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【定義】

仏名を念誦して讃えること。日本曹洞宗では、食事の時や、喪儀の際に行われる。当初の『洞上行持軌範』では、以下の様々なパターンについて併記され、考察がされていたが、現行の『行持軌範』で挙げられているのは、『赴粥飯法』に示されるものである。なお、道元禅師による呼び方は「十声仏」である。

【内容】

現在、曹洞宗で古来より伝承されていると思われる「十仏名」は、以下の3通りである。

清浄法身毘盧舎那仏
円満報身盧遮那仏
千百億化身釈迦牟尼仏
当来下生弥勒尊仏
十方三世一切諸仏
大乗妙法蓮華経
大聖文殊師利菩薩
大乗普賢菩薩
大悲観世音菩薩
諸尊菩薩摩訶薩
摩訶般若波羅蜜
    赴粥飯法

なお、道元禅師は更に別の形式を示しておられる。

清浄法身毘盧舎那仏
円満報身盧舎那仏
千百億化身釈迦牟尼仏
当来下生弥勒尊仏
十方三世一切諸仏
大聖文殊師利菩薩
大聖普賢菩薩
大悲觀世音菩薩
諸尊菩薩摩訶薩
摩訶般若波羅蜜
    正法眼蔵』「安居」巻

ここには、「大乗妙法蓮華経」が抜け、上がっている数も10になっている。また、瑩山禅師は、この両者とも別の方法が示されている。

清浄法身毘盧遮那仏
円満報身盧舎那仏
千百億化身釈迦牟尼仏
当来下生弥勒尊仏
十方三世一切諸仏
大乗妙法蓮華経
大聖文殊師利菩薩
大行普賢菩薩(写本によっては大士普賢菩薩)
大悲觀世音菩薩
諸尊菩薩摩訶薩
摩訶般若波羅蜜
    瑩山清規

これら3つを並べてみると、「普賢菩薩」の尊号に相異が見られる。江戸時代に曹洞宗が輩出した学僧の面山瑞方師は様々な清規について考訂した『洞上僧堂清規考訂別録』「巻八雑考」に「十仏名列号」を記し、考察している。
十仏名の列号次第は、支那の諸清規に見へず。ただ安居巻と、永規のみ列号ありて、普賢を大聖とし、また大乗となす。考るに漢書音義に、大行者不在之称、天子崩未有諡号、故称大行。これを引て、日用清規抄云、十仏名中、有大行普賢、避天子不在之称、故宜唱大乗普賢、云々。是は近世の鈔なり。安居巻古写を幾本も考るに、皆共に大聖普賢となり。文殊と一対なれば、聖の方よし。永規に大乗とあるは、後人の改換か、疑ふべし。 『曹洞宗全書』「清規」巻、322〜323頁

ただし、「安居」巻と、『赴粥飯法』とは、根本的に異なった状況で引用されているため、面山が指摘するような「後人の改換」があるかどうかは確認できない。

【唱える意義】

そもそも「十仏名」とは念誦であるが、その意義については以下のような指摘がある。
総じて十仏名を念誦と名く。古は一切の功徳の為に略行法には、十仏名ばかり唱ふ。 面山瑞方『洞上僧堂清規考訂別録』巻2「粥飯作法考訂」

そして、更に回向する対象などについての言及も見える。
十仏名は万徳の洪名なれば、食時に念誦するは、施主に滅罪生善を報答なり。三八の念誦は、合堂真宰増加威光して護法を頼むなり。送亡の起龕・鎖龕に皆念誦あるは、薦亡の功徳なり。こころに念じ、口に誦す。ゆへに念誦と云ふ。十仏名は同じ念誦なり。 同上

上記と同様に、昨今でも「十仏名」を用いるのは基本、食時・念誦・喪儀となっているが、それぞれの意義について簡潔に示されたものである。ただし、最後に「同じ念誦」とあって、この辺が現在でも同じ字句の念誦でもって、それぞれの行持に共通させることになったのだと推定される。以上は、面山師の見解ではあるが、その意義を参究されるのに適していると思われる。

【論文】

・松浦秀光「十仏名について」、『宗学研究』26・1984年

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