アトレティア国の将軍で、
ロザンドの部下。
3328年の
セロナバルス国首都陥落では首都に一番乗りする活躍をみせ、
ロザンド軍におけるナンバー2の地位を得る。
3330年、
ジルダー出奔からはじまった
アトレティア内乱の争いで、
ロザンドは
ガザデルーと並び最有力候補であった。しかし、突如
ビーストバリア国が
ロザンドに攻撃を仕掛け、
グスティナの戦いになだれ込む。
当初は無謀な突撃と思われたこの戦いだが、
ビーストバリア国の遠謀により、ガイラスと
マルラは、既に
ビーストバリア国への内応を約束していた。
こうしてガイラスは、主人である
ロザンドの戦死を手土産に
ビーストバリア国に寝返る。
彼が寝返った理由は、
ロザンドが
セロナバルス国王になってから、それまで許されていた対等の立場での口調をとった途端、叱責される等、突然自分たちに対して高圧的な態度をとったためという、個人的な私怨であった。
その為、
ビーストバリア国に席を置いてからも、決して忠誠を誓うことはないだろうと、
霊虎、
ベルーマに、常に警戒されていた。
その後、
トリスの戦い、
マドリアルの戦いを経て
六界連合軍による
ルーイガルド侵攻作戦がはじまると、
ルーイガルド17327年の
カティアの戦い、艦隊を失い大撤退戦となった
ハイネスブルの戦い、その後の立て直しとなった
カスタリアの戦いに参戦。
スパルス国から志願してきた兵士を独断で自軍に吸収するが、甘い汁にありつこうとした兵士達は、
ガルーダ攻略戦における、徹底した略奪の禁止と大決戦に不満を感じ、ガイラスは兵士の不満を押さえ込むため、いずれ自身が反乱を起こすから、それまでは動かない様にと兵士に言い含めた。
これが、本当に反乱を画策しての言葉だったのか、兵士を静めるための方便だったのかは謎だが、おそらくその後の状況にあわせて、どちらの行動もとれる準備をしていたと考えられている。
ガルーダ攻略後は、兵士を見捨てて逃亡した
ビアスコア帝国将軍を捕らえて公開処刑し、水攻めにより怨嗟渦巻いていた民衆の怒りの矛先を「自分達を見捨てた将軍」に向けさせた。
ビアスコア帝国を降伏させた後は
フェルトビーン帝国に進軍、
エイクレア攻略戦、
ゲルトエルトの戦いを経て、17328年8月、両軍最大の決戦となった
カルダザルスの戦いに参戦して勝利を収める。
この一連の戦いの中で、
スパルスの兵士達が略奪を行った為、処刑されることとなったが、その際、兵士達は「自分達にはガイラスの後ろ盾がある」と語った。この発言には緘口令が敷かれたが、処刑を行った兵士達から外部に漏れ、ガイラスは「スパルス兵士たちが反乱の計画を立てていたのを知ったので、それを鎮圧させるための方便だった」と弁明するが、それまでの経歴と性格から、本心からの信頼を得ることはできず、彼の立場は連合軍内で孤立していくこととなる。
17329年8月、
シャクティアナ帝国との決戦となった
エリス・ラゴンの戦いに参戦するが、
ラスブロスの猛攻により一度は撤退、
六界連合軍はその直後に
ラスブロス強襲作戦を行い、
サヌア傭兵団の強襲を成功させる為の陽動部隊として帝都で奮戦、
六界戦争を勝利に導く。
その後、
ビーストバリアに帰国、ガイラスは更なる上の地位を求め様々な裏工作に従事し、自らが見込んだ配下の将軍を利用して、次々と競争相手を蹴落としていたが、その部下自身がガイラスを追い落としての出世を企み始め、ガイラスの過去の謀略を全て暴露、更に身に覚えのない罪すら着せられる。
ガイラスは、反乱罪として囚われ、呪いの言葉を吐きながら処刑された。