。これらと比較すると、高い伸びとはいえない。また、アメリカ戦略爆撃調査団報告書によれば、1939年には自動車産業に17万3千人が働いていたにもかかわらず、1944年には9万5千人に過ぎず、そのうち4万6千人は外国人である。大戦末期における製造業の外国人労働者の平均的な比率は30%であったから、労働者の絶対数の少なさの点でも、生産性の低い外国人労働者を平均以上に含んでいるという点でも、この産業への労働投入はかなり抑制されていると考えられる。

 あとは不明、と言わねばならないところだが、奇書とも言うべき資料を見つけたのでご紹介する。
'Mechanized juggernaut or military anachronism?: horses and the German army of World War II' R.L. DiNardo Greenwood Press (Westport,Connecticut) ISBN 0-313-27810-5

 ドイツ軍は、40万頭弱の軍馬を擁して開戦し、ポーランドとフランスから膨大な数の軍馬を接収して、ソビエト侵攻のために60万頭から70万頭の軍馬を用意するまでになっていたという。丹念に当時の戦闘記録を読み漁り、ドイツ軍と馬に関するエピソードや断片的な数字をひたすらひたすら積み重ねた労作である。スターリングラードで包囲されたドイツ軍から1日当たり22トンの馬草を空輸するよう要求が上がった(実際に馬草が空輸された形跡はない)とか、ノルマンディーのファレーズ・ポケットで1800頭の馬が包囲されたとかいったことは、ほとんどの読者にはすぐに役に立つ知識ではないであろう。しかしこれらは全体として、ドイツ軍のイメージを変えるある種の情報を読者に提供している、とはいえるであろう。

 この本では第1騎兵師団の戦歴について触れ、第2次大戦ではもはや活躍の場はなかったと結論している。もっとも、多くの歩兵師団の偵察大隊には一個中隊の騎兵がいたし、対パルチザン任務では無視できない働きをしたともいわれるから、やや酷な評価かもしれない。
'Die Bespannten Truppen der Wehrmacht' Klaus Christian Richter Motorbuch Verlag ISBN 3-613-01794-6

 直訳すればドイツ軍挽馬部隊史、ということになる。ドイツ軍部隊の中での馬車利用に関する本で、編成と馬車のハードウェアを中心にしている。編成や馬車についてのみ徹底的に記述した資料と比べるとやや中途半端な観があるが、牽引砲を含めて馬車の写真と図面が多く、モデラー向きの本。
'Die Eisenbahnen im Zweiten Weltkrieg' Eugen Kreidler Nikol(Hamburg) ISBN 3-933203-52-X

 ドイツ国有鉄道の戦間期から大戦にかけて、軍とのかかわりや管理組織の変遷について述べた専門書。チェルカッシィ攻防戦の裏側での鉄道輸送事情など、珍しいエピソードも含むが、ほとんどが文章の本なのでドイツ語の語学力が高くないときつい。
'Schienenstrang nach Stalinglad' Jens Freese Geramond(München) ISBN 376547133X

 1942年夏期攻勢に鉄道工兵がどのようについていったか(ついていけなかったか)を丹念に記録した本。あまりにも丹念過ぎてちゃんとドイツ語を読まないと何を言っているのか分からないのだが、途中駅の名前入りの鉄道地図は初めて見るもの。


謝辞

 復水型蒸気機関車の訳語と南満州鉄道での運用について、旧NITY-Serve、FTRAINE(鉄道フォーラム・専門館)のSL会議室のみなさんから御教示を頂きました。また、大西部鉄道の範囲について、FSF3(SFフォーラム・科学館)の無限壁会議室で御教示を頂きました。記して感謝します。なお残った誤りに関する責任は、すべて筆者に責任があります。

管理人/副管理人のみ編集できます