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【定義】

朝課諷経で「仏殿諷経」の次に行われる諷経で、一切の煩悩を断じた阿羅漢応供供養するもの。『行持軌範』では、以下のように規定している。

【読誦する経典】

・『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』

回向する対象】

・十六大阿羅漢を始めとする一切の応供

【回向文】
仰ぎ冀くは照鑑、俯して感応を垂れたまえ。上来、摩訶般若波羅蜜多心経を諷誦す、集むる所の功徳は、十方常住の三宝、果海無量の賢聖、十六大阿羅漢、一切の応供部類眷属に回向す。冀う所は、三明六通、末法を正法に回し、五力八解群生を無生に導き、山門の二輪常に転じ、国土の三災永く消せんことを。

【内容】

本来、この法要は、月分行持の中で、毎月1日・15日に行われるものであったが、江戸時代には朝課に組み込まれ、日日の諷経になったようである。そして、本来の回向文を見てみると、今とは全く違う内容となっている。
仰ぎ冀くは照鑒 俯して感応を垂れたまえ、合山の清衆同音に、大仏頂万行首楞厳秘蜜神咒を諷誦す、集むる所の功徳は、仏の親しく付嘱したもう当来慈氏の下生に至るまで、現に世間に住し仏法を紹隆する三明六通の十六羅漢、一切応供部類眷属に供養す。応ずるは疾風の如く、所として通ぜざる無く、本寺の檀那、諸檀の施主、現当の悉地に皆な解脱を得、山門栄昌、諸縁吉慶ならんことを。十方三世々。 禅林寺本『瑩山清規』(原漢文)

これであれば、応供に供養する理由も、現行回向文よりはハッキリする。それは、本来、阿羅漢・応供という存在は、仏陀釈尊入滅後、弥勒菩薩?慈氏?)がまた降生されて成仏されるまでの間、その神通力でもって、この世界が末法の世になることを抑えながら、仏法興隆に尽力する存在であるといえる。よって、現在も「末法を正法に回し」とは読むが、同じ願いをしていたことになる。

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