駅のホームなどに設置されている「名所案内」について調査しています。


名所案内紀行 京成佐倉駅


名所案内


佐倉・うすい駅周辺ご案内
国立歴史民俗博物館佐倉駅より徒歩約20分
佐倉城址公園佐倉駅より徒歩約25分
佐倉武家屋敷佐倉駅より徒歩約20分
麻賀多神社佐倉駅より徒歩約15分
塚本美術館佐倉駅より徒歩約15分
佐倉市立美術館佐倉駅より徒歩約15分
佐倉新町おはやし館佐倉駅より徒歩約15分
甚大寺佐倉駅より徒歩約15分
さくら庭園(旧堀田邸)佐倉駅より徒歩約30分
佐倉順天堂記念館佐倉駅より徒歩約30分
佐倉高等学校佐倉駅より徒歩約15分
佐倉カントリークラブ佐倉駅より徒歩約8分
岩名仁王尊佐倉駅より徒歩約40分
岩名運動公園佐倉駅より徒歩約40分
飯野観音佐倉駅より徒歩約50分
学童農園佐倉草ぶえの丘佐倉駅より徒歩約40分
佐倉市民の森佐倉駅より徒歩約70分
野鳥の森佐倉駅より徒歩約70分
吉川英治の碑うすい駅より徒歩約35分
飯野竜神橋うすい駅より徒歩約35分
佐倉ふるさと広場
オランダ風車
うすい駅より徒歩約35分
阿多津の碑うすい駅より徒歩20分
県立印旛沼公園うすい駅より徒歩約60分
太田図書の墓うすい駅より徒歩約20分
うすい城址うすい駅より徒歩約20分
雷電の碑(妙覚寺)うすい駅より徒歩約15分

2018年2月10日、佐倉市美術館で開催されている「根付展」を見に佐倉を訪ねた。
家を出るのが遅くなってしまい、京成佐倉駅に着いたのは14時10分。そういうわけで、今日は美術館だけを見学することにした。

佐倉の旧市街は細長い台地の上にあり、その台地の下に京成佐倉駅が、台地を挟んで反対側にJRの佐倉駅がある。台地上にある美術館へ向かって急な坂を登っていくと、登りきったつきあたりに佐倉市美術館があった。レンガ造りの堂々とした建築で、もとは川崎銀行佐倉支店だったそうだ。現在は佐倉市美術館のエントランスホールとして使われていて、美術館本体はその後ろに建っている近代的なビルの中に入っている。


佐倉市立美術館

根付展では高円宮家所蔵の根付コレクションが展示されていた。根付というから古いものかと思ったら、明治以降、特に戦後に作られた「現代根付」がほとんど。外国の作家の作品もあり、かかしの根付は西洋の「スケアクロウ」の姿をしていた。
もちろん伝統的な題材のものもあり、歌舞伎の登場人物「切られ与三」の根付を発見。彼の名は木更津駅の名所案内に載っている。よく見ると、あぐらをかいた足の裏まで丁寧に彫ってあった。根付はあらゆる方向から見られるので、全方向に彫りを入れるのだそうだ。


翌日、ふたたび佐倉へやって来た。 まずは「佐倉武家屋敷」に行くことにする。昨日訪れた美術館の前を右へ。「麻賀多神社」の前を曲がった先から道に迷いかけたが、道しるべを見つけてなんとか武家屋敷が並ぶ通りに出られた。


武家屋敷通り

この「武家屋敷通り」には3棟の武家屋敷が保存されている。周辺は今も住宅地になっていて、佐倉駐屯の連隊長だった児玉源太郎の旧居跡の看板も立っている。
この日は年に5回の特別公開の日だったので、「旧河原家」の中も見学できた。河原家は300石以上の「大屋敷」にあたる建物だ。


「大屋敷」の旧河原家


旧河原家の客座敷


旧河原家の土間 畳の「へり」がないことに注目

次に、100〜300石の中屋敷である「旧但馬家」を見学する。


「中屋敷」の旧但馬家


旧但馬家の座敷

3棟目は90石の小屋敷「旧武居家」。他の2棟とくらべてもひときわ小さな家である。


「小屋敷」の旧武居家。屋根が茅葺きではなくなっている


旧武居家の座敷 座敷にも「へり」つきの畳がない

驚いたのが、正面の玄関と通用口が厳密に使い分けられているということ。
玄関を使えるのはその家の主人と来客だけで、他の家族は通用口の方を使わなければならなかったそうだ。このような「格差」は室内にもあって、「旧河原家」では客間や主人の部屋はへりが付いた畳が張られているが、家族の暮らす部屋は「へり」のない畳や板張りのままという差がつけられていた。
主人の身分によっても格差があり、90石取りの「旧武居家」には「へり」のある畳はまったく存在しなかった。ほかにもいろいろな部分で差がつけられていて、かつての身分というものの厳しさを垣間見たような気がした。


旧河原家の主人・来客用玄関


旧河原家の家族用玄関

武家屋敷からもと来た道を引き返し、「麻賀多神社」に参拝する。通りから少し入った所に鳥居があるせいか、静かで落ち着いた佇まいの神社だった。由緒の古い神社で、江戸時代には佐倉藩の総鎮守だった。それを物語るように、境内には戊辰戦争や日清・日露戦争で戦った佐倉の人々を慰霊・顕彰する碑がある。その中には、「旧堀田邸」を建てた堀田正倫(ほった まさとも)が揮毫した碑もあった。


麻賀多神社

麻賀多神社から「佐倉順天堂記念館」まで行く途中に「甚大寺」がある。JR佐倉駅の名所案内には、甚大寺と幕末に老中をつとめた佐倉藩主・堀田正睦(ほった まさよし)の墓が書かれている。ところが、境内を探してみてもそれらしい場所が見つからない。


甚大寺

仕方なく寺を出ると、寺の門の右脇から細い道が伸びていることに気づいた。どうやらその先に目指す墓所があるようだ。
道を進むとやはりそこに堀田家の墓所があった。木々に囲まれた一角で、聞こえてくるのは鳥の声くらいだ。その中に蘭学振興や開国に奔走した堀田正睦や、堀田家歴代の墓が建っている。いかにも偉い人の墓というような大きな墓石が並んでいるが、大名の墓所としては質素だと感じた。


堀田家墓所

甚大寺を出て、城下町らしく鉤の手に曲がった道や、蔵を持った古い商家の建物を見ながら歩いていく。アップダウンをこえると右手に古い日本家屋が見えてくる。武家屋敷よりもずっと立派なこの建物が「佐倉順天堂記念館」。江戸時代末期の天保14(1843)年に、藩主・堀田正睦に招かれた蘭方医、佐藤泰然(さとう たいぜん)が開いた蘭学塾・診療所「順天堂」の記念館である。現在は安政5(1858)年に建てられた建物の一部が残っている。


佐倉順天堂記念館

玄関のある部分は純和風の建築で、畳敷きの部屋には江戸時代に使われたという舶来の医薬品や、まるで大工道具のような医療器具が展示されている。当時は順天堂に入院施設はなく、患者は周辺の宿に泊まりこみ、医師が宿に回診していたそうだ。壁にかけられた絵にはその頃の手術風景が描かれていて、宿の部屋で患者を布団に寝かせて手術をしていたことがわかる。ちなみに当時は、副作用の強さを嫌って麻酔をあまり使わなかったそうだ。歯を中心に何度も麻酔のお世話になった私からするとちょっと信じられない。


和室の展示室


昔の医療器具

建物の奥に進んでいくと、清潔だがちょっと冷たい雰囲気の洋室がある。いかにも個人病院の診察室といった様子の部屋だ。そう思ったのは私だけではないようで、近くにいたおばあさんが「昔のお医者さんみたいだ」といっているのが聞こえた。


洋室部分の廊下 いかにも古い病院の廊下といった風情がある


洋室の展示室 

この洋室の中にはフラスコなどの器具などとともに、順天堂にかかわった人々についての展示もあった。順天堂の開設者・佐藤泰然の養子の佐藤尚中は明治になって上京し、現在の順天堂大学の前身である順天堂医院を開設した。一方、佐倉の順天堂はその佐藤尚中の養子・佐藤舜海が受け継いだ。順天堂記念館の隣には、今も佐倉順天堂医院が開業している。

佐倉順天堂記念館を出て最後に向かうのは、佐倉藩最後の藩主・堀田正倫が建てた「旧堀田邸」。またしても道に迷ったが、福祉施設の入口に「旧堀田邸→」の看板を発見。福祉施設の敷地の奥に入口があった。


旧堀田邸入口

入口を入ってすぐに番所がある。この日は番所が特別公開されていた。さすがに明治の建物だけあって、「へり」のある畳が使われていた。


旧堀田邸番所

番所を出て「旧堀田邸」の玄関へ向かう。武家屋敷と同じように表の玄関と通用口が並んでいた。その通用口から中に入る。
そろそろ閉館の時刻が迫ってきたので駆け足で見て回らねばならない。


旧堀田邸玄関


玄関棟の一室

室内の解説板によると、明治になり東京に移住していた堀田正倫が、佐倉に戻って教育や農業の発展を目指すために建てたのがこの邸宅だという。実際に隣接する土地には明治30(1897)年に「堀田家農事試験場」が設置され、千葉県の農事試験場が軌道に乗った大正末まで農業指導や種苗などの配布を行っていたそうだ。


居間棟の廊下 ここにも畳が敷かれている


居間棟の一室


居間棟にある、画家「跡見花蹊」による天袋・地袋

この建物とその前に広がる庭園は、昭和に入って日産厚生会が取得した。「旧堀田邸」が福祉施設や病院の敷地の中に残されているのはそういう経緯があったからなのだと納得した。


建物から見える庭園

廊下を通って、建物の奥にある書斎棟に向かう。ここも普段は非公開だが、今日は特別に公開されている。
この書斎棟は今までと違い、装飾的で趣向を凝らした一室といった雰囲気がある。


書斎棟 違い棚に玄関棟や居間棟との違いが見える


障子の桟も場所によって違う


天井には印度更紗が張られている

この書斎棟が公開されるのは年数回の特別公開日のみ。それでも、「旧堀田邸」を訪れるなら公開日を選んで、この書斎棟を見てほしいと思う。

書斎棟を見ている間に閉館時間が来てしまった。まだ座敷棟や2階を見ていないが、今日はここまでにしよう。
帰り際、庭園の向こうから列車の走る音が聞こえてきた。庭園は台地の上にあって、その下にはJR総武本線の線路が伸びている。名所を回っているうちに、いつの間にか台地を縦断してしまったのだった。


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