【定義】
江戸時代日本曹洞宗が輩出した僧侶。月舟宗胡の法嗣で、瑞龍寺?に住し、泉州成合寺を開いた。号は雲山、名は愚白。
生没年:元和5年(1619)〜元禄15年(1702)
出身地:肥後(現在の熊本県)
俗 姓:不明
【内容】
肥後に生まれた愚白禅師は、京都山崎の存性律師に就いて出家受具すると、臨済宗の愚堂、大愚、雲居希膺、賢巖などに参じ、また渡来僧の道者超元や東皐心越にも参じた。
後に、月舟宗胡に参じて宗旨を参得すると、肥前の岩吼寺(現在の長崎県南島原市・巌吼寺)に住し、また、大慈寺にて瑞世した。その後も参学を続け、黄檗宗の木庵性瑫にも参じた。
その後、月舟の下に帰ったが、前田候より、越中・瑞龍寺の住持に請せられたため晋住した。三年ほど過ぎた際に、加州宝円寺?と裁判に巻き込まれる可能性があったため、突然に辞去し、泉州に遊行すると、その地で空き寺となっていた成合寺に入り、岸和田の岡部候の援助なども受けて復興した(この経緯は損翁『見聞宝永記』にて詳述)。
1702年2月18日に遷化、世寿84。
伝記には、『続洞上諸祖伝?』巻4、『洞上聯灯録?』巻11があり、語録として『成合雲山和尚語録』(1巻)が残り、同語録に塔銘(面山瑞方撰)を収め、そこからも行状が知られる。
江戸時代日本曹洞宗が輩出した僧侶。月舟宗胡の法嗣で、瑞龍寺?に住し、泉州成合寺を開いた。号は雲山、名は愚白。
生没年:元和5年(1619)〜元禄15年(1702)
出身地:肥後(現在の熊本県)
俗 姓:不明
【内容】
肥後に生まれた愚白禅師は、京都山崎の存性律師に就いて出家受具すると、臨済宗の愚堂、大愚、雲居希膺、賢巖などに参じ、また渡来僧の道者超元や東皐心越にも参じた。
後に、月舟宗胡に参じて宗旨を参得すると、肥前の岩吼寺(現在の長崎県南島原市・巌吼寺)に住し、また、大慈寺にて瑞世した。その後も参学を続け、黄檗宗の木庵性瑫にも参じた。
その後、月舟の下に帰ったが、前田候より、越中・瑞龍寺の住持に請せられたため晋住した。三年ほど過ぎた際に、加州宝円寺?と裁判に巻き込まれる可能性があったため、突然に辞去し、泉州に遊行すると、その地で空き寺となっていた成合寺に入り、岸和田の岡部候の援助なども受けて復興した(この経緯は損翁『見聞宝永記』にて詳述)。
1702年2月18日に遷化、世寿84。
伝記には、『続洞上諸祖伝?』巻4、『洞上聯灯録?』巻11があり、語録として『成合雲山和尚語録』(1巻)が残り、同語録に塔銘(面山瑞方撰)を収め、そこからも行状が知られる。
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