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【定義】

道元禅師和歌集』のこと。なお、特に『傘松道詠』と呼ばれる場合には、江戸時代に面山瑞方が収集し分類校訂して、延享4年(1747)に開版流布したものが該当する。当時の版本には、面山師自筆を版木に起こした「序文」が掲載されている。掲載するに当たり、カナをかなに改めるなどしている。
傘松曩祖の道詠や、門下の叢席行巻に鈔録する者少なからず。三豕頗る多し。余、久しく之を痛む。考讎に従事して文字殆ど全し。古に言く、呟睡九天より落つ。風に随て珠を生ずと。憶ふに曩祖の片言双語また髻珠頷宝の如くにして今の世に獲やすからざるなり。是故に梓に寿してこれを同志に布く。若し人有り一首を唄詠し、以て道味を諳にするときは則ち八万法蔵の起尽もまた豈此に外んや。嗚呼人や鮮し。 延享三年八月角宿日 遠孫若之吉祥林永福禅庵 沙門面山瑞方拝題

【内容】

道元禅師の和歌を集めたものである。かつて、川端康成氏(1899〜1972)がノーベル文学賞を受賞(1968年)し、その受賞スピーチ(「美しい日本の私」)で引用されて一躍有名となった「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり」は「本来面目」という和歌として収録されている。なお、余談だが、この和歌は古写本『建撕記』では「冬雪きえで」であり、そちらが古い形態であろう。

昨今の道元禅師の全集本では『道元禅師和歌集』と呼ばれることが多いが、本来ついた名前ではない。『傘松道詠』は、永平寺が当初「傘松峰大仏寺」であったと主張する面山の発案だとされている。しかし、最近の研究では、「傘松峰」という呼称は確認されていない。

なお、この著作には様々な問題点がある。そもそも、和歌のほとんどが道元禅師に名を借りた偽作、或いは従来の作品のマネではないのではないかとする見解(船津洋子氏「『傘松道詠集』の名称・成立・性格」『大妻国文5』1974年)もあるほどである。ただし、最近ではいわゆる本歌取りの問題や道歌という性格などを考慮して、たとえ類似した歌があっても、道元禅師の真作とすべきではないかとする見解が出されている。ただし、少なくとも『傘松道詠』に収録されている歌がすべて真作とは限らないため、研究が進むことが待たれている。また、瑩山禅師が著したとされる仮名法語に、道元禅師の和歌と思われる一首の引用例がある。
不見や御歌に云、心とて人に見すべき色ぞなき但露霜のむすぶ計りぞ、是そのつゆしもと云、又曾祖和尚云く、寒炉無火独臥虚堂、冷夜無灯空坐明窓、縦へ一知半解なしとも絶学無為?閑道人?ならん、一知半解なくして坐する即其人なり。 『洞谷開山瑩山和尚之法語』『瑩山禅』巻10、109頁

この和歌は、「草庵之偶詠」として詠まれた30首余りの中の1つである(現在伝わる歌詞とは、若干相違する)。引用文中の曾祖は道元禅師を指し、「寒炉」以下の言葉は、『正法眼蔵』「行持(上)」巻からの取意である。

更に、中世の抄物の1つである円成寺本『碧巖大空抄』(峨山派の大空玄虎[1428〜1505]の著)には以下の如く引かれるという。
永平之詠歌に脱白に被読 聞く儘にげに心ろ無き身にあらば己れなりけり簾の玉水つ(第46則、鏡清雨滴声)

これは、面山『傘松道詠』に見える「鏡清雨滴声」と同じである。つまり、中世の抄物を編むときにも、引かれていることは、先の瑩山禅師の仮名法語に近い状況で用いられたことにもなるだろう。ただし、瑩山禅師はその前後で、道元禅師の見解を引いているが、大空はそれをしていない(『禅門抄物叢刊』第5巻、解題参照)。

【伝播】

かつて道元禅師の和歌と言えば『傘松道詠』だけであったが、古写本『建撕記』の発見により、面山校訂後の和歌よりも古い形態での道元禅師の和歌が確認されたため、様々な書誌学的研究が進んだ。道元禅師が生前、自ら詠んだ和歌を集めて出版したことはなかったようで、『道元禅師和歌集』が『建撕記』に収められた因縁も次のようなものだったとされている。

永平寺13世建綱禅師に対して、永平寺檀家?であった沙弥元忠は、道元禅師の伝記を編集して欲しいと願った。そこで、建綱禅師は伝記編集の一環として宝慶寺8世喜舜?大和尚に、道元禅師の和歌を集めることを依頼した。編集された和歌集は建綱禅師が、後に永平寺14世となる建撕に行状記を編集することを依頼した際に付属され、建撕は『建撕記』と呼ばれる道元禅師行状記編集の際に、合わせて収録したというものである。この状況を喜舜大和尚は次のように記している。

右謹写永平祖大和尚之御詠歌若干首、奉付授梯公首座禅師永平十三世也。伏乞洞宗大興派流通焉、至祝至祝、至祷至祷。
 応永二十七年六月朔日
  宝慶八世洞雲比丘 喜舜艸

ただし、先の説だが、年代が応永27年(1420)とあるため、時代的には難しい。建綱禅師、この時まだ9才である。よって、おそらくこの「梯公首座」は建綱とは別の人であり、「永平十三世(門子本『建撕記』に見える)」ということも、建綱ではなくて、その本師の永平寺12世了鑑?禅師などを考慮する必要があろう。なお、この喜舜大和尚が編集した和歌集は、単独で書写され流布したようで、現在でも江戸時代(1722年)の書写された写本が残されている。

写本の状況からすれば、最も古い形態と思われる和歌集には、道元禅師の歌は47首収められていたようである。古写本『建撕記』の場合で51〜55首収録ということは、すでにこの段階で幾つか追加されていたとされている。また、面山の『傘松道詠』の場合には60首ということで、道元禅師の歌と認められないようなものまで入っているのは明らかである。

他にも、面山道元禅師の手による『新古今和歌集』の写本を入手したが、これは後に断簡としてあちこちに寄贈された。この時、『新古今集』の和歌が、道元禅師の真作だと誤解されたものまであるという。このように、道元禅師の和歌をめぐる混乱は、今なお少なからず見受けられ、今後の研究の進展が待たれる。

【註釈書等】

・『傘松道詠渉典』
全1巻。斧山?玄鈯編、『傘松道詠』の字義や典拠を明らかにしたもの。『続曹洞宗全書』「注解一」巻。
・『傘松道詠聞記』
全1巻。斧山?玄鈯記す、『傘松道詠』に対する和文の註釈。『続曹洞宗全書』「注解一」巻。
・覚巌心梁『永平高祖傘松道詠略解?
全2巻。『傘松道詠』について、初心の参学に用いるように和文で註釈されたもの。『曹洞宗全書』「注解四」巻。

【原典】

面山瑞方校『傘松道詠集』
全1巻。延享4年(1747)に刊行。道元禅師の和歌を後人が編集したもので、60首が収録されている。しかし、収録数が古写本との間で相違があり、詠歌そのものも全てを道元禅師に帰することは難しいとされる。『曹洞宗全書』「宗源?(下)」巻。
・大久保道舟編『道元禅師語録』(岩波文庫)
永平略録』『普勧坐禅儀』『学道用心集』などと一緒に和歌集も収録されている。
・筑摩書房『道元禅師全集』下巻
・春秋社『道元禅師全集』第7巻
この春秋社本は、現在望みうるだけの諸本対校がなされており、また現在の研究の問題点が河村孝道先生の解題に記されているため、最も良い。

【講話・研究書など】

・『沢木興道全集十三―傘松道詠講話・信心銘拈提講話』(大法輪閣・一九六四年)
・大山興隆『草の葉―道元禅師和歌集』(曹洞宗宗務庁)
・大場南北『道元禅師傘松道詠の研究』(中山書房仏書林・二〇〇五年)
・松本彰男『道元の和歌』(中公新書・二〇〇五年)

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