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【定義】

この用語は嗣法に関するものであり、別に代授とも呼ばれる。或る師家にとって、未だ弟子に法を嗣ぐべき者がいない場合などに、別の力量有る僧が、その師から法を承けて預かっておき、後に相応しい者を見出して、その師家に代わって法を付属させることから、代付という。
いわゆる法系、寺に属して、人に属せざる習ひとなるゆへに、師弟子と称するもの、数十年相隔てて、其人を知らず、其の名をきかずといへども、本寺及に前住の代り付せらるるに依て相続して怪まず。これ其の一つなり。又其の代り付するといへども、亦其の代る所の師をしらず、妄りに其寺所伝の法脈を以て、先に受け来るの名も亦聞ざるの師に代りて、これを付して疑はず。これ其の二つなり。 『宗統復古志

【内容】

実際に道元禅師も含めて日本曹洞宗が属する系統になる中国曹洞宗の大陽警玄−投子義青という師弟は代付であったとされている。江戸時代以降の日本曹洞宗の教義としては、道元禅師の『正法眼蔵』「面授」巻を撰述されたことなどを受けて、代付否定を強調されたが、「面授」巻の解釈次第によっては代付を認められていた可能性もある。また瑩山禅師は『伝光録』第44章にて、代付に対して肯定的な見解を出している。
夫れ浮山円鑑禅師は、臨済和尚より七代、謂ゆる葉県帰省和尚の嫡嗣なり。昔日参嵩交和尚に投じて出家し幼にして沙弥と為る。僧の入室して趙州庭柏の因縁を請問し、嵩、其僧を詰るを見て傍より明らむ。諸師に参じて皆相契ふ。汾陽葉県に謁して皆印可を蒙る。卒に葉県の嫡嗣たり。然して又大陽に参ず。大陽、亦機縁相契ふ。故に宗旨を伝へんとせしに、法遠辞して曰く、先きに得処ありと。因て自ら伝取せずと雖も、大陽、卒に人なき故に寄附して断絶せず。後に其機を得て密に付す。此に到りて知るべし、青原南嶽本より隔てなしといふことを。実に大陽の一宗、地に落なんとせしを悲で、円鑑、代て大陽の宗旨を伝ふ。 『伝光録』第44章

なお、現状に到った理由の1つには、中世の日本曹洞宗では、寺院相続の基準として「伽藍法」が強調されて、代付や遥付が乱用されるようになった。また、感心できない方法で住職のポストを得る者も出てきたようである。したがって、江戸時代に入り元禄期を迎えると、一師印証面授嗣法を基本とした方法に限定すべく、卍山道白師などが「宗統復古運動」を起こし、現代まで到っている。また、卍山とともに「宗統復古運動」を共闘したともされる独菴玄光は、代付に関して独特な解釈を行っている。
五派皆、如来正法眼蔵を以て、仏祖に代わって逓代相伝するなり。上には大亀氏より、今日の臨済・曹洞に到る伝灯付法、設い面稟付属すと雖も、その実、則ち代付せざる無し。 『俗談(上)』

要するに、嗣法というのは、仏陀の法を仏祖に代わってその都度に授ける「代付」だというのである。

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