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【定義】

中国曹洞宗の宏智正覚禅師(1091〜1157)の頌古百則(『宏智録』巻2に収録)に対し、金末期から元初期に活動した万松行秀(1166〜1246)が示衆・著語・評唱などを付した公案集。詳しくは『万松老人評唱天童覚和尚頌古従容庵録』であり、略して『従容録』と呼ばれる。1223年(南宋・嘉定16年、金・元光2年)に成立し、全6巻である。雲門宗の雪竇重顕禅師の頌古百則に対し、臨済宗楊岐派の圜悟克勤禅師が評唱した『碧巌録』に倣った文献とされる。現在は『大正蔵』巻48で容易に閲覧できる。

【内容】

『従容録』冒頭には万松行秀が癸未年(1223)に著した「評唱天童従容庵録寄湛然居士書(湛然居士に寄せる書)」を収録し、同文からは本書が湛然居士によって、その前年に求められて、西域・阿里馬城で著したことを伝えている。現在、『大正蔵』巻48に収録されている本書は、明代の万暦35年(1607)に重刻された『四家評唱録』の1本を収録したものである。

本書は、宏智禅師の頌古百則に対し、各則の題名を付し、示衆(万松)・本則(宏智の選抜)・評唱(万松)・頌古(宏智撰)・評唱(万松)と展開し、更に本則及び頌古に対して著語(万松)している。

現在の曹洞宗では、いわゆる「首座法座」の本則及び頌古挙唱に本書が用いられることが多い。ただし、示衆や評唱、著語などは読み上げないため、『宏智録』及びその抄出である『宏智禅師頌古』でも事足りてしまうのは事実である。また、『従容録』を用いなくてはならないという決まりも無い。ただ、「首座法座」中に、弁事が「天童の覚和尚、頌に云く……」と唱え出す様子の場合、『従容録』が用いられているとみて間違いない。

なお、江戸時代には『従容録』の扱いを巡って賛否両論だったようで、学僧天桂伝尊禅師には『従容録弁解』の提唱が知られるが、一方で面山瑞方禅師は『従容録』に批判的立場であり、「今、宝重すべきは、宏智禅師の広録のみ。彼の従容の百発百不中、且つ虚堂の掠虚、空谷の脱空の如きは、応に他派に対して、以て慚愧すべし」(『建康普説』「〈第十三〉曹山三堕普説」)とまで言い切った(虚堂は『虚堂集』、空谷は『空谷集』であり、それぞれ林泉老人(従倫、万松行秀の資)による投子義青禅師頌古百則及び丹霞子淳禅師頌古百則への評唱)。これらは、宋朝禅よりも後代のものであるという立場、或いは、内容的な不備も併せて批判している。

ただし、近代以降の日本曹洞宗では極めて重視され、先に挙げた天桂禅師『従容録弁解』の刊行を含め、多くの提唱録や本文などの刊行が続いた。秋野孝道禅師、日置黙仙禅師、高田道見師、神保如天師などに『従容録講話』があり、他にも多数。曹洞宗宗務庁からは和本『従容録』も度々刊行された。

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