真如苑 (関連用語・比較説明、行事予定等)


真如苑と霊能(れいのう) 

真如苑と霊能  (公式的解説)

立教の根本霊言


『顕より密に入り、正しく修行し、世のため人のため正しく道を貫くべし』

教義(顕)より、秘密にして荘厳なる宇宙の大生命(密)に帰入する道

これは昭和十一年二月四日、摂受心院さまが霊能を相承された折、双親さまに降された霊言である。

神通霊妙(真如霊界・真如密) 


真如苑と霊能  (WEB的解説)

接心修行 

霊能者


真如苑霊能者
霊能相承

神通霊妙(真如霊界・真如密)

霊能とは  (一般的解説) 辞典・ウィキペディア

接心(せっしん)と霊能

接心はもともと禅宗の用語で、瞑想をもって思惟することを指す。しかし真如苑ではこれに独特のニュアンスを持ち、霊能によって日常生活の態度や信心のあり方を瞑想思惟することを接心という。
具体的には、教団施設において霊能者(修行によって「真如霊界の境涯」に進展した指導者。またかつてはミーディアムと呼んだ)と対座し、瞑想、問答、思惟しながら己の精神境涯の向上を目指す。信徒は霊能者を通じてご霊言という各種指導を受け、修行や生活の指針とする。なお接心は霊能者から霊言を受けるものだけではない。霊能者を通して得る接心を有相(うそう)接心、日常生活や社会の場で実践する際に思惟することを無相(むそう)接心という。真如苑においては有相だけではなく、無相の行を社会即道場として重要視する。

他の新宗教でも霊能をもって信徒を教化する教団は多い。しかしその多くは突然、神がかり状態(いわゆるトランス状態)になり、指導する言葉も「お前は間違っている、生前の間違いによって安霊できないのだから、自身がその業を浄化しなければ救われない」などといった命令的や断定的な口調が多い。しかし真如苑における霊能は、突然の天啓によるものではなく、祖先の家系の伝承を経て教主夫妻によって結実したものであり、その霊言もあくまでもソフトであり、霊能者も完全なトランス状態ではなくあくまで意識をはっきり持っており、また信徒へ指導するにも断定的な口調はほとんどなく、「自分は間違っていない、正しい、相手が間違っているんだ、という心がありませんか?」などと、やさしく諭すような語り方が特徴である。またかつて1970年代にマスコミで話題となった占い師・田中佐和のように「青空が見えます」、「大きな橋を1人で渡っている姿が表れてきます」といった、やや抽象的なイメージをもって、信徒に思惟を促して導くのも特徴的である。

霊能といえば、普通は巫女の口寄せや、イタコ、シャーマンといった死者と交信する霊媒師と思われがちである。しかし教団では霊能といっても、巷間の死者と交信する類とは異なると説明する。教団では、草創期の頃からお互いの家系の宗教的背景から霊能は既にあったが、今のような理路整然とした霊能ではなく、たしかにその頃には巷のシャーマン的な霊能に近いもので時にはポルターガイスト現象的な事もあったという。しかし、教主夫妻が修行を畢(お)えて、大般涅槃経に邂逅し所依とし、また教導院や真導院の死去により真如霊界が完成されると、そのような世間一般的な「霊的な現象」は一切無くなり、信徒が日常生活の上で仏の教えを体現する指針を示す「霊能」にシフトしていったという。(平成2年刊「新宗教事典」弘文堂など)
なお霊能は、教団施設でしか発揮できないシステムになっているとされる。そのため主だった分派活動がほとんどないのも特徴である(ただし、大分県別府市に本部があった神光明苑の教祖である石田光蓮は、真如苑で修行したことがあるが、この教祖も既に亡くなり教団も実質的に活動していない)。
また涅槃経・四相品「善男子、我れ久しくこの大涅槃に住して種々の神通変化を示現す」等といった経文により、教法・存在・霊能という教化三原則(きょうげさんげんそく)を三位一体として、その中の霊能だけでは人を済度していけるものではなく、単なる売卜(ばいぼく・うらない)になると位置づける。

接心を受けるには法要への参座など幾つかの要件が課される。なお鑑定接心などは、家の購入や仕事上の取引など、人間本位の個人的な事象について仰ぐことが往々にして多いので、無益な乱用を避けるよう指導し、あくまでも信心の基本として「歩む」向上接心を受ける事が基本的に重要とされる。
wikipedia-接心と霊能

霊能と新宗教


新宗教には、教祖およびその親者縁類など、ごく限られた一部の霊能者たちが指導する教団と、ある程度組織化が進み、教団運営や布教活動における中間的な指導者として多数の霊能者がいる教団がある。比較的公称信者数の多い特定の新宗教団体では、この指導者に霊能者を用いる事も少なくない。多くの霊能者を擁していても公的な役職を付与しない教団もあれば、多数の霊能者を擁し、一定の階位や役職を与える教団もある。
このように、霊能力を宗教的な指導に用いている教団としては、円応教、希心会、解脱会、真如苑、大和教団、中山身語正宗、日本聖道教団、霊法会などがある。ただし、この中にはそのような能力を「霊能」とは呼ばない教団もある。
霊能の定義や霊能者という存在をどのように位置付けるかは教団によって異なる。したがって一概に「霊能」といっても、その儀式や内容などは様々である。
Wikipedia-霊能力


参考リンク

霊能者

概略

いわゆる“霊感体質”(霊媒体質)は霊的な物を「感じてしまう」という受動的なニュアンスが強いのに比べ、“霊能者”は霊的な能力を意識的に使えるという自発的なニュアンスが強い。
霊的な存在を自身の身体を使って語らせたりするいわゆる“霊媒”(ミーディアム)も多くは霊感体質であるとされる。
また、「神の言葉を人々に伝えるとされる預言者も多くの場合、霊感体質(霊媒体質)である」と言われることがある。しかしながら、ユダヤ教は旧約聖書中において、死者の霊魂に伺いを立てる者や口寄せ、また霊媒的行為は原則的に禁止する趣旨の文章が明記されており(申命記18章10〜11節)、実際のところ詳しいことはわかっていない。

「日本では僧侶・神官・巫女・占い師・祈祷師などの職業をしている人の中に若干そういう人たちが存在する」とされる。
青森県むつ市の恐山大祭の時に集まることでも知られる東北地方のイタコは多くが霊的な才能を持っているとされる。視力に障害を持つ人が多いが、一般に「目や耳が不自由な人の中にはその感覚を補うために霊感が発達する人がいる」とも言われている。
新興宗教の教祖には霊感体質とされる者やそう自称する者も多い。そうした教祖の中には、霊能が無いにもかかわらず霊能者を装って詐欺的な霊感商法を行い信者から金品をまきあげ、それが発覚した事例もあり、発覚した事例では事件として報道されることがある。

占いの分野について言えば、「特に霊感・霊能と関わりのあるとされるものはタロット、易、水晶玉、水盤占いなどである」とも言われることがある。だが、「少なくともタロットや易をするのに霊的な力は必須ではない」とも言う。「逆にあまり霊感を使う者の少ない手相占いでも主に霊感によって占う者もいる。」と言われることもある。

wikipedia-霊能者

  

参考検索(真如苑 霊能者)(霊能)

Wiki内検索

images


メンバーのみ編集できます